3・新商品
桜が満開に咲く季節だった。
去年の春集会は、大変な盛り上がりをみせた。
誰も彼も、みんなマタタビを片手に、陽気に歌って踊った。
また今年も、その季節がやってきたのだ。
桜なんか大嫌いだった。
去年の花見は、大変な盛り上がりをみせた。
誰も彼も、みんな酒を片手に、陽気に歌って踊った。
また今年も、その憎たらしい季節がやってきたのだ。
「この企画書はなんなんだ! 君は一体、何年この会社に勤めている!」
部長の声が部屋に響き渡った。
怒られているのは、入社三年目、平社員の青年。
彼は悔しそうに顔をしかめ、握った拳はぶるぶると震えている。無理もない、彼はこの企画書を何度も手直しして、懸命につくりあげたのだから。
一緒に企画を立てた同僚達三人は、困ったような表情をしながら、お互い顔を見合わせていた。
「始めからやり直せ! 期限は来週だ」
部長はそう言って、企画書のファイルを机に放ると、会議室を出て行った。残された彼らは、机に突っ伏したり、悔しそうに拳を叩きつけたりした。
「来週までになんて無理だ。ここまでやるのに、一ヶ月もかかったんだぞ……もうこれ以上のものなんて出来るか!」
「どうしろっていうのよ! あのクソ部長、私達の苦労も知らないくせに」
「どこが悪かったんだろう……最高の出来だと思ったのに」
新しい商品を開発するプロジェクトは、一向に前に進んでいなかった。彼らは花見のシーズンにあわせた、お菓子を考えているのだ。
並木道は、もうすぐ満開の桜でいっぱいになる。
このシーズンになると、なぜか自分は例の企画書をつくれと命じられる。入社してから三年間、毎年彼はこの企画制作に悩まされていた。
「はぁ……春なんて来なくて良いのに」
青年は昼休みを使って、会社の近くの公園へ来ていた。
来週末にはここで、会社の花見がある。本当は今日企画書が通れば、すぐに契約しているお菓子工場へ連絡が行った。そしていくつかの会議の後、記念すべき試作食品第一号が、来週の花見で社員達に配られる予定だったのだ。
彼はため息をつきながら公園のベンチに座り、一人寂しく昼食を食べ始めた。すると間もなく、足に何かが触っていることに気付く。
「何だ、なにか用か?」
足に擦り寄ってきた、一匹の三毛猫。まるで、今片手に持っている昼食のパンを、よこせと言っているような目つきだった。撫でてやると、喉をゴロゴロと鳴らして気持ちよさそうに目を閉じた。
「呑気な顔しやがって。こっちは朝から上司に怒鳴られて、散々なんだぞ」
「大変そうですね」
「本当だよ。……え?」
まさか、漫画じゃあるまいし。と思ってはみたが、今返事をしたのは紛れも無く足元の三毛猫であった。
「どうも。わたくしは、三毛猫です」
彼女は、あっという間にベンチの上に乗ると、自己紹介を始めた。
まず、自分はこの辺りに住んでいる猫であるということ。
好物は豚肉であるということ。
他に色々と喋ってくれたが、なんだか呆気に取られてしまって、それくらいしか記憶に残らなかった。そしてお返しに、自分も簡単な自己紹介をしてやると、
「わたくし達、なんだか気が合いそうですね」
そう言って、尻尾をくねらせた。
だから青年は、自分の頭がおかしくなったのだろうかと思いつつも、つい猫に愚痴ってしまった。
「そうですか、それはお気の毒に。そうだ、じゃあ参考までに、わたくし達猫のお花見にいらっしゃいませんか? 何かヒントがつかめるかもしれませんよ」
今週の日曜日、夜十一時から「猫の集会所」にて、猫達は花見をするという。確かにあの空き地には、桜の木が植えてある。だがまさか、猫が花見をするとは思ってもみなかった。
「では、わたくしはこれにて。そうそう、当日はきちんとお迎えに参りますので、ご心配なく。」
そして三毛猫は、どこか満足そうな顔で公園を去っていった。
前日の朝に、青年の自宅に招待状なるものが届いた。ハガキには、必ずこれをご持参くださいという、なんともいびつな文字が。
そしていよいよ日曜日の夜が来た。まだなんとなく半信半疑ではあったが、スーツを着て待ってみる事にした。
するとどうだろう、十一時の三十分前には、玄関の前に二匹の猫が現れたのである。
「あの……集会所から来た方々ですよね」
声をかけると、白い猫と、黒い猫はニャアと鳴いて歩き始めた。暗い夜道、二匹の猫を追いながら歩いていく。しばらくすると、前方からドンチャン騒ぎが聞こえてきた。まさかと思って、集会所へ走った。
「おっ、皆見てくれ! 来た来た!! さあ人間さん、入って入って」
青年の姿を見た瞬間、一匹の猫が大声をあげた。瞬間、猫達の視線が一気に自分に向けられた。そういえば以前、人間を襲う猫の話を、友人の平田優から聴いたことがある。
少し背筋が冷たくなるのを感じながらも、猫達に言われるがまま、桜の木の下までやってきた。とりあえずぺこぺこしながら、青年は愛想笑いをした。
「ごめんなさい、皆宴会大好きで……結局いつも予定の時間より、早く始まってしまうの」
人ごみならぬ猫ごみから、あの三毛猫が出てきた。姿を見た瞬間、青年はなんだかようやくほっとした気分になった。
「招待状を皆に見せてください。……はい、確かに。ではどうぞごゆっくり」
それからの宴会模様といえば、人間と全く変わらなかった。違うのは、酒がマタタビであるということと、団子が魚であることだけだ。どこから持ってきたのか、ネクタイを頭に巻いている者もいる。飼い主が無理矢理服を着せるだの、どこそこの缶詰はまずいだの、ひたすら愚痴を言う者もいた。
「マタタビ、いかがです?」
「いや、自分は仕事の一環で来ていますから……」
時折そう薦められることもあったが、なんとか上手く断った。
猫達の宴会は、夜中まで続いた。気がつくと、次々に酔いつぶれていく猫が続出し、青年はすっかり介抱役にまわっていた。
そんな時、丸くなって眠る一匹の白猫が目にとまった。
背中の辺りには、一枚の桜の花びらが乗っている。
ピンクの花びらと、白くて丸いそのラインは、なんだかとてつもなくおいしそうに見えた。
「ねえ春香、もうあのまんじゅう食べた?」
「食べた! 桜印の猫まんじゅうでしょ!? すんごいおいしかったし〜」
「あのCMも、ちょーウケるよね!」
「猫が花見してるやつでしょ〜? 観た観た観た!」
たった今道端で、そのまんじゅうの噂をしていた少女達とすれ違った青年は、密かにガッツポーズをしながら微笑んだ。
今年の春はコレで決まり! 桜印の猫まんじゅう、絶賛発売中!
季節に合わせた話を書いてみました。