キング・ゴールド編 第四章 戦乱の気配漂う世界①
――マリア救出から一週間後。
キング・ゴールドは、戦乱の気配が濃くなっていった。
マリアは、ヒューリ達の尽力によりカーヴァの首都ワーダクから脱出したが、未だにゴールドブレスへは帰還していない。
ゴールドブレスは、急ぎ救出部隊を編成。カーヴァに侵入を試みるが、カーヴァより「無断で領土へ進軍すること。それすなわち敵対とみなす。我が国の王と貴国の姫君が婚姻する日まで聡い判断を期待する」と報じられ、身動きが取れずにいた。
戦争を回避したいゴールドブレスとどっちつかずの態度をとるカーヴァ。ゴールドブレスの民は、言い知れぬ不安に苛まれていた。
――北の大陸ニーファ南東に位置する街ルダヴァルーア。
ここは、ニーファの中でも様々な流れ者が集まる場所だ。一応カーヴァの支配地域ではあるが、ゾルガとヨグルの威光もここには届かない。
政治に忘れられた街。それが、ルダヴァルーアの姿である。
今日は曇天の空模様。
ルダヴァルーアは、活気に満ちている。ガラの悪い亜人やドラゴンが我が物顔で出歩き、ちょっとした騒ぎがあちこちで起きてはいるが、この街では当たり前の光景であった。
街には建物がなく、大小様々なテントがあるのみ。木製のテーブルを雪に突き刺すように設置し、売り物を広げている悪徳商人どもが客引きをしている。
(治安悪いなここ)
ヒューリは、白いマントとドラゴンを模したマスクといった出で立ちで、街の雑多な通りを歩く。
彼の女性のような目を引く容姿も、前述した姿のせいで注目されない。ヒューリは、喧嘩をしている集団を二つほどやり過ごし、大きなテントに入る。中には誰もおらず、扉が地面に設置されていた。
ヒューリは、無造作に扉を開き、薄暗い地下へと下りていく。
カツン、カツンと乾いた音が響く地下は、骨の芯まで染みる冷たさが満ちている。ヒューリは、白い息を吐きながら階段を降りきると長く続く廊下を歩き、また扉を開けた。
「う……」
眩しい光が視界いっぱいに入り込む。光の正体はスポットライトだ。赤土が敷かれた大地に金網のフェンス。そして、フェンスの外には、大勢の亜人やドラゴンが見えた。彼らは手を叩き、足で地面を蹴り、それらが生み出す凄まじい音と衝撃がヒューリを出迎える。
「さあ、皆様。本日のイベントをご紹介。あー、紹介しないでも分かりましょうが、最近流れ着いたミスター根無し草が、魔物と戦うってよ」
マイクを握りしめたアフロヘアのドワーフが、場をさらに盛り上げる。
ここは非合法のコロッセウム【デス・ハント】だ。
次元決闘の真似をしてルダヴァルーアの住民が始めたらしい。
ヒューリの正面には、五メートルほどの巨大な扉があった。
「野郎ども、注目しな。愉快なお友達の登場だ」
重い音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。
初めは暗い影にしか見えなかったが、扉が開かれるごとに姿が露になっていく。
「これは……」
――それはそれは、恐ろしい異形の怪物であった。
ヒューリの顔が引き締まる。四メートルほどの巨体、いかつい山のような筋肉、一本角に、一つ目。 ――サイクロプスが、ヒューリを見下ろしている。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せええええええ。
観客達は、叫ぶ。誰の死を願っている? ヒューリには言わずとも分かっていた。
「ハイハイ。気に食わない新入りを殺したいってか。だったら自分で来いってんだ。弱かろうが強かろうが関係ない。行動できない奴に、望んだ未来なんか来ねーんだよ」
ヒューリは中指を立て、観客達に見せびらかす。
火に油を注ぐように、燃え上がる怒号。
ヒューリは、業魔を抜き放ち、ドワーフに叫んだ。
「早くしろ!」
「へいへーい。ルールは相手が死ぬか、降参するかのシンプル第一。使って良しの武器は近接武器だけー。ルール説明終わり、ファイ!」
サイクロプスは、硬く拳を握り締め、ヒューリに襲い掛かった。
一歩踏み出すごとに鳴る地鳴りが、怪物の重量を伝える。
わかりやすい暴力の化身。しかし、ヒューリの顔には、汗一筋さえ見えない。
(……ゾルガを倒すには、どうしたらいい?)
圧倒的な膂力、大型武器を手足のように使いこなす熟練度。攻守ともに隙が無く、勝てるビジョンが浮かばない。
――だが、あいつは俺が倒す。
決めた。そう決めた。だから、ヒューリは止まれない。
「こんなちんけな暴力程度に止まってやれない」
サイクロプスは拳を握り締め、振り下ろした。空気が抉れる音と共に、人では受け止めきれない絶望が降り注いでくる。
ヒューリは、逃げない。静かに業魔を上段に構え、お手本のように刃を振り下ろした。
巨人の暴力に比べて、あまりにもお粗末な一振り。
サイクロプスの顔に笑みが浮かぶ。――しかし、すぐに苦渋に歪んだ。
「あ、ありえねえ」
ドワーフが呻く。
サイクロプスの拳が、前腕の辺りまで真っ二つに切り裂かれた。赤い液体が、鉄の臭いと共に周囲へ飛び散っていく。
観客達の騒がしい声が、静まり返る。
ヒューリは、血に濡れた刃をまるで円を描くように振るった。鮮血が、血塗られたアートを土に描く。
「で?」
「がああ」
「何言ってるか分かんねーよ」
ヒューリは、業魔をサイクロプスに向けると静かに問うた。
「まだ、続けるかい?」
暴力の化身は、牙を抜かれたように負けを認めた。
ヒューリは踵を返し、扉で待機していたダークエルフから金を受け取ると、そのまま闘技場を後にした。
歩きながら、ヒューリは黙考する。
俺が、ゾルガに勝つには完成させるしかない。
【放浪永礼流 最奥の境地 次元断ち・散華】
数ある放浪永礼流の技の中で、最高難易度と評される技だ。斬撃をするうえで必須となる要素。――脱力、斬る角度、無駄のない身体操作、呼吸、程よい闘志など、それらの要素を全て完璧な状態で一致させて斬ることで、初めて至れる境地と言われている。
小細工はなく、ただの極めた斬撃。それが、岩、鉄、ダイヤモンドといった硬い物を切り裂く必殺の一撃となる。
しかし、言うは易く行うは難し。安全な場所で素振りをしていても、なかなか完璧な一撃は繰り出すのは難しい。だというのに、戦闘という極限の緊張状態で次元断ち・散華を放たなければならない。その難易度は例えるならば、数ミリもズレずに百発の銃弾を同じ箇所に命中させるようなものだ。
「クッソ。さっきは僅かに力み過ぎた」
ヒューリは立ち止まり、そこらに落ちていた樽を蹴り飛ばした。
ヒューリの次元断ち・散華は完璧とは程遠い。だが、これを完成させなければならない。
「……フウ」
苛立ちは消えないが、こうしているわけにもいかない。ヒューリは、再び歩き出す。