キング・ゴールド編 第三章 マリアを追って④
――じゃら、じゃらら。
不快になる音は、マリアの手足につけられた鎖から発せられている。
彼女は広い場所に連れてこられ、放置されていた。
広場の中央には、真っ黒な椅子が一つだけある。その椅子は、やけに大きく、真っ黒な色合いがいかにも不吉そうだ。
(ブラック・シールド。たしか、この地方だけで取れる希少な木だったはず。ああ、ワタクシは本当にニーファへ連れてこられたんですわ)
途中で気を失ったマリアが目を覚まし、まず目撃したのがさび付いた鉄格子付きの牢屋だった。
(ハア、ワタクシまた囚われの身ですの。しかも、今度は待遇の悪い囚われですわ)
何度もため息が零れた。
「やってられないですわ」
「そう腐るな。お前は場所を移すことになった。出ろ」
兵士は、そう言うなり力任せにマリアを引っ張っていき、広間に放り投げた。
「女性の扱いがなってない野蛮の国ですわ。イーだ」
文句を言いつつもマリアは、周囲に意識を巡らせた。
(……無音。気配すらない)
兵士は撤収し、誰もこの場にはいない。逃げるならばチャンスだろうか。――いや、とマリアは考え直す。
人の気配はないが、鉄塊を降らせたようなプレッシャーだけはずっと感じ続けている。暑くもないのに冷や汗は止まらない。
マリアは、よく通る声で叫んだ。
「この気配……出てきなさい。ワタクシを見ているのでしょう、邪龍!」
静寂。しかし、それは数秒ほどの話。体の内側から泥が這い上がるような不快さを伴って、その声は響いた。
「小娘よ。流石にキング・ゴールドの次世代を担う人間だけあって、ドラゴンの気配には敏感か。気配を消していても余の存在に気付くとはな」
低い地響きが鳴り、後方のドアが開かれた。引きずるような音を響かせて登場したのは、巨大な蛇のようなドラゴンだ。毒々しい緑色の体表は鱗にびっしりと覆われ、悪魔のような翼が八対ある。
ドラゴンは、品定めするような目でマリアを見下ろした。
「……んー良き肉だ。さぞや上手い味がするだろう」
「品のない。礼儀がなっちゃいませんわ」
「おお、これは失礼。余の名はヨグルという。以後、お見知りおきを。フ、ハハ」
舌なめずりをするヨグル。マリアの顔が僅かに青ざめた。
ヨグル、の名には聞き覚えがあった。いつ頃誕生したドラゴンかは定かではないが、人を喰らうことを好む残虐なドラゴンだと。
ヨグルは、マリアの顔を眺め、口を大きく開いた。
「怯えるな。うぬには利用価値があるゆえな殺さん」
「何ですって? どういうことですの」
「それは、俺が教えてやろう」
低く鋭い声。その主は、ヨグルが入ってきたドアに立っていた。
「ゾルガ!」
「そう吠えるな。貴様が大人しくしている限り、俺らは何もせぬ」
ゾルガは、足音を盛大に鳴らしながら広場に入ると、あの黒き椅子にどっかりと座った。
王に相応しい品性なぞ、どこにも見当たらない。
だが、威風堂々としたその姿は、まさしく王の佇まいだ。ゆうなれば、獣の王――。
「ふう、やはり王という立場は俺には合わんな」
ゾルガは、首の骨を雑に鳴らした。
「そうか? うぬを王と慕う臣下を見れば、余の見立ては正しかったと見えるがな。そら、うぬがゴールドブレスに連れて行った者どもは、我らを逃す時間を稼ぐために、ドラゴンナイト共に挑んで果てたらしいぞ」
「どこで聞いた」
マリアは、顔を引きつらせた。呼吸が満足にできない。魔法でも毒でもなく、ゾルガが放つプレッシャーが、そうさせるのだ。
「そう怒るな。先ほどこの城の兵士が報告してくれたのだ。良き部下を持った……」
