7・洋館のうわさ
「テナー、どこいったの」
近頃、夕方を過ぎるとテナーはよく居なくなる。
家に戻ってくるのは明け方。前に僕が見たときは、毛が全部ぼさぼさになってまるでモップみたいだった。
お気に入りのソファの上にも、犬みたいに宝物を隠している物置の隅にも、あの白くてやわらかなモップの姿は見あたらなかった。
「あら、またあの子はお出かけなの」
「そうみたい。どこ行っちゃったんだろう」
「猫ってそういうものなのよ。さあ今日はもう寝なさい」
だけど今日こそは、もう帰ってこなくなっちゃうかもしれない。
テナーが頻繁に出かけるようになってからは、そんな気持ちでいっぱいになる。
どこかで車にひかれているかもしれない。どこかの犬に噛まれちゃったのかも。
心配になって目が熱くなるんだけど、お母さんは特に心配ないって言う。
でも僕は知ってる。最近のテナーは、時々今まで見せたことのないような顔をしているときがあるんだ。
それはどういう顔なのかって言うと、上手くいえないんだけど凄く怖い顔なんだ。
まるで知らない猫みたい。知らない街に住んでる、野良猫みたいで。
心細そうな少年の声が廊下に響いている。
前この家に住んでいた人間は、かなり贅沢な暮らしをしていた。
家具は全部、遠い海の向こうから船に乗せて持ってきたものだったそうだ。
オレンジとゴールドのシャンデリアも、乗るとずぶずぶと沈んでしまうソファも、表面がつるつるして顔が反射して見えるタンスも。
さて、どうしようか。
今回引っ越してきたこの一家に対しては、特に恨みなどもっていない。
そこまで考えてから、ようやく重い腰を上げた。ぎしぎしと骨がきしんでいる。呼吸も少し苦しい。もうそろそろ駄目なのかもしれない。
何が駄目なのかって?
そりゃあ、これからオレについてくりゃわかるさ。
一匹の猫が、少年の前にのそりと現れた。
「テナー! 今日もどこかへ行くの。ねえ、一体どこへ遊びに行ってるの」
白い猫は一声鳴くと、小走りで逃げ出した。
少年の興味をわざと引くような、思わせぶりな顔だった。
「待ってよ、僕も一緒に行く」
少年と猫は走り出した。
月のない夜だった。雲は高く、灰色と深い紺が空を重く彩る。
真っ暗な坂道を下って行く。少年の住んでいる丘の上の洋館はどんどん遠ざかる。
白い猫が闇に光る。
時々ぼんやり、時々するどく。
いつのまにか少年は、無心でその猫を追っていた。
そしてようやくたどり着いたその空き地は、彼の記憶にない場所だった。
右を見ても左を見ても、自分がどの方向から来たのかわからなかった。
右を見直して左を見直すと、その空き地には猫が沢山集まっていた。
「さあ、今日はテナーが連れて来たよ。ごちそうの時間だ」
黒い猫が言った。
「テナーも折角猫又になったんだから、食べないと普通の猫に戻ってしまうよ。こっちへきて一緒に食べよう」
「ああ、わかってる……わかってるよ」
少年に猫達が詰め寄る。これから始まるのは、彼らの遅い夕食会とでも言おうか。
少年は叫び声をあげる間もなく喉を噛み切られた。
明け方に猫達が集会所から一匹また一匹と去っていった後は、静かに草花がゆれていた。
血の跡も、骨のかけらも残っていなかった。
「あら、またあの子はお出かけなの」
「そうみたい。どこ行っちゃったんだろう」
「猫ってそういうものなのよ。さあ今日はもう寝なさい」
そうして少年は母に背中を押され、自分の部屋に入っていく。
彼がベッドにもぐりこむと、間もなく部屋の電気が消された。母親の足音が去っていくまで、しばしの静寂が訪れる。
やがて、もそもそと布団が動きだす。
少年の姿は一匹の白い猫へと変わっていく。
「ふふふふ。やめられないんだよなぁ、特に子どもはおいしいからな。しょうがない、恨みはないけれど」
白い猫は部屋から出て行った。誰もいなくなったベッドを、窓から月の光が冷たく照らす。
「この家族も全員食べるとするか」
丘の上の洋館に住むと、一週間以内に住人が全員が消える──この街にはそんな都市伝説もある。