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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第四章 残してきたもの

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 どうにかメリッサをなだめ用件を聞きだしたエレノアは、その足でリリアンの部屋に赴いていた。

「――何かご相談なさりたいことがあるようなのですが、フィオレロ様には内密にと。このところずっとご一緒だったので、言い出せなかったようです」

「それはつまり、俺には知られてもいいってことだよな」

「どのような人生をお送りになったらそのような思考回路が形成されるのか、いちメイドの私にはまったくもって理解しがたいお言葉ですが」

「メリッサ、この方も一応お客様だから……。一応……」

ということで、もともとメイドたちが大して持ち合わせていなかった信頼を一気に失ったらしいヴァイスだったが、リリアンには好意的に迎えられた。もったいない気もするが、髪とメイク以外は見慣れた姿に戻っている。

「――フィオから、私たちの馴れ初めの話をしたと聞いたので……そのときもヴァイス様がご一緒だったそうで、なので大丈夫です。あのピンクの精霊さんも、一緒で大丈夫ですよ」

「いや、あれはいい」

「そうですか?」

「では――なにかご相談があると、メリッサからは伺いましたが」

「はい。……実は、私がお世話になっていた店の旦那様とおかみさんに、一度、お手紙を出したいと思いまして」

「まあ――お手紙を」

こくりと小さく頷き、リリアンは話し始める。テーブルの上には、あの薄羽ドラゴンの鱗がしまわれた小さな標本ケースと、錆びて黒ずんだ、古い一枚の銀貨が置かれていた。


「……私は、生まれたときから母しかいなくて。それでもその頃は祖父母がいたので、生活もなんとか成り立っていたらしいのですが……祖父母が亡くなり、母も、私が六歳のときに体を壊して亡くなってしまったんです」

「では、それからお一人で……?」

「はい。私は今年十八になったので、フィオに会うまでもう十年以上は――。でも幸いにも私には祖父母が遺してくれた家がありましたし、母が花好きな人で。私の名前も、母が好きな花の名前なんです」

「そうだったんですね……リリアンの花は清らかで凛とした、高潔な花。きっとお母様も、そんな素晴らしい方だったのでしょうね」

「はい! 優しくて頭もよくて、母は私の理想でした。それで――母が造った、庭というか隣家との隙間を利用した花壇と、ハーブなどを育てていたプランターが家にはたくさんあって。そこから採れる花蜜ネクターやお花を売っていたのも知っていたので、幼いなりに生活をなんとかしようと、近所の方の力を借りながら暮らしていたんです」

「……」

そこでエレノアは言葉を失った。自分が六歳のときは学校にも通い、祖父と使用人たちに守られながら、生活においては何不自由ない環境で育まれていた。かける言葉も見つからず、横目でヴァイスを窺えば――その辺りはヴァイスも同じだったようで、眉根を寄せ、静かにリリアンの言葉に耳を傾けていた。

「水やりとか、多少は母の手伝いもしていたのですけど、でも――全部をこなそうとすれば、やっぱり六歳の私には難しいことも多くて。せっかく採取した花蜜をこぼしてしまったり、上手く瓶に詰められなかったり。特に花蜜は、透明度が高いものほど買い取り価格も高いので、花粉やしべなどの異物にも気をつけないといけないのに、それを取ろうと下手に混ぜると濁ってしまうし、やり直しもなかなか利かなくて。それでもとにかく生きるのに必死でしたから、母が遺していった道具と記憶を頼りに、包装までして、馴染みのお店に持っていったんです。でも――」

 ――こんな汚いもの、売り物になるわけないだろう!

