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滅竜呪印の竜騎士王子~竜殺しの呪いを受け故郷を追放された王子は解呪の方法を求めて旅立つ~

 煌々と照る星空の下、血塗られた岩壁が揺らめく炎で闇夜に映る。


 轟々と燃える焚き木を中心に、獲物のあばら骨や頭蓋骨を担いで三十ほどの数で歌い踊るのは、子供ほどの背丈しかない怪物……即ち魔物。


 暗緑色の肌に猫目のような黄色い瞳を持ち、体には草木で編んだ粗雑な腰巻き程度しか身に着けてはいない。


 奴らはゴブリンと呼ばれる魔物であり、一体一体は膂力も知性も子供程度であるが、その数と繁殖力こそ脅威とされる連中であった。


 奴らは雄しか生まれない。


 だから繁殖のためには他の種族の雌を浚い、孕ませて産ませる。


 そして奴らが女を浚った日には、決まってああやって歌い踊るのだ。


 ──奴らにも信仰する神々でもいるのだろうか。


 半ば儀式めいた滑稽な踊りを崖の上から眺めつつ、俺は夜分の冷えた外気へと吐息を漏らした。


 この時期の山はよく冷える、焚き木を囲んで騒ぎ立てる奴らが少しだけ羨ましかった。


「……それで、皆が伝えてくれたゴブリンに攫われた子はどこにいる?」


 ゴブリンに気付かれないよう声を潜めて伏せたまま問うと、左脇の空間から淡い燐光が漏れ出した。


 光でゴブリンにこちらを悟られぬよう、俺は枯草色の外套で燐光を包む。


 すると外套の中に手のひらほどの人型、空色の長髪を揺らす精霊が顕現した。


 この精霊は崖下を流れる川の子だ。


 長年をかけ、渓谷を生み出すほどの流れと力を持った川は魔力を帯び、精霊を生み出す。


 それは山も風も大地も、果ては大樹も同様だ。


 そして俺たち一族は精霊の声に耳を傾け、成すべきを成す者たちだった。


 精霊は外套の隙間より小さな右腕を出し、崖下の一角を指す。


 そこにはゴブリンが作ったと思しき木組みの簡素な小屋があった。


「……分かった、ありがとう」


 精霊は微笑み、燐光を残して消え去った。


 場所は分かった、後はこの地と一族の守り人たる俺の仕事だ。


 背負った矢を右手に、左手で矢筒から一本の矢を探り当てる。


 矢は羽根に細工をしてあって、種類ごとに触れた感触に違いがある。


 闇夜でも矢筒に目を向けずに矢を探り当てられる。


 ──この工夫を思いついた我が父祖に、天の国でも竜翼の導きを。


 心の中で祈り、音を立てずに矢を構える。


 狙いは直下のゴブリンでも焚き木でもなく、その脇を流れる川、先ほどの精霊の母親だ。


 今回の件、精霊が助力を求めてきた以上、川もまた味方をしてくれると見て違いない。


「……ッ!」


 一息で矢を放ち、青い鏃が月明かりを受けて煌めき、水面に沈んだ。


 パシャリという軽音に、川面近くのゴブリンの視線が一瞬のみそちらを向く。


 けれど奴らは魚でも跳ねたものかと思ったのだろう、すぐに仲間との馬鹿騒ぎに意識を戻す。


 その粗雑な警戒こそ、奴らの命取りにしてゴブリンという魔物の生来の性だった。


「目覚めろ、水竜の牙!」


 呼びかけに応じ、川面が爆ぜる。


 飛び散る水飛沫にゴブリンたちは足を止め、川を凝視する。


 途端、巨大な生物の首が水中より現れ牙を剥く。


 水竜の化身……水竜の牙より作った鏃が魔力を帯び、それを生み出したのだ。


 突然の奇襲にゴブリンたちは浮き足立ち、ある者は逃げ、ある者は骨の槍を手にするがもう遅い。


 水竜の化身が川から首を伸ばし、巨大な焚き木を鎮火し辺りを闇夜に還した。


 光源を失って喚くゴブリン。


