第五.五話 端書き
ラムダとオメガ。私はあの二人を気に入っている。ラムダはこの街にある全てに目を輝かせ、私の言う事を素直に聞いてくれる。それに彼女が保有する多大な魔法の中には、リフォストにはその概念すらも存在していない物も数え切れない程ある。彼女がこの一ヶ月間バーレーンにいるだけで、この街の文明は少なくとも十年進んだ。もし世界を滅ぼす災害さえ無ければ、恐らく、と言うか間違いなく、彼女は数万年先も語り継がれる伝説の存在となっていたに違いない。それだけに、私の力と知能が足りなかったばかりに、『こんな結末』を迎えなければならないのが本当に惜しい。もしかしたらラムダならば私の干渉がなくとも一人でに災害を退けたので無いかとも思ってしまうが……いや、もう後戻りは出来ない。私は、私が選んだこの道を進み続けなければならないのだ。
そんな彼女を正しい道に導いてくれたのがオメガ。彼もまた、災害さえ無ければ歴史に名を残す英傑になっていただろう。彼はラムダに足りない物事に対する深い洞察力、観察眼を兼ね備えている。お陰で彼は私を最後の最後まで疑い続けていたが……まあ、あながち間違いでもないか。彼らに隠し事があるのは事実なのだからな。そこに言い訳は無い。戦闘においては魔法面、腕力面共にオメガは若干ではあるがラムダに劣っていると言うのが正直な所。しかし彼の強みは土壇場での冷静さ。大雑把な炎の攻撃は通用しないと判断すると炎の羽衣を纏い、魔法での一騎打ちが膠着状態と見るとその身一つでラムダに向かって飛び出していった。その判断能力がこの後の戦闘にて発揮されない事を強く祈っている。
十二年前、アスフォーダルに赴いた際に攫った人物がラムダとオメガであったのは本当に単なる偶然であった。当時はまだバーレーンが強国の一つとして認められていなかった為、何か成果を得なければならないと焦っていた。ラムダの中に潜む圧倒的なポテンシャルに気が付いた時、私は思わず口元を緩めてしまった。まだ現状では活用の方法を思い付かないが、何か有用な事に使えるはず。そう判断した私は盗聴と盗撮の機能が付いた小型の指輪を彼女に与えた。オメガが代わりにそれを装着したのは想定外ではあったが、二人は基本的に常に行動を共にしていたので、何の問題はなかった。本当はそのまま誘拐して二人に世界の真実を語ってあげたかったが、私の手違いでラムダの両親を殺してしまったし、何より自ら制定した国際法に自分の首を絞められてしまった。
十一年前、リフォスト極東に位置するナパージュ半島にある巨大隕石の痕跡を訪れた。簡単に言うとクレーターと言う奴だ。そこに行くのは初めてだったが……まあ、見事な物であった。飽くまで目算ではあるが、半径百メートルはあっただろう。隕石が落下してからかなり時間が経ったのか、クレーター内部にも緑は繁茂しており、その中心には水溜まりができていた。その時視察をした理由は、その湖内にて未知の生物を発見したと言う報告が後を絶たなかったからだ。その湖自体は小規模であり、結論から言えば新発見の生物は一匹も見つからなかった。しかし、代わりに興味深い物質を獲得した。湖の水質調査の為、派遣員がその水を濾過した所、他の湖、川、海では見た事の無い物がフィルターに引っかかった。それは一見するとただの白い粉であった。しかしそれを派遣員の一人が誤って口にした所、意識の混濁が見られた。そしてそれから数時間後、彼の身に異変が起き始めた。体の細胞が無機物へと変化を始めたのだ。彼の体が、徐々に岩へと置換されていったのだ。これを読んでいる君は私が何を言っているのか理解出来ないと思う。何が起こっているのか、私にも理解出来なかった。それから私はその白い粉の研究を始めた。隕石の跡から取れたその物質を『星降りの粉塵』と名付け、その理解に努めた。
一月前と少し前、ラムダとオメガがリフォストに来ると知った際は思わず小躍りして喜んでしまった。どうやってあの強者の二人をリフォストに『招待』するかに数年間も頭を悩ませていた為、その手間が省けたと知った時は本当に嬉しかったのだ。数億ドルと八年の月日を掛けて開発したサイボーグ状の補助具を装着して二人を出迎えた。その補助具に埋め込まれた二つの魔法なんて必要ないと思っていたが、まさか両方ともラムダとオメガの戦闘にて使用するとは思わなかった。私は二人の力を低く見積もっていたのだ。特に対象の意識を一瞬奪う魔法が無ければ、確実に私はオメガに殺害されていたであろう。あの戦いで補助具は使用不能になったが、まあアレに掛けた金と時間は無駄ではなかった。オメガから尻尾を巻いて逃げ、ラムダをリフォストに連れ去った。無論オメガが私達を追ってこられるように途中途中に血痕を残した。
