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第二章 奮闘①

 ――誰かが笑う声に、泣き声が混じっている。




 茜色に燃ゆる公園は、騒がしい子供の声で満たされていた。




「お前、金持ちの子供なんだろ?」




「あれ、見せてみろよ。ほーろだったけ?」




「違うよ。放浪永礼流だ」




「ああ、そうそう、ほうほうだった」




 嘲り交じりの笑いは、学校の同級生たちの口から飛び出している。




 滑り台の先に設けられた砂場。昼に作った砂上の城が、風に巻かれて崩れていく。




 ヒューリは、涙に濡れる瞳でずっとその砂を睨んでいた。




「ほら、どこ向いてんだ。かかって来いって」




「まさか、五対一だからって卑怯だとはいわねえよな」




「お前のほうほうは、つえーんだろ?」




「ばっか、知らねえのか。コイツは、勉強も運動もいまいちなんだぜ? 俺のパパが言ってたんだ。永礼さんとこの息子さんは、父親の才能を受け継がなかったって」




「黙れよぉお」




 ヒューリは涙を拭った。声が震えているのが恥ずかしい。それに――痛い。握りしめた拳と、胸の奥が。




 ヒューリの咆哮が火だとすれば、彼らは導火線と爆薬だ。パチクリと目を見開き、それから今日一番大きな声で笑った。




 頭がフラフラする。呼吸が上手くできない。子供は無垢な存在だと、学校の先生は眩しそうな顔でそういった。――無垢だと? それは、人を意味もなく貶めるこの行いを得てもなお、そう言えるのか?




分からない。だが、ヒューリは学んだ。人は限度を超えた怒りを感じると、制御できぬほどの攻撃性を発露するのだと。




 感情は迸り、拳を握った。矛先は、手前にいる男子の顔。




「うわ!」




 放浪永礼流は己を生かす術だと、父は言った。ならば、正義はヒューリにある。このまま屈辱に身をゆだねてしまえば、心が死ぬだろう。




「な、なんだ。コイツ」




「痛い。待てって」




「ご、ごめんって。痛い、あああああ、腕がぁああ」




「ごめんなさい、ごめんなさい、すいません」




「やめて、おい、聞いてるのか。ぁが、あああああ」




 悲鳴が大合唱を奏でて、やがて静かなうめき声へと変わった。




 紅の公園は、いつもよりも赤みを増している。――当然だろう。地面には、五人の少年たちが血まみれで倒れているのだから。




 ヒューリは、自らの強張った両手を見た。固く握り締められた拳は血塗られており、鉄の臭いを立ち昇らせている。




 ざまあみろ、と思った。しかし、何度も深く息を吸って、重々しく吐き出しても、胸にわだかまる気持ち悪さが消えてくれない。




「お前は、何をやっている」




 低く底冷えのする声にヒューリは、肩を震わせた。




 公園の入り口に視線を向ければ、イワサが苛立ちを滲ませた顔で立っているではないか。




 彼は息子に歩み寄ると、平手で叩いた。何度も、何度も、鼻の奥から血の臭いが香ってきても止まらない。――痛い。あまりの痛さに、ヒューリはまた泣いてしまった。




「やめてよ。ぐ、痛い」




「放浪永礼流を暴力に使うなと教えたはずだな」




「だ、でも。こいつらは俺をずっといじめてきたんだ。物だって隠されたし、体操服も破かれちゃった。それに他にも色々。……俺は、自分を守るために使った。何が、何がいけないんだ?」




「何が、だと? 決まっている。武術とは、身を護る術であると同時に、人を傷つける凶器でもある。お前は今、ナイフで人を刺したに等しいことをした。分かるか。お前は、最低なことをしたのだ。――チィ、だから武術なぞ教えるべきではなかった」




 夕日を浴びて燃えるように顔を歪めたイワサの顔。ヒューリは、生涯この顔を忘れることはないだろう。




「し、仕方ないじゃないか」




「あ?」




「仕方ないじゃないか! だったら、黙って殴られていろっていうのか。俺は、ただ」




「……先生に相談する、私に言う。友達に助けてもらう。他にも方法はあっただろう?」




「だって……」




「言い訳は結構。その子たちを看病していろ。私は救急車を呼んでくる」




 イワサは、乱暴にヒューリを突き放すと、スマホを片手に公園の入口へ歩んでいった。




 涙で輪郭があやふやなその背中を眺めながら、ヒューリは呟いた。




 ――父さんには分かりっこない。全て優秀な人は、劣った人間の辛さを知らないんだ。




 情けなくて、どうしようもなくて。




 悲しくて、心淋しくて。




 胸にわだかまるこの感情は、優秀な父でさえ知らぬヒューリだけのもの。




 結局、この件は父によって解決されてしまうだろう。……それは、自らの無能さの証明だ。




 誰にも相談したくなかった。当然だ。いじめられていること、弱者であることを知られたくなかった。自らの力で解決して、ちゃんとやれるんだってことを証明したかった。




 ……他人よりも能力が及ばないのは、いけないのだろうか? ……分からない。弱くても生きてさえいれば幸福だという人もいるだろう。だが、制御できぬ苛立ちが告げている。




 永礼 ヒューリは弱者でいることがたまらなく我慢できない人間だってことを。




 ――ならば、どうすれば? 




 しばらく立ち尽くし黙考したヒューリは、ああ、と晴れやかに頷いた。




(簡単だ。父さんを追い越せば良いんだ。あの人以上になれば、皆、俺を認めてくれるはず。もう、いじめられない。イワサのただ一つの汚点なんて言われないで済む。




 ……んー、でも、勉強は駄目だし、商才もないや。じゃあ、武術しかない)




 ヒューリは、拳を握り締め、地面に横たわる同級生を直視した。




 胸にじくりとした痛み。自らの罪がそこにある。だが、だからこそ宣言しなければならない。想いは咆哮となって迸った。




「俺は父さんを、爺さんを超える武人になる。永礼の出来損ないじゃない。永礼 ヒューリという一人の人間として誰にも文句を言わせない男になるんだ。




 そのための第一歩として、俺は今日、俺をいじめ続けたお前らを許す。武人は、弱い者いじめをしない。自らを守るため、……いいや、それだけじゃない。大切な誰かを守る時に力を発揮するんだ。




 お前らは弱い。一人の人間を大勢で殴るしか能のない卑怯者だ。弱い、弱い、あまりに弱い。だから助けてやるよ。許してやるよ。俺は、永礼 ヒューリ。放浪永礼流を極める強い男だ」




 叫びが、夕暮れの空に吸い込まれていく。




 血にまみれた同級生たちは、呆けたようにヒューリを見つめていた。その瞳を真っ向から受け止めながら、ヒューリは彼らに歩み寄る。――負けない、退かない。そう呟きながら。

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