第三章 交わす刃と言葉④
――ディメンション・スマイルの本社前。
オフィス街に相応しくない戦闘音が、この場におけるメインミュージックとなっていた。
いつもはエサを求め、たくましく空を舞う鳥たちも近づきはしない。
銃声が鳴れば悲鳴が、魔法の光が迸れば爆発が生じた。
ディメンション・スマイルの部隊とブラッククロウの部隊、この二つの戦力差は火を見るよりも明らかだ。
ブラッククロウの敗北は濃厚。もはや風前の灯火といってよい。次々に兵士は地面に倒れ伏す。しかし、ブラッククロウの社長の顔に焦りの色は見られなかった。それどころかプレゼントを待つ子供のように、ビルの屋上から高みの見物しているありさまだ。
「へ、予想通りだ。姉さん、そろそろ良いかい?」
「ウム、敵の意表を突く。派手にやれ」
シルビアは、冷笑する。――それは、地獄の幕開けだ。
ドレッドヘアーの男は歓喜し、手に持った装置のボタンを押した。
「が、ぶえ」
「う、う、うああああ」
ブラッククロウの兵士たちが、次々と爆発四散した。血がけぶる世界。
血と臓物をまき散らし、死と同時に幾人も道ずれにしていく。
「……酷い」
小鞠は、咄嗟にマリアの目を手で隠し、眼下の地獄を眺める。霧状になった血と人々の恐怖する声、上空からでも臭うほどの悪臭が充満した。
「社長、見えませんわ」
「見ないで。こんなもの、見てはいけない」
小鞠の手は震えている。マリアはハッとした表情で、強引に手を剥がし、眼下を見た。
「う!」
「マリア!」
「大丈夫、ですわ。社長だけに、この地獄を体験させるわけにはいきません。ワタクシだって、エンチャント・ボイスの一員ですから。苦痛も共にするのです」
「う、うん。そう、ね。……馬鹿。でも、気持ちはありがとう」
「なんの。それにしてもありえません。これ、ブラッククロウの作戦なんですわ」
小鞠は頷く。
ブラッククロウの幾人かが、仲間の死を悼むどころか笑っている。
恐らくは、このことを一部の人間は知らされていたのだ。
「邪魔な仲間を一掃ついでに、敵も道連れってわけ」
「……趣味が悪いですわ」
マリアに同調するように、ワイバーンが吠えた。
人道に外れし行いに、ディメンション・スマイルの部隊は恐慌状態になりかけている。
「どうして、こんな作戦を。敵を倒せるかもしれないけど、これじゃ自分たちの戦力を削っているだけよ」
「この状況を生み出すのが狙いでは?」
「この状況……つまり、場を混乱させるのが狙い。私なら、その隙に敵を全滅させる。どんな手段が……あ! マリア、上級魔法の詠唱に入って。ギアが来るわよ」
「ギア? 何十機も壊してますわ。まだ、増援が?」
「ええ、最悪な奴がね。――噂をすれば、ほら、来たわよ」
羽虫のような音が空を支配する。それは、ギアと呼ぶには小さな機体だ。しかし、数が多い。西の空を黒い影が塗りつぶす。
「あれ、は?」
「ロボティック製の軍用ギア【ポイア】よ。マリア!」
弾かれたように、マリアは魔法の詠唱に入る。
ポイアは、爆弾を積み込み自爆する攻撃機だ。性能を一部に特化させることで、コストカットを実現した【ジャンク】と呼ばれるシリーズの一つ。人が乗っておらず、AIで制御しているがゆえに、恐怖心はなくただひたすら命じられた破壊をこなす殺戮兵器だ。
「絶対に防いで。この混乱のさなか、まともに対応できる人が何人いるかわからない。もし落下を許せば全滅よ」
――フハハハハ。
よく響く笑い声。
ビルの屋上で、シルビアが踊りながら笑っているのだ。
「あの女、絶対にぶっ飛ばす」
