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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第三章 城に棲まうもの

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 話を聞くに、実はフィオレロには祖父母がいたらしい。しかしフィオレロの父が畑を潰し始めてから、愛想を尽かせて家を出てしまったのだという。

 祖父は代々の土地を諦め、祖母側の故郷を頼りに一からやり直すつもりだとフィオレロに語っていた。一時期はともに行こうと必死に訴えてくれていたが、その頃の無気力なフィオレロには届かなかったのだという。それでますます険悪になっていく祖父と父に関わりたくなかったことも、フィオレロが家から遠ざかろうとした一因であった。

 フィオレロは自分自身にも言い聞かせるように、手のひらを見ながら語る。

「――しかし今の私ならば、きっと祖父にも受け入れてもらえると思うのです。そしてできる限り、その技術や知識を受け継ぎたい。今の私にはリリアンもいるのですから――失ってしまったものを嘆くより、新たにこの手で作り直し、それをまた次代に託していきたいと――こちらで過ごすうちに、そう決意できた気がするのです」

「フィオ……」

「そこまで言われてしまうと、引き留めるに引き留められんなあ。それで、お祖母様の故郷というのはどちらになるんだい」

「このシセラスの街を北に抜けた先にある、アルマスルス山脈の麓にある小さな村です。杣山そまやまを抱えているので王都ともゆかりがあって、それで祖父と知り合ったそうです」

「ああ、じゃああと少しだね――あの辺りはたしかに美しい黒木が採れるんだよ。あれは木骨造ティンバーフレームの構造材にすると、白壁と合わせてそれは見事なエッジを生み出すんだ。しかしあの辺りの林業を生業にする村は、伐採するだけでなく植樹もして木も山も守っているから、やはりそういう血が君には流れとるんだなあ」

「たしかに――言われてみれば、そうかもしれません。祖母も、木の実を拾ったり、苗木を育てていた話を聞かせてくれたことがあります」

「うん。――しかしそうなると、儂はお祖父様やお祖母様が心底うらやましい。きっと命許される限り、持てるすべてのものを君たちに与えてくれるだろう。儂ならそうするよ」

そのトローエルの言葉に、エレノアは自分自身のことを重ねて深く頷く。祖父もまた、息を引き取る瞬間までそうあってくれた。

 寂しさもあるが、行く先で二人の人生が花開いたとき――その記憶の中に、この城があったなら嬉しい。


   ・◆・◆・◆・


 そうして二人を裏庭まで見送ったエレノアは、その足で施療院の隣にある聖堂へ向かった。

 聖堂は城と繋がっており、回廊からも行けるが、エレノアはこの裏庭から向かうルートの方が好きだった。

 裏庭からひと続きになっている、崩れかけの石塀と白緑の苔むしたアーチ石門。そこをくぐれば背後の森と一体化しつつある小さな庭があり、季節の野花が自由に咲き乱れている。それでも入り口付近は聖堂のあるじによって植木や下草が綺麗に処理されており、その間の飛び石をトントントンと渡っていけば、聖堂の正面に辿り着く。いわば横道ルートだ。

 城と同じ石造りの聖堂は、小規模ながら存在感がある。不定形の岩を塗り込んだような、乱貼りの野趣あふれる壁と、細かな装飾がなされた門柱や窓枠、ペディメントが不思議と調和し、外観を眺めているだけでも面白い。写実的な葡萄ぶどうや蔦、小鳥や精霊の子らの彫刻は石造りにも関わらずなめらかで、妙な婀娜あだっぽさがある。そのせいか子供の頃はその葡萄がやけに美味しそうに見えて、一房でいいから投げてくれないものかと思ったものだ。

 そのペディメントの上には丸いステンドグラスがはめられ、そこから伸びる三角屋根の鐘楼は突き抜けて高く、街からでも視認できる。今はもう鳴らすことは少ないが、はるか昔は街の時計代わりになっていたらしい。

 中は見た目より開放感のある空間になっており、シンプルな白塗りの天井が、明かり取りから差し込んでくる光を反射して堂内の明度を上げている。外観と同じく蔦があしらわれた円柱が左右からそれを支え、その円柱に沿うように、古い黒木のベンチと長テーブルが並んでいた。

 ベンチの背面には、色とりどりの毛糸で編まれた小さな円形のクッションが収納されているが、これは聖堂に通い読み書きや計算を習う街の子供たちが使うものだ。他の聖堂ではあまり見かけないテーブルも、そのために置かれている。