「黙れ! 忠義を愚弄するな。貴様に人を理解しろとは言わん。だが、俺との協力関係を続けたくば、最低限のことは守れ」
「ふう、わかった、わかった」
マリアは、眉を顰めた。
どうも仲良しというわけではなさそうだ。
(ここは、情報を少しでも引き出すべきですわ)
マリアは、体に気迫を漲らせ、ゾルガのプレッシャーをはねのけた。
ゾルガは、感心したように頷く。
「ほう、俺の闘気を受けて動けるか」
「うるさいですわよ。あなた方……状況を分かっているのかしら? ゴールドブレスの姫であるワタクシを攫えば、カーヴァとゴールドブレスで戦争になりますわ」
――クク、ハハハハハ。
嘲笑の二重奏がマリアの顔を不快気に歪めた。
「何が可笑しいの? わが国は、ドラゴンとゴールドナイツがいる最強の国家。お前らがいかに優れていようが、マイノリティな存在である限り、数で圧倒的に我らが有利。ましてや、戦士の質でさえも負けていますわ。死にたいの?」
「いやいや、確かにうぬが言う通りよ。いかに我らとて、ゴールドブレスと真っ当に戦えば死は必然。しかし、手がないわけではない」
「……え?」
マリアは、胸に鉛が広がっていくような感覚に怯えた。
「……表情が変わったな。我々には戦をする用意がある。すぐにでも貴国へ攻め入ることができる。それに、我々にはお前がいる。次期王妃であるお前を人質として使えば、貴国は自由に動けまい。戦の不利など、戦略次第で覆る」
「ひ、卑怯者」
「戦に卑怯などない。勝者と敗者だけがいるのみ」
ゾルガは、立ち上がるとマリアに歩み寄る。大きな男だ。近づくほどに威圧感が増した。しかし、彼女は後ろに退かず、毅然とした表情で睨みつける。
「ほう……。拘束具を嵌められた状態で、よくぞそんな態度がとれるものだ。フフ、気に入ったぞ。おい、マリア。お前に選択肢をやろう」
「選択肢ですって?」
「そうだ。俺と結婚しろ」
――ハ?
マリアの口から呆けた声が出た。思考が上手く回らない。目の前の大男は何を言ったのだろう。
理解が追いつかないマリアを置き去りに、敵の王は語りだす。
「簡単な話だ。我が国と貴国は対立関係にある。しかし、俺とお前が婚姻関係になり、和平交渉を結べば戦をする必要はなくなる」
「戦をしなくても……いい」
「そうだ。俺らの目的はこの世界の統一だ。戦なぞ馬鹿らしい。戦わずに統一できるならばお互いにとって良い事だろう」
「ふ、ふざけるなですわ。お前らのような人に仇なす者が我が国と統一を果たすですって。馬鹿も休み休み言いなさいな」
ヨグルは、チロチロと舌を出した。
「クク、本気だ。統一が成されれば、争いはなく我らと共存する道を探れる。例えば、余は人を喰らうことが好きだ。こんな好みがある余とうぬらは本来相容れぬ存在。だが、病死した者の遺体のみを喰らうように約束したとしたらどうだ?
うぬらは感染症の拡大を未然に防ぐことができ、余は欲望を満たせる。……ようはやりようよ。お互いに歩み寄れる道はあると思うぞ」
それに、とヨグルは続けた。
「うぬが父親は死の病に伏しているだろう」
ビクリ、とマリアの肩が動いた。
「余とゾルガの国と戦う重圧に耐えられるか? 一歩間違えれば、死ぬやもしれぬ。心労、はたまた戦死か」
――そんな苦労を背負わせるつもりか? 楽をさせてやれ。
悪魔の囁きが、マリアの鼓膜を揺らし、精神へ染みこんでいく。頭がフワフワとする。「お父様、を救う」
考えが定まらない。だが、全身をなぶるような気持ち悪さだけがあった。
マリアは、己が体を抱きしめる。震える我が身は、何と頼りないのだろう。
頭に浮かんだ温かな人たちの顔が、今は無性に愛おしかった。