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「――皆様、お初にお目にかかります。この度、執事見習いとしてトルテュフォレに参りました、ソワレと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
翌日――簡単な挨拶が終わるとともに、遠慮のないメイドたちの歓喜の囁きが食堂に乱れる。それにエレノアは妙に納得しつつ、やや渋い顔をしているヘンドリックを窺いながら続けて言った。
「皆さんもご承知のとおり、先の一件では不測の事態もあり個々人の負担が大きくなってしまいました。その解消と対策として、まず彼には最低限の業務に対応できるよう、ヘンドリックの下で簡単な雑務から学んでもらう予定です。――とはいえ、しばらくは生活面も含め、城の生活に慣れてもらうことを最優先に考えていますので、落ち着くまでは、皆さんもいろいろと手を貸してあげてくださいね」
「それはもう、私たちにお任せください!」
「困ったことがあったら、なんでも訊いてくださいね~」
「なんでしたら手取り足取り、教えてさしあげます」
当のソワレ本人は戸惑ったようにほほえんでいたが、しばらくはメイドたちの働きが三割増しくらいになりそうだ――とは自分の心の中に留めておく。そしてそんなメイドたちの勢いを手で留め、ヘンドリックが静かに言葉を接いだ。
「――そして皆にも承知置きしていて欲しいが、ゆくゆくはエレノア様の補佐役として、任に就いてもらいたいと思っている。皆の仕事にも関わることになるだろうが、よろしく頼む」
「え?」
「それって――」
途端に押し黙るメイドたち。反面、その杞憂を笑うかのように口を挟んだのが、ベリンダだった。
「まさか執事長、早々に引退して楽隠居などとは考えておらんだろうな。働き詰めの男が急に職を離れると、早くに心身にガタが来るぞ」
「それはない。私は生涯、一執事である。少なくともエレノア様のご成長を見届けるまでは、死のうにも死にきれぬだろう」
「ああ……なんだ。私てっきり、ヘンドリック様がお辞めになってしまうのかと」
「私もです。あの~……もしかしたらお年とか、気になさってるのかと」
「それなら儂だってどうなるんだい。ヘンドリック様と大して変わらんよ」
「あ~……そうでした。失言です……」
深々とため息をつくトローエルに、慌てはせずに口をつぐむナーデル。ほっとしたようなメイドたちの様子に、エレノアも改めてヘンドリックという存在の心強さと、己の未熟さを実感させられる。しかしどう足掻いたところで、年齢差や経験差は埋められない。日々、着実に進むしかない。
「――まあそういうことだ、女衆。ということで安心して、存分に目の保養をさせてもらおうじゃないか。なあ家令、ヤツがいない今がチャンスだぞ。こっちに乗り換えるのはどうだ?」
「なんのお話ですか……?」
「いや本当に、私の若い頃にそっくりな美男子ですからなあ。私も昔は、優美な装飾が施されたカトラリーのネックのように、それはもうたおやかな青年だったはずなのですが――まあでも大丈夫。私の作る美味い飯を食べていれば、いつかきっと立派な、ボウルのような太鼓腹になりますから」
「やめてくださいウィシュカさん、私たちの心の栄養を奪う気ですか!」
そうして朝食を経たのちは、ソワレも緊張が少し解けたのか、いくらか肩の力が抜けているようにも見えた。ひどく小食のようで、ウィシュカのような立派なお腹になるまではかなりの時間が必要そうではあったが、これは帳簿のごまかしも利かないなとエレノアは苦笑気味にふと思う。自分の方が倍は食べている。
朝食後、テーブルを片付け再度身だしなみを整えたら、そのまま朝礼だ。
「それでは、本日の業務について申し送りいたします。まずソワレですが、最初にわたくしの方で城の主だった場所を案内いたしますので、このままここに残ってください」
「――はい」
