第三章 交わす刃と言葉⑮
――真・乱神ナイトのコックピット内。
「反応があったわね」
小鞠は、シートに必死でしがみ付く。グラーヴァが暴れるほど、真・乱神ナイトの内部は派手に揺れた。
不出来なジェットコースターに乗っているような気分だ。視界が歪み、吐き気がこみ上げてくる。しかし、小鞠たちは、降りることができないでいた。
「うっぷ。最悪ですわ。社長、いつまでこうしていたら」
「ほんとっすよ。そろそろ良くないものを吐きそうです」
「マリア、護、我慢よ。今、この機体にエネルギーはないんだから、動かせない。……う、イワサさんの話だと、すぐに結果は出るらしいけど」
小鞠は、視線をピタリと一点に止めた。
視線の先には、床からハンマーのような形をした物体が生えていた。長い柄の先端にある球体は、一部がぽっかりと穴が開いている。
この物体は乱神のエンジンであるマザースフィアだ。そして、オゴはこの中に入っていた。
(まさか、あんな小さなものがオゴなんて……)
小鞠は、オゴを直に目にしたことがなかった。それだけに、ヒューリがマザースフィアから小さな種子を取り出した時は驚愕した。
ヒューリ、と小鞠は心配そうな眼差しでマザースフィアを眺め続ける。
※
グラーヴァの全身から血が噴き出した。
「よし、成功だ」
と、ヒューリは喜んだが、すぐにグラーヴァの出血は収まり、傷が塞がった。
「グラーヴァの奴、しつこいじゃねーの」
「いや、あれはオゴの力が安定してないんだ。再生と破壊の力が都度反転して、回復と破壊を繰り返してる」
「おおい、困るよ後輩君。回復の力で固定させるなよ? そうすりゃ、絶対死なないグラーヴァが爆誕して世界は終わりだよ」
「知ってるっつーの」
しっかし、親父の野郎無茶な作戦考えやがって、とヒューリは悪態をつく。
「本当だよな。お前さんの意思一つで世界が救われるか、破壊されるかが決まるとか」
「ああ。けど、これしか手がねえ。グラーヴァの再生力を上回るには、オゴの破壊の力を使うしかない。――カルフレア、集中する。ちょっと黙っててくれ」
カルフレアが、軽口をたたこうとするが、シャーリアが鋭く鳴いて黙らせた。
ヒューリは、深く意識を沈めていく。
※
オゴを使う作戦は嫌だった。オゴは、自らの弱さを克服する手段であり証明だ。
もし、グラーヴァに取り込まれればどうなる?
たとえ奴を倒せても、もう戻ってこないのでは?
――怖かった。
けど、小鞠や護、マリア、カルフレアの顔を見れば、すぐに気持ちは固まった。
(コイツらを失うほうが怖い。絶対にグラーヴァは倒す)
守りたい。だったら、破壊の力を引き出さなければ。いつも、どんな気持ちでいたから破壊の力になっていたんだ?
……わからねぇ。
気持ちが、いつもみたいに落ち着かない。疲れているからか?
落ち着かない感触が、体をさすっていく。
「ヤバイ、どうしよう……」
《落ち着け》
パッと顔を上げてカルフレアを見た。だが、彼は不思議そうな顔で睨み返してくるだけだ。
コイツじゃない。誰だ?