小鞠は舌を鳴らし、マリアを後ろから強く抱きしめた。
(なんて、無力。魔法も使えない私じゃ、マリアを信じて祈るだけ)
マリアは、そんな小鞠の心情を知ってか知らずか、左手で小鞠の手に触れた。
「龍は怒り狂った。朝も昼も夜も。幾度月と太陽が巡っても憤怒は消えず、空は曇天のベールを纏う。
雷鳴は彼方より。一つ鳴るたびに命は怯えた。矮小なる者よ、汝らの明日は龍の雷に委ねられた。
祈れ。それだけが命ある者に許されたただ一つの行いである」
マリアが杖をかざし、横に一閃する。巨大な魔方陣が空を覆いつくし、雷鳴が幾度となく鳴り響く。
人々は戦いを忘れ、空を仰ぐ。上級魔法の中でも特に優れた者しか扱えぬキング・ゴールドの秘術が、姿を現す。
大気に満ちるナチュラムマナを魔力に変換し、空の魔方陣に圧縮。それだけでも強力な魔弾として機能するが、これはさらに雷に変換し放つ技。
本来であれば、魔法使いが五十人がかりで成す秘術。しかし、マリアは並ではない。十六歳で超難関の魔法学校を飛び級で入学・卒業するほどの聡明なる頭脳。加えて、抜群の魔力生成・操作の能力は、世界でも最高峰の腕前。
あらゆる魔法に精通し、召喚魔法さえも意のままとする世界屈指の天才。人は彼女をこう呼ぶ。――超越の魔女、と。
「いい加減、ウンザリですの! 龍の怒りは落雷となって堕ちる。――【ナム・レビン・エクレール】」
――人の声、争いの音。それらは、雷鳴に全て奪われた。
空が吠える。降り注ぐ雷は、千や二千どころではない。幾万もの雷は、滝のように流れゆき、触れたものは灰燼と化す。天災に、人の英知は及ばない。
ポイアと呼ばれし黒の支配者は、新たな支配者の手によって蹂躙されていく。
次々と雷撃によって破壊され、搭載されていた爆弾が誤作動で起動、もしくは誘爆した。
天に咲く花火。安っぽい三流映画が真っ青の迫力が、空を揺るがす。
「あ、ああ。……ぐ、ぬううううう。おい、次だ。あれだけの大魔法の行使。すぐに次の魔法は打てん」
シルビアは、歯ぎしり交じりに命じた。忠犬のように、ドレッドヘアーの男は頷き、スマホを操作した。
「まだだ。一部の拠点にあったギアを動かしたに過ぎん。他の拠点から全機出動させよ。まだ、勝ち目はある」
「あ、姐さん」
「ああ、早くしろ」
「駄目だ」
「意味が分からん。その程度もできんならお前なぞいらん」
シルビアが、男を蹴り飛ばし、スマホをひったくる。画面には、起動のオン・オフが表示されていた。彼女は迷わずにオンを押下。あとは機体がすぐにでもここへ到着するだろう。
……しかし、どうしたことか。一向に、死を恐れない機械仕掛けの兵士は、現れる様子がない。
「どう、してだ。……ん、電話」
スマホには、知らない人物からの電話番号が表示されている。シルビアは、すぐさま通話ボタンを押して耳に当てた。
「誰だ」
「俺だ。カルフレアだ」
「貴様! よくも電話してこれたものだ。馬鹿な奴、愚かな奴。お前は、己の恋人が救われる道を閉ざしたわけだ。後悔させてやる。愚かなお前のせいで、愛しきグリフォンは死ぬ」
「どうかな?」
「ん?」
――グゥルウルル。
文字にすればそんな鳴き声が、スピーカー越しに聞こえた。
シルビアは、形の良い眉を歪めつつ数秒ほど思案。アッと口を開けた。
「グリフォンの鳴き声。――まさか」
「そのまさかさ。君が戦いに赴くこの瞬間ならば、隙が生じると思ってね。俺のハニーは返してもらった」
――馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な。