「ヘンドリック、メリッサ、クラヴィス、ナーデルは通常業務へ。城の案内が済みましたら、ソワレにはヘンドリックの指示下に入ってもらいます。わたくしは執務室に参りますので、以後何かありましたらわたくしの方へお願いいたします。それからトローエルですが、秋のガーデン・ティーパーティーに向けて、庭園の整備を重点的に進めてください。メリッサ、クラヴィスは、常の業務が終わり次第、トローエルとともに準備をお願いいたします。ああ――メリッサは折りを見て、花蜜の採取も。食用はウィシュカ、燃料用はアレックスに。加工用のものは来週あたり城下から引き取りに来るそうですので、規定量、間違いのないようお願いします」
「はい、お任せください」
「ナーデルは衣装室と裁縫室の方へ。冬物の確認と、支度をお願いします。それから昼過ぎに一度、ヘンドリックの方へ出向いて指示を仰いでください。ソワレの制服を見てあげてほしいの。細かい調整をお任せします」
「かしこまりました~」
「また本日は聖堂で手習いがありますので、ウィシュカは通常業務と平行してそちらの対応を。それから、パーティー用のお茶やティーフーズの立案をお願いいたします。こちらは早めにリストにしてもらえると助かるのですが……」
「もちろん、アイディアはすでに昨年から練ってありますとも。お任せください」
「ああ、ハーブティーや薬膳茶であれば私の方からも都合できるぞ。手習いが終わったら合流する」
「では、ベリンダ先生もそのように。リュカ様は、今日は一日聖堂ですね」
「はい。もしお時間がありましたら、エレノア様もぜひお顔を見せてあげてください。皆、喜びます」
「ええ、もちろん。――それでは皆さん、本日もどうぞよろしくお願いいたします」
「はい!」
掃除や洗濯など、普段の仕事はほぼルーティン化しているが、トルテュフォレの秋は実はかなり忙しい。冬は雪が降るとほとんど閉ざされてしまうので、過ごしやすい秋のうちに外向きには催し物を、内向きには食糧や燃料の備蓄など、冬支度をこなさなければならない。そういった面も含めて、少しでもソワレが戦力になってくれれば、非常にありがたかった。
・◆・◆・◆・
そうしてソワレと二人、皆を見送ったエレノアは最後に居住棟を出て渡り廊下から城内へ向かう。城の構造は独特だ。一度回っただけでは到底覚えきれないだろうが、それでも雰囲気を味わうには十分だろう。
「こちらの廊下を行くと、普段わたくしやヘンドリックが詰める執務室になります。その奥が図書室。なにか困ったことがあったら、近くの者に声をかけるか、まずはこちらへいらしてくださいね」
「はい」
「あとは――あちこち上り下りするけれど、体力に自信はある?」
「はい――頑張ります」
エレノアがおどけたように言うと、ソワレも笑って答えてくれる。
しかし――花がほころぶような、とはこういうことをいうのだろうか。些細な仕草で揺れる絹糸のような髪に、やわく細まる瞳はまるで花蜜石のよう。それでいてなよなよしさも気障ったらしさもなく、ただただ大人しやかだ。それなのに妙な熱っぽさもあって、エレノアはどうにも気後れしてしまう。
「階段の手摺が綱なのですね」
「昔はそうだったみたい。古くから手が入っていないところはそのままなの。もちろん、汚れたり耐久性が落ちてきたら新しいものに変えるけれど。階段の絨毯も微妙に柄が異なるから、柄を覚えておくと多少自分の居場所がわかるかもしれませんよ」
「それほど複雑な造りなのですね……」
トルテュフォレ城は古くからの石造りの城で、三階、部分的には四階建て以上の構造になっている。クローマチェスト王国は建国からおよそ五百年程になるが、歴史の中では戦争も体験している城だ。特に建国時から悩まされていたのが異民族の侵攻であったらしいが、今となっては英雄譚や建国譚で語られるのみ――。トルテュフォレも防衛のためだろうが、頑丈な石壁や見張りのための小塔など、住まい以外にその名残を残している。
「あの……ところで、先程の朝礼で出ていた、ガーデン・ティーパーティーというのは……?」
「ああ――そうでしたね。トルテュフォレでは毎年春と秋に庭園を舞台にして、ティーパーティーを開催しているのです。領主様ご一家から始まり、取引のある商会や職人組合、警備隊にお勤めの方やそのご家族、ご友人や恋人などをお招きして、お茶や軽食をいただきながら、親睦を深めるのです。また期間限定で庭を解放し、街の人々にお城に対して親しみをもってもらおうというのが、主な目的です」
