第一話 予言 ②
外に出てから初めて気が付いたが、すっかりと日が沈んでいたらしい。漁や狩りから帰ってきた人々が所々に散見され、もうすぐで今日と言う日も終わりを告げようとしている。彼らの頭上には赫色に光る衛星・ノームが。
二人が建物を去る際、長老からは一週間の後を出発の日にすると伝えられた。南に旅立つまでの少しの猶予。建物の階段を降りながら、二人はその使い方を各々耽っていた。
「後一週間か……オメガは何するの?」とラムダ。
「今までと変わらないな。訓練をして、人々の依頼をこなし、この街を守る。お前はいつも通り部屋に引き籠もって一人で何かするのだろう?」
「魔法の研究と言って欲しいな」
ラムダは不満そうにそう言うと、森の方に視線を投げた。真っ黒な茂み、妖しく笑う木々、その隙間から漏れ出る獣の唸り声。魔獣達は火のある場所に近付かない事は分かっていても尚、やはり真夜中の森はどこか不気味に感じてしまう。
二人はそのまま自分達の住む家に着いた。相も変わらず低い戸口をくぐろうとした所、その中から姿を表したのは背丈の高い男。銀色の長い髪を後ろに流しており、少しタレ目の穏やかな顔付きをしている。オメガも集落の中では比較的高い方ではあるが、その男はオメガより更に頭一つ分伸びている。
彼はラムダとオメガを見るなりその顔に笑みを浮かべ、
「おお、ラムダとオメガじゃないか」
「ハイターさん」とオメガ。
ハイターはラムダの実の父親であり、十二年前のとある事件を機に両親を無くしたオメガの扶養もしている。彼は二人の頭を撫でると、
「東にいた魔獣を倒してくれたらしいじゃないか、ありがとうな。お前達はこの島の誇りだ」憂いを孕んだ表情を浮かべ、「それと、聞いたぞ。南の島に行くらしいな」
「うん、サクッと災害を止めてくるよ」とラムダ。
「……まあ、何だ、予言の事はそんなに考えすぎるなよ」
二人はハイターが意味する事を理解出来なかったが、まあ励ましてくれているのだろう。曖昧なまま頷いた所、ハイターは再び笑顔を浮かべた。そのまま彼はラムダの手を塞いでいる杖に目を遣ると、
「ラムダ、南に行く前にその杖を新調しておくか?そんな杖じゃ魔法の精度も下がってしまうだろ?」
「うーん……」首を傾げながら考え、「……良いかな。何だかんだこの杖とも長いからね、私とオメガの命と同じ位には大切かも」
ハイターはそうかと頷くと、再び二人の頭を撫でた。
太陽が一巡した次の日。集落全体が朝日を浴び、今日も人々が人生を紡ぐ。魔獣が潜む森の中でも、湿った土が木漏れ日に目覚め、木陰は徐々に背丈が低く。露に濡れた枝葉は朝日を眩しく反射し、切り株の苔は緑を濃くする。
戸口から入ってきた朝日にラムダの目が覚めると、既にオメガは起きてどこかに行っていた。彼女は身を起こすとボンヤリとした意識の中、取り敢えず手櫛で髪を整え始めた。大きく欠伸をしながら二度寝でもしようかと考えていると、戸口から姿を表したのはオメガだった。彼は身を屈んだまま戸口にいるので、その影が家の中に侵入している。
「おい、今日は西の方に現れた魔獣の討伐に行くぞ」
彼がそんな事を言うと、ラムダは手櫛をする手を止めた。そのまま欠伸混じりに、
「今日は魔法の研究をしたい気分なんだ、パスだね」
「知らん、行くぞ」
「嫌だ」
ラムダが即刻そう言い捨てると、両者の間で僅かな緊張が走った。ラムダは決してオメガと目を合わせようとせず、地面に目を落としたまま両手を中途半端な位置で止めている。オメガははぁ、と肩を落として、
「……どうやら、意見が別れたみたいだな」
「……そうだね」
オメガは家に入ると同時に拳を丸くした。対するラムダは立ち上がると同時に杖をその手に。互いに目が合うと、両者とも冷めた目付きをしている。
「本気バトルの時間だな」
本気バトル。それは名前が示す通り、ラムダとオメガの間で言い争いが起こった際に、戦いの決着で二人の行動を決める習わしである。場所は他者に被害を与えない為にアスフォーダルの最北端で行う。そこは禿げた大地がしばらく続く絶壁。常に冷たい風が吹き荒れており、崖を覗くと三十メートル程下に黒い海が光を飲み込ながら渦巻いている。