 聖堂の中心を貫く小路を進めばやはり黒木の小さな説教台があり、その裏には唯一華やかな、美しい白の祭壇が設けられていた。

 豊穣を表す穀物や果物、そして種々の花が画舫ゴンドラのようにダイナミックに彫られ、その中央には女性の彫像が佇んでいる。こちらはどうやって彫ったのか想像もできない、薄衣うすぎぬのひだの間から透けるように見える、張った乳房にまろやかにふくらんだはら。特に〝精霊母せいれいぼ〟と呼ばれる、妊娠している精霊のお妃様の彫像だった。

 お妃様は両手で愛おしそうに腹を撫で、穏やかに微笑んでいる。そこに、朝帰りをした夫に嫉妬する女の面影はない。

 その――それらすべてが、雪のような真白の大理石で造られており、聖堂の光にいっそう白く浮かび上がっている。

 そしてこの祭壇を眺めるたびに、エレノアは記憶の中の母の姿を手繰たぐっていた。


「――もしかして亡くなった母親に似ているのか?」

「ひっ!?」

 どれだけ祭壇と向き合っていたのか、突然背後から声がして、エレノアは慌てて飛び退く。どきどきと波打つ心臓を押さえて振り返れば、そこにはスケッチブックや筆入れを小脇に抱えたヴァイスが立っていた。

「な、ちょ、驚かせないでください!」

「あんたが勝手に驚いているだけだろう、大げさだな」

「だって足音もしなかったし!」

「特技だ。驚いただろう」

「やっぱり驚かせる気があったんじゃないですか!」

ヴァイスはくつくつと笑いながら、エレノアの横に並ぶ。

「また泣いているかと思ったが、泣いてないな」

「ほっといてください!」

「そう怒るな、でとうもろこしになるぞ」

「とうもろこしじゃありません! しつこい人は嫌いです!」

「――ああ、やはりエレノア様でしたか。賑やかですね」

 その二人の話し声に気付いたのか、祭壇(そで)の小さな潜り戸から、一人の壮年の男性が姿を見せた。ふわふわのオレンジの髪に、色素の薄い空色の瞳。黒にも近い臙脂えんじ色のローブに、金糸の刺繍の入った腰丈ほどのケープマントを左肩から垂らしている。

「リュカ様――も、申し訳ございません」

「いえいえ」

エレノアは、この男性が声を荒げたり取り乱しているところを見たことがない。常に穏やかな笑みを浮かべ、ここを訪れる人間を温かく迎えてくれる。この聖堂のあるじである、城勤めの司祭だ。

「そちらは噂の画家様ですね。精霊の祝い子様にお会いできるとは、光栄です。私は司祭のリュカと申します」

「ヴァイスだ。その精霊にはあまり変な期待を持たない方がいいと思うが――よろしく」

「ちょっ……」

もう少しまともな挨拶ができないのかとエレノアはヴァイスをめつける。

「失礼な物言いをしてしまって申し訳ありません……」

「いいえ、エレノア様ももうお年頃です。人目を忍んで同じ年頃の男性と語り合うのも、良いことだと思いますよ」

「そ、そんなつもりでは……!」

「そうですか? お小さい頃はお祖父様やヘンドリック様に叱られては、暗いのが怖いのによくこちらに来られて。燭台を必死に握りしめて、説教台の下に隠れて泣いておられましたが――もうそれも、懐かしい思い出にしないといけないかと思いました」

「……」

どうせまた泣き虫とうもろこしとでも思っているのだろう、隣で笑いをこらえているその同じ年頃の男性をさらに半目で睨み、エレノアは続ける。

「幼い頃は、厳しい祖父やヘンドリックの代わりに、優しいあなたが迎えに来てくれると、子供心にもさかしらに知っていたからです。でも――」

「でも?」

「今回のことは、悪さといえば、悪さかもしれません……」

静かに息を吐くエレノアに、リュカは近くのベンチを勧める。エレノアはヴァイスを無視してそこに座り、テーブルに伏すと二度ため息をついた。

「実は先日、あの月待鳥つきまちどりの羽根ペンをなくしてしまったのです……。何度も探してみたのですが、どうしても見つからなくて」

「月待鳥の――まさかあの、月待鳥の羽根ペンですか? ああ――ということは、()()ですね」

「はい……。多分、そうだと思います……。また、です」

「それでしたら、あなたが気に病むことではありません。あなたがそれだけ、そのものを大切に扱ってきたという証左なのですから。……とはいえ、それでは心の慰めにはなりませんね」

「――待て、それはなんの話だ。羽根ペン?」

「ご存じなのですか!?」

話に割り込んできたヴァイスに、エレノアは勢いよく顔を上げる。

「……いや、知らんが。そんなに大切なものなのか」

「……ええ」

茶化してくる様子もなかったので、エレノアは素直に頷いた。そして少しの間を置いたあと、まるで告解でもするかのように、重い口調でそれを話し始めた。

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