第三話
野卑な視線を睨み返し、前傾姿勢の京介は飛びかかってきたゴブリンへ素早く左ジャブを放つ。
「シッ!!」
「ギャッ!」
京介のジャブは正確にゴブリンの鼻っ面を捉え、カウンター気味にもらったゴブリンは堪らず鼻を抑えて仲間の後ろへ下がる。
「くそったれ!! こうも数がいちゃあ、じり貧だぞ!!」
苛立ちを吐き出すように京介はゴブリンへ悪態をつく。
京介とアイリーンの二人は背中合わせ互いの死角を補うように構えているが、いかんせん相手は円陣を組むように京介達を囲んでいた。
敵の数は優に20匹は超えていた。
背中を見せれば背後から襲われるのは自明の理。ならばと背中合わせで互いを庇いながら戦うが、動ける範囲が限定されるだけに攻撃も決め手に欠ける。
おまけに負傷したゴブリンは追撃されるより早く、仲間のゴブリンとスイッチする形で奥へ引っ込むものだから敵戦力は実質削れていないに等しい。
「はあ、はあ、はあ………」
アイリーンの呼吸が荒く、疲労の色が濃い。窮地における戦闘は極限の緊張から、集中力と体力を根こそぎ奪っていく。
「ギャッギャッギャッギャ!」
「痛っ!」
ゴブリンの投石がアイリーンの右大腿に直撃。痛みに顔を顰めるアイリーンだが、アドレナリンのおかげか膝を折らずに気合で持ちこたえる。苦悶の表情が愉快なのか、下卑た笑い声が森中に響き渡る。
「おい、大丈夫か!?」
「おかしい……」
「何が!?」
「こんなの絶対おかしい!! これだけ統率された戦術を見せる下位小鬼なんて聞いた事ない!! あいつらは知能も低くて、こんな人間みたいな戦い方が出来る筈がない!!」
アイリーンは混乱したように叫ぶ。
京介も同意見であった。明らかにこれは高度な知能を持った作戦、戦術であり、本能で生きる生物の行動とは到底思えなかった。だがしかし、
「でも実際出来てるじゃねえか!?」
「知らないわよそんなの! 習っていたのと違う……! このままじゃ本当に殺される!!」
半ばヒステリーを起こしたように叫ぶアイリーンに京介もいよいよ生命の危機を抱き始める。
――まずいな。
京介は背後を振り向けないもどかしさに襲われながら、アイリーンを気遣う。
表情は見えないがパニックを起こす寸前だ。
焦りは脳をふやけさせ、緊張は手足を鉛と化す。
すると、こちらの状態を察したらしく、徐々にゴブリンのサークルが中心に向かって縮小してきた。
とどめを刺す気なのは明らか。このまま接近を許し、前と左右から同時に攻撃を食らえば早々に京介達は殺されるだろう。
同胞を殺された恨みか単なる食欲か。殺意が形を持って近づいてくる事に京介も焦りがピークに達しようとしたその時。
「わああああああああああああああっっっっ!!!」
アイリーンが遮二無二に突っ込んだ。
アイリーンの体がボウ、と光る。そして真正面のゴブリン目掛け加速の勢いそのままにレイピアを突き出す。
「『隼突き』!!」
完全な勢い任せだったが狙いは的確。軽戦士のスキル、隼突きは正確に真正面のゴブリンを貫き、息の根を止めた。だが、しかし、
「突くなバカ!!」
思わず振り返った京介の叱責で、アイリーンは我に返る。
集団戦において武器を失うリスクのある突きは厳禁であり、斬撃に向かないレイピアやエストックでさえも斬りつけの戦法に移行するのがベターだ。その基本を忘れるほど狼狽していた。
がっしりと掴まれた剣先が引き抜けない。
貫かれたゴブリンは絶命までの僅かな間に、レイピアをつかみ、死後の硬直によって武器を封じに来た。
全体を生かすため個を捨て犠牲になる。明らかに知能ある生物の戦法だった。
アイリーンは夢中になってレイピアを引き抜こうとするが、筋力不足なのか中々抜けない。その隙を敵が見逃すはずもなく、片側の円陣を絞ますようにアイリーンへ全方位から急接近する。
瞬間、京介の血液は沸騰する。燃える激情をその身に纏わせギフトを発動する。底上げされた身体能力でアイリーンを抱きかかえると、眼前のゴブリン目掛けて突進する。