 今の一撃で十体ほどのゴブリンを巻き込めたと思うが、残りは俺の仕事だ。


 崖下へ向かい、岩棚を数度蹴って降下、回転しながら衝撃を殺す。


 そのまま腰から竜爪の短剣を二本抜き放ち、慌てふためくゴブリンたちの喉元を掻き切る。


『ウオオ、ォォォォ⁉』


 ゴブリンたちは奇襲を受け、不利と悟るや闇夜へ壊走していった。


 奴らには数の利を活かそうという機転はない。


 一度後手に回って自らの命が脅かされれば、後は転がるように去っていくのみだ。


 刃に付いたゴブリンの返り血を払い、精霊の指した小屋へ向かう。


 中に入ると松明の光と、饐えた匂いが俺を出迎えた。


 さらに革鎧──と言ってもやはり雑な作り──を身に着けた一体のゴブリンが、荒縄で縛った少女の豊満な体をまさぐっていた。


 このゴブリンが群れのリーダーか。


 少女は空色の涙ぐんだ瞳で俺を見ると「ん! んー!」と猿轡を噛まされた口で懸命に唸る。


 その子の魔力の質を感じ取り、何故真横を流れる川の精霊が、日の沈む時間帯になって俺を呼びに来たのか理解した。


 ──竜だ。半精半竜の子!


『グォォォォォッ!』


 こちらに気付いたゴブリンが、壁に立てかけた剣を握って少女の首元に刃を押し当てようとする。


 ニタニタと下卑た笑み、こうして人質を取る程度の頭はゴブリンにもあるらしい。


 だが……。


「遅い!」


 素早く踏み込み、竜爪の短剣をゴブリンへ向けて投擲。


 少女の首に刃を構えられる前に、右手の一本目で奴の剣を弾き上げ、二本目で奴の脳天を穿つ。


 脳天を貫かれたゴブリンは真後ろへ倒れ、二度と動くことはなかった。


 俺は少女へ近づき、縄と猿轡を外す。


「怪我はないか? 奴らに捕まったとなれば、まだ竜化はできないのか?」


 問いかければ、少女は怯えた表情のままこちらを見上げて言う。


「助けてくれて、ありがとう。でも、竜化……? それ、どういうこと? あたしがこいつらに襲われたのに関係あるの?」


 この言い草からして、この子は竜であるという自覚がないのだろう。


 こうして精霊の姿でいるのがいい証拠だ。


 ……三百年前、真なる竜は姿を消し、一部が精霊と交わってその血を後世に残した。


 よって現在の竜は、人間似の精霊の姿と竜の姿、その両方を持つ。


 そして精霊の中には竜の血を引く種族も少なくはなく、先祖返りで子が半精半竜の性質を持って生まれる場合も稀にある。


 この子はその稀な場合の出自なのだろう。


 俺たちの里の外で竜が生まれるのは珍しいが、竜であるなら連れ帰る必要がある。


 竜としてこの世界で生きる術を身に着けるためにも。


 ──川の精霊には感謝するべきだな。助けを求めてきたと思っていたけれど、竜がいると俺に伝えてくれたに違いない。


 そう結論付けて頷けば、外から駆けてくる足音が聞こえてきた。


「……さっきの奴らが戻ってきたの?」


 怯えて震える少女に、俺は首を横に振った。


「違う。ゴブリンならもっと軽い足音だ。これだけバタバタとしているとなれば……」


「王子、レックス王子‼」


 小屋の中に転がり込むようにして駆けてきたのは、隠れ里に置いてきた爺たちだった。


 老年ながら腰に剣を差して立つ姿は、若人にも負けない生気に満ちていた。


 やって来た全員、息を荒らげていたが、俺の姿を視認すると肩から力を抜いていた。


「王子、ご無事でしたか……全く。外へ出るなら必ず一声かけてくだされと常日頃から言っているではありませぬか! しかも夜分にゴブリン狩り、奴らは人間以上に夜目が効くと知っているでしょう!」


