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第五話

時は少し遡る。

 ククリの街で装備を整えた我らが主人公、榊京介は胡乱な目つきで一方を注視していた。

 ゴブリン達と一線交えた地へ戻った京介は、ゴブリン達の足跡に混ざるアイリーンの靴跡が残された方向へ走った。

 足跡の方角以外大した根拠も無く走り続けて甲斐あって、お目当てのものと思しき物はすぐに見つかった

 小高くそびえた崖の上に、大口を開けるように構える洞窟。

「うおっ、あれだ。絶対あれだ」

 手で庇を作るように、逆光の洞窟をねめつける京介は前方で小さく動く物体を見つけて小さく『あ』と声を上げた。

 小さな槍を持った見張りと思しきゴブリンが二名。そして後方から交代要員らしきゴブリンがまた二名現れた。

 ……まずいな。交代制みたいなもんがあるのか。

 改めてゴブリン達の知能の高さに舌を巻く京介は、夜襲をかける選択肢を早くも放棄する。低級モンスターだと舐めてはかからない。言葉が話せないだけの人間を相手にするように作戦を練ってきた。

 相手は人間に近い頭脳を持った集団。こちらは多少武術、格闘技の心得があるだけの人間一人。馬鹿馬鹿しいまでの戦力差だ。

 それでもアイリーンを救出するためにはやるしかない。

 京介は小さく息を吐くと、リュックを草むらに降ろすと、お目当てのものを取り出す。その内二つを顔に装着すると、棒状の物体を構え、なるべく足音を立てないように洞窟へ近づく。

 一歩、二歩、三歩。

 つま先から体重を落とす事によって足音を殺し、小枝や砂利を踏まぬよう全神経を視線と足の指先に集中して歩を進める。

 周囲から発見されるのを防ぐためか、幸い洞窟回りは草木が多く、潜伏しながら近づくのは割と容易い。

 目下十メートルの距離まで近づくと、京介は筒状の物体に着いている紐を引っ張り、遠投の要領で見張りのゴブリンの下へ放り投げた。

 ボトリ、と鈍く小さな音と共に目の前へ投下された筒状の物体に、ゴブリンは警戒を露にした。

 ギャッ、ギャッギャッ!!

 と用心するように叫ぶと、爆発物だとでも思ったのか槍先を使って物体を遠ざけようとする。

 しかし、それより早く導火線の火が本体に着火した瞬間、ソレは起きた。

 ブシュウウウウウウウウッッ!!

