2ー8
幻聴だろうか。
大佐との会話に微妙な脈絡の無さを感じる。
私はもう一度、己の身に起きている奇怪な現象について大佐に説明を求めた。
「腕環が手首に密着して取れないんですよ。」
「……取れないと何か困る事があるのか?」
これは予想外な反応だった。
そ、それは、、、?手首が蒸れてカブれる、とか?
そう言おうとしたが、私の言葉は大佐の殺意すら感じる鋭い視線を受けて、形になる前に霧散した。
「私からの贈り物は受け取れないのか。そうか。では与えた言語能力と不可分で返してもらおうか。」
えっなぜそうなる!?
何時の間にその二つがセットに。一から学習するのは文字だけで手一杯だ。
「……有難く頂戴致します。」
トンプル宮に戻ると、サハラが出迎えてくれて、玄関ホールに入ると王太子が駆け寄って来てくれた。
大佐には、出来る限り王太子に近づくなと言われたが、向こうから近づいてきてくれる場合はどうしたら良いのか。
「街に遊びに行ってたんだろう?楽しかったか?…どんなだったか、詳しく教えてくれ。」
王太子の熱い眼差しに私は今更気付かされた。11年もこの宮に幽閉されている彼の方が、余程街へ行きたかったに違いない。街の様子を知りたくてウズウズしているのだろう。
サハラの提案で王太子と私は、早目の夕食を一緒に取りながら、街の話をすることにした。私は街での出来事をなるべく臨場感溢れる様に話した。特に人形劇で見た事を話す時は、その演幕の一部を私が人形に成り切って実演してみせた。王太子は時に複雑な心境を覗かせながらも、屈託無く笑ってくれた。少し近寄り難い雰囲気のある王太子は、笑うとその鋭い緑の瞳がふっ、と柔らかく優しい印象になり、ギャップが良い感じだった。
「その腕環はどうしたんだ?買ったのか?」
私は思わず咄嗟に頷き、嘘をついてしまった。食事を平らげた私達はソファに移動し、お茶を飲んでいた。
私はすぐ隣に座る王太子に間近から見つめられながら、大佐からの贈り物だと伝える事に少し気が引けたのだ。それに話が広まれば大佐に入れあげているらしきここの侍女達から、何かしらとんでもない勘違いをされかねない。
王太子は手を伸ばして私の腕環にそっと触れた。その指先がかすかに私の手首に当たり、私の心臓がどきりとした。
「変わった模様が彫られてるな。…これは古代文字じゃないか?」
確かに腕環にはぐるりと一周して何かの模様みたいな物が彫られている。
これは文字なのか。私が問う様に王太子を見つめ返すと彼は続けた。
「古代文字とは、字の改革が行われる前に使われていた古代の文字のことだ。教養の一環として知識人や王侯貴族が習う事もある。俺も子供の時分に少しだけかじった。」
「この腕環には何て書かれているんですか?」
すると王太子は私の手を取ると、自分の顔の近くまで引き寄せた。そんな風に近寄せずとも、充分読める気がするのだけど。更にその上、大きな手で腕環を押さえて慎重にクルクルと私の手首で回転させて模様に見入っている。腕環というより、最早私の手を撫でている。たっぷり時間をかけてから王太子は首を振った。
「王宮図書室に行けば分かると思うが。俺も殆ど読み方を忘れてしまった。」
そう言うと私の手をとらえたまま、空いた方の手でカップを取り、お茶を飲んでいる。なぜか私達は手を繋いでお茶をしている状況になっている。頭の中は混乱していたが、かと言って振り払うのも勇気がいる。
「これはもしかすると呪いの腕環かもしれないぜ。」
「呪い!?何ですかそれ?」
聞き捨てならない。何せこの腕環、外せないのだから。
「重罪人に使われていた懲罰具の一つだ。それをはめられた者が反抗的な態度を示したり、逃亡しようとした場合、術を用いて環を自在に伸縮させて懲らしめていた。ひどい場合は首にはめさせて締めて絞殺したらしい。」
私は自分の血の気が引くのを感じた。この腕環はその呪いの腕環なのかもしれない。
すると私の顔を覗きこんでいた王太子の真剣な瞳が急に悪戯っぽく光り、次いで王太子は愉快そうに笑い出した。
「冗談だ!何て顔してるんだ。本気にしたのか。面白いな、エリは!」
「からかったんですか!?もう!」
私は遊ばれてた事に腹が立ち、王太子にまだ握られていたままだった手を引き解くと精一杯怒った顔をしてみせ、怒りを示した。しかしながら王太子はなおも実に愉快そうに笑う。
「怒ったのか?でも全然迫力が無いぞ。エリは垂れ目だからな。怒った顔も可愛いぞ。」
「もう!本当に怒りますよ!」
私は笑い転げる王太子の肩を拳で軽くドンっと押してやった。するとようやく王太子は笑いを収めた。
「悪かった。…呪いの首環は残酷さが問題視されてとっくの昔に禁止になっている。何より、そんなものが街中の店で手に入るわけが無いだろう。」
では現実に存在はしたわけか。
禁止なんて信用出来ないのは私が身を以てしっている。なんたって人体移動術は禁止されている筈なんだから。
そして、大佐がこの腕環を購入した場所に至っては心当たりがないのが一番懸念するところだ。私は自分の買い物に夢中で、大佐が買い物をしていたのか記憶に無いのだ。
明日図書室で速やかに古代文字を解読することが必須である、と自分に命じた。
「エリもアレヴィアンが好きなのか?……サハラ達はあいつが好きでたまらないらしいな。」
驚いた私の表情から、それが的外れだった事を悟った王太子はなぜか安堵した様に口元をほころばせた。
私はあっ、と思い出して立ち上がり、買ってきてあったお土産を王太子に差し出した。
「街中で買ったお菓子が王太子殿下のお口に合うか分かりませんけど。」
王太子は破顔一笑しながら受け取った。
「こちらの菓子はエリの世界の菓子と違うか?そっちの方が俺には衝撃が強そうだ。」
私はふと楽しそうだ、と閃いた。
「それなら今度、こちらにある材料で作れそうな物を作ってみます。」
それは楽しみだ、と喜ぶ王太子の笑顔は少年そのものだった。