「先に出たのは悪かったさ。でも精霊が来た後、一声かけてのんびり作戦会議でも始めていれば、この子は間違いなく無事にすまなかったぞ。……爺、この子は竜だ」


「何ですと……⁉」


 爺は皺の入った顔に驚愕を張り付け、少女に手をかざす。


 そうやって魔力を読み取れば、爺はどこか嬉しげな表情となった。


「王子に声をかけた精霊も、それに乗った王子にも小言を言いたい気分でしたが、全て吹き飛びましたわい。王子、これは大手柄ですな! 外界で竜を拾うなど、御父上以来の快挙ですぞ!」


「そうなるな。……と言っても、この子が付いてくると言うか否かはまた別の話だ」


 俺はしゃがんで、少女に問いかけた。


「俺はレックス。これでもこの近くにある幻虹渓谷にある隠れ里の王族だ。もしよかったら、俺たちと一緒に来てくれないか? 悪いようにはしない」


 少女は少し考え込むようにしてから、小さく口を開いた。


「あたしは……ティリ。家も家族もない旅人で、行く宛もない。……もし食事や寝床を恵んでくれるのなら、喜んでついて行くよ。王子様」


 ティリは俺の差し出した手を確かに掴んでくれた。


 そうしてこれが、数年後に金煌竜と呼ばれるようになるティリとの出会いになった。


 ***


「レックス様! 弓を教えて!」


「ずるい、僕にも!」


「俺には短剣術を教えてよ! 王子様みたいにかっこよく投げたいんだ!」


 幻虹渓谷の隠れ里、その中心に位置する我が家にて。


 庭で竜鞍を干していると、大きな門を潜って子供たちが押し寄せてきた。


 隠れ里は人間三百人ほど、竜二十六体の小さな集落であり、王族である俺の家は代々、里の住人に対しては開け放たれている第二の家のようなものだった。


 三百年前、国を持っていた頃は住処も城だったと聞くが、この里で生まれ育った俺には城という建物について持つ知識は「巨大なレンガ造りだったらしい」といった程度だ。


 しかしレンガよりも、木々の精霊の助力を受けやすい木造の家の方がよいものとも思う。


「待て、順番だぞ。カレンとマックにはしっかりと教えるさ。それとカイル。短剣は投げるものじゃない。投擲に使うのは俺くらいなものだから真似しないように」


 言いつつ、俺はカレンの持ってきた小さな弓を手に取り、張りを確かめる。


 俺が十五で成人の儀を終え、三年が経った。


 この地を統べる血族として魔物の掃討については率先して行ってきたが、こうして子供たちが武芸を教えてくれと言うからには、それなりに貫録もついたと言っていいのだろうか。


