キング・ゴールド編 第五章 二大陸戦争①
波が激しく渦巻いている。
母なる海アイラフは、今日も愚かな息子を叱責するように怒っていた。
ゴールドブレスの王は、巨大なドラゴンの背中から眼下を眺め、喉を鳴らす。
「恐るべき憤怒。母なる海よ、しかとご照覧あれ。この醜い争いを最後にし、怒りを鎮めて差し上げる」
空を埋め尽くすドラゴンの編隊。羽ばたきが勇ましく鳴り、時おり響く咆哮が闘志を表明する。
王の隣で羽ばたいていた賢龍ワイズは、風に負けぬように大声で叫ぶ。
「王よ。何も自ら出陣なさらずとも」
「この世界の危機に、引きこもっていては意味がない。ところでワイズよ。やはりマリアは洗脳を受けていたようだ」
「はい、承知しております。エンチャント・ボイスの社長から秘匿回線で連絡がありましたね。この通信機とやら、便利ですな」
「……異世界のものか。私にもっと時間があれば、異世界との交流に力を入れたいのだが、そうもいかん。それは、次の世代に託すしかあるまい」
「王よ……」
ワイズの視線に、ドン王は晴れやかな笑顔を返した。
「そんな顔をするな。ああ、それよりもマリアだ。あの娘は、魔法師として何より召喚士としての力量が並外れておる。初代の王セーネの生まれ変わりとも評されるほど。ゆえに、あの子の力は危険だ。万が一、召喚士としての才が、千年龍を完全召喚できるものであるならば……」
「ええ、ええ。お察しの通りでございます。彼の異世界には、地表をあっと言う間に焼き尽くす爆弾があるそうで、それと同質。……いえ、下手すればそれ以上の破壊をまき散らす可能性さえある。千年龍は、我らが世界を創造し、魂はドラニスの丘へ帰られた。遺された体は、時空の狭間に置き去りに、ただ圧倒的な力を宿す物と成りはてた。もう触れてはならない。休めてやるべきなのです」
王は、瞳を僅かに潤ませた。
「哀れな子よ。才能があるがゆえに、こうして戦に利用される。そして、何より王の子として生まれたことで、人並みな幸せを望むべくもない。王族としての責務に縛る。それは、呪いだ」
「王、かような発言は」
ワイズは、周囲に探りを入れ、ホッと息を吐く。
「騎士達の耳には入らなかったようです。……ああ、得心しました。それでマリア姫が異世界へお逃げになった際も、見守るだけで連れ戻すことはなかったのですか」
「ああ、そうだとも。ずっとは無理だが、私が健在の限りは、好きにさせてやろうと思ってな。……それも、叶わぬようだが」
「王……」
そっとワイズが目を伏せる。王は、その様子を温かく笑い、すぐに鋭い眼光になった。
「せめて、あの子が国を背負う前に問題は排除せねば。戦は避けたかったが、マリアが洗脳され、破壊をまき散らす可能性が高まった以上、手段を選んでいる暇はない」
「しかし、よろしかったのですか?」
「ん? ああ、社長が言っていたヨグルの洗脳能力についてか。確かに戦争が始まれば、マリアは完全洗脳されるかもしれん。だが、このまま放置していても、いずれは洗脳される」
「で、ですが。小鞠社長達は、カーヴァに恨みを持つ連中を集め、ゾルガとヨグルの討伐を考えていると」
「馬鹿者。次元決闘者は、確かに強い。だが、戦場の戦い方を知っているわけじゃない。お前は、興行屋に世界の命運を託すつもりか」
「そ、それは……。王よ、あなたの御心のままに」
王は頷くと、腰に下げた杖を手に取り、前方へと向ける。
二万もの軍勢は、連動して咆哮を上げた。
轟く声は、空気を揺るがし、戦のニオイを空へと漂わせる。鳥は恐れをなして、彼方の空へ旅立った。
※
――ブレースゥルホの横穴。
「ヒューリ」
涼やかな美声で名を呼ばれる。ヒューリが後ろを振り返ると、小鞠が和服の裾を風に揺らしながら、手招きしていた。
「何だよ?」
「もう出発の時間よ。準備は良いの?」
「何? もうか。ま、準備は終わってるぜ」
ヒューリは、鉄のアタッシュケースと腰にぶら下げた業魔を指差した。
小鞠はニコリと微笑むと、踵を返す。ヒューリが、彼女の後を追いかけると、ブレースゥルホの広間に辿り着く。広間には、飛竜達の他に、ヒューリ達が集めた反乱分子達が集っていた。
ダークエルフやドワーフ、サイクロプス、鬼、人虎など、多彩な種族がやる気に満ちた様子で武器のチェックをしている。皆、理由は様々だが、表情を見れば分かるように、凄まじい敵愾心をヨグルやゾルガに抱いているようだ。
ヒューリは、やれやれと鼻で笑った。
「揃いも揃って、こんなにか」
