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第三話 胸中 ②

 その後、二人は再び歩き始めた。先程までとは異なり二人の間に会話が発生しそうな気配は一切無く、サイエンとオメガの距離は更に離れている。

 夕暮れが地面を打つ時間帯。黄昏は水平線にて輝き、地面に落ちる影は少しずつ反対方向に伸びていく。サイエンの影も、オメガの影も、そして道端に座り込む男の影すらも。その男は歩道と車道の間に、力の抜けた操り人形の様に落ちていた。膝は不自然に開いており、踵だけが歩道のアスファルトに触れている。足元は壊れた歯車の様に小まめなリズムを刻んでいるのみだが、彼の手元は忙しそうである。見えない何かを掴もうとして空を探り、かと思えば自分の髪を払い除ける。続け様に肩の辺りを叩くと、地面を掘り始めた。彼の目は焦点を持っておらず、右から左へ、左から右へと揺れながら宙を彷徨っている。開き切った瞳孔は街灯の光を飲み込み、ヘドロの様に光を飲み込んで離さない。口元は笑っている様にも喚いている様に見える半開きで、歯の隙間からは途切れ途切れの音が涎と共に漏れ出ている。彼の奇怪な動きに目が行きがちだが、その服装もまた不可解である。色の抜けたグレーのパーカーに、くすんだ青のパンツ。袖口は伸び切って黒ずんでおり、前のファスナーは開きっぱなし。その中からはよれた白Tシャツの端がはみ出しており、膝と肘の布は薄くなっている。片足の裾は靴下の上でくしゃくしゃに溜まっており、スニーカーは色も判別し辛い程に汚れている。

 そんな様子の奇妙な男を、オメガはこの街に来てから二十名程確認している。ある時は一人で、またある時は集団で固まる廃人もいた。彼はまた新たに一人その様な人間を認めると、遂に我慢出来ずにサイエンに口を開いた。

「……おい、何だかさっきから道端に座って何かを呟いている人間が多くないか?あいつらは一体何なんだ?」

「……この社会の闇だ。ネストのどこかで取れる草を加工して使用し、体内の魔法濃度を上げているらしい。それにより強い多幸感を得られるが、代わりに激しい幻覚、言語能力の低下、死に至りかねない呼吸困難等……本来は私が何か手を打たなければならないのだが、そう上手くは行かないな」溜め息一つ付くと、「ここ最近、都市部にて彼らの様な魔法中毒者が多くなって来ているが、まあ近付きさえしなければそこまで危険でもない。ジロジロと見るのも止めておけ」


 日が地平線に隠れ、暗闇が灯りを作り出す。ネオンは空気に溶け、ガラスの外壁に滲み、濡れた様な光沢を街全体に貼り付けていた。車の走行音は遠くで絶えず唸り、時々クラクションが鳴って、すぐに高層の壁に吸われる。

 オメガがサイエンと邂逅してはや四時間、二人は遂に目的地に辿り着いた。歩き続けた脚はもう重く、踵は擦れて痛むはずなのに、今だけはそれを感じない。オメガの呼吸はやけに早くなり、胸の奥が妙に熱い。

 二人が見つめているのは摩天楼と摩天楼の間に挟まる古びた鉄格子だった。周囲は真新しい街の顔をしているのに、その一角だけが時間に置き去りにされている。鉄格子は薄汚れた錆に飲み込まれており、触れれば指に赤茶が移りそうであり、取っ手部分には三つの南京錠が掛けられている。夜風に吹かれてギイギイと音を立てるその鉄格子は、都市の整った雑踏の中に場違いな程の不安を滲ませていた。その向こう側は地下に続く階段になっており、行き着く先は暗くて見る事が出来ない。地下から漏れ出る湿った冷気が、呼吸の様に薄く吐き出されている気がした。

「ここにラムダくんがいる」

 サイエンがそう言った時、オメガの心臓はやけに早く鼓動し、頬が暑く感じ始めた。血が顔に集まり、耳の裏まで熱い。呼吸も徐々に早くなり、何かに駆り立てられる気持ちが体を侵食する。