 という噴出音と共に、白い煙幕がゴブリンの視界ごと周囲を包み込む。

「――――――ッッッ!!」

 初動の遅れたゴブリンが、増援を呼ぶ咆哮を上げるため空気を吸い込む。

 それが命取りだった。

 喉元から気管、肺腑に至るまで、燃えるような刺激がゴブリン達の内臓を蹂躙した。

 刺激に対する生体の防衛反応で、目から、鼻から、口からあらゆる体液がとめどなく溢れてくる。

 もはや呼吸もままならなくなったゴブリン達へ、唯一無事な聴覚が京介の声を捉える。

「はい御苦労様」

 京介の痛烈な前蹴りがゴブリンの喉元を貫いた。スニーカーのつま先がめり込み、喉仏の軟骨を粉砕する。

 声を上げる間もなく一匹目のゴブリンが蹴り倒されると、襲撃犯の気配を感じたゴブリンが目を閉じたまま首だけを回すがまるで無意味。

「そらもう一丁!!」

 背後からの中段回し蹴りが側頭部を蹴り抜き、糸の切れた人形のようにゴブリンは倒れた。

 念のため首と頭を強化した足で重点的に蹴り転がし、動かなくなったのを確認する。

「上手くいった上手くいった。ありがとう我が工業高校。ありがとうモノづくり系動画のみなさん」

 ゴーグルとマスクを撫でながら、奇襲の功労者である細い円筒状の物体を京介は見下ろす。

 先ほどククリの街で購入した蜂駆除用の煙筒。こちらは導火線を引っ張るだけで着火し、大量の煙をまき散らす便利グッズである。

 しかし、ただ視界を奪うだけでは不十分。

 京介はさらにそこへ大量の唐辛子粉が煙に混ざるように改造し、視界を奪いつつ強烈な刺激で身動きを封じる作戦に出たのだ。

 第一段階がひとまず成功した事にほっと胸を撫でおろしたのも束の間、洞窟奥からどたどたと足音の群れがこちらへ来るのを感じ取った京介は再び導火線に火をつけた。

 目指すは洞窟最奥。

 洞窟は緩やかな上りの傾斜で煙が上へ行きやすいのも好都合。

一定の間隔を走りながら煙筒を投げ、視界を奪っては強化した身体能力で急所を殴打し行動不能にする。言葉にすれば単調な作業を繰り返すことによって京介は進み続ける。

「……ここっぽいな。無事でいてくれよアイリーン」

 緊張で強張る身体を無理やり動かし、恐る恐る扉に耳を立てる。

 中で聞こえてくるのはアイリーンと人間の男のやり取り。何度も扉を蹴り破りたい思いが弾けそうになるが、隙を伺うため堪え続ける。

 男の容赦ない詰問と突っぱねるアイリーン。しびれを切らした男がアイリーンを殴りつけるのが聞こえた時――京介の血が沸騰した。

 勢い任せに全体重を足裏に乗せて、扉を蹴り飛ばす。

 バキ! という蝶番の軋む音と共に、扉が盛大な音を立てて壊れる。

 扉が内部へ向かって倒れ、派手な音と共に土埃が舞い上がる。

 部屋の中央奥にX字型の磔に手を吊り下げられたアイリーン。その脇でレイピアを構えた男に京介は怒鳴る。

「……何してんだテメエ!」

「あなたこそいきなりやってきて何をしているんです? あなたは関係ないのですから引っ込んでいてもらって――」

「何しているんだって聞いてるんだ!!」

 京介の怒声が空気を震わせ、男をきつく睨み据える。男はため息と共にレイピアを乱暴に床へ放り投げると杖を構え、唇を開くと詠唱を紡ぎ始める。

「――させっかよ!!」

 男が言葉を発するより早く京介はギフトを解放。左半身の構えから地面を強く蹴り、左拳を突き出す刻み突き。全格闘技の中でもトップクラスの飛距離とスピードを誇る伝統派空手の技である。

