第14話 先鋒
《Overlord, Vespa 1-1, request picture.》
(オーバーロード、こちらヴェスパ1-1、空域の状況を教えてくれ)
空域に進入しながら早期警戒管制機に敵位置の通報を要請すると、
《Vespa 1-1, Overload, Single Group, Bullseye 150/ 40 30 thousand, track north, hostile.》
(ヴェスパ1-1、こちらオーバーロード、一グループの反応、基準点から方位150、距離40マイル、高度30000フィート、北へ飛行中、敵機だ)
距離をとって並んでいる二番機が、濃い青の空に航跡雲を引いていく。機体全体に施された水色とグレーの迷彩。向こうからも同じようにこちらが見えているはずで。 F-14トムキャット。イラン空軍が誇る双発の制空戦闘機。
もともと、アメリカが海軍の艦隊防空用に開発した機体だった。帝政イランにも輸入されたが、1979年のイラン革命で帝政が倒され、反米化する。それから何十年もの間、この機体の運用を続けることは茨の道だった。正規のルートで補修部品や搭載兵器が調達できなくなったのだから。ところが「群体」が現れて、世界中を滅茶苦茶に荒らし回り始めた。
「CCASって、聞いたことあるか」
「アメリカの大手民間軍事会社ですね」
「あそこが私らを支援してくれるそうだ。連中はまさに、猫の手も借りたい状況なんだろう。こっちはずーっと飼い主に牙を剥き続けてきたのにな」
この数十年の間にイランは独力でF-14を整備し、運用し続けるだけの力をどうにか身につけていたから、CCASからの資金提供とアメリカからの技術供与は鬼に金棒だった。エンジンの換装やアビオニクスの改修、搭載兵器の増産等により、稼働率が著しく上昇した。連中もそれだけ私たちの軍事力を、それによって守られるこの地域を重視しているのだろう。
《Overlord, Vespa 1-1, contact BRAA 180 60 31 thousand, declare.》
(オーバーロード、こちらヴェスパ1-1、本機から方位180、距離60マイル、高度31000フィートにコンタクト、識別を求む)
後席のザラがレーダー上で機影を捕捉。彼女に識別を求められたAWACSが敵機だと知らせてくれる。スコープ上に映る複数の機体は、たしかにこちらに接近し続けていた。HSDの画面を切り替えて、ザラが見ているレーダー画面と同期。と、彼女がレーダーの捜査距離を切り替えた。
40マイルまで接近。敵機の数は三。二番機と交信して建制順を確認。トリガーに指をかける。
《Vespa 1-1, Fox 3.》
(ヴェスパ1-1、フォックス・スリー)
鈍く小さな音が聞こえた数秒後には、発射したミサイルが目の前で上昇していく。非常に高価な長距離ミサイルもまた、CCASの莫大な資金がなければ再生産など出来なかった。米軍でさえとっくの昔に退役させたミサイルだ。連中は本気で、ペルシャ湾と中東の油田地帯を防衛するつもりらしい。
レーダーを捜索追尾モードにして複数の敵機を追跡しつつ、私が発射したミサイルは二発。二番機は単一目標追尾モードで一発。ミサイルはあっという間に高高度まで駆け上がり、位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら敵機に向かって突っ込んでいく。母機からの中間誘導が終わり、内蔵シーカーによる終末誘導に移行。しばらくすると、レーダー上から敵機の反応が消えた。
《Vespa 1-1, timeout.》
(ヴェスパ1-1、ミサイルの到達予想時間経過)
全機撃墜したようだ。
戦果を確認したAWACSから、哨戒を続けろと通達。帰投後にはキルマークを描き足すことになるだろう。
ふと気になって、背後を振り返る。バイザー越しにザラと視線が合う。射貫くような双眸が、こちらを見つめていた。
黒チャドルを着て外出したのは何日ぶりだろうか。
