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成層圏の女王蜂  作者: 海猫
第3章 イラク戦争編(2003年)
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第9話 蜜蜂

 腹ごなしに散歩でもしない? とキャロルと二人で川沿いに歩いていくことにした。


 元安川を挟んで「りっちゃん」からは平和記念公園が見えるし、そこからちょっと北に歩いていけば原爆ドームと相生橋まではすぐだ。広島市はそれなりの都会だけれど、この辺りは緑が多くて目に優しい。陽が傾きかけて、木々が長い影を引いていた。


 資料館には一度だけおばあちゃんと一緒に行った。「知っておくことは大切じゃ」と言われて、展示品のケロイド人形と対面した記憶がある。「じゃけど、飲み込まれるだけじゃ、あかんよ」と、思わずおばあちゃんの袖を掴んでしまった私は、少し低い声で言われた。


 ずっとその言葉の意味が分からなかったし、それをキャロルに教えてもらうことになるとは思いもよらなかった。


「言葉は、言葉を使う主体が大事なのね……」

「キャロル?」

「言葉はね、人が使うか、人々が使うかで、その様相も威力もまるで変わるものなの」


 木々の向こうの原爆ドームを見上げながら、


「だから、あなたのおばあちゃんは、私のおばあさんの話をしたがらなかったのね」  


 ややもすれば、私たちはそれを「ヒロシマの話」として受け止めてしまいがちだから。


「でも、私は知りたかった。篠崎律子の孫として」


 傍にあったベンチに二人で腰掛ける。夕陽に照らされながら橋の上を渡っていく路面電車が見えた。ガタンゴトンと、菱形のパンタグラフを生やした一両。


「だから、ちゃんと聞けて良かった……来年はここに来られないかもしれないから」  


 ちょっとだけ、私の話もしていい? キャロルが急に私を真正面から見つめてきたので、一瞬思わず目をそらしそうになる。


「私、子どもがいるの。でもこの職業だし、なかなか会えなくてね。男の子と女の子なんだけど、二人ともお父さんっ子なんじゃいかなって。母親失格なのよ、私は」「それは……」

「ごめんね、いつか話そうと思っていたんだけど」


 キャロルは本当に申し訳なさそうに頭を下げ——日本語だけではない、ちょっとした仕草の数々も彼女は覚えていた——それから、ベンチの背もたれに背中をあずけて、


「だからこれ以上、バラバラにしたくなかった。父はおばあさんの足跡を辿ろうとしたけど叶わなかった、だから私が」


 キャロルはそこで一旦言葉を切って、深呼吸してから、


「私が代わりに繋ごうって。それで七年前、岩国に送られたときは運命だと思ったの。クサい言葉だけど」


 キャロルはおもむろに胸ポケットから何かを取り出して、私に手渡した。 蜜蜂の姿が刺繍された……ワッペン?


「私の飛行隊のパッチ。雪菜にもあげる」


 それは私の「足跡」になる。あなたにとってのね。


「うん、ありがとう」


 勇ましい姿だ。戦闘機を背景に、体を曲げて毒針を突き出す蜜蜂。その姿はきっと、きっと……。


「ねえ、キャロル」


 ええいままよ。今度は私が、キャロルの目を見据えて言う。


「おばあちゃんは、本当に律子さんを嫌いになったわけじゃないと思う」

「どうして?」

「それはね──」



                       *



 地上の海兵たちのためにイラク軍の地上部隊を攻撃して道を切り開け──銃撃音の入り混じった無線越しに、空爆の要請が入る。すぐに地上の前線航空管制官(F A C)と交信を開始し、ルーティングと飛行の安全を確保してから、チェックイン。


《Hornet 3-1, mission number 2849, single F/A-18C, position 20 miles to be east.》

(こちらホーネット3-1、ミッション番号2849、 こちらはF/A-18C一機、東20マイルで飛行中)


 まず名乗りを上げてから。それから、品物の説明に移る。


《450 rounds of 20 mm and 2 by GBU-16, laser code 1688, instantaneous fuzing, 15 minutes on station, Beekeeper 1-1 LITENING capable, abort code clear.》

(こちらの武装は20ミリ機関砲が450発、 GBU-16レーザー誘導爆弾が二発。レーザーコードは1688、信管設定は着発、支援可能時間は15分、ライトニングポッドを装備、攻撃中止符号なし)


  私が一息でそう応答すると、地上のFAC——ビーハイブ(蜂の巣)と名乗った——はすぐさま応答してきて、


《Beehive, copy all, advise when ready for SITREP.》

(こちらビーハイブ、全て了解した。状況報告の受信用意でき次第知らせ)

《Hornet 3-1, ready.》

(こちらホーネット3-1、受信用意よし)


  FACが海兵たちを待ち構えている敵の状況報告を始めた。彼らが進軍中の道路の先にある街、のっぽな電波塔が一基だけぽつんと立っているというその街に、イラク軍の戦闘車両と歩兵が大量に潜んでいる。奴らを叩け、あぶりだせと、地上の指揮官は空の海兵に助太刀を求めてきたというわけだった。


《Type 1 control, BOT, single GBU-16, advise when ready for 9-line.》

(タイプ1管制で目標へ爆撃、攻撃にはGBU-16一発を使用、9ラインの受信用意でき次第知らせ)


 ビーハイブから伝えられた、管制と爆撃の方式を復唱して確認すると、さらに攻撃の要点をまとめた9ラインが伝えられてくる。


《From the overhead, elavation 400 feet, tactical vehicle and personnel, 300 yards west of the radio tower. Laser marking, friendly south 3 NM south, egress back to the overhead──》