男の視界からは急に眼前に京介が現れたかのような錯覚に陥った事だろう。そのまま縦拳が顔面にめり込み、男の顔が後ろに吹き飛ぶ。

「がッ!」

 苦悶の表情を浮かべる男へ、京介は右前蹴りの追撃。正確に鳩尾を捉えた突き刺すような蹴りは臓腑が跳ね上がるような痛みを与える。

「がッ、ごッ、ご、ごほッ!!」

 今度は男が胃内容物をまき散らし、のたうち悶絶する。アイリーンの意趣返しが出来た京介だが追撃は止まらない。

 見たところ明らかに魔法使いだ。手の内の分からない京介は、一切の油断なく男の顔を腹部を首を執拗なまでに蹴り飛ばす。

 喧嘩の必勝法は至極単純、先手必勝だ。一発入れれば高確率で二発目三発目は入るのだから、後は動かなくなるまで追い打ちをかけ続けるだけだ。

「はあ、はあ、そろそろいいか……?」

 ギフトで身体能力を強化しても、精神的疲労は変わらない。人を殴り続けるストレスに京介は息を上げると、ようやく蹴るのをやめた。

「殺しちゃったの……?」

 恐る恐る、といった体でアイリーンが尋ねるが、京介はゆるゆると首を横に振る。

 目を凝らして男を見下ろすと、僅かに胸が上下している。虫の息だが生きていはいるようだ。怒りで視界が染まった京介もさすがに人間を殺す度胸はない。

「待ってろ、今助けてやるから」

 京介はアイリーンの手首にかかった鎖に手をかける。幸いにも細い鎖を何重にも巻き付けただけなので、倍加した腕力で思いのほか簡単に引きちぎる事が出来た。

 手の自由が利くようになったアイリーンはそのまま倒れ込むように京介に抱き着いた。

 胸と胸が合わさるような形になり、胸板に感じる柔らかさに京介は場違いな興奮を覚えた。

 そんな京介の心中もお構いなしにアイリーンは京介の背中に手を回すと、抑えていたものが溢れるように泣き出した。

「バカ! バカ! なんで来たの!? 魔法使い相手なら殺されたっておかしくなかったのに! あなたを巻き込まないように手紙まで置いていったのを読まなかったの!?」

「もう既に巻き込まれていたし、あれで放っておけるわけねーだろ」

「なんで!? 私なんて一緒にクエストを受けただけの間柄でしょ!? ほとんど他人じゃない……! 何をそんなに私なんかに!?」

「まーそれはだな……」

 照れくさそうに頬を掻く京介が、内心を吐露しようとしたとき、するりと背中に潜り込むような感触を感じた。

 背筋を貫通し、一瞬の冷たさとすぐさまやってくる焼けるような熱。既視感に襲われる京介は背後を見やる。そこには荒い息を吐く男が、鬼のような形相で迫っていた。

「クソガキが……! 魔法の心得もないくせに、私を好き放題殴ってくれて!!」

 見ずとも苦い経験で理解する。背中に深々と刺さるのはナイフ。奇しくも全く同じシチュエーションに陥った。

 口から血がこぼれ、膝から力が抜ける。遅れて状況を理解したアイリーンは悲痛な叫びを上げた。

「キョウスケ……! イヤアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

「やかましい!! これ以上手を煩わせるな!!」

 怒りのままに男は京介ごとアイリーンを蹴り飛ばす。二人は壁の端に吹き飛ばされ、京介はアイリーンに覆いかぶさるように倒れた。

 男は服の誇りをパンパンとはたいて落とすと、首を鳴らして二人を見下ろす。

 瞳は怒りに燃え、殺気を全身にみなぎらせている。その姿は先ほどまでの弱弱しさはなく、京介からのダメージが完全に抜けていた。

「あなた、どうして動けるの……」

「こいつのおかげです。まさかこんなガキに使う事になるとは思ってもみませんでしたがね」

 男は懐から小瓶を取り出すと、アイリーンの目の前でもてあそぶ。

「エリクサー……!」

「ご名答。冒険者に限らず裏稼業(こういう事)やっているなら必需品でしょう。もっともあなたたちは持っていなさそうですがね」

 見せつけるように男は薄く笑うと、アイリーンは歯噛みする。男のナイフは幸いにも急所は外れているが、出血の量が多い。すぐに手当てをしないと命に関わる。

「そっちのガキはまだ生きていますね。そいつは見逃してもよかったんですが顔を見られた上に殴られたんじゃあ、生かしちゃおけませんね」

「ッ! やめて!! それ以上キョウスケを傷つけたら許さないわよ!!」

 庇うようにアイリーンは京介を抱きしめると、立ち上がろうとする。しかし、一向に体は上がらず、石像のように動かない。

 思わず下半身をみやると、足は小刻みに震え続け、腰は完全に砕けていた。

「このッ! 何で……! お願い、動い、てぇ……ッ!!」

 勢いよく太ももを叩くアイリーンだったが、足はすくみ動かない。

 その姿に男は口角を上げて大笑い。

「許さない!? ろくな魔法も剣も使えない! そのくせ命の危機になれば子供のように震える事しか出来ない!! いざという時に立ち上がれないお嬢様が何を息巻いているんですかねえ!?」

「くっ、このっ、うううううううう!!」

 悔しさと情けなさで歯噛みするアイリーンの目じりに涙が浮かぶ。しかし、恐怖ですくむ足は一向に立ち上がらない。

 男は哄笑し続け、狭い室内にしばし笑い声が響き続ける。男の一言一句がアイリーンのプライドと良心をズタズタにしていく。

 とうとう耐え切れずに涙が零れた。

 地面に落ち続ける雫の痕が数えるのも馬鹿らしくなった後、男の大笑がピタリと止んだ。

「そろそろ時間です。そのガキにトドメを刺した後、じっくりと拷問して吐かしてやりますからね。覚悟してくださ――」

「誰にトドメを刺すってんだ?」

「――――なに?」

 男の眉尻がピクリと吊り上がる。

 声を発した京介はゆっくりと立ち上がると、脂汗を垂れ流しながらこちらへ向き直る。

 息は荒く、顔は青ざめてほとんど死に体だ。それでも立ち上がり、構えを取る。

この瀕死の男のどこにそんな力が残っているというのか。

「どうして、立てる……?」

「何でも俺のギフトは身体能力を倍化する能力なんだとよ。タフさや痛みに堪える力も上がってるんだろ……! いーいギフトだぜ神様!! 何せ前に刺された時は立ち上がれなかったからなあ!!」