「まずは竜牙矢の射方を話そうか。まずは……」


 そう子供たちに語りかけた時、空から「レックスー!」と快活な声が降ってきた。


 見上げれば太陽を背に、黄金の鱗を輝かせた竜が降下してくる。


 大地を踏みしめる強靭な四肢、背からは独立した二枚の翼、大樹を薙ぐほどの尾、何より角の生え揃った精悍な顔。


 少し前に金輝竜の名を襲名されたティリであった。


 ティリは着陸すると人間の……正確には精霊の姿になって、美しい金髪を振りかざして駆けてくる。


「レックス、大変よ! 東の山から嫌なものが来るって精霊が騒いでいるわ。今、外に出ている里の人を竜と乗り手が総出で呼び戻しているところ! あたしたちも行くわよ!」


 精霊が騒ぐ、それは意思を伝えてくるのとは少し異なる。


 精霊は大自然の化身にして子、多少の脅威では存在は揺るがない。


 よって彼らが騒ぐというのは、その母である山、川、大地、大樹などが危機に直面することを意味している。


 それは即ち、地形を変えるほどの脅威が迫っているということだ。


「竜の半数が北に出て、魔窟を潰している最中に……。皆、すまない。弓の稽古はまた後だ!」


 俺は弓と矢筒を急いで背負い、外に干してあった竜鞍を、竜の姿になったティリに着けた。


 ティリは俺が背に乗ったのを確認すると、翼を広げて一気に舞い上がる。


 直下では既に、里へ逃げ戻る人々が散見された。


 けれど奇妙だったのは、魔物も里の方へと逃れるように駆けている様子だった。


 人狼のコボルトに巨人のオークのような、人食いと称される凶暴な魔物までもが我先にと移動している。


 当然里を潰される訳にもいかないので、竜とその乗り手は人々の避難以外に、魔物の対処にも労力を割いている有様だった。


「里の外に出て、まだ戻らない人はそれなりにいるはずだ。ティリ!」


「分かっているわよ! さっきから目を凝らして地上を見ているもの」


 竜の瞳は人間を凌駕する視力を備えている。


 出会ったばかりの頃は竜化すらできなかったティリも、今や一人前の証とされる二つ名を授かり、立派に竜として活動していた。


「それに王子様の騎竜がへっぽこじゃあ笑い話にもならないものね。……今更交代なんてのも笑えないし」


 ティリがこう言うのも訳がある。


 隠れ里の王族は有事の際は率先して戦い、里を守る義務を帯びる。


 故に成人の儀を迎えた後、俺の騎竜はそれなりの経験を積んだ壮年の竜となる予定だった。


 しかし竜の力を開花させ始めたティリが「騎竜の座は譲らない」と言い出し、ちょっとした騒動になった後、俺の騎竜になるに至る。


 だからこそ下手な失敗をすればティリ自身、俺の騎竜から外されると思っているのだろう。


 俺はティリの首を撫でて言った。


「大丈夫だ。俺はティリを信じている。それに万が一があっても俺たちはずっと一緒だ。簡単に騎竜を交代されたら、また一から騎竜刻印の儀式だってやり直しだからな。あれは基本、一生に一度という習わしだ」


