第三章 交わす刃と言葉⑥
「小僧、舐めおって……。リベンジマン、早くしろ」
コックピットに入るなり、そう怒鳴るシルビア。返事はないが、リベンジマンは不満げだ。
龍の泪のコックピットは、あまりにも生物的な内装だ。スライム状のものにパイロットの体は包まれ、細い触手なようなものが幾本、シルビアの耳の奥に入っている。
リベンジマンは、彼女に習うように細い触手を耳の奥に差し込み、瞳を閉じた。
ムカデが這うような気色の悪い感触が、全身をなぶる。しかし、それと引き換えに、外の景色と地面を踏む感触が龍の泪から返ってきた。
「龍の泪と同期は完了した」
「よし。説明したと思うが、これは脳波で操作する機体じゃ。触手と脳をリンクさせている間は、龍の泪と一体化できる。ワッチが作戦の立案と火器類の制御を行うから、機体の操縦は頼んだぞ」
「言われずとも。さあ、始めるとしようか女狐」
シルビアは腕を組み、軽く頷く。
この機体を制御するには、瞳を閉じて集中しなければならない。――だから、見逃してしまった。リベンジマンは、狂気じみた笑顔を浮かべている。それは、不遜なドラゴンの表情そのものであった。
※
――え?
自分でも間の抜けた声が出たとヒューリは思った。
乱神の胸部に広がるコックピット空間。そこに、小鞠が堂々と居座っていた。
「何してんの?」
「何って、決まってるじゃない。助けに来たわよ。お、ひ、め、様」
「……あ、そう。助かったわ。じゃあ、降りて」
「駄目」
「ハア?」
小鞠は、足を組んだ姿勢で手招きした。誘われるように近づいたヒューリの手を、彼女は引っ張る。
「おわ!」
「はい、ご到着」
小鞠は、ヒューリをシートに押し込み、自らは彼の膝に収まった。
彼女の甘く軽やかな匂いと体温が、戦いで傷ついたヒューリの心に差し込む。少しばかり眉間の皺が緩みそうになったが、血の臭いを嗅ぎ取り引き締まった。
「おい、怪我してんのか?」
「ええ、でもマリアが守ってくれたからへっちゃら。あなたのほうこそ、酷い怪我」
「気にすんな」
「お互い様ね」
小鞠は、頬を緩ませる。だが、その表情はすぐに暗い色を帯びた。
「それより……ごめんなさい。守れなかった」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味。あの龍の泪って機体のせいで、ディメンション・スマイルの本社は全壊、イワサさんが呼んだ異世界連合軍は、ブラッククロウとともに、ほとんどが壊滅したわ」
言葉が、出てこない。ヒューリは、試合であることも一瞬忘れ、あのいけ好かないビル街を思い浮かべた。
「……あ、あのよ」
「うん、分かってる。イワサさんは無事よ。ちょっとだけ怪我してるけどね。マリアも無事。護たちといるはずだわ」
「そうかよ。ま、別に親父とあいつらの心配なんかしてないけど」
「はいはい、ご馳走様」
と、軽くあしらわれる。
ヒューリは、釈然としない顔のまま操縦桿を握りしめた。
「私がオペレーションするから、操縦は全部あなた」
「別に乗らないでも、いつもの方法で良いじゃねえか。反重力装置があるっていっても、キツイぜ」
小鞠は、首を振る。あまりの勢いに、長い髪がヒューリの顔面を撫でた。
「駄目! 今のシルビアは、何をしでかすか分からない。生身でいたら、殺されちゃうかもしれないでしょ」
「ん、そうか。つってもな……」
――アラート音。モニターの眼前に、龍の瞳が迫っていた。
「機体に乗っててもあぶねーぜ」
唸りを上げる業魔。右上から左斜めの軌跡を描いた斬撃は、龍の泪を切り裂いた。――ように見えたが、手ごたえがない。陽炎のように残像が揺らめく。
「どこに!」
「あの女が考えそうなことと言えば……上ね」
「信じるぜ!」
脚部のスラスターを噴射させ、宙がえりの要領で斬撃を放つ。鈍い音が鳴り、龍の泪が空へ上昇していく。
「あの機体は速い。ヒューリ、モード足軽将軍。離脱しつつ、急いで装甲をパージして。銃撃が来るわ」
淀みなく、疑いもなく。ヒューリは、社長の指示通りに体を動かす。
「ほら、喰らうがよい」
龍の泪の前腕部が真ん中から裂け、二門の銃口が覗く。
ヒューリは、機体のAIに向かって足軽将軍と叫ぶ。
乱神の装甲がはじけ飛び、わずかに遅れて九十mm口径の銃弾が空から降ってきた。
「ぐ、ううう」
乱神は、スラスターを吹かせ、銃撃の嵐から逃れる。