「くそっ! やっかいな能力を!!」

 男は杖を構えて詠唱を始める。

 確かに身体能力を高めるギフトはシンプルに脅威だ。スキルも魔法も使えない子供とは思えないほどの膂力のカラクリを理解したが、同時に男は安堵した。

 たしかに脅威ではあるが、見たところこの少年の強化倍率はそう高くない。

 身体能力上昇系のギフトの中には瞬時に傷を癒したり、常人の十倍以上の剛腕を振るう者もいる。しかし、京介のは身体能力全般を底上げする代わりに倍率はさほどでもない。いいとこ2~3倍だろうと男はあたりをつけた。

 ならば回復する前に魔法でケリをつければよい。

火炎球(ファイヤーボール)!」

 男が唱え終わると、サッカーボールほどの焔が杖から飛び出し、京介目掛けて直線的に飛んできた。

「うおらぁっ!!」

 京介は裂帛の気合と共に左拳で炎を叩き落とした。拳に伝わる熱は脳の神経を焼き切り、痛みの信号は脳髄をスパークされる。

 肉の焦げる音と匂いにアイリーンは声にならない悲鳴を上げ、男は口元をほころばせる。

 これで左腕は死んだも同然。

 体術を主に使う京介の戦力はかなり削ぐ事が出来た。

 しかし、京介は焼け焦げた手で燻る炎を振り払うと、余裕綽々の笑みを浮かべる。

 額に脂汗の浮かんだブラフスマイル。決して倒れるわけにはいかない男の根性だけで形成される笑み。

「……こんなもんかよ」

 なんだと、と男が言うよりも早く京介の刻み突きが男の顔面は殴り飛ばした。

「がっ! ………お前、どうして動ける!? 私の魔法が効いていないのか!?」

「いや? すげー痛くて気絶しそう」

「イカれてるぞお前……! 雑魚がやせ我慢を!!」

 度の超えた痛みで逆に笑顔を浮かべる京介に、男はたじろぐ。後ずさりで距離を取り、ふたたび詠唱を始めようとする男に京介は世間話でもするかのように話しかける。

「なーなー、ところでアンタ変だと思わないのか?」

「何がです?」

 男は話に付き合うふりをしながら男は距離をとる。

「確かに俺は雑魚だよ。奇襲でアンタを一回倒したけど、そのあとの魔法には全然対応できないし、ここに来る前もゴブリンに殺されかける程度の腕前だよ」

「そうですね。見ていましたから知っています」

「ああ、やっぱりあのゴブリン達を指揮していたのアンタだったんだ。どうやったか知らないけどすげえ賢かったもんな。おかげで大苦戦だったよ。さっきも煙筒使って不意打ちするのがやっとだった」

 何を分かり切った事を。と男は訝しむが入口の扉まで距離を取れた事に内心ほくそ笑む。

「それでもゴブリン達を倒せたのですから大したものですよ。あれには驚きました」

皮肉を込めた賛辞を贈る男は詠唱の準備に入ろうとしたが、次の京介の言葉で顔色を変える。

「うん、本当に倒せたと思うか? 煙の中奇襲したくらいで? 出来るわけねえだろ」

「馬鹿な、じゃあなぜ」

 言い知れない悪寒が男に走る。

 何か、何か大きな事を見落としている予感がする。眼前の少年は満身創痍。かたやこちらはエリクサーで完全回復し、魔法を十分に放てる距離にいる。この距離ではあの厄介な体術もさすがに届くまい。

 それでも、この胸に這いよる焦りは何だというのだ?

