キング・ゴールド編 第五章 二大陸戦争⑧
「ぜえ、ぜえ、ぜえ。しつこい」
ヨグルは、二人の追跡者から死に物狂いで逃走をしている。体のあちこちが傷だらけで、血が風に巻かれて後方へ飛んでいった。
鮮明さが失われていく頭の中に、ゾルガの顔が浮かんだ。
(死なぬ、屈せぬ。ゾルガは、千年龍の攻撃で殺せたはず。は、ハハハ。戯けが。力とは、他者を蹂躙するためにある。それが分からぬから、うぬを裏切ったのだ。愚かな。あれほど他者を魅了するカリスマ、そして並のドラゴンさえ上回る圧倒的戦闘能力。余の傀儡、いやよき協力者であり続けるならば甘い汁を吸わせてやったものを。――ああ、今はそれよりも)
ゾルガの姿は掻き消え、代わりに赤で彩られた有象無象の人間どもの姿が脳裏に見えた。
人は美味だ。あの美味さを知らぬ同種のなんと哀れなことか。
もう少しで、夢は叶う。
体は死にかけだが、力はかつてないほど漲っている。人の憎悪が、体内を巡り黒き操り糸の強度を高めていく。生存さえできれば、マリアの力を使って勝利を得られる。それは、約束されているのだ。
「フ、ハハハハハハ。我が美食の未来よ、待っていろ。……さて、そのためには」
【ブラック・マインド】でマリアを完全制御化に置くには、憎悪があと一押し足りない。
このもどかしい事態を打破する方法は二つ。
一つ、味方の兵士にヨグルが裏切ったことを伝え、憎悪を煽るか。
二つ、マリアを見つけて適度にいたぶり、ゴールドブレス軍に見せつけるか。
――後者だ。
ドン王が、カーヴァ軍を突破したのを先ほど確認した。進行方向から察するに、ヨグルを狙っている。
上手く誘導すれば、悲劇をプレゼントしてやれる。しかし、後ろを振り返り、重々しくため息を吐く。グリフォンと大型兵器がしつこく追従してくる。
真っ向勝負は分が悪い。ならば、どうする?
「【ブラック・マインド】の感覚から察するに、この辺りにいるはずだが。はて?」
眼下は広い雪原が広がるばかり。人よりはるかに目の良いヨグルならば、すぐに見つけられそうだが、なかなかに発見できずにいた。
ヨグルの顔に焦りの色が混じっていく。
「おのれ、遮蔽物がないのになぜ。ハ!」
稲妻のような閃きが、脳裏をよぎった。
隠れる場所ならばある。雪、そう雪だ。マリアには、誰にも見つからずに召喚魔法を発動させておくように指示してある。
ならば、きっと雪の下に体を潜ませているやもしれない。
「おい、出てこい。いや、雪から這い出てくる時間が惜しい。余が見つけてやろう」
ヨグルは、八対の羽を激しく上下させ、雪をさらう。まくれ上がる雪が、幻想的なカーテンとなって宙を舞う。
「おお」
ヨグルは大きな口を開き、二股に割れた舌をチロリと出した。
眼下には、仰向けで杖を握り締めるマリアの姿があった。
※
「王よ、兵を五百ほどお貸しください。追撃してくる者どもを足止めいたしまする」
「うむ、任せた」
「千年龍の狙いはあの黒い巨人に絞られておりますが、いつ狙いがあなたになるかわかりません。どうかお気をつけて」
「心配するな。マリアを救出するまで死ねん」
ワイズが頭を垂れ、それからドラゴンナイトを率いて離脱。ドン王は、自らがまたがるドラゴンに問いかける。
「ヨグルを見つけたか?」
「二キロほど先におります」
「ぬ? ……あれか、でかした。急ぎむかえ」
ドラゴン達は、雄叫びを上げる。
ドン王が率いる軍団は、八千ほどしかいない。過去、戦争を千年もの間起こさなかったゴールドブレスの栄誉は地に失楽したといえる。
王としてもっとできることはなかったのか。カーヴァと話し合いの席を設けるように努力すべきではなかったのか。
血に濡れた鎧、千切れた翼。死した配下の姿が頭をよぎる。
「……ぬう、これ以上死なせてなるものか。マリアを正気に戻し、これ以上の被害を抑える。千年龍よ、ああ、おいたわしや。あなたの意識はまだ回復しておらぬのですな。力の化身として振るわれるのは、御身と初代の誓約を考えれば不愉快極まるでしょう。鎮めてご覧にいれる」
「あれは……いかん。王よ」
傍を飛んでいたドラゴンの瞳が大きく見開かれる。
「どうした、ライ?」
「マリア姫が、ああ!」
