番外編三話『ネェログシムのぬいぐるみ』
死竜ネェログシムは、“現象”の竜の中でも
飛び抜けて大人しい個体である。
争いを好まず、心優しく人懐っこい。
狡猾な父と苛烈な姉を持ちながら、
気弱で非常に涙脆いのだ。
幼い頃からとても泣き虫で、
姉に頬をつつかれただけで泣いた事もある。
何なら、未だに姉の一挙一投足で
頻繁に泣いている。
そんなネェログシムだが
“現象”の竜である以上、独り立ちをする
必要があった。
孵化をし、成体に育ったら
親の巣から出ていかねばならない。
人間である母に合わせ、今まで館で
暮らしてきたので人間様式の暮らしの方が
慣れているのだが、ネェログシムは
“現象”の竜の中でも特に人間、生物へ
影響を与えやすい死竜。
父のように人里離れた場所に
建てられた建物を見つけられなかったので、
仕方なく洞窟暮らしを選択した。
暗く湿った洞窟で、昔からずっと一緒の
黒いカラスのぬいぐるみを抱き締める。
一人が怖いと泣いていた幼いネェログシムに、
母が縫ってくれた大切な宝物だ。
一人立ちに伴い、姉や父からは
竜としての生き方、他の生物への変化の方法、
人間の街での振る舞いや歩き方も
教えてもらっていた。
明日は人里に初めて一頭で行ってみようと
胸を高鳴らせて独り立ち初日は終わった。
……そして、翌日のネェログシムの街探索。
結論から言うと失敗と成功だった。
ぬいぐるみを抱き締めたままの
ネェログシムは姉に教わった通り、
お金を払って美味しそうなお菓子を買った。
広場でベンチに座りながらモグモグと
食べていたネェログシム。
(巣立つ際、父からある程度は
人間の通貨を持たされた)
突然だが、“現象”の竜が変化した存在は
大変美しい顔をしている。
“揺籃の雛”時代のネェログシムも
父譲りのとんでもなく美しい顔をした
美少年で、成体になった今は更に
美しさに磨きがかかっている。
そう、ネェログシムは街の女性達から
かなりの熱量で声をかけられたのだ。
どうやら相当好みだったようで、
ギラギラとした獲物を狩る肉食獣のような
目付きで迫ってくる。
ただお菓子を食べていただけなのに、
肉食獣に囲まれたネェログシムは困惑する。
実は別の町で、姉と練習で出掛けた時も
他の女性達から声をかけられたが
『は~い散れ散れ~!さっさと失せやがれなのだ、
この十把一絡げブス共がよぉ!』と
中指おっ立てた姉が追い払ってくれていた。
だが今回は姉もいないし、そもそも
ネェログシムは家族以外の存在と
ろくに関わった事がない。
パニックになった若き死竜は、
ぬいぐるみと共に広場から逃げ出した。
……食べかけのお菓子を置いて。
悪人ではなかったが、女性達は普通に怖かった。
美味しいお菓子も全部食べられなかった。
町外れに生えていた大きな木の下で、
ネェログシムは長い足とぬいぐるみを
抱えながらスンスン泣く。
あと数百年は来たくない……としょげる
当時三百歳の前を、一人の男が通り掛かる。
彼はふいに足を止め、落ち込んでいる
ネェログシムをじっと見た。
視線を感じてネェログシムも顔を上げると、
ひどく不健康で、死人のような
灰色の男がこちらを見下ろしていた。
無表情の男に驚き、涙が一瞬止まる。
「……体調不良か?」
屈んでネェログシムの顔を
淡々と覗き込むその男の目の中に、
死ではなく力強い生がある事を
死竜はその時初めて知った。
あれよあれよという間に死体のような男、
エドガー・ラストラリーという名の
医者に診療所へ連れ込まれたネェログシム。
病人という誤解は解けたが、今度は
真っ昼間に仕事もしていない男と
判断されてしまう。
“現象”の竜なので別に人間の仕事など
しなくてもよいのだが、エドガーの目を
気に入ったネェログシムは、彼の診療所にて
住み込みで手伝いをする事になったのだ。
勿論、“現象”の竜である事は内緒にして。
元々物覚えが良かったし、父から
譲り受けたカラスにより薬草や素材の探索も
簡単にこなせるネェログシムは
非常に優秀な助手になった。
栄養バランスの取れた食事を作り、
ろくな物を食べていないエドガーの口へ
泣きながら無理矢理運ぶ。
時間になったら彼をベッドへぬいぐるみと共に
押し込み、床や机に散らばる書類は
取り出しやすいように並べ替えてまとめ、
保管する。
そうしている内に気付いたが、
このエドガーという男は誰かの為に生きている。
治せる病で死ぬ人間を少しでも減らす為、
自分の命を削って生きているのだ。
死に抗い、戦い続ける姿は死竜たる
ネェログシムにとって好ましい。
だから、「(通常種の)竜の鱗があればな。」と
ぽつり呟いた彼の為に、こっそり
自分の鱗を剥いで渡した。
普通に痛かったし血も涙も出たが、
エドガーが喜んでくれるなら安いものである。
医者でありながら自身の睡眠と食事を削る
エドガーを、号泣しつつ世話する
息子の姿をカラス越しに見たネゥロデクス。
独り立ちしたとはいえ、まだ三百歳の息子が
良いように使われているようにしか見えない。
流石にこれは……と思ったのか、
娘のネェロネペに『一度、ネェログシムの
様子を見に行きなさい。』と伝えた。
『おい弟ォ、オメェ巣の場所
変えたならちゃんと連絡しやがれだぞ~?