「ダメ! あのレイピアだけはダメなの!!」
アイリーンが何事か叫ぶが構っていられない。
「どけえええっっ!!」
アイリーンが隠れるように右肩を突き出して渾身のショルダータックル。囲われた状態から脱するには最も効果的な方法だった。
面食らったゴブリンは強烈な衝撃で吹っ飛ばされ、左右のゴブリンは右足、左足で順番に蹴り飛ばす。
力尽くで包囲網を突破した京介は全速力で逃走する。
勝ち目がないなら逃げの一択。せっかく集めた薬草も諦め、京介は夜の森を駆けていった。
〇
見知らぬ洞窟にもぐりこんだ京介は、肺腑から全ての空気を吐き出しながらその場にへたり込む。
「ぜーっ! ぜーっ! もう限界だ!! 2倍どころじゃねえ、5倍の力は使った気分だ!!」
酸素が減るだけのは分かっているが、悪態をつくのが止まらない。膝は笑い、手足の筋肉は随意運動を無視するように痙攣を続ける。ゆえに京介は唯一自由に動く口先だけで不自由へのささやかな抵抗をしていた。
しばらく荒い呼吸を繰り返したのち、京介は膝を抱えているアイリーンへようやく話しかけた。
「どうだ? ちょっとは落ち着いたか?」
「……………………」
沈痛な面持ちをし続けるアイリーンに京介は頭をぼりぼりと掻くと、言い訳がましくフォローする。
「あれを置き去りにしちまったのは悪かったよ。すげー奇麗な装飾品が付いていたし、高いもんだってのは分かるけど、それでもあの状況じゃあ――」
「そうじゃない!!」
洞窟内に響き渡るほどの怒声に京介はたじろぐ。今日であったばかりとはいえ、あのアイリーンがここまで怒りを露にするとは流石に予想外だった。
「あれはお金の問題じゃないの」
「? 思い出の品とかか?」
「あれは母さんを探し出すたった一つの手がかりなの!!」
なに? と京介は思わず身を乗り出す。
金銭に換算出来ない思い出や愛着ならばと京介はあたりをつけていたが、まさかそこまで深刻な内容とは露ほども思わなかった。
「わ、悪い。そんな大事なものとは知らなくて……」
「あなたが謝る事じゃないわ。命を助けてもらったんだもん。それに私が最初にヘマしたのをあなたはフォローしてくれただけ。徹頭徹尾、私の責任よ」
「そこまで自分を卑下する事はねえだろうよ」
困り果てた京介は先ほどよりも強く頭を搔きむしる。女の、特に泣いたり落ち込んだりした女の対応はとにかく苦手だ。こういった時にスマートな対応が出来ないから自分はモテない男なのだと、謎の角度から京介は自虐した。
とりあえずポケットからハンカチを渡すと、アイリーンは無言で受け取る。
涙をぬぐい、顔を上げたアイリーンは泣きはらしたように赤い目をして、じっと京介を見据える。
諦観と困惑、怒りと自責がない交ぜになった瞳。これだけでアイリーンの渦巻く感情を訴えてくる。
堪らず京介は視線を逸らす。理屈で自分に非がないのは胸を張って言えるが、冷徹になれない少年は罪悪感に押しつぶされそうになる。
「――私、母さんの顔もほとんど覚えてないの」
ポツポツと、唐突にアイリーンは語りだす。それは感情を整理させるための吐露のようでいて、ごちゃ混ぜになった想いを落ち着けるためのようでもあった。
「私ね、自分で言うのもなんだけど、これでも結構なお嬢様なの」
それはそうだろう、と京介は内心で頷く。身なりが奇麗なのもそうだが、何より気品がある。町娘や荒くれの冒険者とは根本的に人種が違う。
「大きいお屋敷に大勢の使用人。何不自由なく育ったし、優秀な家庭教師もいたから趣味程度だけど剣術も魔法も少しだけ使えるようになったわ」
「今のところいい話にしか聞こえないぞ?」
けどね、とアイリーンは言葉を区切る。唇を引き結び、口に出すのを拒むような姿勢を見せるも、やがて耐え切れないように唇は決壊した。
「でもね、それはみんな見せかけ。陰ではみんな私をバカにしてたし、邪魔者扱いしていたわ」
「そりゃまたどうして」
「私が妾腹だったからよ」