「一体何を? ……いや、この距離ならば私でも見える。ぬううう、素早き者は私についてこい。これ以上、好きにはさせんぞ」
王の顔に深い皺が刻まれた。
※
ヨグルは、マリアを見つけるなり、自らの体を巻き付けて確保した。
笑みを垂れ流しながら、後方を眺める。
カルフレアと護が、五キロほど後方に。さらにそこから東に視線を向ければ、ドン王の先行部隊が五百ほどいる。
距離から察するに、ドン王の部隊が先に到着し、遅れる形でカルフレア達が訪れるだろう。
「良い、実に良い! 余は攻めるより待ち受けるほうが得意だ」
彼は【ドミネイト】を発動させた。
舞う毒霧、吐き気を催すような臭いをまき散らす毒沼が生成され、周囲一帯が彼のフィールドとなっていく。
ドン王が到着する頃には、誰もロクに近づくことさえできなくなるだろう。
――しかし、物事は上手く運ばなかった。
「ヨグルゥウウウウウウウウ」
憎悪のこもった声。摂氏三千度の熱線が、ヨグルの翼を焦がす。
彼の自慢だった八対の羽が炭と化し、螺旋を描きながら墜落する。
轟音が周囲に響き、ヨグルは衝撃で揺れ惑う意識をつなぎ止め、空を見上げた。
真っ赤な飛竜が彼を見下ろしている。
「ザーギャ」
「借りを返したぞ」
「まだ、だ。余はまだ生きている」
「承知している。貴様は吾輩の焔で送ってやる。だが、その前に」
「ぬ!」
凄まじい力を感じた。自らの体を見ると、マリアの拘束を解こうとする毛むくじゃらの生き物と目が合う。
「うぬは、誰だ?」
「俺? 俺はクス。よろしくな」
間の抜けた声とは裏腹に、ヨグルの巨大な身体を小さな体が強引に動かしていく。
「やめろおおおおおお」
クスに向かって麻痺性の毒を吐く。人が吸えば数秒で体が動かなくなる毒は、しかしクスには通じない。
「無駄」
「う、あああああ。おのれ、ああ、触れるなあああ」
クスの手がマリアに触れそうになる。――このままでは。その時、幾重もの羽ばたきの音が聞こえた。
「マリア!」
ドン王とその配下五百人が、空を覆う。彼らはヨグルにとって敵だ。絶望の可視化に相違ない。だが、ヨグルは、
「ドン王か」
ほくそ笑んだ。
「見よ、王よ」
王の視線が、マリアに向く。――ああ、その瞬間どんな感情を抱いたのかヨグルには痛いほどよくわかった。
激しい憎悪の力が、己が身を巡っていく。
「あ、ああ、マリア」
傾国の美女と名高い姫。それがマリアだ。彼女が笑えば皆が振り向き、彼女が怒れば愛しさに胸が苦しくなる。
だが、見るも無残なものだ。マリアは、ヨグルの毒によって痙攣し、口からだらしなく唾液を垂らしている。
「良い、良い憎悪だ」
人々の憎悪を使って、マリアの洗脳を強化した。
「聞こえるかマリア。愛するゾルガは、死んだ。敵に殺されたのだ。うぬは復讐せねばならん。千年龍を呼べ。手始めに毛むくじゃらを吹き飛ばせ」
「うあ、あ」
マリアは、血走った目でクスを睨み、痺れた腕を少し振った。それだけでクスは、遠く吹き飛ばされていく。
さらにマリアは、千年龍の杖に大気中のマナを取り込み、長い詠唱を唱え、そして終えた。
ここに全世界で屈指の召喚魔法が完成する。あとは、ただ待てばいい。そうすれば、千年龍はいずれ完全に召喚され、世界はヨグルのものになる。
人々のざわめきが聞こえる。
マリアとヨグルの真上に、いつの間にか黄金のドラゴンが漂っていた。不鮮明だった輪郭がベールを脱ぐようにはっきりとしたものになり、金の鱗が光り輝く。
「マリアさん」
「マリアちゃん、しっかり」
遅れてやってきた護とカルフレア。
ヨグルは、血を口から吐きながら大声で笑った。
「遅い、実に遅い。うぬらの仲間は余の従者となった。世界は、余のものだ。ひれ伏せ、うぬらの肉を喰わせろぉおお」
人々の顔に絶望が蔓延する。
ヨグルの口からよだれが溢れた。何と美味しそうな顔をしているのだろうか。絶望と呼ばれるスパイスで味付けされた人肉なぞ、どんな美食でも勝てぬ極上の食だ。
ずっと空腹だった。目が覚めてからひたすらに食べても、美味しくない肉は腹を満たさない。
「ああ、さあああああ。いただこうか」
「それは、断るぜ」
地響きを鳴らして黒き機体がヨグルの前に着地した。