そんな場所で向かい合う二人。互いが十メートル程距離を空けており、ラムダの杖はオメガに向けられている。荒れ狂う風は彼らの髪を靡かせ、木々は少しの距離を置いて二人の一挙手一投足に息を呑んでいる。
「行くよ」
ラムダがそう言った瞬間、彼女の杖が光を帯び始めた。その瞬間に暴れまわっていた風はその場で礼儀を覚えて身を正し、彼女の杖に集まっていく。それと共に光は一点に集まり密度を高め――そして放たれる閃光。それが自らの胸に到達する直前に地面を蹴り飛ばしたオメガ。間髪入れずにもう一撃入れるラムダ。オメガは寸前で再び地面を蹴ったが、すぐに着地する地面が足元に無いことに気付いた。そこは絶壁の真上だったのだ。彼は崖下に呆気なく落下し、ラムダの視界から彼の姿が消えてしまった。しかし、ラムダは顔色一つ変えようとしない。杖先を彼が落ちた崖下に向けたまま、一歩ずつジリジリと詰め寄っていく。視界からオメガが消え、どこから彼が飛び出してくるか分からないその状況は、まるで薄氷の上の様な危うさである。ゴクリと固唾を呑み込み、崖下を覗き込んだ瞬間に気付いた――彼はどこにもいない。ただ、海が崖の足元で絡まり合っているだけだ。
オメガはどこに行った?まさか崖縁を伝ってどこかに……?
緩やかな一瞬の最中、そう思考したラムダが視界に収めたのは、崖にポッカリと空いた穴であった。それは崖の中腹辺りに存在しており、人一人がギリギリ入れそうな大きさである。まさか――とラムダが急いで振り返った時には既に手遅れであった。彼女の真後ろで土がボコッと盛り上がり、そこから姿を表したのはオメガ。彼の顔面には笑顔が貼り付けられている。ラムダはすぐに彼に杖を向けたが、既にその時にはオメガの拳が彼女の顔面に。ラムダは二十メートル程後ろに吹き飛ばされ、背中から木に激突した。ぐわんぐわんと視界が揺れ、顔全体がとても熱い。イマイチ視界全体に焦点が合わず、口元には鼻血の感触がベッタリと。そんな様子のラムダの元に近付いてきたオメガは、どうだと言いたげな顔付きだ。
「俺の勝ちだな」
「やっぱりあの距離からだと私が負けちゃうな」
「負け惜しむな。どの距離から始めようがお前より俺の方が強い」
彼女は不服そうな表情を浮かべ、
「……あっそ」
その後ラムダは観念してオメガと共にアスフォーダル西方に向かった。そこにいたのは五メートルを超える赤の竜であった。そんな魔獣をいつもの様に二人で倒し、集落に戻ると家の建設の手伝いを頼まれた為、嫌がるラムダをオメガは説得して二人は夕焼け時までその手伝いをした。家を建て終わった二人はいくらかの感謝の言葉と共に食料を貰った為、オメガはラムダの不平不満を聞き流しながら黙々と貰った食べ物を胃に入れた。
そして訪れた夜。二人は寝床につく前にとある場所に寄る事にした。
集落北部、村長の住む建物の裏。そこにあるのは丸い石に花冠を被せ、その手前に蝋を置いた墓石の列。どの墓も簡素的であり、並びもガタガタであると言わざるを得ない。大きさは家が一つ建つ程度の小さな物であり、こぢんまりとしている。よく見てみると備えられた花の菊は触れれば簡単に砕けそうな程に弱く、蝋も毎夜の風で白い涙を流しては地面を固くしている。墓石には名前すら刻まれておらず、苔が斑に付いている。草むらは膝の高さで風を受けており、互いに擦れる音はどこか骨の鳴る音に似ている。虫の音はこの場所だけ途切れており、遠くの魔獣の音すら届かない。集落とはすぐそこで地続きに繋がっているはずなだが、この一角のみは何故か別の時間軸が流れているかの様である。そんな墓場の一つ、その前にしゃがみ込むラムダとオメガ。二人共目を瞑りながら両手を前に合わせており、その手前に置かれた花は見るからに新しい。
そこはオメガの両親の墓。オメガが二人を亡くしたのは、十二年前の事であった――。
当時、ラムダとオメガの齢は六を迎えてすぐの頃であった。ラムダもオメガも魔法に目覚めておらず、肉体の方も年相応であった。オメガは両親との仲が非常に良く、頻繁にラムダを連れて四人で狩りや漁を行っていた。オメガの両親はラムダを実の子の様に扱っており、ハイター含むラムダの両親とも良好な関係であった。二人は存在しているだけで集落を明るくし、その小さな社会の循環をスムーズにしていた。
