プロローグ
超久しぶりに小説書きました。章ごとにまとめて投稿しますので、第二章の方はしばらくお待ちください
「…………お、ま、えっ!」
腹部から生暖かい血が滴り落ちるたびに、自身の命が漏れ出ていく感覚を覚えると、少年、榊京介は毒づいた。
抵抗を試みた手足は鉛のように重く、糸の切れた人形を操作しているかのような錯覚に陥る。
腹部のナイフを引き抜かれると同時、膝に鈍い衝撃。
その鈍い痛みで自身が崩れ落ちたのだという事態を数テンポ遅れて脳がようやく理解した。
気力を振り絞りもたげた首は、夜闇に溶け込んだ黒いフードの男を見上げる。
やはりコイツだった。
何度注意しようと、半ば脅しのように追い払っても、しつこくこの娘に付きまとってきた半グレまがいのチンピラだ。
態度はでかく、素行は悪いがしょせん素人のチンピラと高を括っていた過去の自分を殴りたい衝動に駆られながら、京介は最後の気力を振り絞って男をにらみつける。
ごぼ、と京介の口から血泡が漏れる。
自身を見下ろす男はぶつぶつと何事が呻きを漏らすが、意識の混濁した京介の耳には言葉として入ってこない。後ろで泣き叫んでいるのは彼女だろうか?
瞬間、視界が男から妹の泣き顔に変わった。
彼女に抱き起されているのを理解した京介は一瞬の温かみと共に、瞬時に次の展開を予想し総毛立った。
男が彼女の背後に回っている。
振り上げるは鈍く光る白銀のナイフ。
それが振り下ろされた時の結末は言わずもがな。
逃げろ
頼むから逃げてくれ
京介の願いは言葉にならない。口からひゅう、と湿った声が風に流れるだけ。
迫るナイフがスローモーションに見える。
無駄と知りつつも声にならぬ叫びが漏れる。
そして――
凶刃はたやすく彼女の背中を抉り込まれた。
一瞬の静寂。
僅かに遅れて口の端から零れる血が、致命傷だと正面の京介にも理解できた。
言葉にならない京介の叫び。
男の耳障りな哄笑。
失われていく自分と彼女の体温。
目から溢れる涙と怨嗟の声が完全に途絶えた後――
少年、榊京介の人生は幕を閉じた。
〇
昏い、昏い、海の底で揺蕩うような感覚の中、意識は還る。
長い夢を見ていた気がした。
徐々に体に熱が戻り、弛緩していた四肢は次第に活力を取り戻す。
あれほど重かった瞼をようやっと開けると、そこは再び闇夜。
――ではなく、宇宙空間だった。
周囲にちりばめられた星々の輝きが目に眩しい。
いきなりの非現実的な光景に京介は、霞が晴れつつある思考を動かそうと躍起になっているところで声をかけられた。
「あー、やっと起きた? ヤッホー。元気してる? ってしてるわけないかー? ごめんね」
随分と若い声だ。
のそりと起き上がった京介は声の主へ視線を向けるとさらに驚いた。
少女の格好は明らかに人間ではなかった。
年のころは十代前半。若いというより幼い印象が強い。
乳白色の髪は肩口で揃えられ、あどけなさを濃く残した顔は快活なイメージを抱かせる。
「君は……? というか何だその恰好。古代ギリシア人?」
「あっはっはっはっはっは! 鋭い!! 君は世界史の成績いいタイプ? それとも創作物が好きな子なのかな?」
眼前で手を叩きながら少女は豪快に笑う。
薄くゆったりとした灰色の布地を被り、胸をバッテンの形にしたひもで縛りつけた衣服は教科書に出てくる古代ギリシアの衣服、キトーンそのものだった。
困惑する京介をよそに笑い終えた少女は、顔をずい、と京介に近づけ瞳をのぞき込む。
「それでね、榊京介君。単刀直入に言うけど君は死にました」
「…………」
「あれ、驚かないの? 今までの人達はそれで泣き叫んだり、意地でも現実を受け入れなかったりしたんだけどそういうリアクションは無し?」
「ちょっといきなり過ぎてそれすらで出来ん状態というか何と言うか……」
京介はかぶりを振って思考をクリアにしようと努めるが、一向に状況が呑み込めない。
見かねた少女は手を振ると、ブオンッという音と共に鏡が空中に現れる。
そこに映されたのはめった刺しにされている彼女の体だった。
「――――――ッッッ!!」
冷や水を浴びせられたように思考が凍る。先ほどまでの惨事の続きをまざまざと見せつけられ、冷えた思考はすぐさま沸騰に転じる。
「惨いね。多分死んでるのにさらにここまでやるなんて正気の沙汰じゃないよ」
「何を淡々と言っている!!」
怒りのままに京介は少女の胸ぐらをつかむ。息荒く、威圧するように顔を近づけすごんだ。
「ここはどこだ? 俺はなぜここにいる? どうしたらあの場に戻れる? お前は誰だ?」
「ん――最後の質問にだけ答えると神様かな? 名前はアテネ」
「ふざけるな!!」
口角泡を飛ばす勢いの京介だが、自称神様はどこ吹く風。口笛でも吹き出しそうな涼しい顔のまま言葉を続ける。
「ふざけてないよ、そのままの意味。私は神様で君らの生死について管轄しているの。さっきも言ったけど君は死んだの。だから私が連れてきて話しているのさ」
「そんなの信じられるわけ――」
「あとね、君さっきから」
少女の貼り付けたような笑みがわずかにゆがむ。
微妙な変化に京介が少したじろいだ瞬間
「神の肢体に許可なく触れるとは何事だ下郎が」
瞬時に京介の体は宙を舞った。