激しいGで軋むコックピットの中で、小鞠はモニターを操作しながら絞り出すように声を出す。
「……きっつ。ラーラ製の九十mm口径のアサルトガン。空薬莢が排出されていないから、魔力供給型ね」
「つまり、弾切れを起こす可能性は低いか」
「うん。うちも追加武装仕込んどけばよかった。お金がないのが辛いわね」
「ぼやくな。工夫で状況を打開するのが放浪永礼流だ。それによ、そろそろだぜ」
「どういう意味?」
答え合わせは数秒を待たずに。
龍の泪は銃を収納すると、高速で接近。両手の鋭い爪を活かした乱舞を繰り出す。
「獣か。こいつ」
「速すぎるわ。足軽将軍でも追いつけない」
暴走状態での運用が前提ではあるが乱神は、圧倒的速度と膂力を両立した機体だ。例えるならば、マラソンには不向きだが、短距離走を得意としているスポーツマンだ。
しかし、少しずつ、確実に乱神の装甲がはがされていく。
「へ、参ったな。どんな仕組みだ? コイツ、乱神より強い」
乱神の高速形態である足軽将軍。その気になれば、人型形態でありながら戦闘機を上回る速度で飛べる機体が、まるで赤子のようであった。
「ぐ、う、装甲が持たねえ」
「落ち着いて。どうにか、方法があるはず。もう静かにしてよ、リベンジマン。……ヒューリ、このままじゃまずい。回避に専念を。その間に戦略を練るわ」
「おう、けど。あと五分で、この機体はどっちみち壊れるぜ。逃げの一手じゃ死ぬ」
小鞠は、モニターの片隅を盗み見たが、「やって」と呟いた。
龍の泪の右腕を業魔で弾き、スラスターを使って一気に距離を取った。その瞬間、龍の泪は、再び銃身を出そうとして、すぐに引っ込めた。
ヒューリは、ニヤリと笑う。
「おおっと。なるほどね」
「どういうこと?」
「あいつら連携ができてねえ。さっきの銃撃、俺は違和感を覚えた。リベンジマンは、復讐のために自分を滅ぼした技で俺を殺そうとしている。だが、あの女は技になんかこだわってない。俺らを殺せれば銃でも何でもよかったんだ」
「リベンジマンが、何ですって?」
「さっきリベンジマンが言ってたんだけどな、あいつが放浪永礼流の技を使えるのは、ジジイと戦った時に見て覚えたらしい」
「そんな、馬鹿な」
「だよな。けどマジだってさ。
あのな、小鞠。ジジイは、生き残るためならどんな技も使ったらしいけどな、銃は使ったことがないって親父が言ってた。銃は親父が放浪永礼流の新たな武器として導入し、俺が受け継いだものだ。つまり、リベンジマンは、そんなことを知らないから、放浪永礼流の近接技のみで俺を殺しに来るってことだ」
小鞠は、ああ、と口に手を当てた。
「じゃあ、あの女がFCS(火器統制システム)を制御してるのね。……じゃあ、勝機はある。耳貸してね」
「ひい!」
小鞠は、ヒューリの耳に口を近づけると甘く蕩けるような口調で策を授けた。
ヒューリは、顔を赤くしながら何度も頷き、目をぎらつかせる。
「一か八かの大勝負だな。けど、乗った」
言うや否や、ヒューリは上空に向けて飛び立つ。当然、龍の泪は追従する。
「……良いぞ。もっと、近づけ」
「タイミングを合わせてね。……まだ、まだよ。もう、少し。今!」
ヒューリは、フットペダルの力を緩め、速度を急激に落とす。
「小僧、死に晒せ」
龍の泪は、フックのような軌道で右腕を薙ごうとする。だが、ヒューリは、スラスターを最大噴射させ、攻撃を躱した。
「ええい、やはり銃が良い」
「あ、やめんか」
龍の泪の挙動が、一瞬止まる。
時間にして数秒ほど。乱神は、間隙を縫うようにその隙を逃さない。即座に機体を反転させ、地面に向かって全力で突き進む。その進路上にいる龍の泪の胴体に、深々と業魔を突き刺した。
「小僧、貴様」
「へへ、仲良くしないからだ」
急速に近づく闘技場の地面。コックピットの中は、ビリビリと震える計器類が騒がしい。
シートに押さえつけられる感覚が、ゾワリと背筋を撫でる。だが、小鞠は知ったことではないと、ヒューリの頬に自らの頬を擦り付けた。
――まったく、コイツは大物だよ。
ヒューリは、内心ため息を吐き、右の操縦桿に力を込めた。
「勝ったつもりか小僧?」
「まあな」
乱神は、業魔を引き抜くと、脚部スラスターで加速させた蹴りをお見舞いする。
「ああーと、謎のギアが空から、ああ、なんと空から降ってくる。雨やら雪やら降らせる空もびっくりだ」
茶化したミリーの実況を潰すように、龍の泪が墜落し、派手な音と土煙をまき散らした。