第六話『揺籃の雛』
「私が、竜になる……んですか!?」
『そうだ、その運命は変えられぬ。
お前は“揺籃の雛”だからな。』
「揺籃の……雛?」
ディルギーヴ曰く、“現象”の竜が
他種族と番い、その間に子を儲けた場合……
どちらが産むにしても、子は必ず番の種族で
この世に生まれてくる。
おそらく個体数が増え過ぎない様に、
脆い方の種族で生まれてくるのではないかと
されているが、詳しい理由は分かっていない。
そしてその子どもが一定の年齢まで育つと、
生まれついた身体を脱ぎ捨てて
竜の幼体へと変化する。
その為、元の身体を卵の殻、中身を雛に例え
“揺籃の雛”と呼ばれているのだ。
見分け方としては、身体の中央に
エネルギーの塊が有るか無いか。
その塊は年々大きくなり、いわば
“揺籃の雛”の核とも言える。
それを中心に身体が変化していくのだそう。
しかし、最初はあまりにも小さい事と、
“現象”の竜ですら目を凝らさねば
見えない幽かなモノなので、ディルギーヴは
パッと見ただけではシャルラハロートが
“揺籃の雛”である事を見抜けなかった。
「うーん……あ!
質問なんですが、“揺籃の雛”さんが
孵化する前に子どもが出来たら
どうなるんでしょうか?」
『……もしもこの国の乗っ取りを
企んだのなら、賊はなんと叫ぶと思う?』
「え?」
『其奴は愚かにも、こうほざく。
「己は“現象”の竜の子孫である」と。』
このリュゼーヌ王国において
“現象”の竜の子孫が人間の中にいるのなら、
その者は王よりも立場が上になる。
革命の旗印としてはこれ以上無い程
もってこいの存在だが、千年の歴史の中で
表舞台に一人も現れなかったのは何故か。
『この国の王族共も知っている。
“揺籃の雛”は、孵化するまで子孫を残せん。
卵の中の雛は卵を産まぬ……。
故に“現象”の竜の子孫は、
人の群れの中になどおらぬのだ。』
人と竜との間に“人”として生まれても、
いつか必ず竜になり、
“人として”子を残す事は出来ない。
けれど、何も知らない民の中には
偽の子孫を信じる者達も出てしまうだろう。
そうやって“偽者”は国に混乱を巻き起こす。
だからもし騙る者がいれば、
真実を知る王家によって秘密裏に
処理されるのだ。
『我の様な愚か者でなければ、
大抵の“現象”の竜は子が孵化するまで
巣で囲い、とにかく愛情を注いで育てる。
子が人里に出る事も無いだろう。』
ただでさえ“現象”の竜は個体数が少ない上に、
番う程の相手を見つける可能性も低く、
種の特徴として子が非常に出来にくい。
確率で言うなら、番って千年経ったとしても
子が生まれていない事だってありえる。
なので子が産まれれば、親である
“現象”の竜はとことん大切に育てる。
自らの興味を引くモノ以外に
ほとんど反応を示さない“現象”の竜にとって、
番とは最も興味を引いた者、執着する存在。
そして我が子は、そんな番と
己の血を引く唯一無二の宝物なのだ。
勿論、ディルギーヴにとっての
シャルラハロートもそれに該当する。
何故なら娘が可愛すぎるから。
今も世界一愛らしいが、見せてもらった絵姿は本当に素晴らしかった。特に、頬がふくふく、むにむにとした赤ん坊の頃のシャルラハロートの絵姿。とても幸せそうに笑う愛しい娘の絵姿を見て思わず闇が漏れ出しそうになった。人間の赤ん坊時代なんてあっという間なのにどうして見逃したのか。我が間抜けに寝こけていたからだろうが我の馬鹿。赤ん坊のシャルラハロートに笑いかけてもらったら世界全体に際限無く湧き続けた闇なんて寝ずとも制御出来た筈なのに。その後の幼少期も、そして昨日までのシャルラハロートも。全て見逃した。何なら初対面で脅した。父親として最低だ。本当にすまないローズ、シャルラハロート。
ディルギーヴは娘への愛と罪悪感で荒れ狂う
心の中を一切顔には出さず、
