第四話『“夜の帳”《闇竜ディルギーヴ》』
「……はい?」
「申し訳ありません、
もう一度言って下さる?」
『本当に……申し訳……無い……
我は、ローズが娘を身籠ったのを知らなんだ。
最後に会った時、既に妊娠していたと
考えるなら十五年程……寝ていた……のでは。』
「竜、ですものね……。
我々人間と時間感覚が違うのは
当然ですが……。」
捨てたのでもなく、喧嘩していたのでもなく。
理由はまさかの『寝ていた』だった。
冷えた部屋の温度は戻ってきたが、
代わりに何とも言えない空気に
なってしまった。
『番の死に目に会えず、我が子を放置した
今では何を言っても言い訳にしか
ならぬのだがな……。
我はこの千年間、とある役割を
務めておった。それに集中する為、
眠っていたというのもある。』
「千年も、ですか?」
人間からすれば途方もない期間だが、
十五年うっかり寝過ごす竜にとってなら
あっという間の期間なのだろうか。
しかしそろそろシャルラハロートの頭は
パンクしそうだ。
「……それは“竜罰のお伽噺”に関わる事、
でしょうか。」
『ほう、よく知っているな小娘。』
「王太子妃教育では、この国と“現象”の竜の
関わりについて学びますから……
大昔の、罪も。」
スノウの言葉を聞き、ディルギーヴは
顔をしかめた。
“王太子”という言葉を聞いた途端、
明らかに機嫌が悪くなっている。
『貴様、あの罪人の末裔に嫁ぐのか?』
「……覚悟の上ですわ。」
「罪人……?
王族の方々は立派な人ばかりです!
それにお祖母様だって元公爵令嬢で、
私達は王族の血を引いています!
罪人だなんて……!」
「シャーリー、今の話じゃないわ
今から千年前の話なの…。
貴方も寝物語で読んでもらった事が
あるでしょう?
竜罰のお伽噺、を。」
「もちろんあります!けどあれは」
「……作り話じゃないのよ。」
広大な土地を持つと言っても、
リュゼーヌ王国では千年前に
“とある出来事”が起き、その際国の中央に
生えた巨大な樹『名無しの大樹』によって
斜め半分に分けられるという、かなり特殊な
地形をしているのが特徴だ。
『…今から千年前、人間達の中に
竜を殺せる武器を持った者達が現れた。
驕った一部の人間、つまりこの国の
王族の祖先は殺すだけでは飽き足らず、
竜の亡骸を解体し、周辺の国に売り捌き。
そうやって巨額の富を得たのだ。
そしてよりにもよって……“現象”の竜達の
王まで殺そうと計画を立てた。
同胞の尊厳が破壊される様を見た王は
怒り狂い、多くの竜を率いて
この王国を滅ぼしにかかった。
最終的に、貴様ら人間は命拾いしたがな。』
「シャルラハロート、このリュゼーヌで
“現象”の竜は、王族よりも
上の立場にいるのですよ。
私達、上流階級では暗黙の了解なのです。
彼らは政治に口を出したりはしませんが、
千年前の様な愚行を人間が起こさないか
常に目を光らせているのです。」
竜と人間の大戦以降、
国土の半分に人間が住み、もう半分の
通称『竜域』には“現象”の竜が多く
棲息している。
人間達が住む場所は比較的温暖で
生活がしやすいのだが、彼等“現象”の竜達が
棲む残りの半分は、“現象”の竜達の
侵食によって作られた、岩肌鋭い山や
人では到底暮らせない毒の沼など、
まさしく秘境と言えるだろう。
人間には環境が険しすぎて立ち入る事すら
出来ず、仮に入れたとしても命の保証は無い。
(だが、あえて人間が住むエリアで
生活をする竜もおり、こちらは〖竜域〗内の
竜よりも比較的話が通じるらしい。)
『我は元々、とある御方に仕えていてな。
あの戦が終わった時、その方の願いにより
この世界がさらなる混沌の場にならぬ様、
杭となっておった。
それ故に人間が持つ土地が半分になっても、
貴様らは滅びなかっただろう?』
「杭?」
『我が司る“闇”とは黒き帳だけではない。
魔獣を荒ぶらせる障気、
生きとし生けるモノから生まれる
負の濁流、不幸を呼ぶ冷たき風。
幼き雛や若い竜ならまだしも、
我等、古き竜には殆んど効かぬものよ。
されど人間はか弱い。
ほんの少しの闇に踊らされ、土地は枯れ
心が荒び、国は壊れる。
多くの“現象”の竜が先の戦で大暴れしたのだ。
世界の彼方此方に、闇が吹き出す綻びが
数えきれぬ程生じた。
……我が主は、人間の行く末を案じていらした。
だからこそ己の手で生きていける様に
なるまで、人間達に多大な影響を及ぼす
闇の制御を我に命じられたのだ。
杭として千年間、この世界を守れ、と。
そしてその任が終わったが故に
我は、此処に来たのだがな。』
「では、この国を陰ながら守っていて
下さったのですね。」
祖母は立ち上がり、敬意を込めて
ディルギーヴに頭を下げた。
祖父、伯父、次期王太子妃、そして
辺境伯令嬢のシャルラハロート。
民の為、国の為に生きる彼等である。
千年もの間、国や世界を守った存在に
頭を下げるのは当然だった。
『やめよ、感謝など要らぬ。
結局我は、仕事(制御)にかまけて
番と娘を蔑ろにした愚竜……
我が娘よ、蔑んでくれても構わぬぞ……。』
「確かに両親がいないのは
寂しかったですし、言いたい事はいっぱい
ありますけど……蔑むなんてしませんよ!」
『我の娘、良き子すぎんか?』
「ええそうでしょう!!