 金具が外れる乾いた音が合図の様に響いた瞬間、オメガは暗闇に向かって走り始めていた。思考より先に脚が前を走る。ゴツゴツした急な石段を半ば滑り落ちる様に駆け降り、サイエンを遥か後方に置いてけぼりに。足裏は石の角を踏み、脛に痺れが走る。手すりは冷たく、触れるだけで骨まで冷える。息は白くならないのに、肺が冷たさを覚える。暗闇は視界を奪うくせに、音だけは増幅させる。

 二十秒程暗闇を走り抜けると、遂に階段を下り切った様子だ。足裏から伝わるひんやりとした感覚は相変わらずだが、足場が傾斜から水平に切り替わった気がする。地上のネオンの空気が変わり、地下特有の湿り気、古い鉄、洗剤の匂いが混ざった様な匂いがオメガの鼻腔に入ってきた。

 そしてその瞬間に目の前に飛び込んできたのは、何かの部屋から漏れ出る光。それは階段を降りた先の前方十メートル程、通路右側の扉から漏れ出ていた。オメガの視界が、その光一点に吸い寄せられていく。喉の奥に張り付いていた渇きが、少しだけ緩んだ気がした。

 光を認めると彼は口角を上げて再び走り出した。走るたびに肺が痛い。痛いのに止まれない。扉の隙間から漏れる光が近付くほど、胸の内側で何かが解けていく気がした。

「ラムダ!」

 そう叫ぶと同時にオメガが突進した部屋は、生活感が溢れ出る部屋であった。四方の壁はしっかり真っ白に塗装され、床にはフローリンがなされている。照明は眩しすぎないが、暗闇に慣れた目には痛い程明るい。目がちかちかして涙が滲む。

 部屋の中心には木製の机と椅子が四席、左手には手前から洗面台、鏡が貼られた壁に小さな箪笥が順番に。鏡は安物のように見え、光を少し歪ませて返す。箪笥は角が欠け、引き出しの一つだけが微妙に閉まりきっていない。右手には手前からトイレと風呂に繋がる扉に、二つの白色ベッドが少しの距離を取って置かれている。

 ラムダは、そのベッドの上に寝転がっていた。彼女は緩い白のワンピースを着ており、腰の辺りはきゅっと閉まっている。似た色のソックスに、三つ編みに結われた髪の毛。彼女の姿はオメガにとっては安心であり、それと同時に理解不能だった。

 そんなアスフォーダルでは有り得ない見た目を携え、その両手を埋めていたのは長方形の紙の塊。それは指二本程の厚みであり、両面から艶を持った分厚い紙で挟み込まれている。ページの端は整然と揃い、開かれた面には黒い記号が列を成している――俗に言う『本』であるが、オメガにはそれが奇怪な物体に見えて仕方が無かった。

 オメガは思わず声を振るわせながら、

「な……何をしてるんだ?」

 ラムダは本に顔を向けたまま目だけを彼の方へ動かし、

「オメガ、来たんだ」目を本の方へと戻すと、「読書って奴だよ。今こうして喋っている言葉を目に見える形に留めて、後世に伝えられる本がここには沢山あるんだ。筋トレに関する本もあるよ、読んであげよっか」

 彼女の声音は平然としていた。まるで今までの事を全て忘れ、生まれた時からここに住んでいたかの様に。

 オメガは床を踏み鳴らしてラムダの腕を強引に掴むと、

「ラムダ、さっさとアスフォーダルに戻るぞ。こんな所にいたら頭がおかしくなってしまう」

 ラムダが無言で顔をしかめたその時、後方から聞こえてきたのはサイエンの声であった。

「帰って良いのか?君達は来たる厄災を止める為にここに来たんじゃないのか?」

 落ち着いていて、壁に反響しても揺れない、地下の空気に馴染む声だった。オメガが振り返ると、サイエンは入り口の壁際にもたれかかっていた。

 オメガは彼を睨みつけると、

「……何でそれを知ってんだよ」

「その指輪には盗聴と盗撮の機能が付いているからな。この十二年間、指輪を通してずっと君達を監視していたんだよ」オメガの驚いた顔を横目に、「そんな些細な事はどうでも良い。それより私が君達を招き入れた理由……一月後に訪れる災害について話し合おうじゃないか」

 来たる『災害』と人類の終焉を止める術。その真の姿が、遂にサイエンの口から語られる。


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