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「……実は月待鳥の羽根ペンは、特別な経緯があって、わたしのものになっていたんです」
――もともと、その羽根ペンは王族がこの城に遺していったものだった。長らく存在を忘れられていたが、あるときそれを祖父が発見し、宛名の人物に一報。一度は受け取ってもらえたらしい。
しかしその後、事情があり祖父の手元に返還されることになった。そしてその際、宛名の人物の希望もあり、祖父は書き物を好む孫娘にそれを贈ってくれたのだった。
「つまり、その羽根ペンはもともとはこの城のあるじである王家の方の持ち物で――宛名の人物というのが、先々代の国王陛下であったのです。そのお祖母様が一時期トルテュフォレでご療養なさっていたそうで、亡くなる前に、孫への贈り物になさりたかったのだと思います」
「それで?」
「もちろん祖父は、王城にお送りしました。時を経て、先々代の国王陛下もお年を召しておられましたし、たいそうお喜びになってくださったそうです。そして、祖母がそうしてくれたように、自分も孫に贈りたいと――書簡をやり取りする中で、そう仰っていたそうなのですが」
「孫というと、今の王子か? 先代の国王――つまり王子たちにとっては父が亡くなったときに政変が起こりかけて、後を継ぐにも継げず、今は空位になっていたはずだが。たしか二人兄弟だったな」
「さすが、よくご存じで――お兄様のフェイリム殿下です。弟君は、その頃まだお生まれになったばかりだったはずですから。なんでもその頃の殿下は、字をお書きになることがお嫌いだったとかで――なにか特別なお品をお持ちになれば、勉学などにも身が入るのではないかと、そういうお気持ちがあってのことだそうです。ですが、やはり殿下はお気に召さなかったようでして――。捨てるにもしまい込むにも忍びなかった先々代の国王陛下は、代々の忠義に報いてくれた礼にと――書き物が好きな孫娘を持っていた祖父に、送り返してくださったのです」
「ああ……その孫娘が、あんただったわけか」
「そうです。お祖母様とご自身が成せなかったことを、どうか成してほしいと仰ってくださったそうで――そのことも、亡き祖父から贈られたことも、それから――そのとき初めて、わたしはレコンフォール家の人間として、公式に文章を書かせてもらって。結果、それはほろ苦い思い出になってしまったけど、それでもそのペンにまつわる大切な思い出だったのに」
「なくしてしまったと」
無言のまま、床に沈んでいきそうなほどにうなだれるエレノアに、慌ててリュカがヴァイスを制止する。
「ああいえ――違うのですよ。エレノア様の過失というわけでなく、これはおそらく、城の者が〝精霊様のお気に入り〟と呼んでいる現象です」
「精霊の……お気に入り?」
「レコンフォール家にまつわる話です。特にエレノア様は、その性質を強く引き継いでしまったようでして――」
リュカは一つ息をつくと、祭壇に向き直って精霊母を見上げる。
「昔からこの城では、レコンフォール家の方々が大切になさっているものが、忽然と消えてしまうことがあるのです。それこそ、影も形もなく――城の者総出で探しても見つからないときがあったそうで、これはきっと、城に棲む精霊の仕業に違いない、と」
「なんだそれは――迷惑な精霊だな」
「レコンフォール家の大人たちは、あるものを大切にするよう代々の子供たちに教育なさるので、それが城住まいの精霊様にも好ましい気質であったのでしょうね。つまり失せてしまったものは、精霊様が欲しくなってしまうほど大切に、大事に扱われてきた品物だということです。特にエレノア様は、一度気に入ったものを長くお使いになるたちの方ですし、愛用のお品が消えてしまうことが多いのです。きっとエレノア様のお気に入りが、そのまま精霊様のお気に入りなのでしょう」
そこまでリュカが説明すると、エレノアは両手で顔を覆って嘆いた。
