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第一話

まばゆい光に目をつむる事数十秒。

失われていた身体の感覚を取り戻すと同時に視界が開け、京介は思わず息を吞んだ。

「……何だここ」

 見渡す限りの人、人、人。繁華街もかくやという人の往来でごった返している中に、京介はただ一人立たされていた。

 人込みの多さにもやや気気後れするが、それよりも京介の目を疑わせたのは人々の服装だった。

「ゲームやアニメでしか見たことないようなカッコウしているやつしかいねえ……」

 あまり月並みな表現はしたくないが、中世ヨーロッパ風というのだろうか。明らかに露出の多い女戦士や古めかしい恰好をした露天商、重装備の騎士など創作物の中でしか見ないような出で立ちの人間ばかりで面食らうばかりだ。

「…………ちょっと」

 この世界がアテネのいう異世界なのだというのは直感で理解できた。

 非現実な事象は先ほど散々見てきたわけで、今更驚くに値しない。

「…………ちょっとアナタ!」

 アテネは魔王を倒せと言っていた。魔王が何か京介には皆目見当もつかないが、最終的な目標は出来た。それならば当面は情報収集に努めるか――


「ちょっとアンタ!! 聞こえているの!?」

「わあっ!!」


 耳元に響く怒声に思わず京介はのけぞる。

 キーンと震える鼓膜に痺れながら、思わず怒声の発生源に顔を向けると硬直した。

 胸が高鳴る。

 心臓は早鐘を打つように昂ぶり、呼吸は浅くなる。

「さっきから心配して声かけてんのに何無視してるの? 具合でも悪いのって聞いているのに!!」

 憤懣やるかたないといった少女の声も京介の耳には半分も届いていない。

「…………こんな美人、初めて見たな」

「……は、はあ!? いきなり何よあなた!? 大人しそうな顔して歯の浮くような事言って、ナンパだったら引っかからないからね!?」

 満更でもなさそうに少し頬を赤らめた少女の顔を、京介はまじまじと観察する。

 歳は自分と同じ十六、七か。やや栗色がかった髪は黄金を溶かし込んだように煌めき、切れ長の蒼い瞳の下には泣きボクロがあり色っぽい。

 シミ一つない肌は水すら弾くように弾力がありそうだ。

 フリルブラウスというのだろうか、胸元の大きなフリルが愛らしく、紺色のロングスカートも清楚さを感じさせる。

 ただ一つ気になるのが、腰に帯びたレイピアがやたらと豪奢でやや服装にそぐわない点だった。

「ねえ、本当に大丈夫? さっきもボーっとしていたし、何かの病気だったりしない?」

 背は彼女の方が少し高く、京介を僅かに見おろす形になった少女が訝し気に窺う。

 京介は動揺を悟られないように努めて冷静に言葉を返す。

「ああ、大丈夫だ……。心配してくれてありがとよ」

「本当に? 何だったら医者のところにでも連れて行って――。と言いたいところだけど私もこの辺の地理全然分かんないのよね」

 申し訳なさそうに頬を描くその仕草さえも一つ一つ絵になる。京介は今にも赤面しそうだった。

「君もこの辺の人間じゃないのか? 俺も来たばっかりで全然この辺の事は分からねえんだ」

「あっ、やっぱりおのぼりさんだったのね。よくわからない服装しているし。それってどこの民族衣装?」

 京介の学ランを指さす少女は今にも吹き出しそうだった。

 昔懐かしの黒い詰襟の学ランを密かに気に入っていた京介は少しだけ憮然となると、少女は慌てたように首を振った。

「ごめんごめん! 馬鹿にしたわけじゃないの! そのデザイン、なかなか素敵だと思うわ。布地やボタンだってとっても上等な布地で出来ているし」

「ありがとう。この制服は俺も気に入っているんだ」

 お気に入りの服を誉められた京介は相好を崩すと、少女に名乗る。

「俺は榊京介。君の名前は?」

「アイリーンよ。よろしくね京介」

