キング・ゴールド編 第三章 マリアを追って⑨
油断はなく、細胞の一辺に至るまで全力で臨む。
ヒューリが、ゾルガとの戦いにおいて心に課したことだ。
脱力から急速に筋肉を緊張させつつ、無駄のない動きで刃を振るう。切り上げと見せかけ、すぐに刃を翻し上段からの切り下げへ。
ゾルガは、造作もないといった様子で迫りくる刃を大剣で弾く。馬鹿げた力だ。ヒューリの手は痺れてしまった。
しかし、それは予想の範囲内。敵だってそうだろう。ならば、予想を超えろ。戦いとは、思考のゲームでもある。予想内の対応だと相手に読まれ、対処されてしまう。
――考えろ。いや、それじゃ駄目だ。考えてから体を動かすのではない。反射するように思考しつつ、体を反応させるのだ。
ヒューリは、クルリと身を翻しながら刃を地面すれすれに触れさせる。――その瞬間、魔剣の魔力を爆発させ、急激に刃を加速させた。
地面との摩擦で生じた焔。赤熱の軌跡が虚空に弧を描く。
【放浪永礼流 新技 焔の帳】
炎の幕がゾルガの視界からヒューリを覆い隠す。
「これは、何だ?」
困惑するゾルガ。刹那の隙が生まれる。ヒューリは、焔の帳から刃を突き刺した。
「グ!」
刃はゾルガの腹部に薄く突き刺さった。血が床に滴り落ちる。ヒューリは、全身の力を振り絞って刃をより深く刺そうとするが、直進しない。
「どう、なってんだよ?」
「筋肉を締め付けて刃を止めている」
「ハア? 筋肉で白刃取りしてんのかよ! ふざけた野郎だ」
ヒューリは、魔剣の柄を握り締めて魔力を爆発させようとする。しかし、ゾルガの蹴りによって、ヒューリは吹き飛ばされてしまう。
「クッソ」
ヒューリは軽やかに着地して、業魔を構える。
口の中が鉄の味で満ちた。
ゾルガは、愉快そうに笑い大剣を構える。
「フフ。俺に傷をつけたか。流石伝説の戦闘術の使い手。侮っていたことは詫びよう。さあ、俺も少しは本気で戦おうか」
ゾルガは、柄を両手で握り締め、力任せに振り下ろした。術理も何もない剛腕の一撃は、地を割り、王の間を崩壊させる。
「何、だとぉおおおおお」
ヒューリは、粉々になった床の破片と共に下へ落ちていく。
流れていく視界と浮遊感。全身から汗が拭きだす。
「死んで、たまるかってのぉぉおお!」
業魔を下に向け、魔力を爆発。その反動で飛び上がり、半壊している王の間に戻った。
「ハア、ハア、ハア、ッ! 人間業じゃねえ」
「特注の床だったのだが、耐えられんか。危うくマリアとそこの女を殺すところだった。まあ、青髪の女は死んでも良いが」
「ふざけんな。ああ、クッソったれ。……フゥー。これは、死を覚悟しないとな」
先ほどの馬鹿げた体験が脳内にリフレインする。だが、退けない。ヒューリの視界の片隅で、青ざめた顔の小鞠と虚ろな瞳のマリアが映る。
刃を構える手は震えていた。だが、それでもヒューリは不敵に笑い、ゾルガへ踊りかかる。
※
「う……痛!」
激しい揺れに、小鞠は立っていられず地面に叩きつけられた。
肘から血が滲み、血の臭いが鼻を掠める。
まったく、アイドル業に支障が出たらどうすんのよ、と毒を吐く。
幸い怪我はズキズキとするだけで、大したことはなさそうだ。
立ち上がった小鞠は息を呑む。広場の三分の二ほどが崩れ落ちている。
鎖に繋がれたマリアの片足は、宙にプラプラと浮いていた。
「マリア」
咄嗟に駆け寄った小鞠が、マリアを抱きとめる。鎖は天井に伸びており、あれが外れない限りは大丈夫だろう。しかし、天井は今の衝撃でひび割れ、どこまでマリアの安全が保障されるか怪しいものだ。
「――」
「え?」
マリアの口に耳を当てた。か細い呟きが聞こえる。聞いているうちに、みるみる小鞠の顔が青ざめていく。
「ちょっと、マリア。あなた何を言ってるの?」
「わ、ワタクシは、ゾルガと結婚しなければ。戦は駄目。お父様がお母様が、国民が……ワタクシが皆を守らないと」
「正気に戻って! マリア、マリアってば」
マリアの頬を手で軽く叩く。小鞠の脳裏に、マリアの生意気な顔が映った。
こんなことを言う女の子ではない。意地っ張りで意外と自分に自信がないけれども、我が強いのが彼女なのだ。
戻ってこいと祈りを込めた。――ああ、私はなんて無力なんだろう。社長といえど、こんな時に何の助けにもなっていない。ヒューリ達の反対を押し切って、強引についてきたのにこのざまはなんだ。
――高らかに鳴る剣戟の音。
ヒューリは、ゾルガに懸命に食らいついている。小鞠の運動能力は悪くないが、あのレベルの戦いにはついていけない。
悔しい、悔しい、どうして私は。マリアを強く抱きしめる。
「あ……」
マリアがゾルガを見ている。その瞬間、体に火が灯ったように暴れ出した。
「ま、マリア」
「ゾルガ、危ない。危険、危険……あ。声が聞こえる。そうあれ、を」
「声? 声なんて聞こえない。あなたは何を言っているの」
「あ、社長」
マリアの瞳から涙が一筋流れた。無表情な顔に、僅かに苦悶の色が見えた気がした。
「にげ、て」
「え!」
「お逃げになって!」
そう叫ぶなり、マリアは手を開いた。まるでそれが合図だったかのように、何もない空間から突如、千年龍の杖が出現し、遠くの空で雷鳴が轟く。
「わ、我は千年の繁栄を誓いし者。偉大なる千年の君よ。我が危機に再び微睡から解き放たれよ。鐘が鳴った。黄金に彩られし世界に次の千年の繁栄を。
我はゴールドスタイン。汝と契約し、争いを遠ざけることを願う者。悲しみをここに。最後の戦いにしよう。力よ、力よ、世界を安寧に導く黄金の木漏れ日よ。輝きが全てを壊し、癒すだろう。【千年の牙】」
雷鳴が止んだ。静寂が辺り一面に満ちていき、金の粒子が漂い始めた。
「何これ? ねえ、あなた何をしたの!」
マリアの肩を掴んで激しく揺さぶる。しかし、彼女の顔に反応はなく、涙がもう一筋零れただけだった。