 それが、母が通っていた店のあるじの第一声だった。そして幼いリリアンの前で、せっかく作った花束や花蜜の小瓶を床にぶちまけ、罵った。

 その頃のリリアンには、店主が何を言っているのか理解できなかったという。しかし今になれば、店主は母に懸想けそうしており、良くしてやったのに自分にはなびかず、()を返す前に死んだことを、恨んだり嘲ったりしていたのだとわかる。

「それは……お辛かったでしょうね……」

「母を悪く言われたことは、今でも悲しいです。母がいた頃は、私にもキャンディをくれたり頭をなでてくれたり、優しいおじさんでしたから。ただ――売り物にならないと言われれば、そうだったなと。自分では綺麗に作ったはずだったけれど、力加減がまだわからなくて包みがくしゃくしゃで、お花が傷んでいたり、こぼした花蜜が瓶について、それを拭ききれていないまま触ってしまっていて、なんだかペタペタしていたり――」

それをにこやかに語れるのが、きっと彼女の強さなのだろう――。エレノアはそんなことを思いながら、相槌を打つ。

「――でも、そのおかげで、私は旦那様とおかみさんに出会えたんです」

 その思いもよらなかった事態に頭が真っ白になってしまい、幼かったリリアンはどうしていいかわからず、また上から降ってくる怒号が怖くて、泣くことしかできなかった。助けてくれる母はもういない。それを考えたら、自分がひとりぼっちであることを余計に感じて、次から次へと涙があふれてきた。

「――おい、子供相手にやめないか」

怒られ続けてどれほど経ったのか、泣きながら床に這いつくばって花や小瓶をかごに戻していた自分の前に、一人の男性が立ちはだかってくれた。

 男は店主と短くやり取りをすると、瓶を拾うのを手伝ってくれて、そのまま外に連れ出してくれた。

「これ、自分で作ったのか。父ちゃんや母ちゃんは?」

「……」

リリアンがうつむいたまま首を横に振れば、男は察してくれたらしく、「そうか」と短く呟いて、慰めるように肩をとんとんと叩いてくれた。

「じゃあ、こんなとこやめてうちの店に来な。かみさんと一緒に、作ったもん見てやるから」

そう言いながら涙や鼻水まみれの顔を拭ってくれて、リリアンは男の店に向かうことになった。

 男は店に着くまで手を繋いでくれて、ぽつぽつと今日までの話を訊いてくれた。知り合いに会うと、俺の隠し子だと楽しそうにでたらめを並べて、笑われたり呆れられたり。リリアンは少しだけそれが恥ずかしかったが、顔も知らない父のことを、こんなふうならよかったのにと思っていた。

 そうして辿り着いた店は、先ほどの店と比べると小さくて、商品もまだあまり並んでいなかった。

「――その頃は多分、お店を始めて間もなかった頃だったんじゃないかと思います。事情を聞いたおかみさんも、本当に心配してくださって――その日は、お夕飯までごちそうしてくれて。温かいクリームシチューを泣きながら食べていた見ず知らずの私に、もらい泣きしちゃうくらい、優しい人でした」

 そのときのクリームシチューの味は忘れられない、とリリアンは懐かしそうに語る。

 そして片付いた食卓の上で、言葉どおり、リリアンの作った花や花蜜ネクターの小瓶を検分してくれた。

「うーん、そうだなあ。たしかにこのままだと売るのはちょっと難しいが、ひとつ、ちょっと舐めてみてもいいか? 食べても大丈夫なやつだよな」

「はい……。ママも時々、お料理に、使ってました」

「よしよし。……おお、すごい香りが濃いな。……うん、うん! 味も、悪くない」

小皿に注がれた花蜜から、甘く爽やかな香りが漂う。男の妻も、その香りを気に入ってくれたらしい。

「これだけ薫り高いなら、蝋燭や香袋サシェなんかにも使えそうだね。こっちの花も、茎は折れちゃったけど上だけ押し花にして、ワックスサシェにしたらきっとすごく綺麗なのができるよ。サシェ作りはおばちゃんの趣味でねぇ」