長い時を生きた偉大な“現象”の竜として
シャルラハロートへ語りかける。
『お前もいつかは、
我と同じ“現象”の竜に孵化をする。』
「……孵化。」
『人間としての成人を向かえる頃に、
孵化するだろう。
そうなればお前は人の中で生きられぬ。
否、生きられたとしても一時的だ。』
「……そうなんですね。
私には、この街を離れないといけない時が
来るんですね。」
シャルラハロートは笑う。
愛したこの街を離れなければいけない
事実を突き付けられながらも、誰も恨まず、
苦い苦しみを飲み込んだ。
『今の我の様に、人に形を寄せたとしても。
“現象”の竜であるならば、どうしても
周囲に影響を与えてしまう。
……恨むならこの父を恨め。』
「ですから恨みませんよ、お父様。」
まだ十四歳の娘がこんなに辛い事も
我慢出来てしまうのは、きっと自分が
側にいなかったからだ。
辛い事、悲しい事、それらから
守ってやれなかった自分の罪だ。
これからはその分、いや、竜となった後に
寄り添えるのはディルギーヴだけ。
今までシャルラハロートを支えてきた
辺境伯一家の分まで、自分が娘を守り、
助け、導かねばならない。
だからその為にも、闇竜には
今の内にやらねばならない事がある。
『シャルラハロート。
我は、この後の話し合いが終わったら
この街を立つ。』
「……!
せ、せっかく会えたのに、ですか?」
『すまぬ……身内を見つけたら、
すぐに戻ってくる予定ではあるのだが。
我は、これからローズの死について
調べてみようと思うのだ。』
世界を敵に回しても、顔色一つ変えずに
剣を構えるとまで言われた女。
誰にも言わず竜の番になり、
シャルラハロートを産み、そして死んだ。
『昨日、お前の祖母から
ローズの死について幾つか聞いた。
痩せ細り、生まれたばかりのお前も
腕に抱けず、最終的に立ち上がる事すら
出来なくなった。
まるで病の様であったが、
原因は何も分からなかったと。』
シャルラハロートは母親を覚えていないし、
勿論、その死に様も知らない。
ローズの最期は家族の誰もが口をつぐんだ。
幼い頃は自分を産んだせいで
母は死んでしまったのかと思っていたが、
辺境伯家に仕える老医師は物陰で泣いていた
シャルラハロートの頭を優しく撫でながら、
それは違うと言った。
シャルラハロートを身籠って
シュラージュへ戻ってきたローズは
日に日に衰弱していく。
しかし、いくら診察しても
ローズの身体は“どこも悪くはなかった”。
原因が分からず、医者として打てる手は
全て打っても助けられなかった、と。
『彼奴の死には、謎が残る。
他種族の身体が作り変わるには
短くとも百年はかかる筈だ。
しかし我とローズが番い、たった四年で
お前が生まれたのは異例中の異例。
それに、もし子を成せるまで身体が
作り変わっていたのなら……
お前を残して死ぬはずが無い。
番は見た目こそ変わらんが、
“現象”の竜と同じ長命になる。
肉体の強度も、前のモノとは
比べ物にならぬ。』
番になった個体は滅多な事では死なない。
それを踏まえるに、十四年前の
ローズの死には不審な点が多すぎる。
主君から与えられた千年の任は終わったが、
自由になったディルギーヴの番はもういない。
残された娘と共にこれからを生きるなら……
愛した、いや愛する番の死の謎を
明らかにしなければ、未来へ歩みを
進める事は出来ない。
「お嬢様ー!」
坂の下からエマの大声が聞こえてきた。
こっそり茂みから親子の会話を
見ていたエマだが、城から飛んできた
伝書鳩ならぬ伝書小鳥による
ヴィレネッテの伝言を伝える為に
現れたのだ。
…まるで今来たかのように、
わざわざ坂の下に移動して。
「エマ!どうしたんです?」
「お嬢様、それにお嬢様のお父様。
領主様がお呼びです。」
「お祖母様が?
