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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第二章 王都の影と日向に咲いた花

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 突然の暴れ馬の乱入に逃げ惑う人々の中、転けて泣き出してしまった小さな男の子に駆け寄る少女がいた。男の子は騒ぎの中で両親とはぐれ、大人にぶつかられて転けた上、せっかく買ってもらった小さなおもちゃを落としてしまい、訳もわからず怖くなって泣いていた。

 少女は男の子をなだめ、手をつないですぐにその場を離れようとするが、男の子は癇癪かんしゃくを起こしてしまったのか地団駄じだんだを踏んで動かない。少女は嫌がる男の子を抱き上げる。暴れる男の子の足が少女の腕から提がる編みかごを蹴飛ばし、何かがこぼれ落ちる。

 そこへ一直線に、暴れ馬たちが駆けてくる。

「どれだけの人間が彼女たちに気付いていたか――ただ彼女たちを見ていた人間ならば、誰もがもう駄目だと思ったでしょう。自分もそうでした。少女も間に合わないと思ったのか、男の子をかばうように馬に背を向け、覆いかぶさるようにして地面に伏せました」

 しかし――次の瞬間。

 少女の背から白い、サテンのような羽がふわっと伸びた。

 最初ははじけるように、次第にするすると、何枚もの羽が折り重なって伸びていく。

 フィオレロの脳裏に、自宅の天井に描かれたフレスコ画の天使の姿がよぎった。しかしすぐに、それが間違っていることに気付く。

 もうずっと、記憶の片隅に追いやられていた知識が、頭の中で次々にほころんでいく。みずみずしい輝かんばかりの白。繊細な曲線。凛々しく伸びるしべ

 ――百合リリアンの花。

 それがいくつもいくつも花束のように咲きほころんで、その花からまるで人形のような少女たちが生まれ出る。薄い金緑きんりょくの髪、白絹をまとわりつかせただけの無駄のない体。それらが馬に向かい一斉に細い腕を伸ばすと、辺りに風が巻き起こり、リリアンの花特有の芳香が一面に広がった。

 それに包まれた馬も人も、途端に様子が変わる。フィオレロ自身も、軽い酩酊感に襲われた。足下がふわつくような、不思議な感覚。

 馬も走るのを止め、戸惑うようにその場で足踏みをしたり、中には座り込んでしまうものもいた。

 どこかから「精霊の祝い子だ」という声が聞こえたが、風が立ち消えるのと同時に精霊たちも姿を消し、直後には馬喰たちが各々の馬を捕らえようとなだれ込んできたため、その話はそれきりになってしまった。

 少女の元には男の子の両親が駆け寄り、何度も何度も頭を下げてお礼の言葉を述べていた。

 が、少女は自分の身に何が起きたか、まるきり理解していないようだった。手を振って家族を見送ると、一回不思議そうにきょろきょろと周囲を見回し、小首をかしげて何事もなかったかのように歩き出してしまう。

 それを目で追っていると、何人かの人間が少女に声をかけ、短い会話とともに編みかごの中身と金をやり取りしていく。中には手を合わせて少女に頭を下げる老夫婦などもいて、少女は慌てたように両手を横に振っていた。そして去っていく夫婦の手には、少女から買い求めた小さなブーケが大切そうに握られていた。

 フィオレロは少女と男の子がいた場所まで歩みを進める。そこには散ってしまったいくつかの花びらと、花蜜ネクターの詰まった小瓶が一つ、落ちていた。小瓶には小さな端切はぎれのタグがくくりつけられており――それには、王都の中でも貧しい人々が暮らす、旧市街地の住所と店の名前がスタンプされていた。


「――えーっ、声をかけなかったの!? 信じられない! もう、ばかばか!」

「は、はい。そのときは……。父の後始末もありましたし、なんとなく頭がぼうっとしていて……上手く言えないのですが」

しんから魅入られたんだな」

「はは……そうかもしれません。その日以来、その、昼も夜も、何をしていてもとにかく彼女のことが頭から離れなくて。……自分だけまだ、あの酩酊状態の中にいるみたいでした」

 クロシェットの茶々とヴァイスの揶揄に、フィオレロは頬を赤くして話を続ける。

「それで――居ても立ってもいられなくなって、お恥ずかしい話ですが、そのタグにしるされていた店へ、赴いたんです」

「それでそれで!?」

「一回目は店のおかみさんに追い返されました」

「ええーっ」

「なんでもあの日以来、彼女を訪ねてくる人間が私以外にもいたようで……中には金を積もうとする胡散臭い人間もいたようですし、おそらく、最初から私のことも知っていたように思います。成金貴族のどら息子が、いたずらに旧市街の子に手を出すなとどやされました」

「そりゃまた……はたから見るぶんには面白そうなんだがな」

「でしょうね……。何回か通ううちに、ご主人や下働きの子たちには声をかけてもらえるようになって……特に下働きの子たちは露骨にそういうことを聞いてきたので、多分、からかわれていたんだと思います。でも……彼らと触れ合ううちに、私はなんだか、妙な安心感を覚えるようになってもいました」