お姉ちゃん、すっからかんな跡地に
ご足労しちまったじゃんかよ。
どう責任お取りになるんですかァ??』と
襲撃してきたネェロネペ。
エドガーが普段通りの死んだ顔で
ネェロネペを撃退して事なきを得た。強い。
そんなこんなで定期的に襲撃してくる姉を
撃退しつつ、エドガーの世話をし始めて
ちょうど一年後。
診療所を突然、賊が襲ったのだ。
どこから聞きつけたのかは分からないが、
エドガーの集めていた製薬の素材、
特に“現象”の竜の鱗を狙ってきたらしい。
賊達はエドガーやネェログシムを殺して
目的の品を奪い取っていこうとした。
とても泣き虫で弱虫だとはいえ、
“現象”の竜であるネェログシムに刃を向けた。
……姉や父ならば、人間の形を
保った状態で敵に対処出来ただろう。
だが怖がりで、戦いを避けてきた
ネェログシムにはそんな芸当が出来ない。
元の竜の姿に戻り、診療所を壊し、
ものの見事に(泣きながら)賊達を蹂躙した。
そう、そしてエドガーに
正体がバレてしまった瞬間でもある。
あの灰色の目が丸くなる瞬間を、
初めて見たのもこの時だった。
もう一緒には居られない、何故なら
ネェログシムは死竜。
人の生命を左右する医療の場に
これ程相応しくもあり、逆に
相応しくない存在は居ないのだから。
呆然とするエドガーを一人残し、
ネェログシムは飛び立つ。
そしてそのまま、実家に突撃。
庭で畑仕事をしていた母に泣きついた。
独り立ちしたはずの息子が唐突に
帰って来て抱き着いてきたと思ったら、
わんわん泣いているではないか。
困惑しつつも撫でてくれる母に
事情を話すネェログシム。
独り立ちした先で大切な人が出来た事。
その人を守る為に正体がバレてしまった事。
正体がバレてしまい、診療所も壊してしまった。
それに自分が善意だとはいえ渡した鱗のせいで
エドガーに危険が及んでしまったのだから
もう会えない。
ぬいぐるみもエドガーの寝室に
置いたままで、もう取りに戻れない。
『おいネグゥ!
