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 雨が降った。景色が霞むほどの豪雨で、雨の匂いはすぐに飛んでいった。もちろん劇は中止である。

「どうしたもんかしらね」

 舞台裏に逃げ込んだが、そこには誰もいなかった。セオドアも兄役も姉役も、どこかへ散ってしまったらしい。その「どこか」が、一体どこなのかが問題なのだが。

「あたしはどこに泊まればいいのよ?」

 もう夕方だ、劇の再開は明日だろう。しかし、泊まる場所が分からなくてはどうにもならない。

 雨が上がるまで待って、探して回るしかないか。上がるんだろうか、雨。

 出口から天を仰いだ時、雨雲よりも暗い影が差した。

 カースだった。鉄で出来たような黒い傘を持っている。

「どうしてここに……」

「皆は劇場から出ていったのに、アンだけ控え室の方へ行っただろう? もしかして、と思ってな」

 意外とよく見ているな、と感心する。

「ありがと、助かったわ」

「気にするな。手当のお礼だからな!」

 自慢げに赤い手を見せられた。触れて回るほどのことではないと思うのだが。


 傘に入り、カースの隣を歩く。

「泊まる場所だがな、我々でいくつか空き家を借りているんだ。まだ誰も使っていない家もあったはずだ」

「助かるわ、本当に……」

「役に立てそうで良かった」

 そこで、会話が途切れた。降る雨が音を立てている。

「ねえ、あんたはさ。世界が終わる前に何をしたい?」

「何故そんな質問を?」と訊ねられる。会話の仕方を間違ったと思いながら、「人間界で流行ってる話題なのよ」と返す。

「そうなのか!」

 目を輝かせた彼は、一生懸命考え始めた。足を止めてまで考えるので、あたしも止まらざるを得ない。

「……どうにかして、世界を救えないのか?」

 意外な答えだった。

「皆の顔がもう見られないなんて嫌だ。出会うはずの人に会えなくなるなんて嫌だ。我はそう思う。

 だからこうして、恋愛劇を提案したわけだしな」

「……提案者、あんただったの?」

「うむ」

 額に手を当てた。ご覧の通りの無茶な話だが、こいつの提案ならばさもありなん。

 でも。

「あんた、ちゃんと色々考えて王様やってるのね」

「そうか?」笑って照れるカース。「そうか……」ともう一度言って、鼻歌を歌いながら歩きだす。

 分かりやすく喜ぶ彼の横で、あたしも一歩踏み出した。


 ところで、「我々でいくつか空き家を借りている」の「我々」とは、魔族のことである。家が空いているか尋ねて回るのは、まさに未知との遭遇だった。

 ガイコツが出てきた時など、恐怖のあまり卒倒しかけた。あまりにも無礼な振る舞いだったが、謝るほどの余裕はなかった。


 ほうほうの体で空いている家にたどり着き、夜が明ける。幸い、「ご自由にお使いください」という張り紙とともに食料も水も着替えも用意されていた。朝食のパンを食べていると、扉を叩く音が聞こえる。

「はーい!」

 返事はしたものの、寝巻きでは外に出られない!

