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なんとも言えない気持ちになって、エレノアは自分用にいれた蜜酒を口に含む。代わりに会話を継いだのは、ヴァイスだった。
「その頃は花蜜不足も騒がれていたな。今でこそ、諦め半分で世間は落ち着いているが、一時期はえらく高騰していた。エスタシオン家は王都のほとんどの需要をまかなっていたらしいからな」
「……代わりに、各家庭が花蜜の採取のために花壇や鉢植えを求めたと聞きます。皮肉なことに、我が家から花が消えた分だけ、街に花が植えられました……」
「ああ、ただ品質がな……俺は花蜜を使った絵の具を使っていたから影響は少なからずあったが、まあ、起きてしまったこと、済んでしまったことは仕方がない。だがお前がここにいるということは、お前は父親とは違ったんだろう?」
「……いえ。何を申し上げても、結局は同じでしょう。今になって気付くのも、愚かな話ではありますが……私は両親を諫めることもできず、ただ――あの頃は変わりゆく日々の中を、なかば呆然としたまま、生きていました」
肥料や種、苗の代わりに積み上げられていく金に、フィオレロの両親はたがが外れたかのように豪遊するようになった。
時を置き、新しく建て直された宮殿のような屋敷には大理石の床が敷かれ、部屋には分厚い異国の絨毯が敷き詰められた。その上には金の装飾をごてごてしくあしらった調度品が揃えられ、気鋭の芸術家たちのよくわからない絵や彫刻が並べられた。王宮と同じ壁紙に、フレスコ画が描かれた天井。テーブルに並べられる銀のカトラリーにはすべてに花蜜石が埋め込まれ、新鮮な肉や魚を使った贅沢な料理が捨てるほどに提供される。どこかギラギラとした、違和感。品のないきらびやかな空間で生きる父と母は日常の家事を忘れ、人を入れるようになった。
硝子玉と花蜜石が豪奢に編まれた巨大なシャンデリアが下がるホールでは、貴族さながらに夜ごと人を集め贅を尽くしたパーティーが催される。フィオレロの周囲を取り巻く人々も変わっていった。
離れていく友人、近付いてくる知人。
日焼けもしていない、水仕事さえしたことのないであろう美しい肌の女性たちが、七色の花蜜石が輝くアクセサリーを身に着け、花のようなドレスをひるがえして周囲に侍り、自分を取り合う。それを笑いながら見ている父も母も、女性の親たちも――薄気味悪かった。
彼らと同じものを纏い、同じものを食べ、同じ空間にいるのに、自分だけが異質な存在。頭がおかしくなりそうだった。否、そうならないために、何も考えず呆けたように日々をやり過ごすしかなかったのかもしれない。
そして放蕩三昧にも飽きてきた父が次に望んだのは、権力だった。困窮した下級貴族に金を積み上げその地位を買い取り、さらにそのつてを辿り、フィオレロにどこぞの令嬢との見合いを次々持ち込んでくる。
「王都はちょうど……というのもおかしな話ですが、年々商人や職人の勢力が増して、貴族の衰退や没落の話が人の口に上るようになっている時期でした。経済的に厳しく、困窮した貴族と、地位や名声を欲した両親の利害が一致したのでしょうね」
「国も今は国王陛下が崩御され、空位のまま共和制にするとか立憲君主制にするとか、そんな話が持ち上がっていますものね……。時代の流れかもしれませんが、フィオレロ様のお父様は、ある意味でそれに上手く乗り過ぎてしまったのかもしれませんね……」
フィオレロは軽く頭を横に振る。
「呑み込まれてしまったのです――私が今日この城に辿り着いたのも、もしかしたら運命だったのかもしれません。両親が望んだものは、きっとこういうものだったのでしょう。しかし、絶対に手に入れられないことが、この短い時間ではっきりとわかりました。今の両親は、レコンフォール様、あなたのように膝を折って誰かに向き合うことはできません。誇りを持って、何かに立ち向かうこともできません。失礼ながら、あなたは私たちと変わらない年齢であるのに、確固たる芯のようなものを持っている。そんなあなたに比べたら――いえ、比べることすら礼を失する。――下品すぎる。どれほど着飾ったところで本物には敵わない。父や母かて、泥にまみれようと、土を這おうと、かつては本物であったのに。それに目を背け、そこまで堕落させてしまった自分もまた、同じなのです」
「フィオレロ様……」
そこまで一気に吐き出したフィオレロの目は、赤く潤んでいた。両親への怒りや恨みより、何もできなかった自分の無力さへの憤りや悔しさが、今は勝っているように見えた。