「アンタはゴブリン達の知能を高くしすぎだよ。家畜じゃあるまいし……。あんな扱いされていて、それで反逆の機会に恵まれたら、あいつらどうすると思う? 相当ひどい扱いをしてきたみたいだしな。ちょっと煽ったらすぐに協力してくれたぜ」

 挑発するように京介は笑う。普通に考えれば苦し紛れのハッタリ。

 それを払しょくするように男は反駁する。

「場当たり的なハッタリはやめて頂けますか? アイツらは自分たちが裏切ればどうなるかよく分かっています。現に先ほどあなたの侵入を知らせる連絡を私にしてきましたしね」

 穴だらけの理論展開に男は拍子抜けしたように笑みを返す。しかし、京介も不敵な笑みを崩さない。

「それが裏切り者だって言ってんだよ。それよりいいのか、そんな扉の近くまで行って」

 何を、と男が言いかけた時、扉が勢いよく開かれた。

「――やっちまえ! ゴブリン!!」

 京介の合図と共に緑色の物体が目の前に現れる。ゴブリンか確認するより早く男が詠唱を始めると、京介は勢いよく地を蹴り。拳を突き出しながら飛び出す。

 しかし、半歩届かず、京介の拳は男の顔付近で寸止めの状態になった。

「……惜しかったですね。あと少し距離が足りなかった。これが武術の限界です……。選ばれた人間のみが扱える叡智の結晶たる魔法には及ぶべくもない」

「…………」

 京介は答えない。拳を突き出し、上体はほぼ伸びきった状態で俯いている。

「ギャッ! ギャッ! ギャギャギャギャ!」

「うるさいですね……。裏切り者のあなた達は後で全員始末して差し上げますからコイツを殺すのを黙って見ていなさい」

 眼下で耳障りな叫びを上げるゴブリンへ、汚物を見るような眼差しを向けると男は京介に視線を戻す。

 先ほどから微動だにしない。とうとう諦めたか。

「それではそろそろ終わりにしましょう。私も暇ではないのでね」

「ああ、終わりだ。お前がな」

「この期に及んで何を……。分かっているのですか、私が一言唱えればあなたは焼け焦げて死ぬ。それで終わりです。」

「その一言言う間がありゃ十分だ。状況理解しているか? 今、俺の拳は銃と同じ。まさしく拳銃を突き付けている状態ってわけだ。引き金を引くのと唱えるのどっちが早いと思う?」

「馬鹿馬鹿しい。……死ね」

 男は苛立ったように吐き捨てると、口を開く。

 自分が一言、唱えれば火球が今度こそこの目障りな男の顔を焼き尽くす。数秒後に訪れるであろう未来に男はほくそ笑む。

 しかし、京介の弾丸の方が早かった。

「お前がくたばれ」

 京介は男の顎先までわずか数センチの距離へ拳を伸ばす。縦拳の状態から90度回転しながら放たれる拳は正確に顎へ飛び出し。

 ガアン!! という音と共に顎を打ち砕いた。

 顎先から捻じれるように男の首が回り、拳に骨を砕いた感触が跳ね返る。

 足の指先から足首へ、足首から腰へ、腰から肩へ、肩から拳へ。

 正確無比な体重移動から生じる打撃は腕の振りをさほど必要とせず、全体重を乗せた一撃と化す。

 それはいわば全体重を拳に乗せた体当たり。中国武術で言うところの寸勁、近代格闘技ではワンインチパンチと呼ばれる技だった。

 ぐるり、と男は白目を向き、後方へ倒れ込むと後頭部をしたたかに打ち付けた。仰向けに倒れたままピクリとも動かなくなったのを確認すると、京介は勝利の口上を述べる。

「格闘技ナメんなファンタジー野郎」

 己の積み上げてきた確かな技術と体で今度こそ完全に勝利した。誇らしげに胸を張る京介だったが――

「やべえ、もう限界だ」

 そのまま同じように後方へ倒れていく。

「危ないわよキョウスケ」

 受け身を取る準備をしていたが、柔らかい体に抱き止められる。必死に首だけなんとか動かすと泣き笑いをしているアイリーンと目が合う。

 泣きはらした顔はひどい有様だったが、それでもめいいっぱいの笑顔で京介を歓待してくれたので京介は自分が無茶をした甲斐があったと思えた。アイリーンは一部が炭化した京介の左手を労わるように撫でると再び泣きそうな声になる。