田舎だからか、この街には保守的な大人が多かった。テヘランのような大都市から逃れてきた若者たちは息苦しいと感じているらしいが。彼らの気持ちも分からないことはない。私だってハリウッド映画を見たり、フライドポテトを食べたりしたい。鬱陶しいヒジャブを脱ぎ捨てて、スターバックスのコーヒーを飲みたい。空軍の顔となってしまった今では、どれも叶わぬ夢ばかりだけれど。
これも田舎によくあることだけれど、敬虔なムスリムが多かった。それほど信心深くはない私も、時々思い出したかのようにモスクへ足を運んだ。郷に入ればなんとやらというやつだ。今は断食月だから、広場には日没後に配られる食事の匂いが立ち込めている。
小麦を煮詰めたハルワ、肉を煮込んだ濃厚なハリーム、米と砂糖を牛乳に混ぜて煮た後、レーズンやナッツで味付けしたキール……。礼拝室のマイクに繋がるスピーカーからは、礼拝への呼びかけが大音量で流れ続けていた。
『預言者ムハンマドとアリーは至高の人なり。預言者ムハンマドとアリーは至高の人なり……』
入口は男女で分かれていて、靴を脱いでから広間に入る。礼拝場所も男女ごとに別々で、女性は二階に上る必要があった。二階からは一階を見渡すことができる。一階の壁の窪んだ部分が、聖地メッカの方角を示すミフラーブ。アラベスク文様をあしらったステンドグラスから差し込む夕陽の光。
お祈りが始まってから、一階に座る丸刈りの大男に気が付いた。周りの信者たちより一回りも大きい。鍛えられた体格が服越しに見てとれる。軍人だろうか。私以外にも、休暇でこの街に来ている将兵は多いだろう。それでも、いつの間にか彼に視線を注いでしまう。漂う空気感の違いは、二階の私にもひしひしと伝わってくる。
その彼が、不意にこちらを向いた。
ほんの一瞬、瞬きをすれば見逃しそうな短さで。
驚いたけれど、すぐに気が付く。今のは、私に向けた視線ではなかった。私以外の、別の誰かに——
「……ヤズディ大尉?」
ザラ・カルザイは、私と同じ黒チャドル姿だった。
「その恰好は一体」
「郷に入ればなんとやら、ですよ、大尉」
隣にいた年配の女性が訝しむような視線を向けてきた。しばらく口を閉じて、それらしく祈りを捧げてから、
「ここにはよく来るの?」
「休暇の時だけ、ですが」
「それは勿論そうでしょうけど……」
そこでふと、一つの可能性に気付いて、
「あの大男とは、知り合い?」
「……私がそれを話すことをお望みで?」
質問に質問で返すのは反則だ。
「プライベートに立ち入るつもりはないけれど、上官としてある程度までは把握しておきたいから」
「飛行隊の仲間たちからも、そうしろと?」
再び訝しむような視線が背中に刺さった。この辺りで口を噤んだ方が賢明なようだ。
お祈りの時間が終わると、今度は長い講話が始まった。その途中で断食明けの食事が配られる。香ばしい匂いが食欲をそそる。
添えられたパンをちぎっていると、ザラも黙々と食事を始めていた。
「こみいった事情でもあるのか?」
「話せば、長くなります」
そうしてザラが話し始めたのは、今世紀に入ってからのアフガニスタンの歴史だった。ニューヨークの二棟のビルに旅客機が突っ込んで、アメリカがアフガンへの侵攻を開始して、タリバン政権を打倒する戦いが始まってからの、動乱の歴史。
「1996年にカブールが陥落してから、ムジャヒディン勢力が結集して反タリバン連合を結成しました。アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線、通称『北部同盟』です。9.11後に米軍の介入が始まってからは形勢が逆転し、カブールを奪還して政権交代を成し遂げました」
けれど、その後もタリバン勢力の攻撃がやむことはなく、アメリカが介入した戦争が泥沼化していった、という程度の知識は私も持っている。
「北部同盟はアフガン諸民族の連合として結成され、そこにはアフガン国内のソルド人部隊も含まれていました。ですが……私の父を殺したのも、北部同盟の兵士です」「民族浄化、か」
「あの国で、ソルド人は常に『汚れた余所者』として扱われてきました。カブール奪還後、ソルド人部隊は全員が処刑され、私が住んでいた街には北部同盟を構成した軍閥勢力の一つが攻め寄せてきました。父は玄関先で射殺され、母は私の目の前で輪姦されました」