 騎竜刻印、それは俺の一族が得意とする紋章術の一種だ。


 乗り手と騎竜の心を繋ぐ術で、俺とティリの胸元には同じ紋章が刻まれている。


 これによって乗り手と竜は、強風の吹きつけてくる天空でも互いの意思を伝え合うことが可能になる。


 他にも魔力の受け渡しによる大技の発動に遠方からも互いを呼べるなど、その効果は幅広く便利だ。


「……レックス! 右下!」


 ティリの声を受け、身を乗り出して右下へ視線を落とす。


 そこでは先日子が生まれたエイベルのが、何かから逃げるようにして駆けていた。


 確か子の成長を助けるための薬草を採ると言い、朝方里を出ていたはず。


 そしてエイベルの長男も手伝いに出ていたようで、息を切らせて父の後を追っているのが見えた。


「ティリ、あの二人を乗せて飛べるか?」


「少し重いけど、里までなら保つわ!」


 降下するティリ。


 だが直後、エイベルの背後の木々が拉げて弾け飛んだ。


 余波で息子を抱えたエイベルが転げる。


 二人とも命はあるようだが、エイベルは負傷したのか上手く立ち上がれずにいた。


「……何だ。どんな魔物が来た?」


 木々を数本へし折って飛ばす、容易な技ではない。


 降下したまま木々の切れ目を見ていると、そこから漆黒の炎を纏った巨躯が姿を現す。


 ……大気の魔力を燃やす黒い炎。


 魔力が消えていくおぞましい感覚、背筋に鋭い悪寒が走った。


「あれは、蛇なの? 竜よりも大きな蛇……」


 黒い炎を纏っているのは、小屋ほどもある竜よりなお巨大な黒蛇だ。


 獅子のような毛を生やし、紅い瞳でこちらを睥睨している。


 ……バジリスク、その巨大な個体で間違いない。


 だがあの魔力を燃やす黒い炎には聞き覚えがあった。


 幼い頃に祖父からも聞いた、百年ほど前にも同じ炎を纏った魔物が里を襲ったと。


「滅魔呪炎……! 魔を喰らいつくす呪い。人間も魔物も果ては竜まで、一度炎に巻かれれば逃れられないらしい。里に逃げた魔物も、奴から逃げていたのか」


「つまりあの黒い炎に燃やされるって寸法ね。本当、厄介この上ないわね!」


 ティリはそう言い、口腔に輝きを、体内から集めた高密度の魔力を集めた。


 それをブレスとして一息で放ち、閃光が宙を駆け抜けバジリスクに炸裂。


 だが黒い炎はブレスさえも飲み込み、焼き尽くして無効化してしまった。


「冗談でしょ⁉ 襲名の儀で岩山だって砕いたあたしの一撃を……!」


『シュオッ!』


 バジリスクが胴を伸ばして迫る。


 蛇が竜ほどの大きさに巨大化したような魔物だ、その俊敏さも並外れている。


「くっ……!」


 ティリは地面を蹴って、大きく跳躍して躱す。


 その際、俺はティリの背から飛び降り、反対方向に回り込んで矢を射る。


 ──手持ちの竜牙矢は水と地、それにティリの光だ。でも水場は遠い、地の矢はエイベルたちを巻き込む。しかもティリの光は……ブレスは奴に届かなかった。


 となればと撃ち込んだのは、通常の矢だった。


 魔力を焼くなら、魔力の籠っていない鏃は刺さるはず。


 思った通り、鏃はバジリスクの鱗を貫通してその身に突き立った。


 しかも黒い炎は魔力のない物は焼けないのか、矢は刺さったままになっている。


 バジリスクがこちらを向き、口から赤い舌を蛇のように出し入れする。


「レックス!」


「ティリ……大丈夫だ。ここは任せてくれ。ティリは奴に絶対に触るな。竜は魔力の塊、焼き尽くされるぞ」


 こうなったら手は一つ。


 ここが山の中である地の利を活かし、地の竜牙矢の起こす地滑りで奴を生き埋めにして圧殺する他ない。


 そのためには奴を崖の方へ誘導し、エイベルたちからも遠ざける必要がある。


「お、王子! 俺たちには構わず奴を……!」


「気にするな。こういう時、真っ先に危険な役を買って出るのが俺の一族の務めだ!」


 言いつつ、矢を放ってバジリスクの注意を惹きながら奴を誘導する。


「レックス!」


 飛んできたティリの背に飛び乗れば、バジリスクは俺を追いかけようと崖の方に移動を始めた。


 この調子ならばと思った時、ふと森の切れ目から里が見えた。


 まずいと思った時には、バジリスクは餌を求めて俺たちには目もくれず、里の方へ降りようとしていた。


「クソッ……!」


 俺はティリの背から飛び降り、バジリスクの正面へ躍り出た。


「ダメ……! レックス! レックスー!」


 ティリの叫びが聞こえるが、こうなってはもうやるしかない。


 俺はバジリスクの背後、斜面を目掛けて地の竜牙矢を放った。


 次の瞬間、大きく山が揺らいで矢が力を発揮し、地の精霊が斜面を崩してバジリスクと俺に迫る。


