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精霊の幸う国の古城管理人【第一部完結済み】  作者: 橘 佐和
第二章 王都の影と日向に咲いた花

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 日の出前、朝一番の小鳥のさえずりが聞こえてくる。エレノアが立ち上がり窓辺に向かうと、いつの間にか嵐は過ぎ去り、山と空の境目が白んできていた。

「――そろそろ城の者も起き出す時間です。今夜は、ここまでにいたしましょうか。フィオレロ様もヴァイス様も、お部屋にご案内いたします。どうぞお休みになってください」

「えーっ! うそうそ、これからがイイところじゃないの!?」

「女の話を本人のいないところでするのはまずいだろう」

「そうですね。下手なことを言うと、怒られてしまいそうです」

ヴァイスはむくれながらぐるぐる宙を舞うクロシェットをつまみ上げ肩に乗せると、残っていた桃を口に放り込む。

「それにしても――あんたは人生の中でも最高の、良い出逢いをしたんだな」

「はい。あの花蜜石ネクターストーンが発見された日以来、私はいろいろな間違いを犯してきましたが――それだけは、間違っていないと断言できます」

「うらやましい、俺はそっちの方はまったく駄目でね」

「そんな。きっと精霊様が、一番良い出逢いを与えてくれるはずですよ」

「ああ、そう願おう。それとな、市井しせいに紛れるならもう少し服装を考えた方がいいぞ。それじゃ目立ちすぎる」

「えっ!? これでも、一番地味なものを選んできたのですが……」

「違う違う、そうじゃない。面白いな、あんた」

空の食器をまとめながら立ち上がる男性二人に、不服そうな顔をしたクロシェットがエレノアの元に飛んでくる。

「ちょっとちょっと、あたしのベッドもご用意していただけるのかしら?」

「もちろんにございます。城の習わしに沿って、各客間のサイドチェストに編みかごやオルゴール、ガラスの小物入れや花瓶フラワーベースをご用意してありますので、お好きなものを。どちらにも一番摘みのコットンを詰めたクッションを敷き、掛け布団には城の女たちが手ずから編んだレースや刺繍を施しておりますので、ぜひご覧になってください」

「あら、素敵じゃない! さすが精霊の住むお城ね、まだそんな風習が残っているなんて」

「はい。古き良きものを受け継ぎ、残していくのは、やはり大切なことなのだと――わたくしも改めて、学ばせていただきました」

夜、綺麗な箱や容れ物で枕元に小さなベッドを作っておくと、それを気に入った精霊が眠りにくる。彼らは人に姿を見られる前に去ってしまうが、もし朝目覚めたときにそのベッドの中に何か残されていたなら、それは精霊からのお礼で、一生のお守りになるのだという。そんな、古い時代からの言い伝えだ。


 そうして、嵐の一夜は終わりを迎えた。早々に客間巡りに繰り出したクロシェットを見送り、リリアンの隣の客間をフィオレロに、さらにその隣をヴァイスに宛がう。

「そちらがバスルームと洗面所、お手洗いになっておりますので、ご自由にお使いください。アメニティも一通りそろえてありますが、何かご入り用の際は――」

「いや、そのときはクロシェットを呼びにやらせるからいい。それにしても――」

 エレノアが中に入り灯を点すと、ヴァイスはぐるりと部屋を見回し、テーブルの横にどさりと荷物を置いた。

「城の中もそうだったが、部屋の中もすごいな……。数百年間の間に流行ったあらゆる様式の家具や絵が、不自然なくらいに上手く調和している。ここではまだ実際に、活かされているからなんだろうな。美術館や金持ちの元で、死蔵にされるよりかよっぽどいい」

「お褒めの言葉として受け取っておきます。ありがとうございます」

ここに案内するまでに、ヴァイスはしきりに周囲を見回していた。物珍しさというわけではなく、彫刻や建築様式を観ていたらしい。実際に今も、絵だけでなく額や家具のネジ隠しに至るまで見て回っている。

 最後にアンティークの肘掛け椅子をシーソーのように床から浮かして猫脚の彫り物を見、手にしていた笠木から背もたれの布をなぞってそのままそこに座ると、いかにも偉そうに足を組んで愉しげに笑った。それがやけにさまになっていて、エレノアもつられて笑んでしまう。

「なかなかいいな。なんの役にも立たん権力者の気分が味わえる。こんな宝物庫のような城に、俺みたいな流れ者をあっさりと迎え入れてよかったのか?」

「まさか、助けてくださった方を嵐の中に放置するわけにはまいりません。それに――」

「それに?」

「あなたはこのトルテュフォレの言い伝えを知りながら、なんのためらいもなく城内に足を踏み入れました。つまりご自分が、わたくしたちの――トルテュフォレの害になる存在ではないと、自信がおありになったのでしょう」