「へえ――なんだか、楽しそうな催しですね」
「ちょうどいいタイミングでした。たまにそのままお泊まりになるお客様もいらっしゃるから――こちらに並ぶお部屋はすべて、客間や応接室になります。あとは特別なおもてなしをする大小の広間がいくつか。お部屋ごとに名前も一つ一つ付いているのだけど、それは追々ね。別棟で、後の時代に建てられた迎賓館があるのだけれど、皆さんやはりこちらを選ばれますね」
ヴァイスが使っていた部屋を避け、いくつかの部屋を選んでソワレを通す。
居館部分は内装、上下水道など歴代の家令によってある程度は手が加えられているが、それでもやはり外から来る人間には特別なものらしい。当時のままの重厚な様式から、平和な時代に栄えた絢爛な様式まで程よく混ざり合い、ヴァイスがそうであったように、ソワレもまた驚きや物珍しさに目を奪われているようだった。
「ここから上は、王族のみが立ち入りを許された居住フロアになります。わたくしとヘンドリック、それからメイド長のメリッサしか今は入れないけれど、メインとなるお部屋が『花樹鹿の間』。粋を凝らした、由緒ある調度品や美術品が並ぶ、ご夫婦の居室兼寝室になります」
「お城の一番上なんですね。それを、エレノア様やヘンドリック様、お城の皆さんが支えているんだ……」
「そうです。その代わりにわたくしたちは、日々の糧をいただける――そう言ってしまえばとても卑屈に聞こえるけれど、それと同時にわたくしたちは、これだけのものをお預かりできる信頼を、王家から勝ち得ているのです」
古からの装飾彫刻が残る窓枠の前で、ふとソワレは足を留める。
「お城の中にはいろいろな歴史があるのですね。物も、お部屋も……これらすべてを管理して、保全しているなんて……敬服いたします」
「ええ。特にトルテュフォレは王家直轄の城でもありますから、できうる限り歴史あるもの、文化的に価値のあるものを残していかなければならないの。たとえば――」
エレノアは窓枠の片隅で麦の穂を咥える小さな鳥の彫り物を指でなぞる。
「こちらはクローマチェストの争乱期から黎明期にかけて、祖王の後を継いだ賢君ローワン=クローマチェストの下、戦乱で荒れた大地に自然を取り戻そうという風潮の中で興った、初期自然再興派と呼ばれる様式の装飾彫刻です。草花や穀物、生き物も素朴な造りではありますが、郷愁を感じさせる趣きで、当時の人々の切な想いが感じられるようでしょう」
「今は平和な時代ですから、可愛らしいという感覚が先に来てしまうのですが……お城で働くとは、こういうことなのですね」
「それを感じていただけただけでもとても嬉しいです。言葉だけを見て、華やかなイメージを持つ方も多いので」
その感覚を得てくれたことに、エレノアはまずひどく安堵した。
「正直――執事という仕事も、裏方の作業量が非常に多くて、すごく大変な仕事なの。特に人手のないこちらでは、幅広く対応してもらうことになると思います。事務に日常の雑務、各現場での作業、それにお客様がいらしたときはその対応と、そのための礼儀作法や、こうした教養を学ぶことと……とかく挙げれば切りがないくらい」
「はい」
「途中で投げ出したくなることもあるかもしれません。そのときは、わたくしやヘンドリックに遠慮なく申し出てくださいね。わたくしたちで改善できることがあれば致しますし、それが叶わず残念な結果になったとしても、次の仕事を斡旋することもできますから」
「しかし、エレノア様やヘンドリック様は、それをなさってきたのですよね」
「そうですね――長い時間をかけて、ゆっくりと。わたくしもまだ、勉強中の身です」
「でしたら、自分も精一杯学びます。いつかヘンドリック様のような執事になって、あなた様の助けになれるように」
「ソワレ――」
その――やはりどこか熱を帯びたような口調とまなざしに、エレノアは戸惑いながら、頷く。
「……ええ。よろしくお願いします」
「はい」
昨日から感じている、不思議な感覚。ただそれを、どう問えばいいのか、自分でもよくわからなかった。