巨大な風圧に激突されたような衝撃に京介の体はボールのように転がされ、肺腑の空気を全て吐き出した。
「ガハッ、ゴホッ! ガッ……ハッハッ……」
のたうつ京介を見下ろす女神の瞳には嘲笑も憐憫も浮かばない。ただ無価値なものを見下ろすような淡々とした空洞な感情が浮かんでいた。
京介は自身を睥睨する少女が、自身の理解の範疇をたやすく逸脱した存在なのだとようやく理解した。
「――――俺は死んだ」
言葉にすると何と短絡で単調な響きか。
最悪それはいい。死んだのは事実なのだから。
「うん、残念だけどね。まあ、君は生前大した罪も犯してないし、そこそこの天国に行くか、次に生まれ変わっても人間になれると思うよ――」
「生き返らせてくれ、この通りだ」
京介は手のひらを地面につき、額をこすりつける。プライドなど無い。みっともなかろうが、藁にも縋る思いで嘆願する。
「……気持ちは分かるよ。でもそれは出来ない。御免ね」
同情の念の覗かせた言葉だったが、自称神の返答は謝絶だった。
「そこを何とか頼むよ! なあ、あんた神様なんだろ!? だったら人一人生き返らせるのなんて簡単だろう!? この通りだ!!」
「神様って言ってもね。いろいろルールとかしがらみとかあるし、第一そういうのは私の管轄じゃ――」
「たった一人の妹なんだよ!!」
少女の目が大きく見開かれた。あまりに予想外だったのか目をぱちくりとさせると、言葉を選ぶように問いかける。
「妹だったのかい……。私はてっきり友達か彼女かと……」
「彼氏のフリをしていたんだ。あまりにもしつこいストーカーがいるからって。俺、腕っぷしには少しは覚えがあったから」
手のひらを見つめる京介の体を女神は観察する。
なるほど、やや小柄ではあるがバランスよく筋肉のついた身体は中々に鍛えこんでいる。先ほど妹を襲った男は痩せぎすで、一対一の勝負なら確かに京介に分がある。
刺された原因はこれかと自称神は推測する。恐らく油断していたところを刺されて死んだというところだろう。
少女は天を仰いで嘆息する。神がいちいち人間ごときの生き死にに同情し、手を貸すなど自然の摂理に反する。反するが
「まあ、生き返らせられない事もないけど……」
「本当か!?」
「どうどう」
食い気味に近づく京介を女神は手で制す。ぬか喜びは酷だ。
これから出す提案はそれこそ地獄に垂らされたか細い蜘蛛の糸。その脆弱極まりない糸を登りきる覚悟があるのか、それを見極めねばならない。
アテネは仕切り直すように居住まいを正して小さく咳払い。
「あー、私としても未来ある若者が二人も死んでしまった事については流石に同情する。だから君にはチャンスを上げようと思う」
「チャンス……?」
「うん、実はね。世界っていうには君が思うよりずっとある。君はそのうちの一つに行ってもらって世界を救って欲しい」
「は、はあ?」
京介は予想の斜め上を行く話に思わず素っ頓狂な声を上げる。妹のためなら水火も辞さない自負がある京介だが、さすがに今回のは面食らった。
「その世界は魔王が復活しそうで色々とやばい状況でね。それをもし倒す事が出来たら君の願いを何でも一つ聞いてあげよう。それこそ君が生き返る事だって、君の妹を救うことだって」
「やるよ」
「そうだよね……こんな無茶な話、誰もやりたがるわけ、ってええ!? やるの!? 正気かい!?」
今度はアテネが面食らった。自分でも無理筋な提案だと思っていただけに即答に困惑する。この少年はいったい自分が何を口走っているのかと思わず見つめる。どこの世界に妹のためとはいえ世界を救う旅にほっぽり出される人間がいるというのか。
「あの、肉親どころか友達も知り合いもいない世界に放り出されるんだよ? 本当にいいの?」
「構わない。それであいつが帰ってくるのならば」
まじまじとアテネは京介を見つめる。
怖れも困惑もある。
嘆きや焦燥もある。
しかし、輝きを失ってはいない
大人になり始めたばかりの少年顔は静かに決意の炎を燃やしていた。
しばらく考え込むような素振りをするアテネだったが、やがて諦めたように息を吐くとゆっくりと口を開く。
「分かった。ひとまず君を異世界に転生させよう。そこはいわゆる剣と魔法の世界で復活しかけている魔王を倒すのが君の願いを叶える条件だ。私は直接手が出せない世界だから君に行ってもらう」
「それしか方法がないならやるよ。何だってやってやる」
「覚悟は固いようだね。いいよ。その迷いのない真っ直ぐな瞳、好きだよ」
アテネの手に光が集まり、それが京介の体にまとわりつく。段々と温かくなる感触に転移が始まっているのだと感覚で京介は理解した。
「それじゃあ、行っておいで。若者よ。ささやかな餞別くらいはあげるから、精一杯やってくるんだよ」
「ははっ」
「何がおかしいんだい?」
小さく笑う京介にアテネはやや気分を害したように唇を尖らせる。そんな仕草も可愛らしくて京介は再び笑いかける。
「いやなに、アンタけっこう優しいんだなって」
「…………バカ」
それが最後の言葉だった。光は完全に京介の体を包み込み、光と共に雲散霧消した。
静寂の訪れた空間でアテネは独り言ちる。
「あんなどぎつい世界に送り込ませる私が優しいわけないだろ、バカな子」