(上空から進入、標的の高度は400フィート、攻撃目標は戦闘車両及び歩兵、位置は電波塔から西へ300ヤードだ。攻撃目標へのマーキングはレーザーで実施、友軍の位置は南に3マイルだ。攻撃後は現在地点に復帰せよ──)


 さらに複数の情報が追加され、攻撃のタイミングが近づいていく。爆弾のレーザーコードはとっくに入力してある。右側のDDIに映し出される緑色の映像は照準ポッドがとらえた地上の光景。イラク軍部隊は地の利を活かして巧妙に隠れていた。だが空は——彼らが空爆の準備に気づいている気配はなさそうだ。


《Beehive, Hornet 3-1, overhead, ready for SPOT.》

(ビーハイブ、こちらホーネット3-1、上空待機中、レーザー捕捉の準備よし)

《Hornet 3-1, Beehive, proceed to the south, run IN heading 280 to 320, marked by laser.》

(ホーネット3-1、こちらビーハイブ、南へ向かって飛行せよ。攻撃時は方位280から320の間で進入してくれ。攻撃目標へのマーキングはレーザーで実施する)

《Hornet 3-1, IN heading 300 for laser handoff, TEN SECONDS.》

(こちらホーネット3-1、方位300で進入した。十秒でレーザー照射)


 旋回を終え、空爆に備えて水平飛行に移る。全て、順調だ……全て。


《Hornet 3-1, TEN SECONDS.》

(ホーネット3-1、十秒)

《Beehive, LASER ON.》

(ビーハイブ、レーザー・オン)

《LASING.》

(レーザー照射)


 ビーハイブが照射したレーザーを、こちらのポッドでも捕捉。DDIの映像が固定される。車両と、周囲を警戒する歩兵の集団。水平飛行のまま進入継続。ビーハイブから攻撃許可。


 ガチャン、と音を立てて片翼が軽くなった。


 F/A-18Cから切り離された|レーザー誘導爆弾《G B U - 1 6》は後部の翼を展開して滑空し始める。シーカーがレーザーを捕捉、吸い寄せられるように目標へと近づいていく——その光景を想像しかけた刹那、DDIの映像が無音の爆発を映し出した。1000ポンドの弾体が炸裂する光景を。煙が晴れると、お釈迦になった戦闘車両と四散した歩兵たちの肉体が見えた。


 攻撃目標の撃破を確認したビーハイブから再度、空爆の要請が入る。一発目と同じ要領で二発目の爆弾投下準備に入った。これを落とせば今日の仕事は終わりだろう。残りの燃料が早くも減り始めている。あまりのんびり飛んではいられない。


 そっと操縦桿を傾ける。機体が旋回を開始して、翼端から薄い雲を引いた。



                  *



「言葉はね、人が使うか、人々が使うかで、その様相も威力もまるで変わるものなの」


 だから、キャロルはわざわざこんな手間のかかることをしたのだろう。

 彼女の言う「人々」は、かたい言葉を使えば「国」や「民族」に変わるのだろう。    

 今度は私が、それを説明する番だった。


「私の姓──ミッチェル姓は、母から受け継いだんです」


 母親に似て猫舌なのか、熱々のお好み焼きを口にして慌ててお冷に手を伸ばす彼は、一つ年上の私が見ても可愛い。


 ユリシーズ・ミッチェル。


「母は生前に、あなたに託したいと言っていました。母が母であったこと──キャロルがキャロルであったことを、あなたに覚えていてほしいと言っていました」


 キャロルの部隊はイラク戦争でかなりの戦果を上げ、英雄的な扱いを受けたのだとユリシーズは教えてくれた。けれど母は、国家が語らない、アメリカという国家には語ることができない母を、誰かに記憶されることを望んだんです——


「まあ、僕があなたにお伝えしたことも受け売りなんですけどね。母が戦死した時、僕と妹はまだ小さな子供でしたから」

「兄妹二人で……さぞ大変だったでしょうに」

「ええ。実の父親まで亡くなってしまった後、僕と妹は孤児院を経て母の友人に引き取られました。幼いころから何度も遊びに来てくれた人でしたから、育ての父として受け入れることに、僕はそれほど抵抗はありませんでした。妹は──マチルダは違ったようですが」


 ユリシーズは饒舌に喋り続けながら、せっせとヘラを動かしていた。

 年相応の旺盛な食欲に、思わず目を細めてしまう。


「その育ての父は、かつて母を事業に誘おうとしたんです。いわゆる民間軍事企業(P M C)ってやつを創設して、そのメンバーに母をスカウトしたんです。わざわざ社名にも母の名を入れたぐらいですからね」

「キャロルの名前が……社名に?」

「えぇ。その社名は──」


 キャロライン・コンバット・エア・サポート。

 通称、CCAS。 


「まだまだ小さな会社ですけどね。世界的な大企業にしてやるって、あの人は息巻いていたけど」

「でもキャロルは誘いを断ったんでしょ?」

「まあ……はい」


 ユリシーズが苦笑いして、それから鉄板の上を指差した。美味しそうでしょ?  と、ニッコリ微笑んで、


「蜂蜜焼き」


 つくね芋にたっぷり蜂蜜を混ぜて焼く。十分に焼けてからお皿にのせて、さらに蜂蜜をかけて出来上がり。


 甘いっ、と、早速口にしたユリシーズがとろけるような表情になる。


()()()()()()()もね……」

「え?」

「なんでもない」


 それだけは墓場まで持っていこうと、心に誓った。

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