テメェ出てこいやデコピンすんぞゴラ!』
そうやって一週間は泣いて過ごしただろうか。
実家暮らしの時、自身が使っていた部屋の
ベッドの上で丸まりながらスンスンと
泣き続けるネェログシムを屋敷の外から
怒鳴りつけたのは姉のネェロネペ。
どうやら弟のしょぼくれを聞きつけて
帰って来たらしい姉に、大声量で
呼び出され、ビクリと身体を震わせた
ネェログシムが恐る恐る窓から外を見た、ら。
竜状態のネェロネペの側に立って、
こちらを見るエドガーと目が合った。
いつもよりくたびれた様子の灰色の目が
無感情にこちらを突き刺しているし、
彼の腕にはカラスのぬいぐるみが抱えられている。
実はネェロネペ、父から弟の惨状のみを聞き、
エドガーが何かしたのでは?と
ぶちギレながら診療所へ襲撃した。
……のだが、診療所壊れてるしエドガーが
何故か弟お気に入りのぬいぐるみ抱えてるしで
普通に混乱した。
事情を聞いたら普通にネグが悪かった。
ごめんそれは普通にネネちゃんの弟が悪いわ。
姉から見ても、この死体のような男を
弟はやたら気に入っていた。
無自覚だったからエドガーに浸蝕が
起きていなかったのだろうが、
自覚をしたら“唾付き”にしていただろうなと
想像出来るくらいには。
だから面倒だけれども両親の巣まで
エドガーを連れて来たのだ。
ネェロネペは弟に対して特に暴君ではあるが、
別に嫌っている訳ではない。
むしろめちゃくちゃ可愛がっているし
両親とは別のベクトルで甘い、今回が良い例だ。
うるせぇなちゃんと話し合えおバカ弟。
逆らえない姉ネェロネペと無表情のエドガーに
じっと圧をかけられ、ネェログシムは
しょぼしょぼと部屋から出て外に向かう。
あの一頭と一人からは逃げられないと
本能で分かってしまったから。
結果、ネェログシムはエドガーと番になった。
……一方的にエドガーから叱られ、
怒られ、脅され、頬をつねられ。
ネェログシムが泣きながら彼に告白して
番になってもらったというのが正しいのだが。
つまり、ぐずぐずしてばかりの
ネェログシムの尻をエドガーが叩きまくって
オーバーキルしたのだった。
だからこそ相性は良いのだろうが……。
これからは人々の中では暮らせないと、
エドガーとネェログシムはボロボロになった
診療所と土地を売り、山奥にある古い建物を
代わりに買い取って自分達で修繕した。
人間の診察が出来なくなった代わりに、
“現象”の竜の番や、これから産まれる
可能性のある“揺籃の雛”について
研究するようになったエドガー。
その縁から“現象”の竜の診察も
するようになり、下手をしたら人間時代より
多忙な生活になっている。
そんな己の番を今日も泣きながら
世話をするネェログシムを、棚の上に
飾られた様々な動物のぬいぐるみ達が
見つめている。
勿論、カラスのぬいぐるみも。
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「……。」ギュッ
「ネグはひっつき虫だなぁ。」
『ネェログシム、こちらに来なさい。
母様の邪魔をしてはいけませんよ。』
「……!」ギュッ!!
「アッハッハッ!
今度は父さんにくっついたか!」
『自分で呼んでおいてアレですが、
ここまで好かれるのは中々戸惑いますね。』
『わーい母様! ただいま!!!!』
「……ネネ!?
全く、このじゃじゃ馬娘め!
顔も見せないし連絡もしないで……
何年ぶりだ?」
『えへへっ、分かんねぇ!』
『六年と二ヶ月、十二日です。』
『父様はどっか行ってて良いよ。
ネネちゃん母様に会いに来たから。』
『ふふ、泣きますよ我が子。』
『楽しそうに笑ってるくせして
何が泣きそうだこの……ん?』
「……?」(ひょこっ)
『……。』(ひょいっ)
「……!」
『おやおや、捕まってしまいましたか。』
『命 爆 誕 し と る!!!!』
「……!?」
「こら、大声出すんじゃない。
あとそんなに高く持ち上げるな、
泣くから……ああ、遅かったか。
ほらネグ、母さんのところにおいで。」
「……!!」
『聞いてねぇんだけど!?
よちよち生命が出現してんだけど!?
ネネちゃんもしかしてお姉ちゃん!?』
『そうですよ。』
『言えやお馬鹿ァ!』
『連絡も入れないで、母様を悲しませる
不良娘へのお仕置きです。
残念でしたねぇ……この子が生まれてから二年、
可愛い可愛い姿を見逃して。』
『ギィイイイイイイイイ!!』
「よしよし、良い子だな。
ネネ、この子はお前の弟だ。
ちゃんとした名前は……なんだっけ?」
『ネェログシム、“死を謳う笛”です。』
『ふーん、可愛いね。』ふにっ
「……!」
『ほっぺ小突いただけで泣きよるが?
我姉ぞ?? 貴様の姉ぞ????』
「ははは、びっくりしたんだろ!
ネグ、大丈夫だ。
お前のお姉ちゃんだからな。」
『……父様さぁ、なんで天仰いでんの?』
『私の番が愛し過ぎる。』
『きっしょ、番拝むなや。』