「どんだけ無茶するのアナタ……! 街のゴロツキとは違う、本物の魔法使い相手に真っ向から喧嘩を売って。本来なら殺される可能性の方がずっとずっと高かったのに、なんで私なんかのために戻ってきてくれたの?」

「そのことなんだけど」

 さっきは言えなかったけれど、と京介は罪を自白する被告のような面持ちで語る。

「俺さ、目の前で妹を殺されたんだ」

「……………………え?」

 アイリーンの思考に空白が出来る。目を驚愕に見開いたまま硬直し、受け止めた手がぎゅっと強張る。

「そいつは妹にしつこく付きまとっていたストーカー野郎でさ。何度も追っ払っていたんだけどキリがなくて。それで我慢の限界だった俺はアホな事にそいつを呼び出したんだ」

 舌の上に不味いものを乗せたように、苦渋の表情を浮かべる京介。

 一言一言、言葉を発するたびに、寸鉄を喉に差されるような激痛が走る。

「……それでどうしたの?」

「俺は腕には覚えがあって、そいつを徹底的に痛めつけて二度と妹に近づくなって誓わせようとしたんだ。そしたら背後から刺されて終わり。俺を何とか助けようとした妹も一緒に刺されて死んだよ」

 抱き留める形になったアイリーンの肩に、ぽたぽたと雫が落ちる。そのじんわりとした温かさにいたたまれなくなったアイリーンだったが、それでも懸命に耳を傾ける。

 これは自分が耳を塞いではいけない話なのだと自分に言い聞かせ、視線で続きを促す。

「要は調子に乗っていたんだよ俺は。ちょっと腕っぷしに自信があるからって余裕かましていたら、あっさりと死んじまった。俺も妹も」

「でもあなたは生きているでしょう!?」

「俺は女神様とやらに生き返らしてもらったんだよ。もうすぐ復活する魔王を倒したら願いを叶えてくれるって。そんな荒唐無稽な話に乗っかって、違う世界から転生してきたんだ」

「そんな、話……」

 アイリーンは驚愕で二の句が継げない。

 女神?

 魔王?

 違う世界?

 確かに存在するとは聞いているが、それにしても話が突飛すぎる。

 目を白黒させるアイリーンに京介は自嘲気味にぼやく。

「お前、俺を頭のイカレたやつだと思うだろ。そうだよな、いきなりこんな話信じる方がおかしいよな。俺だって今も半信半疑だ」

「そんな事ないわ!!」

 アイリーンは食い気味に否定する。京介の顔をぐいと掴むと、利発そうな瞳で真っ直ぐに見据える。

「ナメないでちょうだい。これでも人を見る目には自信があるの。あなたがそんなくだらない嘘をつく人間でない事くらい分かるわ」

「――――――ッ」

 京介は息を呑む。完成された美術品のような美貌の持ち主に至近距離で見つめられただけではない。この身寄りも知人もいない異世界で、全幅の信頼を置いてくれる誰かがいる事が、こんなにも心強いのだと京介は思い知らされた。

 胸にじわりと温かい感情が渦巻き溢れそうになる。心臓は早鐘を打つように拍動し、今すぐこの少女を抱きしめたい衝動に駆られる。

 少し動かすだけでこの華奢な少女の腰を抱き止められる。

 ――今ならその場の空気で押し切れないか?

