妖精。トラとウサギ。
「タクちゃんは、お父さんと一緒に寝るの。それともあの部屋で寝たい?」
おばあちゃんが、パジャマに着替えていた僕に聞いた。
「僕、ベッドの方がいい」
なんだか、おばあちゃんとの距離が近づいているのを感じた。
「そう言うと思ったから、ベッドカバーを変えて置いたよ。安心して...」
そう言いかけて、おばあちゃんは口を閉ざした。
「エアコンはさっきつけておいたから、電灯は自分で消してちょうだい」
「うん。おばあちゃん、お休みなさい」
お父さんとおじいちゃんにもお休みを言うと、僕は一人で、あの部屋に向かった。
ガラス窓の向こうは真っ暗で、森は黒い闇に包まれていた。
昼間うるさかった蝉たちに代わって、いろんな虫たちの鳴く音がしている。
部屋の前に来ると、僕は少し緊張した。
よし。と自分に気合を入れてから中に入った。
部屋に入ると、旧式のエアコンが、挨拶代わりにウイーーン、ウイーーーンと唸り声を上げた。
机の上には、ぬいぐるみのナデットがスマシタ顔で壁に寄りかかっている。動く気配は無い。
「ナデット。今夜は、あの森に連れて行ってくれるのかな?」
両手で抱えて、正面から顔をのぞき込んだけれど、返事はなかった。あのイイ匂いもしなかった。
「まっ、いっか」
僕は、ナデットと一緒に眠るつもりで、ベッドの毛布をめくった。そこには防水性のベッドカバーが敷かれていた。
これで安心して...という、おばあちゃんの言葉が蘇って来た。
ウイーーーン。
高速化した僕のコンピュータが、オシッコとウンチの文字を交互に点滅させた。
あなたの答えはどっち?
チーーーン。
「仕方ねーーな。おばあちゃん、あんたの期待に応えてあげるぜ。明日の朝、ウンチの世話、よろしく頼んだぜ」
グレ掛けている。だんだんお兄ちゃん化している自分に気が付いた。
しばらくの間、ベッドのうえの僕は、真剣に天井を眺めていた。でも、何の変化も現れなかった。
エアコンの音は引き続きうるさく、虫の声もいつまでも続いていた。そして、僕はいつの間にか眠りについていた。
ストン。
僕の頭の上で、鋭い音がした。
目を開けると、遠くに2匹の動物が立っている。一匹は白いネコで、頭に緑の帽子をかぶっている。
どう見てもナデットではない。
肩からひもが斜めに掛けられていて、右肩の上に白い羽のようなものが数本見えた。
手には、弓が握られていて、どうやら矢を放った直後の姿だった。
その横には赤い鼻をした白いウサギがいて、嬉しそうに飛び跳ねていた。
「何だろう?」
20メートルほど離れているだろうか、2匹の会話は聞こえない。
視界を広げると、どうやら昼間の森の中の様だった。
僕と2匹の間には近所の公園くらいの空間があって、地面は草と花で覆われている。
お日さまの光に、白や黄色の蝶々が優雅に舞っていた。
ナデットは居ないのかな? 僕は周りを見渡そうとして、異変に気付いた。
僕は結構な太さの木に縛られていた。
ムムッ。
頭も細い紐で固定されていて、顔すら動かすことが出来ない。
おじいちゃんの家に来てから、想定外の事件ばかり起きている。
だから、オシッコをちびらせるほどの動揺はなかったけど、ひどいなと思った。
目だけを動かして上を見ると、1本の矢が僕の頭の上の方に刺さっていた。
さっきのストンという音の正体を知って、僕は心底からの失望を感じた。
いたずらにしても程がある。直ぐに、それは激しい怒りへと変わった。
「オーーイ、君たち。君たちはそれでも妖精なのかーー。妖精って、そんなに悪い生き物だったのかーーー? 僕が、君たちにどんな悪いことをしたんだーー?」
叫びながら、僕ってこんなに行動的だったっけ? と思った。
やっぱり、僕ってお兄ちゃん化してるのかな? なんでだろ?