集落全体を揺るがす事件が起こったのは、そんな時であった。
ラムダ、オメガ、そして彼の両親――彼らがいつもの様に漁に出かけた後、夜になっても誰も帰ってこなかったのだ。次の朝、その事に気が付いた長老のヴァニタスは集落の者全員に捜索を行わせたが、アスフォーダルのどこにも彼らの姿はなかった。彼らはこの島から忽然と姿を消してしまったのだ。ある者が、彼らは魔獣に連れ去られ南の島・リフォストに行ったのではないかと言い出した。曰く、彼は異様に大きな白色の魚の魔獣が海に潜りながら南に向かうのを見たらしい。その後、リフォストに向かい四人を奪還すると言い出した者が多数現われたが、長老は彼ら全員に南に向かうのを禁じ、ラムダ達を死者として扱うとした。勿論ヴァニタスに歯向かおうとする者も中にはいたが、長老が涙ながらに南に渡る事を禁じる所以を述べると、その姿を見た皆は無理矢理にも自らの溜飲を下げざるを得なかったのだ。
そうして数週間が経ったある日、とある者が南の浜辺に横たわる四人を発見したのだ。彼は急いで彼らの脈と息があるかを確認したが、オメガの両親は既に石の様に冷たくなっていた。彼は断腸の思いで両親を浜辺に置いていき、残るラムダとオメガを集落に連れ、安静な場所に寝かしつけた。その時、ラムダが手の平に何かを持っていたのに気が付いたのだ。
それは指輪であった。水面の様に滑らかな鋼の輪、その天辺にはザクロにも似た真紅の宝石が。少し楕円に曲がったその指輪は、太陽にかざすと赤い灯火が辺りを反射する。
二人が意識を取り戻したのはそれから数日後の事であった。二人共最初の内こそ意識が朦朧としており、会話も出来そうに無い様子であったが、すぐにはっきりとした意識を取り戻した。しばらくして何が起こったのかを長老が質問し、彼らが語り始めたのは、とある者が言っていた事と同じであった。
その日、四人はアスフォーダル北西の小川で魚を捕まえようと四苦八苦していた。ラムダはガムシャラに魚に突っ込んでは捕まえるのに失敗し、オメガは近くにあった丈夫な枝の先端を研いで銛を作ろうとしていた。真夏の太陽が空高く昇っていた時間帯と言う事もあり、何もしなくても汗ばんでしまいそうな程には暑かった。
しかし。
その場にいた四人が、突如冷ややかな空気を感じた。それはまるで肌にへばり付く様であり、不気味で、不可解な現象であった。まるで空気が喉元にナイフを当てているかの様に動けなくなり、鳥肌が全身を覆い震えが止まらない程に寒いはずなのに、顔からは汗が吹き出て仕方がない。全員が全員声一つすら出せなくなってしまい、何だか周りの音すら歪んで聞こえ始めた。その瞬間、彼らの耳元に届いたのは何かの足音であった。ザッ、ザッ、と葉を踏み土を掘る様な足音が、こちらに近付いてきている。ザッ、ザッ、と。その足音が大きくなるにつれ、ジワリジワリと体中から嫌な汗が吹き出し、段々と呼吸が浅くなっていく。オメガの父は無意識に一歩前へ出て、枝の銛を中途半端な角度で構えた。母はラムダとオメガを背へ寄せる様に肩を引き、指先が小さく震えている。誰も何も見ていないのに、全員が『見られている』と言う感覚だけを共有していた。気付けば魚もどこかに姿を消しており、その足音以外の全ての音はどこかに行ってしまった。ザッ、ザッ、と。徐々に大きく、徐々に確かに。そして――。
ゲコリ。
どこかで蛙が鳴き声を上げた瞬間、『足音の犯人』が彼らの前に現われた。
その魔獣は一目だけ見るとまるで人間の様な形状であるが、全身が影の様に黒く染まっており、両腕には肘から手に掛けて木の枝の様な物がビッシリと生えている。その顔は鳥の様に口と鼻が混ざり合いながら前方に大きく飛び出しており、両目と思わしき部分には黒い斑な点があるのみだ。頭部、首、胴体には墨の様な黒の体毛がシームレスに繋がっており、その体からは常に腐臭を漂わせている。大きさは人間の成体と大差は無いが、それはまるで魔獣の悪意が濃縮された様であった。