忌々しい機体だ。あれがなければ、とっくに千年龍の力で勝利していたはずだった。
しかし、もう今となってはどうでもよかった。
ヨグルは、温かさえ感じさせる声音で言う。
「よくぞ来た。終わりを見届けろ。うぬらの終わりだ」
「馬鹿が。勝負は終わりじゃねぇ。マリアは、お前程度に操られるほどヤワじゃない」
「フフ、愛おしい戯言だ。奇跡がここから起こるとも?」
「ああ、起こるさ。見ろ」
全員の視線が、壊れかけの武者に注がれた。
※
ヒューリは、全員の視線をコックピットの中で受け止めた。
「……へ、どいつもこいつもアホみたいなツラしてやがる。そら、お前の仕事だ。俺はずっと見てるからな」
そう言って、ヒューリは乱神のコックピットハッチを開いた。
軋んだ音と共に、身を凍らせるような寒さが中へ入ってくる。
小鞠は、腕をさすりながらコックピットから見える景色を眺めた。
空は曇天、地には絶望に淀む人とドラゴン。
「絵画に例えるなら、悲哀の雪原ってところかしら」
疲れたように小鞠は白い息を吐いた。
「行ってくるわね」
小鞠は後ろを振り返りヒューリに手を振ると、コックピットハッチ前に置かれた乱神の大きな手のひらに飛び移り、優雅に一礼した。
衣装が変わっている。いつもの和服姿ではなく、いわゆる大正ロマンと言うべき恰好。
スミレをあしらった着物に、赤と金の刺繍が施された黒の女袴と茶色いブーツ。
空に溶けるように麗しい青髪は、真っ赤なリボンでサイドテールにまとめられている。
手には千年龍の杖に酷似したマイクが握られていた。
小鞠は、凛とした瞳で周囲を眺めると、鈴の音のような声を響かせる。
「世の中は、もしかすると幸福よりも悲劇が多い。あらゆる異世界に訪れ、悲しい話を聞くたびにそう思ってしまいます。
でも、私はこうも思うのです。悲劇が多いなら、その分、強く幸福を追い求めれば良いんじゃないかって。ねえ、マリア、聞こえてる? いつも元気いっぱいで私に話しかけてくれるあなた。誰よりも天才なのに、誰よりも自分に自信がなくて毎日遅くまで魔法の研究や練習をしていますね。私はあなたのそんなところが頼もしいです。今が駄目でも、明日がよりよくなるように手を伸ばせる姿は、社長としては自慢で、女友達としては尊敬を感じています。――だから」
僅かに震え声が混じった。小鞠の視線の先に、体を痙攣させながら杖に魔力を注ぎこみ続けるマリアの姿がある。
涙が零れそうになるが、懸命にこらえて花咲くように小鞠は微笑む。
「早く元に戻ってよ。私、頑張って歌うわ。悲劇が私達を襲ってるけど、それはずっと続くものじゃない。幸福に手を伸ばせば、また笑えるから。あなたの社長兼友人の私が導いてみせる」
小鞠がマイクを口元にもっていく。
しかし、敵は待ってくれない。千年龍の体から金の粒子が次々と吐き出され、それは幻想的だが恐ろしい金色の雪として降り注ぐ。
兵士達が、ドラゴンに命じブレスを放つが、降る量が多すぎる。迎撃は間に合いそうにない。
「まずいね。護君、手伝ってあげようぜ。君はでっかく吹っ飛ばしてくれ。細かいのは俺が迎撃する」
カルフレアは、雷光を構え、次々と引き金を引いた。
ドラゴン達の赤きブレスを縫うように光が、粒子を滅していく。しかし、まだ無数の粒子が漂っている。
「はいっす、カルフレア先輩」
護は、生真面目な顔で頷くと、勇敢でイカレタ老騎士の大盾を空高く放り投げ、手をかざす。
「邪魔はさせない。【オヌ、鬼神は笑う。遊ぼう遊ぼう。熱く風を吹いて陽気に遊ぼう。獄炎嵐】」
盾に亀裂が走り、紙吹雪のように粉々になる。その小さな金属片達が高速でぶつかり合い、火花が散る。速く、鋭い音を掻き鳴らす破片は、摩擦熱によって真っ赤な炎と化す。――結果、上昇気流が発生し、金の粒子を弾いていく。
「皆さん、ブレスを下から吹いてくださいっす」
頷いたドラゴンナイト達は、一斉にブレスを吐き、それは金属片にぶつかりさらに高温となった。
激しさが増した風に舞う粒子は、カッと光り出し、連鎖的に爆発を起こした。
曇天の空に広がる爆発は、季節外れの花火のよう。
小鞠は、息を吸い、言の葉を紡いだ。