私が彼女に世界の形を語った際、ラムダは存外冷静であった。それ所か彼女はこの世界に強い興味を持ち、オメガが来るまでの間、ずっとアレは何コレは何と子供の様に質問を重ねていた。彼女の無垢な好奇心は天然温泉の様に無限に湧き続け、その度にこの世界に目を輝かせた。そして気が付いた。あらゆる事象に興味を持ち、前に進み続ける彼女に比べて、私は既に歩む事すら止めていた事に。私は自らの可能性に絶望し、自身に対する探究を怠っていた。もし私自身がより一層強くなる事が出来れば、私一人の命だけで世界を救えるかもしれない……いや、駄目だ。こちらの方法は既に試したが上手くいかなかったじゃないか。だからこそ未来ある若者二人の命も差し出して世界を救おうとしているのだ。たった三つの命。それだけでこの世に確実に安寧がもたらされる。ならばそちらを選ぶのが人間と言う物だ。
それから三日半して、オメガもバーレーンに辿り着いた。予想では一日も経たずに到着すると踏んでいたので、それよりも遥かに遅れて辿り着いた彼に私は少し失望した、と言っても嘘にはならないのだろう。まあただ、『失望』と言う言葉に言い表される程度には失望はしていなかった。それは例えば、百メートルを九秒ピッタリで走る選手がいるとして、彼が本番において9.3秒だった、と言う程度だ。そもそも私の様な一般人には生きてバーレーンに辿り着く事すら不可能なのだからな。しかし超巨大樹の麓にて、彼の姿を生の目で見た時、その理由が分かった気がした。満身創痍。彼は私との戦闘において負った傷を癒しもせずずっと歩いていたのだ。私は、オメガのラムダに対する愛情……いや、彼らの文明にそんな感情の概念があるのか知らないが、要は彼女を大切に思う気持ちを見縊っていた。オメガはラムダ抜きでは生きていけないのだろうな。
彼に世界の真実を教えている間は常にヒヤヒヤしていた。念の為にバーレーン北部の人々には避難をしてもらっていたし(私達の文明は彼のそれとは大きく異なる事を示す為にわざと車を何台か行き来させたが)、オメガが気付いていたかは知らないが、私の周りには常に十人の護衛隊が付いていた。だから万が一彼が暴れ回っても問題は無いと思っていたのだが、まさか本当に一発殴られるとは。いやまあ、私は彼の両親の命を奪った訳なのだから、殺されなかっただけ奇跡と言うべきだな。彼がネストで疲弊していなければ、私はあのオークに似た醜い魔獣の様に首を刎ねられていたのだろうから。
次の日、私は二人とバーレーンを見て回った。雑貨店にファッション店、魔道具店に本屋――彼らのバイタリティは凄まじく、一日の内に多くの場所を転々とした。正直に言って、楽しかった。十九の時に戦争で友、妻、彼女の腹にいた子を失って以降政界に身を置いてきた為、こんな風に誰かと一緒にいる事の楽しさを忘れていた。他者と忌憚なく語り合うのはこんなにも楽しかったのかと、何度そう思った事か。彼らと共にいる時は常に、自らの中に眠っていた人間としての感情が舞い戻っている気がした。この世界とは隔絶された場所で生まれ育った彼らの視点は興味深く、また彼らの口から出る言葉は新鮮であった。
まあただ問題が無かった訳でも無い。魔道具店でラムダの為に買った鉄の杖は正直目を見張ってしまう程には高かったし、彼女が元々持っていた杖は燃えるゴミとして捨てたが、不燃物ではないかと業者に怒られてしまった。何ならその杖を粉々にしようと魔法を放ったり、圧縮機に掛けてみたが、何故かあの形を保ったままだった。一体何の素材で作られていたんだ、あれは。最終的にこっそりと海に流してしまったが、大統領としてモラルに欠けた行動をしてしまったと後悔している。どうか今頃魚の餌になっていますようにと祈ろう。
その後、二人は大喧嘩を始めた。二人はアスフォーダルに帰島するべきかどうかが論点であった。本気バトル(この名前が不恰好に聞こえるのは私だけなのだろうか?)をこの目で見たのは初めてだったのだが……そうだな、飾らない言葉で言うと、私は恐怖に慄いていた。氷と炎の螺旋が空間を支配していた時は歩く事はおろか呼吸すら困難であった。何なんだ、あの出鱈目な力は。辛うじて歩行が可能になりあの螺旋の根本に辿り着いた時には、二人は何やら言い合っていた。耳を澄まして聞いてみると、未だにアスフォーダルについて言い合っているではないか。彼らは周りが見えていないのか?頼むから、リフォストに住む人間達の事を慮って欲しいものだ。彼らの愚痴を書きたくはないのでこの話はここまでにするが、その後、オメガはその場を去り、ラムダのみが残る事になった。正直、驚いた――と言うよりかは嬉しかった。心の中では狂喜乱舞、ガッツポーズを取っていた。私の当初の作戦において、最も困難だと思っていたのは二人の仲違いであった。その為に様々な仕掛けを施していたのだが、まさかその全てを使う事なく目的を達成するとは。もうすぐだ。あと数手打てば、この世界は救われる。
つい先程、私は横たわるラムダの口に水に混ぜた星降りの粉塵を運び、喉の奥に押し込んだ。そして彼女の為にオーダーメイドした黒の仮面を付けさせると、暗闇の奥で彼女の瞳が開いた。本当に、本当に申し訳ないと思っている。私が、私達リフォストの人間が無力なばかりに、こんな若者達に世界の重圧を背負わせる事になったのだ。罪悪感に胸を押しつぶされそうになりながら、私は少しずつ遠のいていく彼女の背中を見送った。残りの事は、普段は存在すら信じていない神とやらに祈る事にした。
汚れた命を一つと、若き命を二つ捧げます。どうか、この世界を救って下さい。