 差し出された手に京介は少し逡巡するも、数舜遅れて握手を求められているのだと察した京介は恐々と彼女の手を握り返した。

「ところでアイリーン。君はどうしてここに来たんだ? 話しぶりからして君もここに来たばかりみたいだが」

「ええ、ちょっと物入りで――ってああ!! もうこんな時間! 急がないと午前の受付が終わっちゃう!!」

「ええっ! ちょっ! 何だよおい!!」

 ポケットから取り出した懐中時計を見てアイリーンは素っ頓狂な声を上げると同時に駆け出し、つられるように京介も並走する。

「何だよ! 何をそんなに急いでいるんだよ!?」

「説明は後! 着いてきてもいいけど、邪魔はしないでよね!?」

「何の話だ!?」

 よほど切羽詰まっているのかわき目も降らずに走り続けるアイリーンに、京介は必死に食らいつく。

 少女の脚力は尋常ではなく、体力自慢の京介ですら引きはがされそうになりながら、目的の建物にたどり着くと看板にはこう書かれていた。

――ククリの町冒険者ギルド支部


 〇


「はあ、はあ、はあ……あの女、どんな脚力してるんだ」

 息も絶え絶えな京介が呼吸を整えながら、先ほど視界に入った看板の文字を再び目で追う。

 冒険者ギルド。名前の通り、冒険者に仕事を斡旋してくれる仲介業者のようなものかと、サブカルチャーから得た知識でアタリをつけると、扉を開く。

「はー、こりゃすげえ」

 思わず呆れ半分、感嘆半分の声が思わず口から漏れた。

 そこは酒場と集会場が合体したような、混沌とした空間だった。

 赤ら顔でろれつの回らない男たちが野卑な言葉を投げ合い、昼間から酒盛りやギャンブルで盛り上がる集団。掲示板に張られた紙を、武装した男女が生真面目な表情で見つめながら何事かと話し合っている。

 呼吸も落ち着いた京介がきょろきょろと辺りを見回していると、お目当ての人物が受付で何やら揉めているのが目に留まった。

「どうして私にこの討伐クエストを受けさせてくれないんですか? 私は剣術の心得だってあるし、低級モンスターくらい倒せるわ!」

「そう申されましてもですね。アイリーン様はまだ依頼達成が0件ですし、モンスター討伐ですと基本は二人一組以上が慣例でして。私共としても駆け出しの方をあまり危険な目に合わせるのは依頼主にも受注者にも申し訳ないといいますか」

「むきー! 私じゃ実力不足だって言うの!?」

「そこまでは言っていませんが……」

「何やってんだアイツ」

 困惑する受付嬢とそれに食い下がるアイリーン。互いに意見を譲る気はないようで、堂々巡りの言葉の応酬が続く。

 よほど二人の声が大きかったのか、何事かと俄かに周りも注目しだし、さすがに止めるべきかと京介が声をかけようかとしたその瞬間。

「お嬢ちゃん、あんまりわがままを言うのはいけねえなあ」

 背後から男がアイリーンの肩をつかんだ。

 振り返るアイリーンはぎょっとし、思わず後ずさる。

 酒がかなり入っているのか顔は真っ赤に染まり、吐き出される臭気にアイリーンは思わず眉を顰める。

「あんたみたいなお嬢様が遊び感覚でこんなところに来るもんじゃねえ。もっとも、どうしてもと言うなら俺たちのパーティーに入れてやってもいいが」

「本当に?」

 思わぬ誘いにアイリーンは喜ぶが、二の句で顔を曇らせた。

「もちろんただってワケにはいかねえ。俺たちは男所帯だ。色々と寂しくてな……。後は分かるよな?」

 後ろの仲間らしき男たちに視線を送ると、その類似品めいた男たちも揃って下卑た表情を浮かべる。つまり、そういう事だろう。

「っ! 離して!」

 アイリーンは男の手を勢いよく払いのけると睨みつける。男は払われた手をさすると気分を害したように睨み返す。

「おい、女があんまり図に乗るんじゃねえぞ!」

 振り払われた手をそのまま振り上げ、勢いよく振り下ろされる。

 岩のように固められた拳が飛んでくるのを想像し、アイリーンは反射的に目をつむる。

 アイリーンの顔面に怒りの一撃が飛んでくる瞬間。

 ――ゴッ!!