「ごめんちょっと待って!」

 ワンピースとエプロンを着用する。顔はもう洗ってあるから良いとして。櫛で髪をとかし、リボンを結ぶ。念入りに鏡の中の自分と向き合ってから、扉まで走る。

 そうだ、昨日の魔族たちへの無礼を詫びなければ。

でもまずは。

「おはよう!」

「おはよう!! ごめん!!」

 扉を開けて挨拶をすると、土下座をしたセオドアが目に入った。気持ちがすっと落ちる。

「ああ……おはようございます。どうしたの?」

「昨日は本当にごめん。この通り!!」

「別に、いいから。土下座しなくていいから」

 セオドアに立つように促す。

「この辺、魔族が借りてる区画だよな。こっちに迷い込んだ感じ?」

「いや、カースが案内してくれたのよ」

「カース?」

 ベット役の、赤い肌の、と説明してようやく納得いったようだ。

「劇の時も思ったけどよ、ずいぶん仲が良いよな。前から知り合いだったりする?」

「そんなわけないでしょ」

 セオドアの言葉を一蹴しながら思った。

 カースが迎えに来るというのは、あたしの願望だったのだな、と。


 セオドアと共に劇場に向かう。ノーチェと話すカースに手を振られて(この二人が話すところを初めて見た)、そのうちに観客が集まって、本日の劇が始まった。

『魔獣の屋敷には、不思議なものがありました。見知らぬ景色を映す水晶玉。ひとりでに演奏を始める楽器たち。おかげで少女は、楽しい日々を過ごしておりました……』

 台本ではここで、魔獣がやってくるのだが。

 無秩序に広がる、楽器を模した大道具。嫌な予感はしていた。バイオリンをまたぐ。ハープをかき分ける。トランペットを乗り越えようとして、踏んづけて、こちら側へ傾ぐ。

 カースはあろうことかあたしに抱きついてきた。

 トランペットが後方へ飛ぶ。楽器が波のように倒れてあるいは宙を舞う。

 大の男を受け止められるわけがない。傾く。床が見えなくなる。真っ青な空をカースが占める。

「いっ……!」

 あたしは頭を打たなかった。代わりに、カースの手が床とあたしに挟まれたらしい。

「すまん! 大丈夫か!?」

 聞かれる。あんたの方が痛いだろうに。

「ええ、大丈、夫……」

 当たり前だが、カースが覆いかぶさっていた。瞳孔の長い目が光を湛えている。整髪料と洗濯石鹸の香りがする。首と腰に触れる硬い手。身体の重み。じわじわと頬が熱くなるのが分かる。