「……」

また何を言われるか、ご飯まで食べさせてもらったのに、やっぱり商品は汚くて。怒られたらどうしようと縮こまっていたリリアンは、その穏やかな声音にようやく顔を上げる。二人は真剣な顔で小瓶や花を見つめ、その手つきも優しかった。

 リリアンの視線に気付いた男はにかっと笑い、小瓶をテーブルに置く。

「母ちゃんがこうやって売ってたから、頑張って瓶詰めしたんだな。――でもまだ、難しかったみたいだな」

「……」

小さく頷くリリアンに、男は天井を仰ぎ「うーん」と喉を鳴らす。それから何かを思いついたように、ズボンのポケットを探ると銀貨を三枚取り出した。

「いいかい、お嬢ちゃん。店に並んでるもんには全部値段がついてるが、その中には材料費とか製造費とか人件費とか、そういうややこしくて細かいもんがたくさん含まれてる」

「……?」

「難しいなあ。じゃあ、この花蜜の小瓶。たとえば銀貨三枚が、お店の値段だとする」

「……」

男は、一つの小瓶の前に三枚の銀貨を重ねて置く。

「でも本当は、中身の花蜜や器の小瓶に銀貨一枚。一生懸命、瓶に詰めたお嬢ちゃんの頑張りに銀貨一枚。お店に置いて売ってくれるおじちゃんの優しさに銀貨一枚。こんなふうに、細かく分けることができるんだ」

「なにが優しさだい」

おかみさんに笑われながらも、男は重ねてあった銀貨を一枚一枚、今度は横に並べて置く。

「でもお嬢ちゃんはこの二番目の、瓶に詰めるのが苦手だから、頑張っても真ん中の銀貨一枚はもらえない。それどころか、失敗すれば一番目の銀貨のぶんもなくなっちゃうな。じゃあ、ここでクイズだ。これでお嬢ちゃんとおじちゃん両方が絶対にお金をもらうには、どうしたらいいと思う?」

「……」

リリアンは銀貨をじっと見つめ、間違っていたらどうしようと思いながらも、考えついた答えをおそるおそる口にした。

「真ん中を、なくしちゃう……?」

「おお、正解だ! 賢いぞ。――お嬢ちゃんの場合、この中身の花蜜は悪くない。その年でこれだけのものを作れるのは、きっとママのおかげなんだろうな。だからおじちゃんは、今日まで頑張ったママとお嬢ちゃんに、この銀貨を一枚支払える」

「……!」

男はリリアンの座っていた椅子の横にしゃがみ、テーブルの下で握りしめたままだったリリアンの手を取ると、端にあった銀貨をぎゅっと握らせてくれた。

 自分が下手だったせいで汚してしまった瓶を触っていた男の手も、花蜜に濡れていたのだろう。なんとなく、手にペタペタとする銀貨だった。

「でも……あの、でも、こんなに」

「無駄遣いは駄目だぞ。これには、運転資金も入ってる」

「……うんてん? しきん?」

「お嬢ちゃんが元気なまま、しっかり大きくなって、お仕事を続けていくためのお金のことだ。お嬢ちゃんがもう少し大人になって、苦手なことができるようになったら、真ん中の銀貨もお嬢ちゃんのものになる。その方が嬉しいだろ? だからそれまで、ご飯を食べるためのお金だ」

「……」

「まあちょっと足りない分は現物支給か、教会の炊き出しとかで勘弁してくれな。おじちゃんちもまだちょっと貧乏でな。もしお嬢ちゃんが花を育ててるうちに運良く花蜜石ネクターストーンに巡り会えたら、そのときはおじちゃんたちにごちそうをおごってくれ」

「……」

手のひらの銀貨をじっと見つめ、リリアンは頭の中で男の言葉を反芻はんすうする。そのまま固まってしまったリリアンに、焦った二人が顔を覗き込めば、リリアンはようやく男の言葉を理解して――ぼろぼろと大粒の涙を流して、また号泣した。

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