 ――数百年の昔、王都エクランの礎を築いた旧市街地は、国力が増す中で王宮を中心に開発が繰り返され、都市化が進み徐々に新しい街に生まれ変わっていった。だが一部は時代に取り残されたまま、まるで追いやられるように、年代ごと城塞に這う形でその街並みを保っていた。

 その様は、宝箱エクランの中で絡まったネックレスチェーンともいわれている。狭い土地に無理矢理に建て増しされた家々が迷路のように入り組み、階段の錯覚絵トリックアートにさえ似通う場所もある。

 都市部とは長い時間の中で自然と住み分けが起こり、新興の都市部には貴族や市民などの富裕階層が、旧市街地には彼らが貧乏人とか脱落者とか見下す人々が住まうようになっていたが、しかしその様子は、フィオレロが想像していたものとは随分と違っていた。

 人々は貧しいながらも旧市街地の中で独自のコミュニティを作り、相互扶助の精神で、たくましく日々を生きているように見えた。孤児たちも多かったが、商売をする人間が下働きとして雇ったり、学のある大人や教会が読み書きなど最低限学びを施し、生活が成り立つよう働く場所を与えてもいた。何か志すものがあればその職人に口を利いたり、技があれば独り立ちできるよう手を貸したり――ある程度の年齢になって才があれば、放浪教師や旅商人について見聞を広める子もいるのだという。

 一方で病や年齢など、様々な理由で働けなくなった人間にも声をかけ、食事や医療をできる限り提供し、他人とのつながりが途切れないよう、組合のようなものを作ってお互いがお互いを見守っていた。

 リリアンもまたその共同体の一員であり、彼女を知る人たちが、成金貴族のどら息子から彼女を守ろうとしていることもすぐにわかった。それは共同体から異端者を除外するためというよりかは、娘に寄りつく悪い虫を遠ざけるためといった趣で、フィオレロにはそれもなんだか――温かく思えていた。


   ・◆・◆・◆・


「――兄ちゃんもしつこいよな」

 季節も移り変わり、その年の秋口に差しかかった頃、そうフィオレロに声をかけてきたのは、店の下働きの少年だった。もう古参の子らしく、生意気そうな口調で、訳知り顔で笑いながら。

 その日はなんとなく、店の近くに積まれたまま放置された木箱の上で、ぼうっと人の往来を眺めていた。たまに来る人なつっこい野良猫の和毛にこげを手慰みに、時間をやり過ごす。

 その頃にはもう近所の人間にはフィオレロの存在が周知されていたらしく、後から聞いた話によると、玉の輿だからとそんな理由でリリアンに交際を勧める人間も多かったらしい。

「でもなんか、最近はただここに来たくて来てるだけじゃない? そんなんじゃ姉ちゃんには会わせてもらえないよ。旦那様もおかみさんも、姉ちゃんのことはほんとの娘みたいに想ってるもん」

「うーん……。いや、会いたいけど、無理強いはできないし……しつこくつきまとうのも、気持ち悪いだろ。でもそうだなあ。それもあるよ。なんとなく、うちにいるよりここにいた方が心が楽な気がするから。君たちや街の人と話せるのも、実はすごく楽しいんだ」

「なんだよ、ほんとに昼行灯ひるあんどんのどら息子かよ。俺たちは兄ちゃんちのせいで、もう何年も花蜜ネクター買うの難しくなってるのによ。襲われても知らねーぞ」

「それは……ごめん」

「いや素直に謝られるのも困るよ……。兄ちゃん、ほんとに貴族かよ。もっと偉そうにしてた方が、俺たちも気楽に追い返せるんだからな」

それは追い返されないと喜ぶべきなのか、まだ追い返すつもりなのかと悲しむべきなのか。

 ここに来るときにはいつも持っている花蜜の小瓶を少年に差し出せば、少年はぽかんとしてフィオレロを見上げてきた。

「え、旦那様やおかみさんに売ってもらえたの?」

「いや……ずっと前に拾ったんだけど、もし困ってるなら。開けて少し舐めちゃったけど、すごく綺麗な質のいい花蜜だったから」

「いやいやいや。それ姉ちゃんが店に卸してるやつだろ、知ってるよ。めちゃくちゃ評判よくて、旧市街の端っこから買いに来る人もいるんだぞ。兄ちゃん、それちゃんと金払えよ。そしたら俺、なんの気兼ねもなくもらうから」

「あ」

フィオレロは初めてそこに思い至った。不意の出来事で落とした物とはいえ、元は売り物だったのだ。たったの一つとはいえ、少女の糧になっているはずのもの。

「そうか……。駄目だな、やっぱり僕も感覚が麻痺してたみたいだ」

「貴族って、もの買いに行かないんだろ? 店が向こうから来て置いてくっていうもんな」

「そうだね。……昔は、僕も違ってたんだけどな。ごめん、行ってくる。ついでに、何か皆で食べられるようなお菓子でもあれば、差し入れするよ」

「やった! 期待せずに待ってる!」

フィオレロは木箱から降りると、全力で手を振る少年に見送られながら店に向かった。

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