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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第五章 描いて、書いて、つつんで、結んで。

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 翌日の朝は早かった。

 使用人たちはもちろん、フィオレロやリリアンも日の出前から起き出して支度を整える。

「いいですか、リリアン様。心からご自分をどこか大店おおだなのご令嬢だと思い込んで、背筋を伸ばして堂々と! ですよ」

「そうですね。時には態度のよろしくない護衛役の男を見習って、わがままにお振る舞いになるのもよろしいかと存じます」

「困ったら、エレノア様の真似をなさるというのもどうでしょう? きっと上手くいきますよ~」

「――こら。お前たちが一番客人を困らせているぞ」

そんなふうに髪を巻いたり化粧を施したりと、なかばメイドたちのおもちゃにされているリリアンの元へ、ベリンダが訪ねてきた。そして鏡の前で座らされたリリアンを見ると、途端に相好そうごうを崩す。

「ほう、これはたしかに大店の令嬢だ」

身動きの取れないリリアンに、ベリンダも近くの椅子を引き寄せ隣に座る。

「体調もよさそうでよかった。しばらくは天気も落ち着いているようだが、この辺りはにわか雨も多い。体を冷やさず、よく食べてよく眠れ。生物の基本だからな」

「はい。ベリンダ先生――先生には本当にお世話になりました。すごく心強かったです」

「なに、それが私の役目だからな。それより、まだ荷物に空きはあるか? はなむけの品を持ってきたんだ、受け取ってくれ」

「これは……? なんだか、いい香りがしますね」

リリアンが手渡されたのは、片手に乗るくらいの小さな丸缶。百合リリアンの花が中心に描かれ、その周りの飾り枠もレースのように可愛らしい。細かくエンボス加工が施された、美術品のような缶だった。

「裏庭のハーブや花蜜から作った天然素材のハンドクリームだ。なんせこの私が作ったのだ、効果は保証するぞ」

「先生――ありがとうございます。こんなに素敵なものをいただけるなんて」

「うむ。働くお前の手は美しい。だがひび割れやあかぎれで、痛いのは嫌だろうからな。そうだ――レシピを書くから、なくなったら近くの医者か魔法使いにでも頼んで作ってもらえ。どこの村でも一人くらいは、混ぜ物ができる奴がいるはずだ」

 そこでリリアンの支度を手伝っていたメリッサを始めとするメイドたちも、こそこそと紙袋を取り出し、それをリリアンに手渡す。

「あの、私たちからも――お荷物になるかもしれませんが、ぜひお持ちになってください」

「フィオレロ様とリリアン様、おそろいのウールのマフラーです~。三人で、休憩時間に交代で編んだんです~」

「色違いなので、お好きな色をお二人でお選びくださいませ。北の夏は、こちらよりさらに短いと聞きます。冬の足も早いそうですので、どうぞお風邪など召しませんよう……」

 一方で、庭の方ではフィオレロとトローエルも最後の挨拶を交わしていた。朝靄あさもやの中、フィオレロは名残惜しそうに庭を見渡す。

 リリアンと二人歩いた小路こみち。お茶をいただいた四阿。池に流れ込む小川の音だけが、耳に心地よく届く。池の淵に立てば、まだ寝ぼけたように体を揺らす魚の姿が見えた。

「ここは本当に、自然に恵まれたお城ですね……今日は一段と水が澄んで見えます」

「ああ、昔の城は戦に備えて水源を確保しておくことも重要だったらしいからねえ。トルテュフォレは森からの湧き水に加えて井戸から地下水も汲み上げられる。下には川もあるし、綺麗な水には困らんよ」