「ああ……どうしよう。なくしてしまったことを王家にお伝えしないといけないのに、フェイリム殿下になんと申し開きすればいいのか……! こんな話、信じていただけるかしら? いえ、そもそも殿下に、わたしの手紙なんか受け取っていただけるかどうか……。そうでなくともこんな大変な時期に王家の方のお心を煩わせ、ご迷惑をおかけするなんて……臣下として失格です!」
「落ち込んだり荒びたり忙しいやつだな。まあ――手紙は受け取るだろうが、別に報せる必要はないんじゃないか? そもそももうあんたのもので、そんなに大切に思って使ってもらってたんなら、その殿下とやらも気にしないさ」
「そうかもしれません。でも、だからといってそういうわけには――いえ、それでも――」
「落ち着け。言っていることがよくわからんくなってるぞ」
つんつんと頭を小突いてくる筆入れを手で払い、エレノアは立ち上がる。
「……ごめんなさい、リュカ様。どうしていいかわからなくて――誰かに、聞いてほしかったのかもしれません」
「それも私の仕事のひとつですよ。しかしエレノア様――それ以上にあなたは、私に取って娘のような存在でもあります。つらいときは、いつでも愚痴を吐きにおいでなさい」
「リュカ様……」
「大丈夫。あなた様は残されたレコンフォール家の人間として、そしてあるじ無き城のあるじとして、家令という大変な職をまっとうしようと日々努力なさっています。しかしまだ、なんといってもお若いのですから――迷うことも悩むことも、あって当然です。もちろん、失敗も。たしか、フェイリム殿下もあなたと同じ年頃の方のはず。政局が不安定な今だからこそ、今のお気持ちを素直にお伝えしてみたらいかがでしょうか。遠く離れた場所であっても、自分のことを考えてくれている人間がいると――それがわかるだけでも、きっとお心は安まるはずです。先々代の国王陛下が、先代の家令の行いに報いてくださったように」
「そう……でしょうか」
「そうでしょうとも。あなたのお祖父様があなたに託したものは、そのほとんどが文宝だったはずです。レコンフォール家にとって、言葉はそれだけ大切なもの――大丈夫ですよ。きっと、気持ちは伝わるはずです」
にっこりと笑うリュカに、エレノアの顔にもほんのりと笑みが戻る。そういえば小さい頃、暗闇で泣く自分を抱き上げてくれるときは、いつもこんな顔をしてくれていた。大丈夫、という言葉とともに――。
「……はい。そう、ですよね。幼かったあの頃とは違うのだし――今度はれっきとしたトルテュフォレの家令として、お手紙を差し上げてみようかと思います。自信はないけど――ああ、そうと決まったらさっそく草案を作らないと。リュカ様、ヴァイス様、失礼いたします!」
「あ」
数分前までの落ち込みはどこへやら、エレノアは一礼するとスカートをちょっとつまんでたくし上げ、ぱたぱたと駆けていってしまう。ヘンドリック様に見つからなければいいのですが、と苦笑するリュカに、ヴァイスは小さく息をついた。
「――あんた、ずいぶん慕われているんだな」
「はい。先ほども申し上げたとおり、彼女はあるじであるとともに、娘のような存在でもあるのです。なので、ついつい甘やかしてしまうのですよ。お立場を考えれば致し方ないところもあるのでしょうが――エレノア様はお小さい頃から、レコンフォール家の唯一の跡継ぎとして教育され、ご自身もそう振る舞っていらっしゃいました。きっと、ご無理をなさっているときもあったと思うのです。ですので――」
「……?」
「あのように、一人の少女――いえ、もう女性ですね。一人の女性として、ありのままに振る舞うことができる方とお知り合いになれたことは、とても喜ばしいことです。いえ――喜ばしいことではあるのですが、どうか、くれぐれも、意地悪なことばかり言ってからかうのは、お控えくださいね。もしもエレノア様をお泣かせするようなことがあったら、私もヘンドリック様も、問答無用であなたを城から叩き出さないといけなくなりますので」
「いや……ああ。善処する……」
圧の強い笑顔に、もうすでに泣かせた気がしないでもないヴァイスはそれ以上を言わず、聖堂を後にした。
「……王子様に手紙、か」




