第三十六話『“鈍い輝き”《鋼竜タィド》』
玄関を開けると、そこには
簡素な台所と机があった。
外から見ても小さな家なので、
あまり部屋数は無いらしい。
家の中は整理整頓がされ、
汚れも見当たらずとても清潔な印象だ。
タィドには同居人もいると聞いたし、
家にお邪魔している身である。
他の部屋を探索したりするのも
失礼だと思い、シャーリーは荷物を置いて
とりあえず椅子に座る。
埃一つ無い机の上にはリンゴが入った
カゴが置かれており、ミシケロトクラロが
なうなうしながらチョイチョイしている。
「ミシケロトクラロさん、
食べ物で遊んじゃダメですよ。」
『なぁーん。』
「……食べたいんですか?」
『なぁう。』
キラキラとした瞳でシャーリーを
見つめるミシケロトクラロは、
どうやらリンゴが食べたかったらしい。
「猫ってリンゴを食べられるんですか……?
“現象”の竜なら食べられます、よね?」
『にゃっ。』
ミシケロトクラロは頷く。
猫はリンゴを食べられるが、
大きさ的に丸ごとは食べられないし
芯や種が喉、腸に詰まる可能性もある。
もし与えるなら皮を剥いて薄く
小さく切ったり、ペースト状に加工したりして
量に注意し、与えてください。
食材の使用許可も得ているしせっかくなら、と
シャーリーはリンゴを手に取る。
ミシケロトクラロ用には別で切るとして、
この前習った特殊な切り方を試してみよう。
確か名前は〖うさちゃんリンゴ〗で、
まずは皮を剥かずにリンゴを
縦に切って……。
この時、シャーリーはまだ知らなかった。
タィドの家にある包丁は特別製で、
とんでもなく切れ味が良い事を。
「さて、じゃあ早速作って
戻ってきたお父様を驚かせましょう!
……って、ヒョワッ!?」
『シャーッ!!』
包丁の切れ味がどれくらいかというと。
普段の包丁のように使うと、まな板だけではなく
机まで切ってしまうレベルだった。
タィドは“現象”の竜だし、使い慣れているので
何も問題はないのだが。
この家で料理をするのがタィドだけなので、
切れ味が鋭すぎる事を失念していたのだった。
スタン、と小気味良い音と共に、
ぶった切られたリンゴ、まな板、机。
シャーリーは呆然とし、
ミシケロトクラロは咄嗟に飛び退き、
床に突き刺さる包丁に向かって
渾身の『やんのか』を繰り出した。
「ど、どうしましょう
ミシケロトクラロさん!
私、机まで切っちゃいました!」
『ナウナウナウ』
「あ、謝りませんと!
タィドさんが戻ってきたら……
というか、どう説明すれば!?」
『なぁん。』
シャーリー、大混乱である。
様々な体験を経てだいぶ逞しくなった
辺境伯令嬢であるが、今回のような出来事は
経験した事がない。
人様の物を壊してしまったし、
何なら床も包丁が刺さってしまっている。
申し訳なさと驚きにより、慌てるシャーリーを
落ち着かせようとしているのか、単純に
お喋りしているだけなのかは分からないが、
ミシケロトクラロがナウナウ語りかけても
テンパるシャーリーの耳には入らない。
『どうしたものか……』という表情を
ミシケロトクラロが浮かべている中、
突然部屋の奥の扉が開いた。
「……大丈夫、ですか?」
「ヒャッ」
シャーリーは飛び上がり、
ミシケロトクラロを抱き締める。
突然かけられた声に驚いてしまったらしい。
だが辺境伯令嬢、ちゃんと謝罪は忘れない。
「ヒョッ、お、お邪魔してます!?
すみませんリンゴとまな板と机と床が!」
「いや、お嬢さんに怪我は?」
「大丈夫ですすみませ……え?」
『なう。』
扉の開いた先の部屋からは
右手以外の手足が無く、全身に包帯が
巻かれた男性が床に座り込みながら
こちらを見ていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『そんな事があったんですか……。』
『メェルは“ラドの刃”の技術を
利用した大量の銛を用いて海竜を襲った。
コァドも、何処で入手したのか分からぬ
“ラドの刃”で殺されたのだろう?