「そうね。秩序のない世界に、強引に秩序を敷いた。それは、統制と反発を招く。これは急激な改革がもたらした歪みと言えるかもね」
少し小鞠の声音が、いつもよりも翳りがあるように感じられる。
ヒューリは、彼女の肩に優しく手を置いた。
「どうした小鞠? 不安か」
「不安? うん、そうかもね。ちょっと、不安になってるのかな」
小鞠は、困ったような顔でそう言った。
これは……と違和感を覚えたヒューリは問いかける。
「何かあったのか?」
「うん……。さっき、偵察に出てた子から連絡があったの。どうやら、ゴールドブレスがカーヴァに対して戦を仕掛けるつもりらしいわ。もう国境を越えて、カーヴァに軍団が迫っているみたい」
ヒューリは、ギョッとした。
「何故だ? お前がヨグルの能力について王に説明したんだろ?」
「うん。でも、どうやら王は、私達を完全に信用しているわけじゃないみたい。そりゃそうよね、私達ただのエンターテイナーですもの。
……あの時、マリアが見せた千年龍の力。あれでまだ片鱗なら、千年龍本体を召喚すれば、この世界は滅ぶ。いいえ、ゲートを通って他の異世界も滅ぼしてしまうかも。王は、この世界の王としてそれを許容するわけにはいかない。……だから、勝負に出た。マリアが完全洗脳される前に、ヨグルを倒すつもりよ」
小鞠は、広場の一角で眠るマリアに視線を投げた。
あれからマリアは目を覚ましていない。時折、うなされる以外に反応はなかった。
辛そうにマリアから視線を剥がす小鞠。彼女は鋭い視線になり、宙を睨んだ。
「急ぐわよ、ヒューリ。マリアは今、戦っているわ。でも、いつ精神支配に屈するかわからない」
ヒューリは、噴き出すように笑った。小鞠が怪訝な顔をすると、ヒューリはより一層笑みを深めた。
「心配いらないと思うけどな」
「え?」
「このお転婆娘が、この程度の洗脳に負けるかよ。俺達は、どっしりと構えて、ゾルガとヨグルをぶっ飛ばせばいい」
小鞠は、裾で口元を隠しつつ大声で笑った。
「フフ、あなたの強気な発言好きよ」
「うるせぇな」
「OK。私も腹をくくるわ。王が戦争を仕掛けるつもりなら、それを逆手に取りましょう。海岸に注意が行くだろうから、私達はその隙をつく」
「へいへい」
「お前ら、仲いいな。つがいか?」
いつの間にやら隣にいたクスが、首を傾げてそう言った。ヒューリは、顔を逸らして黙り込むが、小鞠は大げさに両手を上げた。
「その通りよ」
「いや、違うから。……ウンン。クス、黙ってろ。この女は、その話題になるとうるさいからな」
「ひ、ひどいわ。地獄に落ちろ」
「最低だ。ヒューリ、そういうの良くない」
「すっごい責めるじゃねぇか」
クスと小鞠は、ケラケラと笑いあう。クスはコミュニケーション能力が高く、他のメンバーともすぐに打ち解けた。
「やっぱり、ヒューリ面白い」
「うっせ」
「ハイハイ、クス。ヒューリ弄りはその辺で。そろそろ始めるわよ」
小鞠が手を叩く。
今まで物騒な話をしていた面々は、強面を一斉に小鞠へ向けた。
ただの人間ならば、悲鳴を上げそうだが、自分の社員を守るためならば小鞠は鋼鉄の長になるのだ。
彼女は、着物の裾を翻し、高らかに声を上げた。
「皆さん、ごきげんよう。一つの国家に喧嘩を売ろうとするお馬鹿さん達が、こんなに集まって感激の極み」
ドッと亜人達が笑いさざめく。
「喧嘩を売る理由は人それぞれ。しかし、想いは一つ。あの気に食わない王様と邪龍をぶっ飛ばす。私達は、野蛮に利害が一致しています」
小鞠は拳を突き上げる。満面な笑みでその動作をしたものだから、皆の笑みが余計に深まった。しかし、彼女の顔から笑顔が突如消えた。
「でも、正直な話、あの人達を退けることができても、皆さんに良い未来が来るとはお約束できません。私達は、社員であるマリアとそのご実家であるゴールドブレスの平和が守れるという明確なメリットがあります。
ですが、あなた方には、ゾルガとヨグルという邪魔者を倒す以外のメリットがありません。それは命を賭すあなた方にとって酷な事。……だから、私はゴールドブレスの王とあることを約束させようと思います」
小鞠は、スマホを手のひらに乗せ、ホログラム映像を出力させた。
浮かび上がった映像に、亜人達は驚きの声を上げる。
「これは、王直筆の宣言書です。王は、私と出会った時、マリアを救出できれば、どんな願いも叶えると約束してくださいました。だから、私は勝利の際は、こう伝えようと思います。王よ、協力した亜人達の独立を認め、支援してください、と」