 という鈍い音が室内に響いた。

「あー…………それまでにしてもらいましょうか」

 拳を額に受けた京介は気だるげに答え、背後のアイリーンが目を丸くする。

 いまだに額がじんじんとするのを堪えながら恭介は僅かに苛立ちを込めながら男に語り掛ける。

「まあ、ちっと俺の連れ合いが失礼な態度を取ったのは謝ります。ですが女でガキだ。ここは見逃してもらえませんかね?」

「それで見逃すと思うか?」

「……思わねえなあ。どうみてもアンタそういう手合いじゃねえもん」

 我ながら無駄な問答をした自覚はあるが、言い訳のためにも一応尋ねた。

 怒りのボルテージがさらに上がった男は、再び拳を固めて京介に向かい合う。

 京介の身長はぎりぎり百七十センチ。格闘家としては――否、圧倒的に小兵。

 対する相手は巌のような巨躯で京介より二十センチ近く高い。本来ならば馬鹿馬鹿しくなるほどの体格差である。

 強さとはサイズに比例する。柔よく剛を制すなど素人の戯言か理想論。

 柔は剛に絶たれ、蹂躙される。それが現実。

「――――シッ!!」

 ゆえに京介は工夫する。左足で一歩踏み込み、右足で渾身のカーフキック。

 しなるような足の甲の一撃が、男のふくらはぎを強烈に殴打した。

 反動で軽い電流が走るようなひりつきを足と共に京介は手ごたえを感じる。

「つうっ……!」

 痛みで顔をしかめた男の顔が下がり、京介はその隙を見逃さない。降ろした蹴り足で地面を踏みしめ渾身の右フックが男のこめかみを打ち抜く。

 拳に返る鈍い反動。

 衝撃は左から脳を伝播し、右へ突き抜け男の意識を刈り取っていく。

 男の意識はすでに飛んでいた。しかし、油断も予断も許さぬ京介は非情な一撃を放つ。

「とどめだ」

 両手を相手の首に回し、首相撲の姿勢から顔面に痛烈な膝蹴りを見舞った。

 ぐしゃり、鈍い音と共に鼻っ柱が潰れる感触。わずかに滑りを膝が感じたのは男の花から噴出した血液だろうか。

 一泊置いて男が白目を向いて倒れ込み――静寂がその場を支配した。

 しん、とした空気がしばし流れる。

 つまみを口に入れたまま呆ける男。

 汚いヤジを飛ばすのを忘れ硬直する手下。

 そしてアイリーンは思考を停止したまま目を白黒させていた。

「……あっ、て、てめえ! 兄貴になにを――――」

「――――――――あ?」

 殺気のこもった瞳で取り巻きの男を射すくめると、男は口をぱくぱくと開閉させると、

「っ覚えてやがれ!!」

 ありきたりすぎる捨て台詞を吐いて去っていった。

 京介は深くため息をつくと、放置された男をしばらく見つめていたが、やがて興味をなくしたようにアイリーンに向き直った。

「無事か?」

「へっ? あ、ああ、ええと無事ですハイ」

「なんでいきなり畏まってんだ」

「だ、だって、だって何が起きたかさっぱり……」

 水を向けられたアイリーンは周囲の困惑を代弁するかのように言葉を詰まらせる。

 あたふたとするアイリーンを見て京介は無事を確認すると、受付嬢に向き直る。

「お騒がせして申し訳ありません。あまりにもイラついたもんでぶっ飛ばしてしまいましたが……。まずかったですか?」

「いえいえ。明らかに正当防衛でしたし、私たちもスッキリしましたので目をつむりましょう」

 受付嬢が背後に向かって二言三言発すると、職員らしき人達が男を抱えると乱暴に玄関へ放り投げた。ぐえ、と帰るが潰れたような声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。

 京介は頭を掻きながら改めて受付嬢に確認する。

「ところでお姉さん。騒ぎを起こした直後で恐縮ですが、俺は最近ここに来たばかりで何かと入用でして。俺でも何か出来そうな仕事はありませんかね?」

 最終目標は魔王を倒す事ではあるが、喫緊の目的は資金集めだ。すでに腹の虫は鳴り始めているし、財布の中に入っているなけなしの全財産はこの世界では通用しまい。

 まずは衣食住を確保してから綿密な計画を練る。京介は早くも現実的な行動に移り始めていた。

 受付嬢の背後に張られたクエストには、薬草採集など明らかに駆け出し用の仕事が張られているではないか。当面の間はそれらを地道にこなしつつ、この世界について情報収集に努めよう。

「すみません、その薬草採集のクエストを受けたいのですが」

「畏まりました。それではギルドカードを拝見致します」

「ぎるどかーど?」

 京介は硬直する。

言わんとしている意味は分かるが、手のひらにじっとりと汗をかき始める。

ギルドカードとはおそらく身分証明書に近しい意味を持つものだろう。

京介はこの世界に来たばかりの異邦人で根無し草。つまり異分子のようなものだ。そんな人間に保証出来る身分などない。そして公的な身分を持たない者がどういった扱いを受けるのかを想像するだに京介は身震いした。

「その、俺実はまっとうな身分がなくて……。そういうの持っていないんです」

「それは……。ああ、でもご安心ください。出自を証明する物がなくとも、冒険者用のギルドカードは作ることができますし、クエストを受ける事も出来ます」

「本当ですか!?」

 京介の抱いていた怖れが霧散する。

 日本ではありえないような緩さだが、そこは異世界と感謝する。

 しかし、京介はさっそく出鼻を挫かれた。

「それでは登録料500ゴールド頂戴いたします」

「えっ」

 思わず聞き返した。

「えっ」

 思わず聞き返された。

 まさか身分無しの上に文無しなのか――

 受付嬢の視線がいよいよ哀れみを帯びてきたところでトントンと肩を叩かれ、振り向くと、そこにはニマニマと笑いを浮かべるアイリーン。

 小憎たらしい笑みを張り付け、財布らしき物を振るとじゃらじゃらと音がする。

「――立て替えてあげましょうか?」

「……………………お願いします」

 プライドが膝を屈するのは思いのほか早かった。


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