……似ているとは思わぬか。』
家から少し離れた場所で、
ディルギーヴはタィドに海上国メェルにて
発生した海竜襲撃事件の話をする。
今回の海竜襲撃と、百年前の
鋼竜の殺害はあまりにも似ている。
一個人ではなく、国という存在が
“現象”の竜を殺そうとしたのだ。
人間達が、何故大量の“ラドの刃”を
入手出来たのかは謎のままではあるが
明らかに何か関係があるのだろうと
ディルギーヴは判断している。
そして、手に持っていた
銛の刃を包む布を取りタィドに突き出す。
今代の鋼竜は、その刃を見て目を見開いた。
『……そんな。』
『此れはコァドの外殻を使って
作られている。』
『……父、さん。』
タィドは、震える手で銛の刃を受け取る。
太陽の輝きを受けて鈍く光るその刃は、
まだ幸せだった頃の父の背中を思い出させた。
一族の中で一人だけ色が白く生まれ、
孤立していた娘を見初めたのが
民達に崇められていた父だったと言う。
タィドの思い出の中の両親は、
とても仲の良い番だった。
ふくよかな母はいつも笑っていたし、
人間に変化した大柄な父もぎこちないながら
息子へ笑顔を向けてくれた。
そう、あの日までは。
あの日までは、タィドも幸せだったのだ。
『……あの日、父は遠くに出ていました。
その不在を狙って、国の、兵士達が。』
主たる鋼竜がおらずとも、
民達は武器を取り、家族や土地、
身を守る為に戦った。
しかし何倍もの兵力差により、
あっという間に集落は地獄と化す。
抵抗する者は、いや、抵抗しなくとも
惨たらしく殺されたのだ。
タィドと仲の良かった幼馴染みの少年も、
向かいの家に生まれたばかりの赤ん坊も、
明後日結婚するはずだった若い二人も。
見せしめの意味もあったのだろうが、
兵士達は虐殺を止めなかった。
そして、刃は当時八つだった
タィドにも迫る。
『僕は、母に庇われました。
斬られる前に、母が僕を抱き締めて
守ってくれた。』
タィドはその時、初めて
笑っていない母の顔を見た。
いつも浮かべていた楽しそうで明るい、
光のような笑顔ではなく。
苦しそうな、辛そうな、死に顔だった。
『戻ってきた父は、
殺された母を見て狂ってしまいました。
兵士と民、そして僕の見分けも
つかなくなって。
目に入る全てを踏み潰し、貫き、
ただひたすら暴れまわるだけの存在に
成り果てたんです。』
『……そうか。』
ディルギーヴの知るコァドは、
どこまでも真っ直ぐな竜だった。
あまりにも頑固なので喧嘩もしたが、
ディルギーヴからすればその実直さは
とても好ましかった。
その友が味わったであろう絶望を想像し、
言葉が思ったように出てこない。
『逃げる兵士達に混ざって、
僕も必死に逃げました。
逃げて逃げて、何も考えずに逃げて。
辿り着いたのは……この国の都、でした。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「俺はルカ。
タィドに世話されて、ここに住んでます。」
ルカと名乗る、黒髪と深い青色の目をした
青年は、ベッドに座って自己紹介をする。
本当は部屋の外に出る気は
無かったらしいのだが、シャーリーが
あまりにもテンパっていたので
ベッドから這いずって出てきたそうだ。
「スミマセン……。」
「いや、こっちこそすみません。
見苦しいもの見せちゃって。」
そう言って、ルカは包帯まみれの右腕で
自身の頭をポリポリと掻いた。
ルカは右腕以外の手足の先が無く、
身体のあちこちにきっちりと
包帯が巻かれていたが、
ところどころ大きな傷も見えている。
左目も包帯で覆い被されており、
隙間から僅かに覗く傷から察するに、
失ってしまったのだろう。
普通の人間が見れば臆しただろうが、
シャーリーはシュラージュ領のご令嬢。
雪薔薇騎士団にも良く出入りした
彼女からすれば、ルカへの恐怖は全く無い。
「見苦しくなんてありません!
