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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
【第二部】第六章 雨夜のソワレ

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 トルテュフォレの夏は短い。

 クローマチェストの北方に位置するこのシセラス地方は、王都に比べ秋の訪れが一足早く、またその期間も長かった。秋雨あきさめに濡れる日も多いがあの夏の嵐のような苛烈さはなく、雨垂れの音とともにゆったりと過ごす、落ち着いた時間を持てる。

 また晴れの日は日差しも程よく、黄葉樹に囲まれたトルテュフォレでは空気さえ秋の色が滲んで見えるよう。遠景から眺める城はまさしく鼈甲べっこう城の名にふさわしく、一年を通して古城のもっとも絢爛な姿を拝める季節でもあった。

 さらに通な人間は、夜の美しさを語る。輪郭の冴えた満月が古城を照らし、また城内に灯がともっている間は闇夜に浮くように城と黄葉樹の森が現れる。なめらかな光と影を滲ませながら闇の海に浮く城こそ、真に鼈甲城の名にふさわしい――と。


(……王都の旧市街地を観光地として再開発。すごいことを考える人がいるのね……)

 その宵の夕食後、エレノアは食堂に残り新聞に目を通していた。王都の知識人集団が不定期で発行している、以前もエスタシオン家の騒動をこの北方にまで伝えてくれたあの新聞だ。

 長い秋の夜、夕食の片付けを終えたウィシュカとメリッサは新しいレシピ作りに勤しみ、談話室ではクラヴィスが読書に、ナーデルが編み物に黙々と向かっている。

 ウィシュカが皆に淹れてくれた、蜂蜜たっぷりのジンジャーティーを口に含み、エレノアは再び記事に目を落とす。再開発はまだ発案段階で、実現可能かどうかを含め年単位で計画を練り進捗しんちょく管理をするらしい。反発の声も大きいという。だが――正直、他人事とは思えない。

(ゆくゆくはトルテュフォレもそうなるのかしら……。今でさえ、小規模とはいえ飲食、宿泊業に手を出してしまっているのだもの。ううん、それは街の人たちとの交流と思えば――。でももし王政が撤廃されたら、今のままでは維持費が捻出できない。もしもこの城が誰かに買われるようなことになったら、どうなるんだろう。やっぱりそのまま、サロンやホテルに使われちゃうのかな……。お金でしかものを考えられない人の手に渡ったら……?)

もしそんなことになりでもしたら、使用人たちはどうなる。王家の尊厳や、この城の歴史や文化的な価値は?

(わたしの、家は――……?)

不安が胸に渦を巻いて、思考をかき乱す。それに抗えるだけの知識や資金が、自分に準備できるだろうか。

「――エレノア様。お待たせして申し訳ありません」

「リュカ様。いえ――」

 待ち人の来訪に、エレノアは不安ごと隠すように急いで新聞をたたみ、紅茶を飲み干す。用意していたランタンに燃料用の花蜜ネクターがしっかり補充されているのを確認し、食堂内に残っている面々に一度声を掛けると、改めてリュカと二人城内へと赴いた。夜警の者にねぎらいの言葉をかけながら火の不始末や戸締まりなどを確認する、一日の最後の業務である。本来はヘンドリックとともにダブルチェックを行うのだが、彼は今晩、特別な業務に就いていた。

 城内は、まだかすかに残る人の気配と、冴えた秋の空気が混ざり合っている。いつもと異なる二人分の足音が、妙に新鮮だった。暗い城内の床には、柱や窓に切り取られた月光が規則正しく横たわっている。

「――話には聞いていましたが、無事に到着なさったようで何よりですね。気さくな方だとよろしいのですが」

「そうですね――予定ではもう少し早くに雇い入れる予定だったのですが、なにやら想定外のトラブルがあったそうで」

「トラブル?」

「はい。ヘンドリックも承知のようなので、日常の業務に支障が出るような話ではないとは思うのですが……」

 それは新たに城に迎え入れることになった、執事候補の青年についての話だった。そのためヘンドリックは夕食時から席を外し、そちらの対応に当たっている。部屋への案内や荷物の整理、制服の支給など諸々を今夜のうちにあらかた済ませ、一晩休んでもらったら、明日からもう仕事を仕込み始めるのだという。