 あれだけの質量があれば、バジリスクも圧殺可能だろう。


 岩雪崩に押し潰され、飲まれるバジリスクを確認した後、俺も退避しようと走るが……。


「……無理、か」


「お願い、届いて……レックスー‼」


 俺を助けようと降下してくるティリを目にしたのを最後に、俺も土砂に押し流されていった。


 ***


 ……痛み、激しい痛みだけがそこにある。


 同時に誰かの怨嗟が、恨みの唸りが耳から離れない。


『……人間、魔物……生きる者全てが妬ましい。平穏を享受し、穏やかに過ごす者全てが恨ましい』


 何故、生者をそこまで憎悪する。


 お前は誰だ、どうしてこれほどの恨みを蓄えた。


『……人間、お前は生きる者。故に我はお前を赦さん。その魂、じわりじわりと蝕み、こちらへ引き入れてくれよう……』


 熱した鉄のように熱い何かが、俺の胸に押し付けられる。


 待て、怒れる御霊よ。


 胸の中心部には、一族の誇りにしてティリと俺を結ぶ騎竜刻印がある。


 それに触れるな、それには──


 ***


「──ぐっ……!」


「レックス……!」


 体中が鉛のように重く、寝汗をこれでもかというほどにかいている。


 腕で額を拭うと、顔を曇らせたティリがこちらをのぞき込んでいた。


「……ここは?」


「レックスの家よ。……馬鹿! 自分ごと岩雪崩に巻き込むなんて! 分かっていたら、行かせなかったわよ……!」


 涙を浮かべて訴えるティリに、胸が申し訳なさでいっぱいになる。


「すまない。でもああする他なかった。許してくれないか?」


「そう簡単に許さないわよ。……次、あんなことしたら本気で怒るから」


 むくれたティリの頭を撫でようと体を起こせば、纏わされていた寝間着の胸元がはだける。


 ……その時。ティリが目を見開いた。


「……レックス、騎竜刻印が……!」


「何?」


 俯いた途端、背に氷を突っ込まれたような気分になった。


 ……神々しく、魔力を帯びて常に淡く輝いていた胸の騎竜刻印が、今や漆黒の禍々しい呪印のように変貌していた。


「そんな、これは……!」


「……滅竜呪印、竜を滅する呪いだ」


 俺の声に応じたのは、ちょうど部屋に入ってきた白髪の老人。


 彼は俺の叔父であり、里を統べる長にして現在の王、ナガレだった。


「王。滅竜呪印とは一体」


「滅竜呪印。あのバジリスクが今わの際に放った滅魔呪炎が、お前の紋章を焼き、変貌したものだ。一族が継承してきた騎竜刻印は強力故、お前の命を滅魔呪炎より守った。だが……それは一時に過ぎない。その滅竜呪印は触れた竜の命を吸い取り、お前自身も蝕む。これが何を意味するか、聡いお前なら分かるな?」


 ……俺は、何を言うでもなく一つ頷いた。


 ──竜を殺す呪いを帯びし者、災厄となるより前に一族より追放すべし。


 それが竜を守る一族の掟。


 負の感情が世に現れ出た呪いには様々な種類がある。


 だから一族の歴史上、呪いを帯びて里を追われる者は少なくない。


「まさか……レックスを追放するの⁉ この里の王子なんでしょ⁉」


 ティリが抗議するが、俺は体を起こし、ゆるりと首を横に振った。


「俺は王子だ。だが先代の両親は早くに亡くなり、今は叔父が王位を継いでいる。そして叔父にも息子がいる。どうあれ王の血筋はこの里に残るんだ。……俺が去っても、里の存亡には関係がない」


「あるわよ! レックスがいなかったらあたしだって、エイベルたちだって、他の皆だって……! レックスは里の皆のためにいっぱい戦ってきたのに、どうしてそんな簡単に受け入れちゃうのよ!」


「……受け入れるとも。俺は王子、定めには潔く従う。もし王子である俺がここで追放を拒んでみろ。今後呪いを受け、泣く泣く里を去る者に示しがつかない」


「……っ!」


 ティリは表情をハッとさせ、俺を、正確には手元を見つめていた。


 俺は視線を落とすと、自分の手は気付かないうちに硬く握りしめられ、蒼白になって震えていた。


 ……俺もまだまだ未熟者だ。


 本来は胸に秘めるべき、里を追い出される怒りを、死への恐れを、仲間との悲しみを……心の中に抑えきれずにいた。


 本来、そんな感情はティリに悟らせるべきでないというのに。


「王よ。俺の呪いはまだ、本格的に蠢いていない様子。これが活動を始める前、今宵のうちに俺は里を去ります」


「……すまない、レックス。次の王はお前だと、私も、里の誰もが信じて疑わなかった。……せめてもの手向けとして、お前の逸話を子々孫々に至るまで語り継ぐと約束しよう。歴代随一の竜の乗り手であったレックス王子が里を守護した、輝ける伝説を」


