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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
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 このところ、旧市街地では不穏な噂が流れていた。そしてそれを裏付けるように、各部署の制服を身に纏った行政官がそこここで見受けられるようになった。

「――いやだよ、昨日はリリアンの家を見に来てたっていうじゃないか。空き家はそのまま、宿泊施設や娯楽施設に改装するって話だよ。飯屋や商店もどんな感じか見回ってるらしいし、そのうちここにも来るんじゃないかい?」

「でもまだ確定じゃないんだろ? ――しかし変なところに目ぇ付ける馬鹿がいたもんだねえ、旧市街地をまるごと観光地にしちまうなんて。住んでるこっちの身にもなってほしいよ」

 その日も、ブレットは経営する商店で妻のミリアとやってくる客たちの噂話を聞きながら、新聞の失踪人の捜索欄を眺めていた。たまに街まで出向いて広場の掲示板も確認するが、()()家から出されているものはない。

 なぜ公のものを出さないのか、考えたくもない。公にしてしまうと、万が一――生きてはいない姿で発見されたとき、それこそ行政の手が必ず一回は入ってしまうからだ。リリアンが姿を消す前、執拗にリリアンを狙っていた男たち。もしもあの子が、あのけだもののような男たちの手に掛かっていたら。人知れず、命を落としていたら――考えたくはない。吐き気が込み上げてくる。

 胡散臭い連中も、まだリリアンの家やこの店の周りをうろついている。だが行政官が通い始めてから、後ろめたいことがある連中はあっという間にどこかへ姿を消してしまった。皮肉なことに、その胡散臭い連中の存在が、唯一リリアンの無事を証明する存在であったのに。

「しかし観光地にするったってねえ……よくわからないけど、こんな古いだけの今にも崩れそうな家ばっか観に来て、楽しいのかねえ。異国情緒とか懐古主義……? とか言ってたけど、外国の人もたくさん入ってくるのかねえ。貨幣とか、どうなるんだろ」

「やめときなさいよ、よその連中に商売っ気出すなんて。胡散臭いったらありゃしない。どうせ金持ちどもの道楽だよ。これだから貴族ってやつは……」

「――おい」

そこでブレットが割り込むと、買い物に来ていた中年女性は大きくため息をついた。

「はいはい、貴族の中にもまともな人間がいるってんだろ? フィオに会ってから急に貴族贔屓になっちゃって。あの子はねえ、たしかにいい子だったかもしれないよ。でもそうは言ってももとは花農家の出なんだし、貴族ったってねえ――。それにしても、今頃どこでどうしてるのか」

「……」

ブレットとミリアは、顔を見合わせて互いに肩を落とす。

 二人にとってリリアンは、特別な存在だった。ブレットがまだこの店を始めて間もない頃に出会った、幼い――というより、小さい、というイメージの方が強い。床にうずくまって、顔をぐしゃぐしゃにしながら、べたべたの小瓶を拾い集めていた、娘同然の小さな女の子。

 出会った頃はあまりしゃべらない子で、それでも子供のいなかったミリアが世話を焼いているうちに、少しずつ打ち解けて――笑ってくれるようになった。話してくれるようになった。

 母親が前の店の主人をそう呼んでいたからか、舌足らずに「だんなさま」と呼んでくれて、それが誇らしくもあった。あんな店より、絶対に店を大きくしてやると、心に誓った。

 結局夫婦としては子供に恵まれなかったが、それでもいいと思った。リリアンがいてくれたことが、自分とミリアを平穏な夫婦のまま、つなぎとめてくれていた。リリアンと出会ったことで、親に恵まれなかった子供たちを雇い、独り立ちできるように世話することが、使命のような、生きがいのような――そんなものになった。

 そんないつまでも小さいイメージしかなかった大切な娘に、懸想する男が現れたときはそれはもうはらわたが煮えくりかえる思いだった。

 しかも相手が悪すぎる。当時は花蜜ネクターの高騰で評判もすこぶる悪かった、エスタシオン家の一人息子――しかも日がな一日、何をするでもなくぼうっとしていると、昼行灯ひるあんどんのような噂のあった、ボンクラのどら息子だった。

「――旦那様、行ってきました!」

「おう――お帰り」

 当時のむしゃくしゃした思いがぶり返し、新聞を放り出したところへ、店の下働きをしている子供たちが数人帰ってくる。普段は教会の横の療育院や孤児院で寝泊まりしているが、昼間はこうして働きに出ている子供たちだ。

「はい、今日のぶんです」

「お花も」

「野菜もいっぱい採れました!」

どさどさとカウンターの上に乗せられていく、花蜜の大瓶や花束、野菜かご。活きた、新鮮な土の香りが鼻に届いた。皆、大切な娘とその娘をかっさらっていったどら息子が残していったものだ。

 いや――もう、どら息子とは思っていない。くすぶっていた想いを吐露した若者は、それから見違えるようにいきいきと動き始めた。彼がつないでくれた縁は今も生きている。彼の友人たちは、学ぶ意欲のある子供らには、本気で向かい合ってくれた。実際、下働きに出すことを引き受けてくれた家もある。

「あらー、もしかしてこのところ野菜を入れてるのあなたたちだった? 家族にも評判よくてねえ。おばさん、ご褒美におやつ買ってあげる」

「本当? いいの?」

「やったあー!」

「やだ、いつもすみませんねえ。ああ、おまけにこの野菜少し持っていって」

噂好きな中年女性は、子供たちにいくつか駄菓子を買うと、またミリアと話しながらようやく帰って行く。店の外まで見送りに出たミリアも、少し疲れたように苦笑していた。

「ふう、いい人なんだけど話が長くって。――あらマーティン、あなた花蜜採るの上手くなったわねえ。もともと手先が器用だったけど、だいぶリリアンに近付いてるんじゃない?」

「そりゃ俺は兄ちゃんと姉ちゃんの一番弟子ですから! もし兄ちゃんと姉ちゃんがどっかで結婚して仕事で一旗上げたら、俺、絶対そこで雇ってもらうんだ。その頃にはきっと、孤児院も出なきゃいけない年になってるだろうし。――ほんとは、食える野菜の方がいいんですけど」

「わたしはお花で、香水作る人になりたい。リリアンお姉ちゃん、時々すごくいい匂いがしたの。きっといつも、お花と一緒だったからですよね」

「そうだねえ。どっかで上手くやってくれれば、私たちも安心してあんたたちを送り出せるんだけど。――さあ、手を洗っておいで。涼しいうちに少し勉強しな。もう少ししたら暇な爺さん婆さんたちが来るから、わからないことがあったら教えてもらうんだよ。何するにしても、まずは読み書き計算だからね!」

「はーい」

 そうして店の奥に子供たちを見送ると、ミリアはカウンターの上の商品の仕分けを始める。

「夏野菜はあっという間に大きくなるねえ。そのぶん値段も下がっちゃってたけど、もう旬も終わりだから多少高くしてもいいかしら。いつまで採れるか――そういえば昨日、三ブロック先から来たお客さんが、うちの店の野菜はすごく大きいって言ってたよ。トマトもその辺のより倍は甘いって。本当に――評判いいみたい」

「はあ、やっぱりアイツは、そういうところだけは本物だったんだな……。リリアンに惚れたのも、きっとそういうところだったんだろうしな……」

何をするにも、もうここにはいない娘の面影がちらつく。なんとなく二人でしんみりしながら袋詰めしていると、

「失礼する――」

突然店の入り口から、よく張った女の声が響いた。

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