 高所にある天窓に明かりを向けつつ、エレノアは続ける。

「……リュカ様は、新しい方が来ることに抵抗はありませんか?」

「というと……他になにか、気になることでも?」

「いえ……その方自体がどうというわけではないのです。ただ……」

城にある窓ガラスは、それこそ時代ごとに後から嵌めこまれてきたため、皆一様に鍵の形やガラスの質が異なる。百年単位で古いものには濁ったものもあるが、当時は今よりさらに高級品であっただろう。白くいびつに崩れた月に、自分にも続く古の先祖の血潮を感じる。それとは真逆に、先程まで見ていた新聞の記事が頭を過って、芯が冷え込む想いがした。

 エレノアはリュカを見上げ、その想いの一端を口にする。

「……ヴァイス様たちがいらしてから、なんだか新しい風が吹き込んでいるみたいで。それはきっと、悪いことではないんでしょうけど……祖父が守ってきたものも変わってしまう気がして……少し、怖いのも本音です」

「エレノア様……そうですね」

リュカはやわく笑み、頷く。

「たとえば家というものは、たまにでも通気しないと、すぐ朽ちてしまうものなのだそうです」

「……はい」

「ならば人を入れ風を通すことは、仕方のないことなのかもしれません。……きっとエレノア様が恐れておいでなのは、急激な変化でしょう。それが良い方に出るか悪い方に出るかわからないから――それが、怖い」

「……」

エレノアは伏し目がちに、小さく肯定した。リュカにはすべて、見通されている気がする。

「そこで私ごときが大丈夫ですよ、とは軽々しくは申せませんが……ただ、先のことは誰にもわからない。きっとそれがわかるのは、偉い精霊様や神様たちだけでしょうから――その代わりというのもなんですが、今、ここにはヘンドリック様を始め、私たちがいる。何が変わったとしても、エレノア様は――決して一人ではないのですから。そこだけは、間違いなく『大丈夫』です。ご安心なさってください」

「……そんなふうに言っていただけるのなら、ありがとうございます、すごく心強いです。本当に……そうかもしれない。人間であるわたくしたちは欲張らず、目の前にある大事なもの、譲れないものだけ、大切にしていけばいいのかもしれないですね……」

「そのためにあなたが何事かをなそうとするのなら、私たちはそれを全力で援助します。あなたがこの城や家令という役目を託されたように、私たちもあなたのお祖父様から、エレノア様、あなたを託されている。決して、一人で抱え込んではいけませんよ」

「……はい」

それでもまだ不安と安心の境目にいるエレノアにリュカは悪戯そうに笑み、まるで子供にするように両頬をむにむにとつまむ。

「――しかし困ったことに、人というのは結構に欲を張る生き物なんですよね、これが」

「それは――否定はできませんね。と、いうより……聖職者であるリュカ様にも、そんなものがあるのですか?」

「それはもう。命という蝋燭は、あっという間に減っていってしまいますからね。あれもこれもと、毎日大変です」

「まあ」

軽くでも笑うと、気持ちも少し楽になる。もしかしたらさっきのは、笑いなさいという教えだったのだろうか。相変わらず子供扱いなことに変わりはないが――。

 いつものルートを回り終え、居住棟に続く渡り廊下の入口まで来ると、リュカが「ああ」と思いついたように口を開いた。

「お部屋までお送りしましょうか? もう居住棟も暗いでしょうから」

「もう、リュカ様――やっぱりわたくしを子供扱いなさっておいでですね? 今はもう平気ですよ。お気遣いなく」

「そうですか? いえ、失礼――やはりいつまで経っても、私の中ではエレノア様は幼い頃のままのようで。大変失礼いたしました」

「それは――いつかわたくしが一人前になったときに、書き換えてくださいね」

「そうですね。今でも十分ご立派だと思いますが、あなたが自分で自分を認められるようになったそのときに。そんな日が来ることを、私も楽しみにしています。――ああ、ほら。また一つ、欲が増えてしまいました」