《落ち着け。オゴを操るには、心にさざ波を立てず、静やかな気持ちで一念だけを思え》
耳から聞こえてくる声ではない。遠いような近いような距離から、脳に直接語り掛ける声は、不思議と心が落ち着く。
(あんたか? カルフレアに乱神はすぐに直るとかほざいていたのは)
《よそ見をしてはならない。一念だけを思え。思考は一つ。想いは一つ。オゴは、始まりと終わりを司る。余分は捨てよ》
疑問は湧いたが横に捨てる。グラーヴァを倒すには破壊の力が必要だ。破壊の力とはつまり、憎悪の力。
ヒューリは、歯を食いしばった。
――許せない。ずっとグラーヴァと出会ってから嫌なことばかり起きる。
許せないといえば、永礼の血もそうだ。
永礼、それは自らを縛る呪い。昔から永礼の出来損ないと馬鹿にされ続けてきた。
それだけに飽き足らず、この呪いはジジイが昔倒したはずの悪龍さえ呼び寄せた。
許せない、殺してやる。全部、許さない。
「お、おい、あれを見ろ、ヒューリ!」
体を揺さぶられ目を開けた。
「あ、あああああああああああああああああ。ギャアアアアア」
グラーヴァの全身から血が噴き出した。回復の兆候は見られない。
「良い調子だ。もっとやれ」
「もっと? そうだ、もっとしなくちゃならねえ」
許せない、全部許せない。出来損ないの自分も、この世界も全部嫌いだ。壊してやる。壊してやる。酒に酔ったかのような酩酊感が、思考の精度を奪っていく。
《力をコントロールせよ。災いは》
「うるせぇ!」
グラーヴァは倒れ、派手な水しぶきが舞う。――もっと、もっと。苦しめて壊してやる。そしたら、今度はすべてを!
「俺は、何を? いや、正しいのか?」
自分の意思がわからない。巨大な渦に飲まれた気持ちがした。
「ヒューリ」
光の手が差し伸ばされた。ハッとヒューリは目が覚めた面持ちで顔を上げた。
「ヒューリ、助けて!」
「え?」
小鞠の声。そういえば、彼女は機体に取り残されたまま。グラーヴァが暴れるほど、機体は揺れるはず。
悲鳴が聞こえてくる。
「ヒューリ、早くしないと社長が、皆が!」
「あ、ああ。そうだな。早く、しないと。……ん?」
グラーヴァの後ろ脚の付け根から血が噴き出し、そこから丸い水晶のようなものが見えた。ヒューリは、咄嗟にカルフレアからライフルを奪うように借りると、慎重に狙いを定めた。
《大切な者を想え。強大な力に飲まれないためには、心に強い土台を作るのだ》
「ああ、そうだな。おせっかいな誰かさん。俺、大きな力に飲まれてたのか。……ありがとう。おかげで落ち着いた」
破壊の力が、グラーヴァの身体の自由を奪っていく。
徐々に悪龍の動きが鈍り、露出したコアを狙うのが容易になってきた。
ヒューリは、スコープ越しに悪龍のコアを狙い、引き金に指を触れた。
「ああ、グラーヴァ。……思えば、お前も哀れな生き物だよな。呪い続けてこんなところまできて。何かを呪うって苦しいよな。俺が終わりにしてやる」
呼吸を止めて、銃の揺れを最小限に。ピタリと定まる標準。引き金を引き絞った。
乾いた音が一つ鳴った。弾丸がコアを射抜く。弱っていたグラーヴァは、最後の雄叫びを上げた。
悪龍と目が合う。血まみれだが、相変わらず瞳には憎悪が宿っている。しかし、気のせいだろうか? 安堵の色が見えた気がしたのだ。
「貴様、我はやはり、永礼の者に倒される運命か。ああ、運命、だったのか? ならば、仕方ある、まい」
瞳から光が消えた。
悪龍、グラーヴァ。恐るべき悪の化身は、彼の故郷から遠く離れた異世界で命を終える。
ゆっくりと閉じられた瞳。巨大な龍の体が崩れていき、やがて肉片は光となって燐光を放った。
憎しみで出来ていたとは思えないほど、空に昇っていく光の粒たちは幻想的だ。
ヒューリは、安堵の域を漏らした。
瞳を閉じて、耳を澄ませる。謎の声はもう聞こえない。
沢山聞きたいことがあった。
疑問が心の内で渦巻いている。だが、もう良いのだ。
重量のある疲労感が、心身にのしかかっている。
もう疲れた。考えるのは、ひとまず眠ってから。