その時のザラの顔を、私は一生忘れられないだろう。積年の憎悪に染められた、鬼のような形相。
「その後になって……今度は反乱を起こしたタリバン兵たちが街に流れ込んできました。奴らは母が犯された身であることを知ると、姦通罪の名目で捕縛し、石打ちの刑に処しました」
「……そうか」
早くも食事を終えたザラは、一階の大男に視線を移して、
「彼は……アフガンで私を救ってくれた恩人です」
一時間近く経ってから、ようやく講話が終わった。
ザラは突然立ち上がると、チャドルを手でつかみながら急いで階段を降り始めた。すぐに後を追ったけれど、この服装では走ることもできない。人ごみをかきわけながら、モスクの入口でようやく彼女に追いつく。
「五度目です」
「え?」
「今回で五度目です。また彼に逃げられてしまった」
ザラの言う通り、大男はいつのまにか姿を消していた。この人ごみから、彼を再び見つけ出すのは難しいだろう。
でも、とザラが呟く。
「必ず、必ずまたあの人に追いついてみせます」
首都テヘランを奪還するための攻勢作戦が始まる。
「群体」に対する大規模反攻作戦だ、と、飛行隊長は皆の前で話を切り出して、
「イラン北部は依然として『群体』の占領下にあるが、全軍をあげてこれを撃滅し、首都テヘランを奪還しろ、というお達しだ。まもなく最高指導者が全国民に向けて発表するらしい。非常に厳しい戦いになるだろうが、下された命令を遂行するのが我々の職務だ」
「無茶苦茶すぎます」
最近入隊したばかりの新米パイロットが呆れ顔で言い放った。
「いくらCCASや同盟諸国から多大な軍事支援を受けているとはいえ、防衛ラインの維持だけで精一杯な状況ですよ。人員の補充もろくに追いついていない。無理に攻勢をかければ戦線はあっという間に崩壊します」
「誰だってそんなことは分かっている」
子供を諫める父親のような口調で、飛行隊長が言葉を返す。
「私だって、現場の人間として戦況の厳しさは理解している。なぜ指導部が急に方針を転換したのか理解できない、というのが率直な感想だ。だが、飛行機乗りとして我々が為すべき仕事が変わるわけではない。気を引き締めつつも、平常心で事に当たってくれ」
「——革命防衛隊はすでに動いているのですか?」
私がそう問いかけると、飛行隊長は頷きつつ、質問の意図をすぐに理解してくれた。
「だから国軍も早く動くべきだ、というのが上層部の意向らしい。指導部よりは現実的な作戦案を練ってくれるだろうが、行動が遅れて主導権を奪われる事態は避けたい、という焦りもあるんだろう」
その革命防衛隊だが、と、飛行隊長はさらに説明を続けた。
「どうも、アフガニスタンから逃れてきた人々──とりわけ、ソルド人の部隊を先鋒として投入したいらしい。先鋒といえば聞こえはいいが、私には別の意図があるように思えてならない」
「『群体』の支配領域に踏み込んだイラン人はまだいませんからね……」
背後で、勢いよく椅子が倒れる音がした。
ザラの抱く思いがいかなるものか、私にはおおよそ見当がつく。
振り返った先にいた彼女は、モスクで見たあの表情を浮かべていて。
「落ち着け、ザラ」
「……失礼いたしました」
あの日から、ザラはずっとこんな調子だ。カウンセリングなどと、呑気な冗談を言える空気ではなかった。
いずれは、と思う。たとえ新北部同盟の戦闘員たちが盾になったところで、いずれは私たちも「群体」に真正面から立ち向かわなければならなくなる。
今、「群体」との間で発生している戦闘はまだまだ小競り合いにすぎない。そう思わせる雰囲気を、奴らは漂わせていた。あの未知の領域には底知れぬ力が秘められている、そんな気がする。
その力が解き放たれた時、この国の運命も決まるのだろう。
「今までもそうだったが、これからはもっと忙しくなるぞ。我が飛行隊も意地を見せる時だ」
この戦争は航空戦力が鍵を握るだろう。「群体」の保有機数は日増しに増えているらしい。だからこそ、今のイラン空軍は世界中から手厚い支援を受けているし、隊員の高い練度もそれを反映している。少なくとも、空の戦いで奴らに負けるつもりはなかった。