そこから先の事は良く覚えていない。その魔獣に触れられた瞬間意識を失い、目覚めた時には知らない天井が目の前に広がっていた。真っ白で、所々にミミズの様な凹凸がある天井だ。視界の外からは魔獣が互いに唸り合う音が聞こえてきて、体の後ろ半分がやけにひんやりとしている。何とか逃げ出そうとしても、体の制御は金縛りの様に一切として受け付けていない。そしてもう一度曖昧な意識が暗闇と混ざり合うと、次に目覚めた時には見慣れた集落に戻っていた――。
あの時に連れ去られたのは四人であったが、実際に生きて帰ってきたのはラムダとオメガのみであった。長老が生き残った二人にその事を伝えた際、オメガは激しく動揺し嘔吐もしていたが、ラムダはただボンヤリと俯いたままであった。
次の日から二人は肉体と魔法の修行を始め、そして着々と力を付け始めた。彼らの心に刻まれた傷は確かに彼らを高みへ目指す理由を与え、二人を有史以来の天才へと変貌させたのだ。
オメガの両親の墓石の前に屈み込む二人。相も変わらず墓場の周辺には不気味な雰囲気が広がっており、ヒュウヒュウと壊れた楽器の様な音が鳴り続けている。ラムダが目を開けて隣を見てみると、オメガはまだ目を瞑り何かを祈っている様子であった。祈りを捧げるその指には、あの時に授けられた真紅の指輪が。
何も言わずに彼の横顔を眺めているラムダ。今年で十八になった彼の顔は、両親を失った頃と比べてたくましく、落ち着いて見える。彼の堅物で冷静な性根が顔から溢れてきていると言っても良いだろう。
五分程そんな横顔に見惚れていると、ようやくその目が開かれた。彼がそのまま立ち上がったので、ラムダも遅れて立ち上がった。オメガの顔には僅かに細められた両目と固く結ばれた口元が。彼のそんな表情からはどこか物悲しさが感じられる。
彼は墓に目を落としたまま、
「……ラムダ、まだ言ってなかったが、俺の中で災害を止める以外にもう一つの目標があるんだ」
「何?」
真紅の指輪がつけられた自分の右手に目を移し、
「十二年前、俺の両親を殺したあの魔獣をブッ殺す。俺がアイツの頭を叩き割ってやるんだ……ラムダ、お前も協力してくれ」
「それは大層立派な目標だね。私も応援したくなっちゃうけど……復讐とか興味無いんだよね」
彼はラムダに目を移すと、
「お前なあ、もう少し――」
「でも、私の親友が泣いていたんだ。だから君を泣かした奴には一度、ギャフンと言わせても良いかもね」
彼女の言葉は何の感情も読み取れない程に淡々としていた。しかし彼女の大きく見開かれた目は、強く握られた拳は、彼女の奥底にある怒りの炎がどれ程にまで燃え盛っているのかを伝えるのに充分すぎた。オメガは彼女の様子を見て思わず笑ってしまい、それ以上何も言う事は無かった。
そして一週間が経ち、訪れたのは旅立ちの日。朝日が二人を優しく照らす南の浜で、ラムダとオメガは引いては押す海辺の波を眺めている。リフォストに向かう為のボートは既に浜辺に浮かんでおり、現在は波が穏やかになるのを待っているのだ。
澄んだ海に澄んだ空。それらが混じり合う場所にぽつんと浮かぶリフォスト。飽き飽きしてしまう程にいつもと変わらない光景ではあるが、何故だろうか、いつもと異なりリフォストが大きく見える。
一体あの島で何が待ち受けているのだろうか。オメガがぼんやりとそう考えていると、自然と自らの腕が震え始めた。何とか収めようと手首を掴んでみたが、当然の事ながら収まる気配は一切無い。オメガのそんな様子を見ていたラムダは、
「腕、震えてるじゃん。やっぱり怖いんじゃないの?」
オメガは腕に視線を向けたまま、
「……武者震いだって言ってるだろ」
それから間もなくして、二人を載せたボートが海に放たれた。波風が一切立っておらず、天候もこれ以上無い程に穏やかなその状況は、まるでリフォストが二人を歓迎しているかの様である。
しかしこれ以降、二人がリフォストに帰る事は無かった。
南に向かったラムダとオメガは、両名ともその島にて命を落とす事となる。そして着実に月日が流れていき、約束された災害の後に世界に遺された物は――。




