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雷光が迸る。
男は野暮ったい外套のフードを目深にかぶり、やけに大きな荷物を背負っていた。荷物は男本人よりも厳重に梱包されており、外套を盛り上げている肩掛け鞄も、よく見れば水を弾くよう蝋引きされた帆布で作られている。
それは一見、行商人のいでたちにも見える。しかし、エレノアの勘はそれを是としなかった。
エレノアが立ち上がると、男も荒くれたちの間を縫って前に進み出る。そして玄関ポーチを大きく跨ぎ、悠然と城内へ立ち入ると――ゆっくりとフードを下ろした。
光走る空と同じ、蒼味がかった銀灰の髪に水滴がこぼれ落ちる。無造作に伸ばされた後ろ髪は、野生の狼のたてがみのようにも見えた。その下の鋭い真紅の瞳も、夜行性の獣を思わせる。
男はエレノアを数秒見つめふと笑むと、荒くれたちに振り返った。ピンク色の光がその肩に留まり――留まるのと同時に、まるで精巧な球体関節人形のような、リボンとフリルがいっぱいの愛らしいドレスとボンネットを纏った少女の姿に変化した。
男は荒くれたちを見下ろし、人数にも後ろ盾にも怖じる様子を見せず、口を開く。
「お前たち――この城の噂も知らずに、こんなところまでずかずかと乗り込んできたのか? この城には古よりの多くの精霊がいて、気に入らない客人は一度立ち入ったが最後、姿を消され、外にも出られず、惑わされて永遠に城内をさまよい歩くことになるらしいぞ。それにここは、領主ではなく王家直轄の城だ。一代ばかりの成り上がり貴族が、あるじ無き城のあるじに狼藉を働いて、無事に済むと思うのか」
「なっ!?」
「そうよそうよ。それとももう一度、空気の精霊の鉄拳をお見舞いされたい? 空気の精霊って普段は目に見えなくてとっても優しいけど、怒らせるとすっごく怖いのよ! 今ここであたしが一言お願いすれば、あんたたちなんか簡単に、ぺしゃんこにできちゃうんだから! あとはこの辺りの風の精霊にお願いして、ひらひら、ひらひら、凧みたいにお山の向こうまで飛ばしてもらえばいいかしら? ねえ、みんな――どうする? どうする?」
おしゃべりなピンク色の精霊の言葉に、荒くれたちは周囲を見回す。それを狙ったかのように収まりかけていた風が吹き荒んで、男たちは顔を歪めると慌てて立ち上がった。
「――失礼した。なんだかよくわからん邪魔も入ったことですし、今夜は我々が退くとしましょう。だがしかし、エスタシオン家には報告する。これで終わると思うなよ、お嬢様」
「お待ちください」
しかし気を持ち直したエレノアも、負けじと言葉を続ける。
「ああ?」
「このような嵐の中、名のある貴族のご使者を放り出したなどとあらぬ噂が立ちでもしたら、このトルテュフォレの名誉に関わります。――ヘンドリック、すぐにワインと食べ物をかごに詰めさせて。どちらにお泊まりかは存じませんが、この寒さをしのぐに良いものを」
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
「それと、帳簿にはしっかり書き付けておいてください」
「もちろんにございます」
そのやり取りに銀灰の髪の男は喉で笑い、荒くれたちは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、かごだけはしっかりと受け取って去っていった。
・◆・◆・◆・
「先程は、助けていただいてありがとうございました」
「構わん。おかげで俺も、飯と寝床にありつけた」
夜警に差し入れを済ませたエレノアは、囲炉裏の前に立ちながら小さな鍋をかき混ぜる。
もはや眠気もすっかり醒めてしまった。徹夜覚悟で朝の業務をヘンドリックに託して先に休んでもらい、自身はフィオレロと新たな客人に簡単な夜食をふるまいながら、話をすることにした。
夕食の残りの野菜スープだったが、そこにベーコンと茸を足して、スパイスを少々。火を入れ直したので、野菜も芯まで柔らかくほどけて甘い。スープも旨味が増して、上々の味だった。さらにチーズを挟んだパンを囲炉裏で炙れば小麦と脂の香ばしい匂いで満たされ、いくらかのワインと蜜漬けの早桃を並べれば、夜食としては十分なごちそうだった。
「あの、失礼ですが――お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、この人はヴァイスよ。旅の画家なの」
答えたのは、ピンク色の精霊の少女だった。
「身なりと人相と口と態度は悪いけど、性根は悪い人じゃないから、そこだけは誤解しないであげてね。そしてあたしは、この人の絵の具に宿る精霊、クロシェット。鈴みたいにかわいい声だからって、ヴァイスが名付けてくれたのよ。素敵でしょう?」
「違う。鈴みたいにコロコロうるさいからだ」
「またまた、照れなくてもいいのに。それより、あなたはエレノアっていうのよね。ねえエレノア、この花蜜、とっても美味しいわ。おかわりいただけるかしら?」
「はい、喜んで」
なんとも個性的な連れ合いであるが、気心の知れた仲であることは理解できた。
おしゃべりな彼女の食器には、オープンシェルフに並べられていた人形用のものがぴったり。食用に保存してある花蜜をマドラーの先ですくい、小さなカップにとろっと落とす。数滴のお湯で濃いめに溶けば、甘いシロップの完成だ。
精霊は花蜜を食べると、昔話の中では知っていたが、実際にそれを見るのは初めてだった。人間の食べ物に興味をもった精霊が、そればかり食べているうちについには人間になってしまった――という昔話だったが、もしも彼女がそうなったら、さぞかし賑やかで愛嬌たっぷりの女の子になっていただろう。
(それにしても――そう。あの方は、画家様だったのね)
クロシェットの言葉に、エレノアはなんとなく納得して乾かしてある荷物を見る。旅の画家というなら、きっと生活用品とともに画材を抱えて歩いているのだろう。大荷物なのもわかる気がした。
「どうぞ。熱いので、お気をつけて」
「ありがとう。この花蜜、とっても優しい味がするわ。きっとすごく大切に育てられたお花から採れたのね。それに、作ってくれるあなたが優しいからよ。何かをぐるぐるかき混ぜるってのはね、心も一緒に混ぜるってことなの。絵の具も同じでしょう? だからあたしにはわかるのよ」
「まあ――ありがとう存じます。この花蜜は、城で育てているジャンティアナの花から採れたものなのです。今は少し季節が早いですが、来月には庭一面に満開になると思いますわ」
「……」
その会話に、ふとフィオレロが顔を曇らせる。その理由の一端はエスタシオンの姓から察せられたが、直接尋ねるのはエレノアにははばかられた。
「……それにしても、まさか一晩で〝精霊の祝い子〟をお二人もお迎えするなんて思いもしませんでした」
「――二人?」
「はい。失礼ですが……フィオレロ様。リリアン様も、そうなのではありませんか?」
「……! どうしてそれを……!」
驚いたように立ち上がるフィオレロに、エレノアは先ほどリリアンが座っていた椅子を目で示す。
「先ほどリリアン様とお話ししたとき、一瞬温かい空気に包まれて、花のいい香りがしたのです。それで――もしかしたらこの方には、花の精霊がついているのではないかと」
「……」
それを聞いたフィオレロはなんともいえない、子供が泣き出す間際のような表情を浮かべると力なく椅子に座り、ぽつぽつと今日までのことを語り始めた。