隣に並ぶトローエルに、フィオレロは眉を下げ笑む。

「土も水も――人も。トルテュフォレは、すべてに恵まれた場所です。だからきっと、精霊たちも居心地がいいのでしょうね」

「フィオ君――」

トローエルはポンポンとフィオレロの背を叩き、自身の中にある心残りも一緒に手放す。

「元気でな。また落ち着いたら、いつでも遊びに訪ねておいで。みんな喜ぶよ」

「――はい。トローエルさんには、本当に良くしていただいて――楽しかったです。改めて、自分の本分を再確認することができました。ありがとうございました」

「うん、君なら大丈夫。きっと上手くいくよ。ああそうそう。わずかばかりだが、城で採種して保存してある種を包んだから、持っていきなさい。何かの足しにはなると思うよ」

「よろしいのですか――お庭造りに必要なものでは」

「いやいや、余分にあるから大丈夫。儂にはこんなことくらいしかしてやれんから。お嬢さんと二人、仲良く世話してくれたらいい」

 エレノアはもの悲しいような晴れやかなような、不思議な感覚でそんなやり取りを遠目から見つめていた。――きっと馴染みすぎてしまったのだろう。それだけ二人は、心に残る客人だった。

 庭から離れ回廊を抜ける。エントランスホールではもうすでにヘンドリックが控え、懐中時計を手に迎えの馬車が来るのを待っていた。

「――おはよう。この時間だと、この辺りは涼しいな」

「ふわ~あ。エレノア~? まだねむーい……」

 不意に後ろから声をかけられ、そのもう二人の旅人に、エレノアもこたえる。

「ヴァイス様、クロシェット様。おはようございます」

 すでに旅支度を終えたらしいヴァイスは、手持ちぶさたに近くの壁に寄りかかる。外套のフードから這うようにして顔を見せたクロシェットは、それだけで限界だったようで、再び沈んでいってしまった。ザックの厚みを利用した、即席のフードベッドだ。

「ああ、つぶさないようにしてあげてくださいね」

「忘れなければな。いや、万が一見られると厄介だな。リリアンに預けるか、今のうちに荷物に押し込んでおくか」

その荷物は来たときよりは少ない。ただスケッチブックの入った見覚えのある肩掛け鞄だけは、今日もしっかり持っていた。そして反対側には、一振りの剣。ベルトに差すのではなく、専用の金具とホルダーを付けて提げている。妙に慣れた感があるのが不思議だ。

 エレノアの視線を感じたのか、ヴァイスは剣の柄に手を置き苦笑する。

「歩きづらくてかなわん。ハンドピローにもならんぞ、こんなもの」

「あら――()()だけは、それらしく見えていらしたのですが」

「形だけで十分だ。俺も眠いし腹が重いから、こんなもの振り回す元気はない。昨日、食べすぎた」

「それは何よりです。ヴァイス様の場合は普段のお食事も雑になってしまいますし、たまにはよろしいのでは?」

「たまにはな――でも俺は、あんたがあり合わせで作った食事の方が好きだ。日常茶飯ってやつだな。ただクロシェットは変わった花蜜が気に入ったみたいだから、何か用意して待っていてやってくれ」

「かしこまりました。ヴァイス様も――お気をつけて。無事にお戻りになってくださいね。それからお二人のこと、どうぞよろしくお願いいたします」

「ああ、任せておけ。あんたも荷物と謝罪文を忘れるなよ」

「……っ今は、せっかく忘れていたのに」

「まあいいじゃないか。一日で王家と大公家に詫び状なんて、きっと前代未聞だろう。レオンも笑いこけて喜ぶだろうよ」

「……」

恨めしそうに見上げれば、客間につながる廊下の方から賑やかな声が聞こえてくる。ヴァイスと二人そちらを見れば、主従の練習をしているのか、リリアンの荷物を運びながら丁寧に話しかけるフィオレロと、ぎこちなく何事かを答えるリリアン、楽しそうにはしゃぐメイドたちがこちらへ向かってくる途中だった。