私の故郷は魔獣がよく出現するので、
戦いにより大きな怪我を負った騎士の方々を
多く見てきましたし。」
「身なりが綺麗だから
貴族のお嬢さんかと思いましたが……
ただのお嬢様じゃなさそうだ。」
シャーリーが包丁に怯えながら
切ったリンゴを食べながらルカは笑う。
(ルカの足元では、ミシケロトクラロが
リンゴの薄切りを爆食いしている)
「まな板や机を壊してしまいましたし、
ルカさんにもご迷惑をおかけして……
本当にすみません。」
「良いんですよ、
タィドはこれくらいじゃ怒りません。
何なら、あいつに一番迷惑かけてるのは
俺ですし。」
そう言って、遠い目をするルカ。
手足がほとんど使えないルカには
介助が必要だ。
そして、ルカと同居しているなら
タィドが彼の世話をしているのだろう。
「もしかして、ルカさんは
タィドさんの番なんですか?」
「……。」
シャーリーの問いに、ルカは目を伏せた。
“現象”の竜が番でも唾付きでもない
他者と同居したり、世話をするのはあり得ない。
だからこそ、タィドとルカは番なのかと
聞いたのだがどうやら違うようだった。
「あっ……すみません、私ったら。」
「……いえ、タィドは俺なんかを
番だと思ってくれてます。
俺が、それに頷けていないだけで。」
『なぁう?』
つまり、ルカはジョージと同じく
まだ唾付きらしい。
同意の元、共に生きていく番と違い、
“現象”の竜から求められても
答えていない存在が唾付きである。
タィドはルカを番として扱い、
甲斐甲斐しく世話をしているのだという。
俺なんか、と言うルカの目に光はない。
何か事情があるようだ。
「もし、よければ……なにか
悩みがおありなら、タィドさんが
帰ってくるまで聞きますよ。
無関係だからこそ、吐き出したら
スッキリするかもしれません。
ここでの事は他言しませんし、
私を壁だと思って、どうぞ!」
「お嬢さん……。」
『にゃう。』
ミシケロトクラロはリンゴに満足したのか
ルカの側で丸くなり、グルグルと
喉を鳴らしている。
そんな猫を撫でながら、
ルカは小さく溜め息をついた。
「そうですね、タィドや“先生”以外と
話せるのは久々ですから。
……湿っぽくて、血腥くて。
重い話ですが、聞いてもらえますか?」
どこか苦しいものを堪えている様子の
ルカに問いかけられ、シャーリーは
無言で頷いた。
そしてルカは、ぽつりぽつりと
過去を話し出す。
「俺とタィドが出会ったのは、
都の路地裏でした。
ボロボロに痩せて、
今にも死にそうな子どもが倒れてた。」
当時、この国の兵士だったルカは、
行き倒れていたタィドを拾ったのだと言う。
そして、保護という名目で
一緒に暮らすようになったのだとか。
こちらに敵意は見せないが、
ひどく暗い目をして塞ぎ込んでばかり
だったのだそう。
今とは真逆でルカが、隅に座り込んで
動かないタィドの世話をしていた。
「タィドは肌も白くて、
年齢にしては背も高かった。
あの民族の見た目と違っていたから
都で保護しても、誰も鋼竜の息子だなんて
気付かなかったんですよ。
勿論、当時の俺も。」
自身の家族を、故郷を滅ぼした原因は
鋼竜の持つ鉱脈等を欲しがった
国の上層部のせいだというのに。
皆を殺したのは、自分達兵士だというのに。
母を殺して、父を狂わせた原因に
タィドは保護されて生かされた。
「でも、タィドは俺に少しずつ
心を開いてくれました。
今思えば、あの時が
一番楽しかったかもしれない。」
数ヶ月共に暮らし、タィドもルカに
ほんの少しだけ心を開くようになっていた。
元々孤児だったルカが、親身になって
接した結果だろう。
「……タィドと出会って数ヶ月後、
死んだように眠っていた鋼竜が
目覚めたと知らせが来たんです。
鋼竜は本能で息子が都にいると
察知したのか、この場所から都に向けて
動き出しました。」
「それでは……。」
「ええ、俺達兵士に
鋼竜討伐の任が下されました。
上から配られた武器を持って、
タィドを都に置いて。
俺達は、俺は。」
シャーリーは息を呑む。
ルカの失った手足、
包帯の隙間から見える無数の傷跡。
それは、まさか。
「俺は鋼竜を……
タィドの父親も、殺したんです。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「タィドのほっぺはもちもちだねぇ。」
「もちもち?」
「うふふ、今はもちもちだけど、
タィドはおててもあんよも大きいから
きっとお父さんみたいになるのかなぁ。」
「たぃど、おとしゃんみたいなれる?
おとしゃんね、かっこいい!」
「うん、なれるよ。
ねぇタィド、お父さんみたいに
おっきくて優しいヒトになるんだよ。」
「なる! おかしゃんと、おとしゃんも
だっこできるくらいおっきくなる!」
「そうなの? すごい楽しみ!」
「ね、おかしゃん、ずーっといっしょだよ!」
「タィドはホントに可愛いねぇ!
でもねタィド、いつかお母さんにとっての
お父さんみたいな……素敵な人に
会えたら、その人も大切にしてあげてね。」
「たいせつ?」
「タィドを助けてくれて、
タィドが助けてあげられる人。」
「?」
「うふふ、分かんなかったかぁ。
大丈夫だよ、いつか会えるから。
それまでお父さんとお母さんは、
ずーっとタィドと一緒にいるからね……。」