「大変だ!! アンの顔色がおかしい!!」

「えっ、ちょっ」

 彼はあたしをひょいと抱えて舞台裏まで走る。すぐ転ぶ奴に抱かれる恐怖に、肝が冷えた……


 魔族側の待機場所にそっと下ろされた。安堵で息をつく。

「おーい、大丈夫か?」

 セオドアが舞台から覗き込んでくる。

「分からない、人間は倒れると体調を崩してしまうのか!? 何か冷やすものを……!」

 詰め寄ったカースを「落ち着け」と宥めるセオドア。カースの方がよっぽど大丈夫ではない。

「人間そんなにヤワじゃないから。見てきなって。俺が場を繋いでおくからさ」

 彼はカースの背中を押すと、舞台へと戻っていった。

「アン!!」カースが駆けてくる。あたしの顔をじっと見て、「顔色は戻ったようだな」と胸を撫で下ろしている。

「あんたねえ……」

 赤い手を取る。手の甲が擦りむけて血で染まっていた。消毒液とガーゼを取り出す。泊まった家から持ってきたものだ。使うならこいつにだろうなとは思っていた。

 血を拭い、消毒液をかけ、ガーゼを巻く。手が触れ合うことに妙に緊張する。

「ほら、終わったわよ」

「ありがとう」

 また手当てしてもらった、と呟く。口角を上げて、じっとガーゼを見つめている。

「嬉しそうね」

「ああ、嬉しいぞ!」

 手を包まれて心臓が跳ねる。

「初めてなんだ、誰かとこんなに仲良くなれたのは」

「あんたが? そんなことある?」

「我は魔王だからな。仲間達のことは大事で、向こうも我を慕ってくれているが、普通に話すのは難しい」

「……そう」

 やはりこいつは王様なのだ、と思う。

「だから、アンと出会えて本当に嬉しいんだ」

 幸せそうに目を細められる。心臓の音が煩い。

「アンと、ずーっと一緒にいたいなあ……」

「……ずっと一緒?」

 頭から冷水を被せられた気がした。

「どうやって? あたしは人間であんたは魔王なのよ? この劇が終わったらもうおしまいで、きっと二度と会えやしない!!」

「それは……」

 カースの手を振り払う。その場に留まったら自分が何を言うか分からなくて、逃げた。


 建物の隙間を縫って走る。門から出てすぐに座り込んだ。あたしが入ってきた門とは別だ。

 静かだった。ときおり、セオドアと観客の上げる声が聞こえてくる。

「何やってんだろ、あたし」

 ずっと一緒にいたい。カースが口にしたのはただの望みだ。真に受けて、それが叶わないことに勝手に絶望したのはあたしの方だった。

 石畳が歪んでぼやけていく。

 恋をしていた。気づいたってどうしようもない。相手とはあと少しでお別れだ。

 涙がこぼれ落ちる。ハンカチを取り出そうとして、貸しっぱなしだったことに気付いた。

 行儀悪く袖で目を擦った。腕にまで滲んで冷たかった。


 少し落ち着いてから立ち上がり、人間側の待機場所へ行く。

 劇はちょうど「お父様が病気なので一度実家に帰らせてください」のシーンだった。感情が溢れないよう心がけることに必死で、正直よく覚えていない。

 一週間後に戻ってくる、という約束を交わす。魔獣役との指切り。彼の目を見ることはできなかった。


 こちらを伺うセオドア達の視線に耐えられず、観客席へ向かう。

「アンちゃん!」と声をかけられて、振り返ると、クラウだった。

「どうしてここに……」

「アンちゃんが劇をやるって話だろ? こりゃあ見に行かなきゃ、って思って!」

 馬車に乗ってきたという。どこで貰ったのか、ホットサンドまで手にしている。

「あたしの店は?」と問う。

「臨時休業にしてきた!」

「冒険小説は?」と問う。

 濁されて咳払いをされる。

「良いんだよ! アンちゃんの勇姿が見たかったな、劇をやってる魔族が見たかったなって思いながら死にたくないだろー?」

 世界が終わる前に見れて良かった、と呟く彼。

「世界が終わる前に、か」

 あるじゃないか、やりたいこと。あたしにも。

 カースとこのまま別れたくない。「ああ、何であの時あんなこと言っちゃったんだろう」って思いながら死にたくない。

「ごめん、もう行くわ」

 カースになんて言うか、考えなきゃいけない。後悔だけはしないように。

「もう!?」驚くクラウを振り切って駆けた。


 劇は佳境に入っていた。少女を妬んだ姉たちの企みにより、約束は破られてしまったのだ。

『その日、少女は夢を見ました。魔獣が洞窟の中でうずくまって倒れている夢を。彼女は急いで屋敷へ向かいます……』

 走りながら舞台に上がる。横になっている魔獣、いやカースに、伝えたいことがあるのだ。

「あのさ」と口にする前に、カースががばりと起き上がる。そして、あたしの両手を握る。

アン(・・)、結婚しよう!」

 この劇に関わる全ての者たちの動きが止まった。

「はああ!?」

「我なりに、ずっと一緒にいる方法を考えたのだ! ほらここ!」劇の台本を取り出し、ラストシーンを指さす。

「『二人は結婚し、末永く幸せに暮らしました』と書いてある! 何をしたのかよく分からないが、なんだかとっても良さそうであろう?」

 目眩がした。何というふわふわした発言! 魔族には結婚の制度が無いのだろうか! 有り得ない話ではない!

「……駄目か?」

 眉を寄せて口角を下げられる。止めてほしい。あたしが虐めているようだ。

 事実、観客たちは野次を飛ばし始めていた。「結婚! 結婚!」という言葉とともに手拍子が打たれる。

「黙りなさい!」と一喝する。客席がしんと静まり返る。

「あのねえ」

 カースの手を離し、自分の腰に手を当てた。

「なんであんたが先に言うわけ?」

「……へ?」

 瞳孔の長い目が丸くなる。

「あたしだって考えたの。あんたと一緒にいる方法。

 同じこと考えてるとは思わなかったけど」

「じゃあ……!」

 しっかりと目を見て、口にする。

「カース。あたしと、結婚してください」

「もちろんだ!」

 やったあ、と言って、あたしの手を取って回りだす。客席から歓声と拍手が起こる。「流石アンちゃん!」という声はクラウのものだろうか。


 魔王と結婚なんて、そう上手くいかないのは分かっている。どう周囲を説得するのか。どこでどうやって暮らすのか。これからも仲良くいられるのか。問題は山のようにある。

 それでも、はしゃぎ回るカースを見ていると、悪くないと思えてしまうのだから仕方がない。

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