亜人達に、どよめきが起こる。
「そ、それって。俺達の国を作って良いってことかよ」
「あの亜人差別の国が、俺達の独立を許すなんて嘘だろ」
「だが、あれは本物っぽいぞ」
亜人達の顔から、冷静さが剥奪される。
ヒューリは、不安そうに小鞠を見たが、彼女は落ち着いた様子で手を叩いた。
「はい、注目。良いですか? 私が王からもぎ取ったものは、あなた方の未来へ続く切符です。この切符は、皆さんの歩み方次第で黒にも白にもなる。……世の中は、不公平です。今日、勝利しても、きっとあなた方は、ゴールドブレスの人々から差別される」
「そんな」
「ふざけるな」
「ですが、自分達次第で状況は変えられる」
小鞠が右手を横に突き出し、手招きをする。現れたのは、護だ。
「彼は我が社の社員。鬼の亜人とヒューマンとの混血です。彼の存在がいかに特殊か、あなた方でしたらわかるでしょう」
――亜人と人との混血。それは、ゴールドブレスにとって存在すらありえない異端児である。他の異世界においても、相当数存在するが、珍しい上に差別の対象となることが多い。
「彼は幼い頃、よく迫害を受けていたそうです。……具体的には、ナイフを投げつけられたり、腐った食べ物を口に入れられたりしたようですね。でも、彼は負けませんでした。必死に差別と向き合い、今は次元決闘者として立派に活躍しています。
彼は我が社の誇りです。あなた方の境遇は、私では分からないほど辛いものでしょう。しかし、自分達次第で彼のように道を切り開く術はある。我が社でよければ、戦いの後、いくらでも助けになるし、ゴールドブレスにも支援させてみせる。……後は、あなた方次第。意思が行動を決め、行動が明日を拓く。もう隠れるのはおしまい。今日を、良き未来へ続くための一歩にしませんか?」
洞窟内に響いた鈴のような声が止んだ。静寂は、亜人達の戸惑いの証明だ。彼らはゾルガとヨグルを倒すことで頭がいっぱいで、その先の未来を考えていなかったのかもしれない。
居心地の悪い時間は、永遠に続くように思えた。
――ふと、護が手を挙げる。
「変化が怖いっすか?」
「あ?」
「怖いですか。それとも、突然すぎてびっくりしてますか? え、えっと。これから先、何を話せば良いかな。……ああ、この話が良いっすね」
護は、ヒューリを一瞬だけ見た。
「僕は、次元決闘者になる時、随分悩んだっす。自分如きが活躍できるのかなって。でも、僕はある人の戦いを見て、不安だけに心をゆだねるのをやめた。
その人は、肉体も普通、特殊な能力もない普通の人っす。でも、強い人です。どんなに相手が強くても、悩み苦しんで、怖くても、結局立ち向かう。僕はその姿を見て、次元決闘者になるのを決めました。
きっと誰だって、初めてのことは怖いって感じるんだと思います。でも、戦いましょ。このままが嫌だから、皆、横暴な王様を倒したいんっすよね。細かいことは、倒した後考えれば良いっす。へへ、それにっすよ、最強の力を持つゾルガとヨグルを倒そうって人達が、国作るのが怖いなんて可笑しいっす。……戦いの種類が違うだけです。戦う相手は、差別。手ごわいっすけど、それだけに戦いがいがあるっすよ。血の気が多い皆さんなら、楽しんで挑める戦いだ。沢山、血の気が多い人と戦ってきた僕が保証します」
護が、拳を天へ突き出した。
「勝ちに行きましょう」
一瞬の沈黙。だが、すぐに雄叫びに変わった。
亜人達は、これまでで一番の闘志を漲らせ、拳を天へ突き出した。
「へ、やるじゃねーの」
ヒューリに歩み寄ってきたカルフレアが、大仰にため息を吐いた。
「けど、ヒューリを尊敬するのはちょっとな」
「一言多いって」
カルフレアは、ヒューリを見て朗らかに笑った。
「嬉しそうにしやがって」
「そ、そんなんじゃねえって。……けど、なんつーか。俺、次元決闘者になってがむしゃらに走ってばっかりで。でも、そんな俺の姿でも、誰かの背中を押せたのは、びっくりだな」
カルフレアが、ポンとヒューリの肩を叩いた。
「人の心を変えることは簡単じゃない。俺がお前らを変えてやるってな。そんなの狙ってやろうってのが間違いだと思う。けどな、自分を変えようと走っている人の姿は、見る人の心に響いて、変質させてしまうんだろうねえ。
良いエンターテイメントの本質って、そこにあるんじゃないかい」
「……かもな」
雄叫びが反響する洞窟。――さぁ、ショウタイムだ。