自慢の姪っ子ですとも!!」
落ち込んだり、機嫌悪くしたり、
感動したりと忙しそうな竜である。
この国にとっては恩人ならぬ恩竜なのだろうが、
今は全く威厳がない。
『しかし我等が番った後も、ローズは
時々実家……つまりここに帰っていた筈。
彼奴から何も聞いておらなんだか。」
「いいえ。
まさかあの子が“現象の”竜と
結ばれていたなんて夢にも。」
「俺達も何も聞いてないな。」
『ローズが里帰りしている間、
我は眠り、彼奴は帰ってくる度
我を足蹴りして起こしていたのだが……。
今回はそれが無く、十五年寝てしまったわ。』
「……アイツ、これだけ強大な竜を足蹴に?」
「まあ、ローズ叔母様ですものね、
ええ……。」
ウィンズ伯父様、スノウお姉様……
「竜を蹴って起こしてた」話を聞いて、
納得しちゃうほど私のお母様って
とんでもない人だったんですか?
だから昔から、お母様のお話をねだっても
あんまり教えてくれなかったんですか!?
「……さて、これはすぐに対策を
取らなければいけませんわね。」
手を軽く叩き、部屋の視線を集めた
ヴィレネッテは“女辺境伯”として
家族達に向けて声をかける。
「王族よりも立場が上の“現象”の竜、
シャーリーがその娘だなんて知られたら…
シャーリーのお相手はこの領内で
探そうと思っていましたの。
だからこの子にはまだ婚約者はおりません。」
「釣書が飛んできますわね……お祖母様。」
「わ、私に釣書!?」
「シャーリー、お前が竜の娘って知られたら、
下心満載の馬鹿や竜の狂信者共が
押し寄せてくるだろうよ。
竜の娘を身内にして、威光を使うも良し
王族への切り札にするも良し、だ。」
「えぇ!?」
『チッ、人間の欲に底は無い。
厄介な事になるのが目に見えておる。』
ヴィレネッテはディルギーヴの言葉に頷く。
されどこのシュラージュを守ってきた
女傑は、可愛い孫娘に悲惨な人生を
歩ませる気などさらさらないのだ。
もちろん、他の家族達も。
「一先ず、私は王家の使者の方と
今まで得た情報を合わせて話し合う事と
いたしましょう。
スノウ、貴女は明日の昼に
王都に戻るのでしたわね?」
「はいお祖母様、報告はお任せを。」
「ではスノウも打ち合わせにいらっしゃいな。
ウィンズ、貴方の最愛達をもう少しだけ
お借りますよ。」
「おう!奥さんもスノウも、中途半端な所で
終わるのは嫌だろうしな!」
「では明日の夕方、まとめた内容を
お話ししたいのだけれどよろしくて?
闇竜ディルギーヴ様。」
『あぁ、構わぬ。』
「この場はひとまず解散としましょう、
ディルギーヴ様はこの後どうなさるのかしら?」
『目覚めて急ぎでここまで来たのでな、
我は一度戻って、身内と連絡を取ろうと思う。
明日には戻ってこられる故、問題は無い。』
そう言って竜は首を窓から引っ込めて、
畳んでいた翼を広げ、飛ぶ準備をし始めた。
その様子を見たシャルラハロートは
思わず窓に駆け寄る。
「待ってください!えっと、あの……」
『なんだ、我とローズの娘よ。』
「お父様って、呼んでも……いいですか?
あ、呼ばない方がいいで『好きなように呼べ。』
ちょっと食い気味だった。
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『すまぬ、もう一度だけ
言ってもらえないか……!』
「と、言う訳なのです、エマ。」
「だから竜殿がお嬢様に
『お父様』おねだりしてるんですね。」
『もう一度聞いたら帰るから!
頼む、我が娘よ!』
「あれ、竜殿お帰りになるんですか?
お嬢様の小さい頃の絵姿、ご覧になるかと
思ってご用意したんですけど。」
『見る。』
やっぱり食い気味だった。