フィオレロはグラスに残ったワインを飲み干すと、一度顔を拭い、蜜漬けの桃を一切れ口にほおばった。表情が和らぎ、それを飲み込むと、かすかに笑みを浮かべる。
「――そんなときに出会ったのが、リリアンでした」
「ああもう、やっと登場ね? 難しい話はいいのよ、あなたとあたしの仲間たちが愛した女の子の話、早く聞かせてちょうだい。運命の出逢いだったのでしょう?」
「いえ……その、はい。そう言われると、どうにも、照れてしまうのですが……多分、私の一目惚れだったのだと思います。今でもあのときの光景が忘れられなくて――」
「うんうん」
「クロシェット」
しっしと精霊を手で追い払おうとするヴァイスの隣で、照れくさそうに頭をかくフィオレロ。それがなんだかおかしくて、エレノアも肩の力を抜いた。
・◆・◆・◆・
その日は、王都で春の馬市が開かれていた。
フィオレロの父はその少し前に新たに馬車を買い求めていた。それまでは農作業用の小さな荷馬車と商品を運搬するための幌馬車を数台持っていたが、貴族などが移動に用いる屋根と扉のついた四輪の大型馬車を、それは豪勢に造らせていたのだ。
キャビンから御者台、ステップや車輪にいたるまで黄金色の装飾を重ね、当然のように多くの花蜜石を細部に盛り込んだ。一番大きなものは扉の装飾に使用されたが、それは花蜜石には珍しく繊細なカットが施され、光を取り込んではきらびやかに輝いていた。
「――王都の馬市は、わたくしも幼い頃に一度だけ祖父に連れられて参ったことがあります。わたくしが参ったのは秋の馬市でしたが――出店が並んで物売りの子たちもたくさんいて、お祭りのようでした。広場一面に馬が並んでいて、子供心にも馬とはこんなに美しい生き物だったのかと感動した覚えがあります」
「今も同じですよ。私も幼い頃はよく小遣いをもらって、出店で駄菓子やサイダーを買っては友人たちと遊び回っていました」
「あら――じゃあもしかしたら、その時に出会っていたかもしれませんね」
「本当に。王都の春と秋の風物詩の一つですね。特に春は、土起こしなど農作業に使う馬の貸し出しもありますので……私も父に連れられていったものの、そんな思い出もあり、顔なじみと会うのを非常に気まずく感じたものです。それもよりによって、あの目立つキャビンを広場まで運ばせて――」
華美な装飾が施された馬車は、見た目こそ美しかったが重量があった。それを牽引できる馬をフィオレロの父は探していたのだが、毛並みやその色、血統など妄想じみた要求を高らかに語っているうちに、馬喰と言い争いになってしまったのだ。
もともと派手なキャビンは人目を引いて、それが何かと話題のエスタシオン家のものだと知れると、見物に多くの人間が集まっていた。そんな中での言い争いだったため、昔なじみの男たちがフィオレロの父を諫めようとしてくれたが、それによって父はさらに激昂し怒声を上げ始めた。
その騒動に近くにいた馬たちが落ちつきなく騒ぎ始め、それが他の馬たちにも伝播する。あちこちで嘶きが聞こえるようになって、広場全体が騒立った。もともと、きらきらと光を反射する花蜜石や金の装飾も、馬たちにはストレスになっていたらしい。
そんな騒動になっても、フィオレロは他人事のようにそれを眺めるしかできなかった。知り合いの男たちに促されるまま馬喰に非礼を詫びたが、フィオレロの父は一人息子が頭を下げさせられたことが何より気に入らなかった。あろうことかステッキを振り回し、暴言を吐きながらその馬喰と近くにいた馬たちを打ち付けはじめた。
「――それからはもう、言葉にもできないほどの惨事になってしまいました。暴れる馬と、それを止めようとする人間と――。父を抑えてくれたのは、自分もよく知る同業の顔なじみのおじさんたちで――本当に悔しそうな、悲しそうな顔だったことだけは覚えています。とにかくそんな騒動を起こしてしまって、馬たちも手がつけられなくなってしまって」
気性の激しい馬たちが大きく暴れはじめ、それを抑える人の手を離れ――一頭が走り出すと、それを追うように数頭の馬たちが広場を駆け回り始めた。
馬を追う者や逃げ惑う者で広場は騒然となり、それが余計に他の馬たちを刺激する。広場には柵も設けられていたが、暴れ馬たちには何の役にも立たなかった。
子供たちが遊ぶ出店周りに向かって、数頭の馬が駆け出す。そこでようやく、フィオレロは我に返った。
「そこには、もう結婚して子供を連れた友人たちもいました。合わせる顔がなくて、声を掛けることもできませんでしたが……何ができるわけでもないのに、私は咄嗟に、止めないとと思って――走り出していました。そしてそこで――」
運命の人を、見つけてしまった。