叫んでいると。2匹がそれに気が付いた。そして、首を振るような仕草で近づいて来た。
「Hey, You. What are you screaming ?」
白いネコ君が言った。
はっ?
「You are just our target. Please don’t disturb us」
ヤベーーよ、発音本物だよ。意味ワカンネーシ。英語習っときゃよかったかなーー。
僕は強烈に凹んだ。ハリーポッターも吹き替え版でしか見たことねーし...。
「Did you understand ?」
白猫は高圧的な態度で言った。
普段の僕なら、顔を伏せて小さくなるハズだった。でも、今の僕は違った。
「イミ、ワカンネーシ」
ふて腐れた様に突っぱねた。
「イ・ミ・ワカン...?」
なんですかー、という感じで白猫が聞き返す。ちょっとバカにされた感じがして、ムカついた。
「ワ・カ・ン・ネ・ー・シ!」
怒った大きな声で、僕が繰り返す。
「オウ、ワ・カ・ン・ニャ・ー・シ?」
「お前、ネコだから、ネがニャーになってんだよ」
何故か、僕は勝ち誇った様に言い放った。
「Oh, Sorry, Sorry」
白猫は、恥ずかしそうに、ふさふさの手で頭をかきながら謝った。
「But, I’m not a cat. I’m a white tiger」
彼にもプライドがあるのだろう。自分はネコではなく、白いトラだと言い訳した。
あれ? 何で意味が分かったんだろ。夢の世界だから...?
ウイーーン。
高速化された、コンピュータが回転を始めた。
チーーーン。
このトラ君は日本語を理解しています。騙されてはいけません。
「おい、ホワイトタイガーさんよ。お前、日本語分かってんだろ」
トラ君は、動揺した様に後ずさった。
「ホンノ・スコシーー・ダケ・できまーす」
「て、てんめーーー」
僕は、まるでお兄ちゃんの様になっていて、縛られたままの恰好でケンカを売っていた。
「いいから、早くこの縄をとけ」
「Sorry, Sorry」
ホワイトタイガーが、謝りながら縛っていた紐を解いた。意外と素直な奴だ。
「痛ってーーー」
お兄ちゃん化した僕は、しびれていた腕を擦りながら、2匹を睨みつけた。
「名前は、何つーんだよ?」
あれっ? お兄ちゃんて、こんなに不良っぽい話し方だったっけ?
「Oh, My name is Robin. And his name is Benjamin. You know he is a Rabbit」
トラ君は、ふさふさした手で、自分とウサギを交互に指しながら説明した。
「お前、早口だな」
しかし、不思議なことに、そんな早口英語でも理解出来る様になっていた。
「つまり、ホワイトタイガーがロビンで、ウサギが、便所虫なんだな」
「コ、コラー!」
僕の言葉に、赤い鼻をしたウサギの目が吊り上がった。
「チョト、マテ。タックンさん。ワタシの名前はベン・ジャ・ミンあるよ」
ウサギが怒った顔で近づいて来た。
「あんた、何人?」
すると、ウサギは背筋をすっと伸ばした。
「私、イギリス生まれた。でも、親は香港の出身あるよ。両親、ビンボー、くろうしたね。それで香港から、船でドンブラコ。イギリス着いた。私、ベイビーボーン。両親、考えたよ。どっちの国籍ユウリかなーーー? 両親取った、イギリス、ベッター」
「ちょっと、ベンちゃんウザイ。話、長げーし」
僕はまた違和感を感じた。これはちょっとお兄ちゃんと違うかも?
ウイーーーン。
高速化したコンピュータが動きだした。
チーーーン。
この世界では、自分の深層心理が表面化されています。
恐らく、お兄ちゃんへのあこがれと、テレビの悪役のイメージが重なっているのでしょう。
「なるほど」
確かに、僕はお兄ちゃんにあこがれを持っている。しかし、それを素直に認めたくない。だから、お兄ちゃんに悪役のイメージを重ねているのかも知れなかった。