リュカは穏やかに笑みながら、おやすみなさいと言い添えて去っていく。

 リュカとベリンダはそれぞれ聖堂と施療院に居住スペースがあり、普段はそちらで暮らしている。ヴァイスの前で語られた思い出話には実は続きがあって、聖堂の説教台の下に隠れていたエレノアを見つけたリュカは、よくその部屋で自分をかくまってくれた。今考えれば、もちろん祖父やヘンドリックも承知だったのだろうが――温かみのある小さな部屋で、幼いエレノアの幼い悩みに耳を傾けながら、季節ごと蜜酒や花蜜ネクター檸檬レモン漬けをたっぷり溶かしたサイダー、ホットミルクで溶いたチョコレートをふるまってくれたものだ。

 思い出とともにリュカを見送ったエレノアも、居住棟に戻ってお風呂をいただこうと渡り廊下を歩き始める。闇夜はもう怖くはないが、一人になるとやはりいろいろな思いが過る。

(フィオレロ様もきっと、何年もこんな想いをなさっていたのね……。今になって、こんなにも生々しく理解できるなんて。……あれ?)

 そのとき、庭園の方でなにかが動いた気がした。吹き抜けの回廊の柱に遮られて、定かではなかったが――すでに懐かしい気さえする客人の気配に、過敏になりすぎたのか。それとも本当に、誰かいるのか。エレノアは一度居住棟に入ると、勝手口から表に出た。

 城内は使用人たちしか知らない、こういった小路こみちも多い。古くから使われているような場所は朽ちかけた石畳が敷いてあったり、わだちができている。主には自分たちの家事を楽に行うための道であったが、このトルテュフォレの敷地すべてが遊び場だったエレノアは、そういった抜け道を熟知していた。

 月の光とランタンの明かりを頼りにその小路を進み、人影が見えた方の回廊に滑り込む。それからトローエルがこまめに手入れをしている低木の隙間を縫って庭に躍り出ると、

「……!」

月明かりの中、一面のジャンティアナの花の中で佇む一人の青年と――目が合った。合ってしまった。

 大きくふくらんだ満月と城の影を背に立ち尽くす、背の高い青年。手足もすらりと長く、繊細そうな面立ちをしている。

(精霊王の、落としだね――)

頭の中に、すとんとそんな言葉が落ちてくる。目鼻立ちの整った端正な顔立ちに、彼が着ているものが見慣れたタキシードでなければ、今ここでささめく星の形をした花の精霊だとさえ思っただろう。でなければ、幼い頃に読んだ童話の中から抜け出てきた王子様だ。そう言われても、エレノアはきっと疑わなかった。

 一方で青年は少し驚いた顔をして、突然現れたエレノアを見つめる。それから少しの間を置いて、おそるおそるといった様子で、言葉を紡いだ。

「……エレノア……、エレノア=レコンフォール様……?」

「……!」

穏やかだけれど、どこか深みというのかとろみを帯びた声。同じ年頃だったヴァイスやフィオレロとも異なる声質で、その声で名前を呼ばれたエレノアはどきりとしてしまった。

「あなたは……?」

逆にエレノアが問えば、青年はほっとしたように笑み――柔らかな口調で、言葉を続ける。

「エレノア様――このような形になってしまいましたが、お目にかかれて光栄です。この度、ヘンドリック様よりご紹介いただきトルテュフォレに参りました――ソワレと申します」

まだどこか初々しい――しかし丁寧な所作しょさで左手を腹部に置きお辞儀をする青年に、エレノアもやっと理解する。

「あなたが――あの」

「はい。……こちらのお城は、今日こんにちまでのあなた様の人生そのものだと、ヘンドリック様より伺いました。私ではまだ、力不足な点も多いかと存じますが――どうか明日あすよりは、あなた様の人生を綴るお手伝いを、精一杯させていただきたく存じます」

片側だけ下ろしたアシンメトリーの前髪が秋風になびく。上天の澄んだ月の光と同じプラチナブロンドの髪の下、夜を透かした深い青の瞳が、まっすぐにエレノアを捉える。

「ソワレ――」

「はい」

エレノアがその名前を口にすれば、ソワレははにかんだように頬を緩めた。

 さやりと揺れる花々から、青さを帯びた甘酸っぱい花蜜ネクターの香りが広がる。ジャンティアナの花が月光の反射光を帯び、地上の藍と空の薄金色が混ざる。

 まるで幻想のような夜の世界で邂逅を果たした、どこか浮世離れした雰囲気の青年――エレノアは奇妙な浮遊感に包まれたまま、その青年と、ただ見つめ合った。

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