「なにやってんだか……」

「ヴァイス様。ヴァイス様もお嬢様の雇われ護衛なのですから、それなりの態度をなさった方がよろしいのでは?」

「いや、俺は金で雇われただけで忠誠心はない、腕が立つ正体不明の風来坊の設定でいくからいい」

「適当に思いついたことをそのまま口にする、そのいい加減な態度は改めた方がいいですね」

 皆がそろうのを見計らったかのように、外から馬のいななきが聞こえてくる。最後にウィシュカが朝食代わりのパンやチーズ、果物やナッツを詰めたお弁当を持たせ、見送りには全員がそろった。

 商会の計らいで手伝いに来てくれた下男が馬車に荷物を積んでくれ、それが終わるといよいよメリッサたちも寂しそうな面持ちになってくる。馬車に乗り込む三人を、エレノアも同じような表情で眺めていた。

 エレノアやヘンドリックは追っ手に顔を知られているため、商会まではリュカが同行することになっている。

「リュカ様、よろしくお願いいたします」

「はい、お任せください」

リュカが乗り込めば、言葉を交わすのも本当に最後になる。

「――フィオレロ様、リリアン様。どうか、お元気で」

「ありがとうございます――このご恩は、絶対に忘れません。時間はかかるかもしれませんが、必ずやお返しに伺います」

「エレノア様、本当に本当に、ありがとうございました。お城の皆さんも――今日までのことは、私、絶対に忘れません。絶対に――」

「また、いつでもいらしてくださいね――」

言葉にしたいことはたくさんあったはずなのに、上手く出てこない。しかしそれは二人も同じようで、もどかしい思いが眉や唇、そして瞳に表れていた。ならば、自分の心も相手に伝わっているだろうか。

「エレノア様。お時間です」

「……ヘンドリック。はい、わかりました」

 優しい口調でそれを告げられ、エレノアは滲む視界をそっとぬぐう。そして使用人たちとともに並び、一礼した。

「城の者一同、道中の無事をお祈り申し上げます。どうぞ、よき旅を」

「皆さんも、どうかお元気で――」

下男が会釈をし、扉を閉める。そして馬車の後ろに乗り込むのを御者が確認すると、いよいよ馬車が動き始めた。

 ヘンドリックが礼儀正しく頭を下げる。エレノアもそれに倣うが、顔を上げたとき、馬車の中から一生懸命に手を振るリリアンの姿が見えて――最後に思いきり手を振り返した。

 馬車が下り坂に消える間際だった。見えていただろうか――。


 そして後から城に帰ってきたリュカが、四人が無事に旅立ったことを皆に伝えてくれた。

 北の街道に出る門の辺りでは、やはりこの頃、見慣れぬよそ者の男たちがうろついていると少し噂になっていたらしい。行き先に目星を付けて張っていたのかとエレノアは一瞬どきりとしたが、幸いにも、「修道院帰りの令嬢」とその従者たちには見向きもしなかったという。

「エレノア様の案に加え、どうやら私がお送りしたことが良い方に出たようです。数多くあった旅の方たちが、どうも勝手に思い込んでくれたようでして――商会の方たちもその方が箔が付くと申しますか、体裁がよかったようで、丸々乗っかることにしたようです。というわけで、リリアン様は高名な修道院で古典文学と薬草学、そして花嫁修業を終えた辺境の有力者のご令嬢となり、私もその見送りの者として、ちゃんと旅路の祝福を皆さんに与えましたよ」

「やっぱり商いをする方はしたたかですね……わたくしも見習わなくては。でも何はともあれ、よかったです」

「はい。あとはお二人の頑張り次第でしょうが――きっと、大丈夫でしょう。帰りの馬車の座席に、これが一輪、残されてありました」

「……!」

リュカが後ろ手から、エレノアにそっとそれを差し出す。

 新雪のように清廉で、凛と咲く白のリリアンの花。丸い花蜜の雫が、朝露のように花びらの中で煌めいている。

 受け取れば、出会ったときよりもずっと――甘くかぐわしい香りがエレノアの鼻腔をくすぐった。

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