ヒューリは、カルフレアにライフルを渡すと、その背中に頭突きをするように頭を預け、そのまま眠りについた。
※
――夢を見た。怖い、怖い夢だ。そこに救いはなく、ひたすらに暴力にさらされる日々。
泥のように眠る時間だけが、唯一の安らぎだった。
ある日、最低な日々が今日からまた始まるのだと、諦めきった様子で空を見た時、気付けば、戦場から森林が生い茂る風景に突如迷い込んだ。
偶発的に時空が歪み、異世界へ旅立ったのだ。こういうの、どこかの異世界では神隠しっていうらしい。
訳も分からず彷徨っていたら、親切なオジサンに拾われた。後で知ったことだが、彼は有名な商人だった。貴族の真似事をして森で狩りをしていた時に、ワッチ……シルビアに出会ったらしいのだ。
そこからの人生は、華麗だった。鮮烈に駆け抜けた。日々は絶望から希望へ。世界はワッチのものだと思えるほど、成功を重ねた。どうやら、ワッチには商才があったらしい。
しかし、歩みは止まった。
あの男、永礼 イワサは、ワッチを上回る傑物だ。あがいても勝てる見込みはない。
――今でも覚えている。あれは、異世界【アクアスカイ】で開催されたダンスパーティ―。大半は貴族連中が参加していたが、彼らと結びつきが強い商人も招かれていた。
いつも通り。そう、いつも通り脚光をワッチは浴びていた。当然だ。ワッチは美しいのだから。
――だが、主役はワッチではなかった。
氷の瞳が、周囲を睥睨している。貴族たちは、自らが主役であることを忘れ、彼に頭を下げていた。
悔しかった。バルファッソ家に養子になって初の敗北。そしてずっと刻まれる敗北だった。あの男は、ワッチを見ても意に介さない。
「絶対、見返してやる」
呪いのような言葉。執念で努力した。何度も何度も。己の全てを賭して。だが、届かない。振り向いてもらえない。ワッチは、そのことに虚しさを覚えて……。
「う?」
目が覚めた。さっきまで夢を見ていた気がするが、よくわからない。
ワッチは、確かリベンジマンに裏切られて、いや初めから利用されていて……どうなった?
何も分からないが、ワッチは浜辺で仰向けになっているらしい。潮の香り、チクチクと背中を指す砂の感触が汚らわしい。
「生きていたか」
男の声が降ってきた。見上げれば、永礼 イワサがこちらを見下ろしている。
冷たい瞳。最初にあった頃から変わらない。だが、不思議なことにワッチの胸は熱を帯びたように高鳴った。
彼は、スーツのジャケットをワッチに被せる。暖かな感触が、ワッチを包む。どうやら、体は冷え切っているようだ。
「どう、なった?」
「さあな? それはこれからの調査で判明する。君は、今回の事件の首謀者として捕まるだろう」
「逮捕……。ハハ、ワッチはここで終わりか。お前に勝つ夢も潰えたわけだ」
いや、とイワサは首を振った。
「そうでもないさ。私はオールワールドフェスティバルの失態、それに先ほどは各国の連合軍を借り受けたというのに、全滅させてしまった。私も今の地位を保つのが難しくなるだろう」
ワッチは、渇いた喉で笑った。
「ワッチのせいか。痛快だ」
「ああ、そうだ痛快だ。こんな敗北は初めてだよ」
イワサは、燃ゆる瞳でワッチを見下ろしている。意外だ。この男に、感情があったとは。
彼は、鋭く指を差し、激しい口調で言った。
「俺は、こんな程度では終わらない。ここから必ず這い上がる。君はここで終わりか? だとすれば、ここでサヨナラだ。しかし、また俺の敵として現れたならば、今度は負けない。絶対に敗北をプレゼントしよう」
肩で息をして、額から汗を流している。まったく彼らしくない。いや、これが本来の彼なのか?
ワッチは、なぜだかわからず浮足立つ気持ちで笑った。
「アハハハハハハハハ。わ、ワッチは、必ず這い上がる。だから、また、会おう。――きっとだ」
「……そうか。その言葉、確かに聞き入れた」
イワサは、背中を向けて歩き出す。
遠くでサイレンの音が聞こえてくる。
彼が呼んだのだろう。
ワッチは、遠のいていく背中に手を伸ばし、愛おしそうに指でその背を撫でた。
よろしければ、ブクマ、評価お願いいたします。