 恐る恐る、されど自然に腕を腰に回そうとした時、


「――ソロソロイイダロウカ?」

「ひゃあああああああああああッ!?」


 余計な邪魔が入った。

 顔を赤く染めた両者が飛びすさると、アイリーンは驚愕を露にする。

 ゴブリンはいつの間にか男をロープで縛り上げ、やや呆れたように腕を組みながらこちらを見上げてくる。

「あなた喋れたの!?」

 心外だ、という風に肩をすくめると、たどたどしい言葉で非難めいた言葉をゴブリンは口にする。

「シャベレルヨウニナッタ、トイウホウガセイカクダナ。オカゲデドレイノヨウナマイニチダッタ」

「あー、言い忘れてたけどこいつら喋れるんだよ。俺たちの会話も理解していたらしいんだ。そこの男のギフトは動物に知能を与える能力らしいんだわ」

 京介も信じられないようにゴブリンの知能の高さに舌を巻き、ゴブリンは下に見られていた事に鼻白む。

「ワレワレガアタマガヨクナカッタノハジカクシテイル。ソレヨリモ、ホラコレヲ」

 ゴブリンは男の懐を探ると、お目当ての物を発見し京介に向かって放り投げた。

 無事な左腕で京介がそれをキャッチすると、エリクサーだった。

 京介は一瞬戸惑うも、ふたを開けて勢いよく喉へ流し込んだ。

 途端、淡い光が京介の全身を包み込み、悲惨な状態だった左腕はもとより全身の痛みと傷が癒えていくのを京介は感じ取った。

 すっかり元通りになった手を開閉し、問題ない事を確認するとゴブリンに礼を言った。

「すげえなコレ。助かったよ。サンキュー」

「……レイニハオヨバナイ。ワレワレハオマエニスクッテモラッタ。オマエハヤクソクヲマモッタ」

 救ってもらった、という言葉にアイリーンは疑問符を浮かべていると、京介が説明する。

「俺さ、こいつらに奇襲をかけた時に、とどめを刺そうと思ったんだ。その時に実は俺の言葉を理解しているんじゃないかって思って、試しに話しかけてみた。そしたらやっぱり喋れたんだ」

 そしたら殺せなくなっちゃって、と京介は伏し目がちになる。

「必死に命乞いをするもんだからとりあえず事情を聞いたら、やりたくもない事を無理矢理やらされているって……。それで交換条件として見逃す代わりに俺に協力してもらったってワケ」

「ワレワレカラシテミレバネガッタリカナッタリダッタ。ソコノオンナヲタスケタルニハ、ワレワレヲイイヨウニツカッテイルオトコヲタオセバイイトオシエタ」

「んで目的の一致した俺たちは連携してコイツを倒せた」

「ソノトオリダ」

 共闘した二人に友情のようなモノが芽生えたのか、二人は屈託のない笑みを浮かべる。二人の空間がすっかり出来上がっている事に、アイリーンはぽかんと口を開け、世にも珍しい光景にただ困惑した。

 人間と低級モンスターが笑いあっている。

 自分が書物で学んだ世界からは想像も出来ないような光景にアイリーンはすっかり面食らっていた。

 ひとしきり笑いあった後、京介は切り替えるように男の方へ顎をしゃくる。

「それで? 倒した後の事は決めてなかったが、アイツはどうするつもりなんだ?」

「……ワレワレニマカセテホシイ。コイツダケハユルセナイ」

「……分かった。任せる」

 ゴブリンの昏い、怨嗟に満ちた声に京介は即座に従った。

 本来ならば警察のような機構に任せるべきなのだろうが、呪詛のような情念を孕んだ言葉に京介は事情を察した。

 ピイ、とゴブリンが指笛を吹くと、ぞろぞろと奥から仲間らしきゴブリンがやって来た。縛られた男を複数人で担いで部屋の外へと運び出していく。

「いいの、キョウスケ……?」

 その後の男の運命を察したアイリーンが目配せしてくるが、京介はあえて無視を決め込んだ。

言外に殺すと言っていたも同然のゴブリン達を京介は否定も肯定せずにただ眺める。

 身内を殺された気持ちならば、自分にも理解できた。だから、奇麗ごとを言う気は毛頭無い。

 冷徹な目でゴブリンの一行を見つめる京介に、これ以上の問答は無意味と悟ったアイリーンは、ようやくレイピアを拾い上げると腰に差す。

 長居は無用とばかりに京介の袖を引き、自分の命を救ってくれた少年に感謝を述べる。

「帰りましょうキョウスケ」

「そうだなアイリーン」

 屈託のない真っ直ぐな笑顔に、思わずアイリーンの顔がほころぶ。

 胸が高鳴る。熟れた果実のように頬が赤くなる。

 この感情の名前は知っている。だが、まだ認めるのは早計だ。

 だから、ほんの少しだけ関係を進めよう。

 自分の最も大切な部分のひとかけらを、この誠実でお人好しな彼と分かち合おう。

「…………アイリ」

「ん?」

 京介は聞き返すと、アイリーンははにかむ。

「――――アイリ、私の愛称。特別な人だけに呼ばせる私の名前よ」

 そうして彼女は、花の咲くような笑顔を見せた。


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