「……………………そうか」
盛大な溜息をつきたい衝動に駆られるが、京介はぐっと堪えた。上流階級の仕組みなど全く知識の無い京介だったが、それでもアイリーンが陰でどの様な扱いを受けていたかは想像に難くなかった。
「私は覚えていないけれど、すごく小さいころにお父様が私を引き取って来たんだって。一番上の兄以外はみんな大反対していたらしいけど……。お父様がお義母さま含めた全員を何とか説得して私は屋敷に迎え入れられたわ」
「その、言いにくかったら言わなくていいんだが、虐待とかは」
言いづらそうに尋ねる京介に、アイリーンは力なく笑う。
「ないない。私は半分とはいえ当主であるお父様の血を引いているし、お父様も出来る限り庇ってくれたわ。だから表立って私にひどいことを言ったりやったりしてくる人はいなかったわ」
でもね、とアイリーンは再び泣き出しそうな表情を作る。
「目で分かるの。心の奥底では私を拒絶してるって、お前は私たちとは違うって」
京介は目を閉じた。
人間は敏感な生き物だ。特に敵意や悪意といったものには殊更過敏に反応するように出来ている。目は口程に物を言うでないが、そういった針の感情を刺され続けてきたのだろう。
瞳の奥底に潜む明確な排他的意識。それら無形の悪意に曝され続けてきた彼女の心痛は如何ばかりか。
「…………同情してくれるの?」
「いや、それは……」
思わず京介は顔を背ける。下手な同情や憐憫はかえって相手のプライドを傷つける。瞳から感情を読み取られた京介は羞恥と不甲斐なさで二の句を継げられない。
「ありがとう、あなたって本当に優しいのね」
くしゃくしゃになった笑顔が京介の心に刺さる。そして、どうしようもなく彼女の貼り付けられた笑顔を引きはがし、本当の素顔を向けてほしかった。
上手い言い訳も慰めも思いつかぬまま時間が過ぎる。それでもこの空気に耐えられなくて、京介は自ら墓穴を掘る。
「そのレイピアは……?」
「これはね、私がついこの間誕生日を迎えた時にお父様がくれたの。『お前の母が私に預けた物だ』って」
愛おしそうに、剣の抜けた鞘を撫でる。そのいたたまれない姿に京介は愚問だったと後悔した。
「そしたらね、私、居ても立っても居られなくなったの。顔も知らない母さんに会いたくなって、少しのお金と着の身着のままで屋敷を飛び出してここに流れ着いたの。そしたらアナタに迷惑かけて、唯一の手がかりまで失って。本当に、本当にバカみたい」
「んな事ねーよ!!」
今度は京介が激高する番だった。目を白黒させるアイリーンに自制を失った京介の口から言葉が感情のままに吐き出される。
「家族に会いたいっていう感情の何がいけない!? そのまま屋敷にいれば安泰だったのに危険を冒してまで探しに行ったんだろ!! そんな想いを笑うやつがいたら俺がぶちのめしてやる!!」
想いのままに、京介は奥底に留めていたものをぶちまける。
確かに結果は振るわなかった。しかし、それはあくまで結果論であって彼女の行動は狂おしいほどの母への情愛がさせたものだ。妹への思いで異世界くんだりまでやってきた京介に彼女を笑う事など決して出来なかった。
半ば自分へ向けた言葉だったが、京介は肩を怒らしている自分に気づき、深く息を吐いた。
「……分かった。明日、明るくなってからもう一度あの現場に行こう。アイツらがいなかったらレイピアと薬草を回収してダッシュでククリまで戻る。それでいいか?」
「…………ありがとう」
消え入るような声でアイリーンは再び顔を伏せると、小さくすすり泣くような声が耳に届いた。
京介は努めて聞こえないふりをしながら、起こした火を背に洞窟の入り口を見つめる。
大分走ってきたからゴブリンの追っ手が来るとは考えにくい。
既に睡魔は襲ってきているが、持ち前の精神力で抗う。
――せめて今だけは襲ってきてくれるなよ
京介は誰にともなく祈った。命の危機からではない。あの少女が落ち着くまででいい、せめて今だけは安らかにいられる時間のためだった。