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第一章 不穏な空気②

「……楽しかったよ。君の想いはよくわかった。悪いようにはしないよ」




 白髪頭を短く整えている中年男性は、洋服を手早く着ると部屋を出て行った。




 薄暗い部屋は、ムッとした熱気と汗の臭いが充満している。




 部屋の中央にはキングサイズのベッドが幅を利かせ、豪華絢爛の装飾品がしもべのように周囲の壁を彩っている。血のように赤いシルクのシーツが擦れ、女が半身を起こした。




 女は、シーツをドレスのように体に巻き付け、ベッド脇のサイドテーブルに手を伸ばす。




 ――ゴクリ、ゴクリ。女は、コップに入った水で喉を潤す。水が喉を通るたびに、悩ましい声が女の口から僅かに零れた。




「ふう。まったく、疲れる。おじさまのくせに元気が良すぎも考えもの」




 女――シルビア・バルファッソは、褐色の肌に張り付く自らの髪を細い指で払う。……ああ、うまくいった。




 体の熱と安堵を綯い交ぜに、長く吐息を吐く。久々にこんな手段を取ったが、思いのほか腕は落ちていない。




 シルビアは、ベッドに座ったまま、真四角の窓へ視線を投げる。黒い画用紙。そこに開いた丸い穴のように、夜空に月が浮かぶ。ラーラ・キューレを立ち上げてから、あらゆる異世界を股にかけて活躍してきたが、この景色だけはどこも代わり映えしない。




「まるで人のよう。人間は見栄えを美しく整えるが、どの世界の人間も中身は下劣。ああ、月よ。お前もなのか?」




「ほう、珍しく意見があったな」




「ッ!」




 シルビアは、窓の右を見やる。白い壁……否、壁の一部が変化し、そこから煤けたローブ姿が露になった。




「趣味が悪いわねリベンジマン」




「いやなに、激しい声が聞こえたものだから、我が協力者がいかな危機に瀕しているかと思った次第。蓋を開けてみれば、お楽しみの最中だったわけだ。許せよ」




「別にお楽しみのためではない。ワッチらが悲願を叶えるための手段に過ぎない。男を好ましく思ったことはないわ」




「フフ、目的のためには手段は問わずか。是非もなし。貴様をせいぜい利用して、我は目的を達成するとしよう。まあ、それは貴様も同じことか」




「そうよ。ひとまず計画の下地は作った。後は、行動に移すのみ。――なのだけど」




「どうした?」




「今回、ワッチの動きはイワサに筒抜けだ。分かるか? あの男はワッチに釘付けなわけだ」




 シルビアが、心底楽しそうに笑う。それはまるで幼女のようにあどけない。




 リベンジマンは、壁に背を預け愉快そうにマントを揺らした。




「その表情……お主、自身で気付いておるか?」




「気付く? 何の話だ」




「フン、気付いておらぬなら良い。それより、イワサがお主に釘付けのこの状況。どう動くつもりなのか」




「ワッチは動かん。せいぜいあやつの目をこちらに誘導させておくまで。だから、ワッチの代わりに頼んだぞ」




「ハ、我に動けと? 人使いが荒い」




「日頃、大して働いてくれないくせによく言う。……そうね、さしあたっては、この辺りから取り掛かってもらうぞ」




 シルビアは、一枚の紙片を投げてよこした。ブーメランのように弧を描いて飛んだそれを、リベンジマンは見もせずにキャッチした。




 ジッと紙片に視線を寄こした彼は、不可解だと首を傾げる。




「……んん、なぜこんなことを?」




「戦力を増やすため。ワッチの一番の敵、イワサの資金力・軍事力・政治力は圧倒的よ。彼に対抗するには、まだまだ軍備を増強せねばならない。だが、これ以上準備を進めようものなら、もう少し派手に動かなければならない。そのためには、混乱が必要なわけだ」




「…………フウ、まあ人間同士の駆け引きに興味はない。少々気ノリはせんがな」




「そう? この依頼を果たしてくれれば、きっと貴様が嫌いな放浪永礼流の奴らは苦しむことになると思うぞ」




 シルビアは語る。計画の流れを。そして、放浪永礼流の末路を。




 リベンジマンは、一人で鳴らしたとは思えぬほどの大きな拍手をして、その計画を称えた。




「ほうほう、愉快なことだ」




「そうであろう? ただ戦力を足すだけでは芸がない。カオスを与えねばな」




「ク、フハハ、そうか。この紙片に書かれた会社達にこれを渡せば良いのじゃろう?」




 そういってリベンジマンは、懐から小瓶を取り出す。液体らしきものが入っており、中央は赤、周囲は黒く光っている。リベンジマンは、少年のように屈託のない声で笑い、踵を返した。




「よかろう。このリベンジマン。名に恥じぬ振る舞いをしようではないか。派手に荒らしてくれるわ」




「期待している」




 すう、とリベンジマンが消えた。




 シルビアは、大きく息を吐き、顔の汗を拭った。忌々しげにリベンジマンが消えた場所を睨み、それから虚空を眺める。




「恐ろしい存在。けど、だからこそ使える。……見てろ、見てろイワサ。ワッチに屈辱を味わせた者は、誰であれ殺す。そして、最後に勝者になる。――チィ」




 ――うえええええん、うええええん。




 脳裏に、少女の鳴き声が木霊する。




 あれは、いつの日だったか。




 誰かが手を伸ばしてくる。




 細く小さく傷だらけの手で、その手を握りしめた。暖かくて、不意に涙が零れてしまう。




「あああああ!」




 シルビアは、手を振り回す。うるさい、消えろと喚きながら。なんて、みっともないのだろう。だが、ああああああ、だが。止められない。止められないからこそ、




「ワッチなのだから。たとえ矛盾だらけでも前に進むのがワッチよ」




 鮮血色の髪が、シルビアの顔を隠す。動きを止める彼女。髪のカーテンの隙間から、形の良い唇が覗く。初めは真一文字、次第に唇は紙を引き裂いたような、不細工な笑みを形作った。

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