「生きた証を後世へ逸話を語り継がれるは竜に跨る戦士の誉れ。……それだけで十分です。ありがとうございます、王よ」


「……せめてその命が少しでも長く灯るよう。天の国の祖霊よ、レックス王子に竜翼の導きを与え給え」


 俺は自室にて身支度を整え、素早く里を出る準備を済ませた。


 掟では追放される者には竜牙矢の持ち出しを認められない。


 ここは滅びた竜を守る隠れ里、その存在が世に露見してはならないからだ。


 ……かつて、精霊と交わる前の真なる竜がこの地を去った理由は、人の欲が竜の鱗を、牙を、骨を欲したからだとされている。


 同じ轍を歩むまいと、俺は竜牙矢全てを部屋に置いた。


 それから部屋を出て、夜分のうちに里の出入り口まで駆ける。


 ……自分で言うのもおかしな話だが、俺は里の皆から慕われているように思える。


 もし俺が出て行くのを皆が知れば、反対して騒ぎ立てる者が出るかもしれない。


 先ほどのティリのようにだ。


「……最後に、ティリに挨拶をすべきだったかもしれないな」


 俺が拾い、共に歩んできた我が相棒。


「願わくはその翼が、いつまでもこの里で輝くよう」


 そう言い残し、森の中へと入ろうとした……その時。


「それ、あたしに向けて言ったの?」


「ティリ……」


 森の際で、精霊の姿になっているティリが立っていた。


 ティリがこちらへ近寄ろうとしたので、俺は後退った。


「やめろ。この呪いがいつ発動するか分からない。竜殺しの呪いだ、俺だけじゃなくティリも危ない」


「だったら、解呪する方法を見つければいい。この里にはなくても、世界のどこかにはあるかもしれないでしょう?」


「やめろ、寄るんじゃない……ティリ」


 静止した時はもう遅く、ティリは俺の胸に飛び込んできていた。


 そのまま、彼女は叫んだ。


「この……馬鹿王子ッ! あんた、どうしてあたしを頼らないのよっ! あたしはあんたの相棒で、あんたはあたしの相棒でしょっ! 万が一があっても俺たちはずっと一緒だ……なんてキザっぽいこと昼間に言い放ったの、もう忘れた訳? 呪い程度でサヨナラなんて……あり得ないわよっ!」


「ティリ、でも……」


「でももへったくれもないっ! ……レックスがあたしを助けてくれたように、あたしもレックスを助けたい。それじゃ……だめなの?」


 ティリは感極まった様子で、涙を目の端に浮かべて見上げてくる。


 俺は意を決して、彼女を軽く抱きしめた。


「……ティリ。俺はお前に長生きしてほしい。竜は人間より長寿だ。生きていればきっと、もっといい出会いもあるかもしれない」


「ないわよ。あたし、レックス以外は背に乗せないって決めたもの」


「……その意思は、揺らがないな? 俺の呪いに巻き込まれて死んでも」


 そう問いかけておきながら、俺はティリに、迷ってほしかった。


 少しでも迷いを見せたなら、俺はこの場から立ち去って、ティリを置いて遠方へ向かう。


 それがティリのためでもあると、俺は信じていた。


 なのに……。


「揺らがない。あたしは一生レックスの相棒よ。騎竜刻印の儀式でそう誓ったつもり」


 ティリの瞳は少しも迷わず、即答されてしまった。


 ……ここまで頑なに覚悟を決めているなら、それを強引に曲げる方が野暮だ。


 ティリが生きる道を定めたなら、俺はそれを曲げる道理を持っていない。


「分かった。それならティリ、共に行こう。この呪いが俺たちを食い尽くす前に、解呪する方法を見つける。……もし解呪が叶っても、二度と里には戻れない。いいな?」


「いいわよ。あたし、元々はこの里の竜じゃないもの。流れ者らしく、ふらりと去っていくわ。レックスの騎竜として!」


 ティリは魔力を開放し、一気に竜の姿となった。


 そのまま背に乗るよう促してきたので、俺はティリの背に乗り込む。


 当然ながら竜鞍などないが、鞍などなくともティリの背ならば安心できる。


 それだけの信頼が互いの中にあった。


「じゃあ、行くわよあたしの王子様。解呪の方法を求めて!」


「頼むぞ、ティリ」


 ティリは大きく翼を広げ、俺を伴い星の海へと旅立っていく。


 行先は決めず、目標だけを掲げた無謀な旅。


 けれど俺の胸には、追放が決まった時のような怒りや悲しみはなかった。


 ──ティリの翼と共に、俺はどこまで行けるだろうか。


 今はただ、未知の世界を望む、冒険の心が胸にあった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


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