夕方にはまだ早いと思いますが…。」
「なんでも、リューン公爵が
この街にいらっしゃったとか。」
「えっ、フレシオスおじ様が!?」
『誰だそのフレシオスとやらは。』
フレシオス・リューンは、
リュゼーヌ王国の女王、その兄である。
“王子様”と言われて誰もが思い浮かべる、
金髪に翡翠色の目をした華やかな容姿。
幼い頃からとにかく非常に優秀で、
一を覚えれば十を知り、剣術の腕も超一流。
当時の貴族令嬢達は激しく、こぞって
彼の婚約者の座を奪い合ったと聞く。
父であった王太子を若くして亡くし、
祖父の先代国王を支えていたフレシオス。
しかし……彼はとある理由から
玉座に座らなかった。
妹であるステラ王女を王太子に据え、
一代限りの公爵、リューン公爵として
王家を支える事を選んだ。
現在は妻と共に、自身の領地を治めながら
国の運営に時々携わっているらしい。
そしてその公爵様はとある理由により、
シャルラハロートの後見人の
一人でもあるのだ。
「お嬢様の後見人として
名乗りを上げてらっしゃる王兄殿下です。
偶然シュラージュ近くの他領に用が
あっていらしてたらしく、飛竜で
飛んできたみたいで。
あ、“現象”の竜じゃない温厚な種の竜を
飼い慣らして使うとはいえ、
緊急時くらいしか使いませんよ。」
『気にしておらん。
貴様らは猿芸を見て
いちいち気分を害するのか?』
“現象”の竜からすれば、通常の竜種とは
人間と猿くらいの差があるらしい。
本竜としてはあくまで見た目が
似ているだけ、くらいの感覚なのだろうか?
人という種族から見ればどちらも
恐ろしい存在。
しかし“現象”の竜の方は、
“生き物”と比べるには確かに規格外過ぎる。
「フレシオスおじ様をお待たせする訳には
いきません!お父様、急ぎましょう!」
『待て、転ぶぞシャルラハロート。』
フレシオスはシャルラハロートの事を
よく気にかけてくれている。
彼女にとっては家族同然の存在が
この街に来たと知り、思わず駆け出した
シャルラハロートだったが、
ふと父の方に振り返り、大きな声で呼び掛けた。
「それと……私の事はこれから
シャーリーと呼んで下さいな!
家族や親しい人は、皆そう呼んでくれます!」
『……シャーリー。』
一言一言を噛み締めるよう、
シャルラハロートの愛称を口に出しながら、
立ち止まって自分を待つシャーリーに
ゆっくりと近付く。
「はい!」
『その髪飾り、よく似合っている。』
そうやって恐る恐る、
シャーリーの頭に手を伸ばす。
しかし、いざ頭に触れそうになると
ビクリと身を震わせて手を引っ込めた。
その様をキョトンとした様子で見た
シャーリーは、微笑むとディルギーヴに
思いっきり抱き着いた。
「……ふふ、ありがとうございます。
お父様!」
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『そう言えば、何故“シャーリー”なのだ?
そのまま略して“シャル”ではないのか。』
「お母様が初めに、
私をシャーリーと呼んだそうです。
「シャルはもういる」と仰っていたそうで…
その“シャル”が誰か分からなくて、
父親の名にシャルが入っているんじゃないか、
とか言われてましたよ。」
『……そうか、なんだ。
興味の無いふりをして、覚えていたのか。』
「?」
『何、すぐに分かる。』