第三章 交わす刃と言葉⑬
硬く頑丈な鱗が、火花を散らす。深々と突き刺さりはしないが、表皮が薄く切り裂かれ真っ赤な血が海を汚した。
「よし、よくやったマリア。今度は俺の番だぜ」
業魔を握り締め、真・乱神ナイトがグラーヴァの数センチ先に躍り出た。
「喰らえええええ」
ガトリングガンを投げ捨て、大上段の一撃。グラーヴァの額を切り裂いた。コックピットまで届く絶叫が、確かな手ごたえを感じさせる。攻撃は止まない。左腕でフックぎみに顔面を殴りつけ、業魔を胴体に突き刺した。
「終わりだ、グラーヴァ」
「ヒューリ、ワタクシが止めをもらいますわ。
海龍は怒り狂った。穏やかな気持ちは彼方へ消え去り、落陽が海原を焦がす。ああ、地平が赤く燃えている。こんな気持ちになったのは貴様のせいだと、海龍は怒りを槍に変えて放つ。【アンガー・リベンジランス】」
細く鋭い水の槍が生成され、グラーヴァの傷付いた表皮に突き刺さっていく。さらに彼女は、雷撃の魔法を放った。
「うわ、マリアちゃん容赦ないねえ」
「うるさいですわ、カルフレア。ここまでやっても、不安ですわよ」
「そうですか? もう、倒したはずっすよ。だって、こんなダメージで動ける生き物なんているわけないですって」
雷鳴が止んだ。
グラーヴァの体から黒い煙が、もうもうと立ち昇っている。恐らくコックピットを出れば、焦げた臭いも漂ってくるだろう。
死んでいるはずだ。
しかし、ヒューリは、冷えた汗が流れるのを止められないでいた。
「ヒューリ?」
と心配そうに小鞠が、顔を覗き込んだ。
「油断するな」
「え?」
「まだ、終わってねえ!」
機体が激しく揺れた。
グラーヴァが、前腕で真・乱神ナイトを引き剝がし、噛みついてきたのだ。
メリメリと鋭い牙が、胴体の装甲に食い込んでいく。
「離れろ!」
硬く握った拳で、何度もグラーヴァの頭部を殴りつけるが、まるで離れる気配はない。凄まじい執念だ。しかし、ここまでやっても彼の鋭い牙は装甲を捻じ曲げるだけで、内部フレームまでダメージは達しない。
ヒューリは、長く息を吐いて言った。
「へ、おしゃぶりか?」
「戯け話が上手いな、小僧。だが、我は許そう。お主の最期の言葉なのだからな。フゥ、ハ、ハハハハハ」
――その言葉覚えておいてやる。
グラーヴァの言葉は、親愛の心が込められているように優しかった。
「先輩! 周辺に膨大な魔力反応」
「これは、あの攻撃が来ますわ」
光が押し寄せてきた。大気中のマナが焔に変換されて四方八方から吹き出しているのだ。さらに、グラーヴァは、噛みついた状態のままブレスを吐きだす。
分厚く丹念に鍛え上げられた装甲が、辛うじて熱のダメージを防いでいる。しかし、破壊は時間の問題だ。
これでは、マグマの中に沈んでいるのと大差がない。
「マリア、防御の魔法を!」
「無理ですわ。今、周辺にあるマナは、全てグラーヴァに魔力変換されてしまいました。この魔力は、彼専用のマナであり、ワタクシでは扱えませんの。
魔法の戦いとは、いわばマナの奪い合いであり、その点でいえば完敗ですわ。さすがドラゴン。人間とマナの扱い方のレベルが違います」
「か、感心してる場合じゃないっすよ。機体温度、どんどん上昇してますって」
護が、額の汗を拭う。
サウナに入っているみたいだ。ポタリポタリと汗が流れ、喉が渇いてきた。
カルフレアが熱い熱いと喚きながら、ペットボトルの水を飲み干す。
「プハァ……このままじゃ、俺ら仲良く燃えカスになるってか。かー、嫌だね。社長とマリアちゃんはともかく、男と一緒に死ぬとかありえねぇって」
「カルフレア、テメェ黙れって」
「だから、俺にアイデアがあるぜ」
全員の目がカルフレアに集中する。
彼は白い歯を輝かせるように話し始めた。簡潔にわかりやすく、しかし彼らしく少々の冗談を交えた説明が終わると、小鞠は鋭い声で命じた。
「即刻採用・即実行。急いで」
「フン、カルフレアのアイデアってのが気に食わねーが仕方ない。護、タイミングを合わせろ」
「了解っす」
ヒューリは、シートベルトをきつく締め付けた。ヒューリの太ももに座っていた小鞠が、色気のある吐息を零したが、すぐに意識の外へ弾く。
「しゃあ、行くぜ」
真・乱神ナイトは、業魔を逆手に持つとグラーヴァの目へ目がけて突き刺そうとした。しかし、グラーヴァは、尻尾で右腕を締め付け、身動きを封じてくる。
「フフ、無駄だ。その程度の抵抗で、我が焔から逃れられぬ」
「うぜぇ。だったら、空だ」
スラスターを全力で噴射させる。僅かに機体が上昇するが、グラーヴァが逃すまいと、噛みつく力をさらに強めた。
「しっかり、食いついてるな。護!」
「はい、【オヌ、元に戻りたまえ】」
「それと同時に、右腕パージ」
真・乱神ナイトの表面装甲がズルリと剥がれた。胴体に噛みついていたグラーヴァに、その表面装甲が持っていかれるが噛みつきから自由になった。さらに、真・乱神ナイトの右腕は肩の根本から外れ、尾からも解放される。
真・乱神ナイトは、飛び立ちながら左手で業魔を回収し、空へ逃げることに成功する。
グラーヴァが、激しくブレスを吐きながら雄叫びを上げた。
「っしゃ! ざまーみろ」
ヒューリが、中指を立てる。
「できるだけ距離を稼いで。グラーヴァから離れれば、大気のマナを変換して魔法や妖術が使えるようになるはずよ」
ヒューリは、フットペダルを限界まで踏み込み、一時悪龍から離れる。
彼は、荒く息を吐いた。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。何とかなったな」
「ええ、お手柄っすカルフレア先輩。真・乱神ナイトの胴体部分は、乱神の上から僕の強化装甲を妖術で張り付けているような状態でしたからね。妖術を解けば、綺麗に分離できる。ああ、盲点だった。……ハア」
グラリ、と護の体が傾き、咄嗟にマリアが駆け寄り支えた。
「あ、すまねーっす」
「良いから、しばらくもたれていなさい。社長、限界ですわ。妖力・魔力変換補助システムがあるからといって、限度があります。これだけの巨大な機体の合体を維持するために、相当の妖力を使っているはず。体力が持ちませんわよ」
「ええ、知ってるわ。けど、合体を解いたら勝ち目がなくなる。ヒューリ、オゴの安らぎの力を使って護を回復できない?」
「……いや、無理だな。実はさっきから試みてるが、どうも変化がなさそうだ。機体の活動限界が表示されないってことは、破壊の力から再生の力になったままなんだろーけど、人間一人の体力を回復させるとか、そこまで細かい操作は俺には無理っぽい」
「肝心なところで役に立たない後輩君だ」
「何だと、オラ!」
「うるさいですわ。時間がない。社長、最短で勝利をもぎ取りにいきましょう」
「ええ、わかってる。でも……」
沈黙がコックピットに満ちた。理由は、誰もがわかっている。
グラーヴァに対する決定打がないのだ。
どのような攻撃もグラーヴァの前では、小さなダメージにしかならない。