第三章 交わす刃と言葉⑦
龍の泪のコックピット内は、激しい衝撃に揺れた。スライム状の内部フレームは、こういった時に役立つ。上下左右に体はバウンドしたが、むち打ちどころか掠り傷さえなかった。
「うう、あの小僧め。リベンジマン、早く立ちなさい。倒す、絶対に。ワッチはこんなところで終わらない」
「いや、終わりだ」
とリベンジマンの声が、重くコックピット内に響く。さっきまでの熱が嘘のように、静けさが満ちた。
シルビアは、沈黙の帳を嫌うように耳から音を立てて触手を引きちぎり、叫んだ。
「ふざけるな! 終わるかどうかはワッチが決める。お前は黙って従っていろ」
――フ、ハハハハハハハアッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。
リベンジマンは、剣のように鋭い歯を見せて笑う。彼女の神経を逆なでするように、笑い声は長く続いた。
しかし、彼女の顔に苛立ちはなく、代わりに青ざめた怯えが表れていた。
「どうした? 笑え」
「お前、何を考えておる。この感覚を、重力のような絶望をワッチは知っておる。人を力で押さえつけようとする強者のエゴだ。ワッチを、どうするつもりだ。言っておくがワッチらは契約をしておる。魔道具による絶対服従付きのな。契約を違えれば、お前は死ぬ。分かっておるのか?」
「……フ、面白い。では、聞くがのう。その魔道具はどこにある?」
「そんなもの決まっておる。ここに肌身離さず……ない」
体のどこを探っても、見つからない。あの魔道具は、指輪の形をしている。いや、本だったような……。強力なドラゴンさえも従わせる魔道具。あれがあるから、この男を従わせることができた……はず。
頭の中が、不明慮だ。鮮明さが欠けた記憶が、脳に漂って気持ちが悪い。
「ど、どういうことだ?」
「馬鹿め。お前は、我に踊らされていたのよ。ほら、今記憶を解除してやる」
リベンジマンが、指を鳴らす。
「え?」
意識が遠のいていく。シルビアは、体を痙攣させながら情報の奔流に襲われた。映像が次々と脳内に浮かんでいく。
「あ、ああ。ああああああああ! 思い、出した。ワッチは、お前に襲われて」
雨が降り注ぐ大地。遠くの地平線にそびえる火山から火が噴き出し、空は灰色の雲に覆われている。
あそこは確か、炎と灰の世界【アッシュレッド】だ。ハルカゼに敗れた悪龍が眠る大地として観光地になっていた。仕事の隙間時間。ほんの興味で立ち寄った場所。人気もなく赤みを帯びた大地が広がるだけで、面白くもない。
降り続ける雨と蒸し暑さで、ひたすら不快だった。だから帰ろうとした……はずなのに。
「突如、穴が開いてワッチは飲み込まれた。薄暗く広い地下空間。そこにお前は倒れていた」
「そうだ。我はハルカゼに討伐されて以降、残った力を振り絞り分身を作った。分身と言うにはお粗末なこの体をな。このままでは死ぬと思って、ひとまず人間を利用して生き残ろうとした。しかし、我は幸運であった。たまたま記憶を改ざんし、転がり込んだ女が、世界的に有名な次元商人であったとはな。おかげで、ほら随分と回復した。感謝する」
「貴様、ワッチを利用したのだな」
「全ては虚構。あの日以降、貴様は我と契約を交わし、協力者として我を従えた、とな。妙には思わなかったか?」
「妙だと?」
「そうよ。お主は、イワサ、ヒューリ、小鞠に対して異常なほどの敵意を抱いている。確かにその三名はお前にとって、敵と言える存在。興味を持つのは自然だ。しかし、いささか度が過ぎている。なぜだと思う」
「……ま、さか」
「それも我が植え付けた感情だからだ」
「嘘よ! そんな。ワッチの感情はワッチだけのもの」
「そう思えたら、幸せだの」
――ひび割れた音が聞こえた。心がちぐはぐになって、不格好だ。シルビアは、頭痛と胸の痛みを感じ、涙した。
「あ、ああ、嘘よ。操られていた、なんて」
先ほどまで確かに自らの体に行き届いていた芯が、行方不明になった感覚。軟体動物に転生したみたいだ。
シルビアは、泣き叫ぶ。救いを求めるように、悲しみをたっぷりと添えて。
「哀れ、よのう。おお、可哀そうに。人には吐き気しか感じないが、お前のその有様には感じ入るものがあった。だから、特別席で魅せてやろう」
触手がシルビアの体を縛る。暗い穴に入っていくような恐怖が、身を侵食していく。
「この機体は、古龍グレート・シャイニードラゴンを貴様に命じて殺させ、その遺骸で作ったもの。その記憶も戻っておろう」
「なんの、ためにそんなことを」
「あやつは愚かにも人の味方であった。我が近づけば、すぐさま我を殺すだろう。だから、人の手で暗殺させたのだ。人が相手ならば、あやつは油断をする。クク、我が所有していたジゴの毒薬がよく効いたわい。
そう睨むな。気分が良くなってしまうだろう? ああ、あやつを殺した理由を知りたいのか。そうさな、殺したのは、たんに馬鹿者に罰を与えただけではない。あやつの力を手に入れ、我が復活するためよ。制御に時間がかかったが、もうこの機体は我だけのものだ」
触手がシルビアの口や耳から入り込む。気持ちの悪い悪寒が、全身を犯していく。
「あ、ああ、……化け、もの」
目に映る世界がぼやけていくなか、悪龍の狂おしい笑顔が咲き乱れているさまはやけにはっきりと見えた。