しかし、それならば様々なことに合点が行く。
ディメンション・スマイルがこちらの奇襲を把握していたこと。
小鞠たちがシルビアの位置を把握していたこと。
――そして、増援のギアが来ないこと。
「貴様、助け出す算段があったのか。だから、随分前から裏切っておったな」
「ああ、ご明察。イワサさんや社長にコッソリと情報をね。俺に監視の目を付けていたらしいけど、昔からそういったのを煙に巻くのは得意なんだ」
「ギアをどうした」
「壊した。俺と護で手分けして。おおっと、護が最後の一機を壊したみたいだ。あんたに増援はもうない。終わりだ。ざん――」
シルビアは、スマホを地面へ叩きつけ、何度も踏みつけた。画面が粉微塵に割れ、肩で息をして、やっと意味のない暴力を止める。
「君の底が知れたな」
シルビアの背後にあった扉が真っ二つに切り裂かれる。
靴音を鳴らし、陽光の下に露になったのはイワサの冷酷な顔であった。
「んだ、テメエ!」
ドレッドヘアーの男が、躊躇なくハンドガンを打つ。腐っても民間軍事会社の社長なだけあって、動きは無駄がなく的確だ。
――飛来する三発の弾丸。そのことごとくをイワサは刀で両断する。
「あり、えねえ。弾を切る、だと」
震えあがるドレッドヘアーの男。彼は狂ったようにハンドガンを打つが、その抵抗は五度が限度だった。イワサの蹴りが、男の鳩尾を的確に捉え、意識を断つ。
「こんなところか。フ」
「笑うな」
「笑いたくもなるさ。君は経営者のくせに、会社の力が何たるかを知らぬらしい」
「力だと?」
「そうだ。会社の力とは、人の力だ。人があって会社は成り立つ。だが、君は人をないがしろにした。だから、裏切られる。君がカルフレア君の動きを掴めなかったのは、元DG社の社員が大勢手を貸してくれたからだ」
シルビアは、ふらりとよろめいた。
「何故? DG社の時よりも待遇を良くしたはずだ。裏切る余地なぞ」
「ある。DG社は、社長である伝田の人柄に惹かれて結成された会社だ」
「馬鹿な、あんな粗雑な男に惹かれてだと。あの男が恐怖で支配していた会社ではないのか?」
「調査不足だな。伝田は普段の態度から、そういった噂が立つだけで、部下には慕われていた。それが見抜けなかった君は、初めから負けていたんだよ」
投稿しろ、とイワサは刃を突き付ける。
シルビアの呼吸が荒ぶっていく。
なんという戦士だろう。イワサのどこにも隙らしきものは見つからない。これほどの戦士、キ・レでも果たして何人いただろうか。
シルビアには、戦闘能力はない。ここであがいても無駄だろう。――通常ならば。
「黙れぇええええええ」
金切り声に近い叫び。それに呼応するように、彼方の空からギアが飛来する。
細長く不気味なフォルムをした機体は、風圧でイワサの動きを封じた。
「こんな機体、どこから」
「切り札として隠しておったのじゃ。名を、龍の泪という。……滅ぼしてやる。手始めにお前のビル。それが終われば、お前の息子だ。そこで指をくわえて待っていろ。全てが崩れ落ちていくぞ」
シルビアは、龍の泪に歩み寄ると手を伸ばした。骨と皮で構成されたギアの内部には、スライム状のものが満ち、僅かに揺れ動いている。それはまるで意思があるようにシルビアを飲み込んだ。
――そこからの出来事は、ただの虐殺だ。人は血にまみれ、ビルは何棟も瓦礫と化し、嘆きが満ちた。
龍の泪は、あらかた壊し終えると、空へ飛び立つ。向かう先は、ギガントコロッセウムがそびえる海岸方面へ。オフィス街は、ようやく静けさに包まれた。