「うん、そうだな。かなりあった」

「……」

そのヴァイスの態度に、エレノアは笑みを潜め姿勢を正す。

 フィオレロの話の間から、少し気にはなっていた。一度気になると、あの出会いの瞬間からの出来事が、少しずつ異質に見えてくる。そこでエレノアが思い至ったことは――

「――あなたは本当に、ただの旅の画家様ですか?」

 ヴァイスはまだロールプレイを続けるらしく、頬杖をつくと、わざとらしい尊大な口調でそれに答えてきた。

「ふむ――と、いうと?」

「あなたはここが王家直轄の城であることをご存知でした。これを旅の方がご存知なこと自体、非常にまれなことなのです。このシセラス地方には、もう一つ城がございます。領主であるガルニエ侯爵の居城、ノーザンシセラス城――この辺りでかつて採掘されていた、化石珊瑚フォッシルコーラルを含んだ蒼石を用いた、非常に見目麗しいお城です。外からいらした方は大抵、こちらもガルニエ侯爵の持ち物であるか、こちらを廃城にした後、新たにノーザンシセラスを設けたのだとお思いになるもので」

「……」

「王都の事情にもお詳しいようでしたし、精霊のご加護があるとはいえ、あの人数にも貴族の名前にも怯まなかった。それで失礼ながら――もしかしたらこの方は、どなたか相当な有力者の庇護のもと旅をなさりながら、情報を生業なりわいにされている方なのではないのかと」

エレノアはそこで、是非を問うように言葉を止める。ヴァイスも途中から笑みを潜めていたが、しばらくの沈黙の後、忍び笑いを始め、最後にはまるでお芝居の悪役のように高らかに笑い始めた。

 そして一声。

「――あんた、小さい頃は『泣き虫とうもろこし』って呼ばれてたって?」

「――なっ!?」

「その頭とスカートじゃたしかにそう見えなくもないが、とうもろこしにしちゃ結構鋭いな。いや、さっきの『帳簿に付けておいてください』もなかなかだったが、今の方が傑作だ。しかしまあ、とうもろこしか……。またなんとも……」

「や、いえ、変な目で見ないでください! というか、なぜそれを……! それは、たしかに小さい頃のわたしのあだ名で、学校の男の子たちからはそう呼ばれてからかわれてたけど」

「口調が崩れてるぞ」

「!」

はっとして慌てて居住まいを正すエレノアの前で、ヴァイスは椅子から立ち上がり荷物をテーブルの上に乗せる。

「何を――」

「俺はただの放浪画家だよ。こっちの包みがイーゼル、スケッチブックに木炭、鉛筆、練り消し、水彩絵の具と色鉛筆。こっちには筆やペインティングナイフが入ってる。そしてこれが、クロシェットを生み出した花蜜絵の具だ。これを溶く専用の花蜜に油壺、まあいろいろだな」

大きなリュックと肩掛け鞄、両方から次々に出てくる道具の数々。箱に詰められた花蜜絵の具は高級品だが、使い終わったチューブが別の袋にも無造作に詰め込まれ、特有の甘酸っぱい匂いがほのかに香ってきた。使いこなれたのが一目でわかる色の跡が残った絵筆やパレット、その残滓が沈む筆洗いも、彼がたしかに画家であることを物語っている。

「……すごい」

さらに差し出されたスケッチブックをめくって、エレノアはほうと息を吐いた。野山の景色や都市の街並み、山間やまあいの牧歌的な風景が、流れるような筆致で描かれている。

 人を描いたものもあった。ビーズが連なる見慣れない装飾の衣装を纏ったしわくちゃの老婆に、道端で棒や紐で遊ぶ子供たち。小舟の上で果物や魚を売る屈強な男に、犬を繰りながら羊を追う少年、白い乳房をさらし赤子に乳をやるヴェールの女――。そのどれもがいきいきとして、精彩を放っている。きっと彼らを描いている間、この人は彼らと彼らの生活を愛し、そのまなざしで見たものをこの紙の中に写し取ったのだろう――自然とそう思えた。

 エレノアが顔を上げると、ヴァイスは椅子とテーブルを隅に寄せ、イーゼルを立てていた。横並びに三台――そして一番最後に出てきた、長方形の包みを破り始める。蝋紙ろうがみ特有のパリパリとした軽い音がして、その音が止むのと同時に中身が一枚ずつ、イーゼルに立てかけられていく。

「あ――」

 それは、カンバスだった。さほど大きなものではなかったが、一枚は抽象画のように、何色もの絵の具が分厚く塗り重ねられている。もう一枚は、真っ白。まだ何も描かれていないのか、地の布目がそのままあらわになっている。そして残りの一枚には、

「おじいちゃん――お父さん、お母さん……?」

亡くしたはずの、エレノアの家族の絵が、静かな佇まいで描かれていた。

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