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上手側の舞台裏にて。こちらが人間の待機場所らしい。腕を組むあたしの前で、父親役が口を開く。
「えーと、少女役のお嬢ちゃんだよな。名前は?」
「アンです」
「セオドアだ、よろしく」
それを皮切りに、他の兵士達も名乗ってきた。自己紹介は大事だよなと、その場全員の名前に耳を傾ける。クルトにトーラス、ノブ……って、そうじゃない。
「何故あんなことを?」
眉間にしわを寄せて彼らを見れば、一斉に目を逸らされた。
「あー、俺たちが戦場都市で魔族と戦ってたのは知ってるよな?」
セオドアが訊いてきた。頷く。
「でもよ、もう戦ってる場合じゃない。つうことで、停戦協定が結ばれた」
騎士のお偉方は引き揚げ、兵役中の者は帰った。職業が兵士の彼らは、待機命令を出されたらしい。
「そういうわけで暇な俺らは、恋愛劇を楽しみに待ってたわけよ」
「楽しみすぎて先に始めてしまったと?」
腕を組んで半眼になれば、誤魔化すように笑われた。
「そういうこったな!」
まあ、劇に観客とエキストラがいるのは良いことか。話が逸れたことを謝り、「劇はいつから始めますか」と尋ねた。
劇の前に昼食をと、ホットサンドが配給された。あつあつのパンとハムと溶けたチーズとを味わう。だが、兵士たちはうんざりした様子である。
「『またかよ』って顔してるわね」
セオドアに話しかけると、肩をすくめて「まあな」と返された。
「炊事係が食料ごと引き揚げちまってな。ここ数日、これしか食べてないのよ」
「ここ、都市でしょ? 他の食べ物は売ってないの?」
広場から大通りを覗いてみる。露店が出ている様子はない。
「都市っつっても、誰も住んでないからな」
「え、嘘でしょ?」
辺りを見渡す。やけに静かだとは思っていたが……
「普通、誰も住んでなきゃ廃墟にならない?」
「戦争で傷つくたびに直してるからなあ。人と魔族の戦いには、『何も傷つけてはならない』っていうルールがあるんだよ」
「何よそれ……」
ホットサンドの最後の欠片を放り込み、しかし、噛みもせずに飲み込んだ。
「待って、もしかして、人も傷つけちゃいけないってこと?」
「ああ。殺し合いはしてないぞ」
頭を抱えた。悔しいが納得してしまう。
数年前、兵役へ行くクラウとその友人たちを見送った。思えば彼らはへらへら笑ってばかりで、ただ出稼ぎにでも行くような空気だった。誰一人欠けることなく、へらへらしながら帰ってきた。
「それは、戦争じゃなくて軍事演習では……?」
「確かに……?」
「納得しないで!? どうしてそんなことになってるわけ!?」
「あの、」
別の兵士がセオドアの肩を叩いた。もうすぐ劇が始まるらしい。劇場へ向かいながらセオドアを問いつめたが、「何も傷つけてはならない」理由どころか、戦争が始まった理由すら誰も知らないのだという。
女神が「世界を滅ぼす」なんて言い出したわけが、分かった気がした……
ぱらぱらと拍手が鳴る。カンペを持った兵士がいる。台詞を覚えられなかったあたしのためだ。午後の日差しが、兵士しかいない客席を照らす。誰かが欠伸をした。正直助かる。本当に真面目にされたら、息がつまって喋れなくなるところだった。
舞台の幕が上がろうとしていた。
『むかしむかし、あるところに、貧乏な商人が暮らしておりました。彼には三人の息子と三人の娘がいました。なかでも末の娘は顔立ちがよく、優しく、皆からは美しい、という意味を持つ名前で呼ばれておりました』
そんな言葉で、劇は始まった。商売に出る父親と、家で留守番をする子供たち。あたしは、末の娘である少女を演じる。
父親は商売に出かけるが、失敗して、無一文になる。家への帰り道で薔薇を見つけ、思わず一本手折る。その薔薇は魔獣の大切なものであり、怒った魔獣に、娘を差し出すよう要求されてしまうのだった。
問題はその後である。魔獣役は、確かに魔族だった。血のように赤い肌に、不気味に輝く瞳。闘牛のようなツノに、トカゲのような尻尾。
舞台裏にいたあたしは、「うっわ」と声を上げてしまった。慌てて口をつぐむ。……向こうに聞こえてないよね?
「あー、アンちゃんは魔族見るの初めてだっけ」
姉役が苦笑する。「すみません」とつい言ってしまう。
舞台に視線を向けた。罪悪感で魔族の顔を見れない。
「あたし達は見慣れてるけどさ、最初はビックリするよね」ともう一人の姉役。本当の姉役二人は、女性の兵士らしい。
魔族は、セオドア相手に凄んでいるところだった。たぶん。頬が膨らんで変な顔になっているのは気のせいだよな。いったん目を閉じて、二役の声に集中した。
舞台端から、父親役がよろよろと歩いてきた。家に帰ってきたのだ。あたしがコートを預かる。兄役と姉役とが集まって『おかえりなさい』と言う。
『すまない……すまない……』
呟いてあたしに薔薇を渡す。兄には、『これからはお前達がうちを支えてほしい』と言いだす。
『お父様、どうしたんですか?』
尋ねると、父親は洗いざらい語った。道に迷ったこと。夢のように美しい屋敷で一夜を過ごしたこと。あたしへの土産にと薔薇の花を摘んだら、屋敷の主を怒らせてしまったこと。
『そいつが、俺の命をもって償えというんだ。もしくは娘を身代わりに差し出せと……』
『そんな、貴女が変な土産を頼んだからじゃないの!』
『どうして指輪やネックレスにしなかったの! 貴女のせいでお父様は命を失うのよ!』
姉たちは泣き叫んで、二人してあたしを責めた。あたしは、できるだけ冷静に、当たり前のように口にする。
『分かりました。私が身代わりになりましょう』
父親が目を見開き、あたしの肩を掴む。
『待て、そんなことしなくていい! 屋敷の主は、野獣のような頭の恐ろしい奴なんだぞ!』
兄たちも慌てて反対し、あの手この手で説得してきた。それでも、あたしは、『身代わりになる』と言い続けた。
『少女の決意は変わらず、とうとう商人とともに屋敷へ赴きました……』
ナレーションが流れた。セオドアとともに、陽の当たる舞台へ。向こうから魔族がやってくる。スカートを握らないよう、気をつける。
だが彼は、あたしと目が合うと顔を輝かせた。いや待て。魔獣はそんな顔しないでしょうが。そしてこちらへ走ってくる。ヒールブーツで走るんじゃない! 転ぶでしょうが!
と、思っていたら、本当に転んでしまった……
「中止! いったん中止!」
セオドアの声を聞きながら進む。魔族の腕を掴み、舞台裏へ引っ張っていく。
「信じられない!!」
「すまん……」
「あんたそれでよく人間と戦ってたわね!?」
「あ、我、戦ってないぞ。前線には絶対に出るなと言われていた」
「なるほどそうでしょうね!!」
日が遮られ、気づいた。魔族側の待機場所に来てしまったらしい。いいんだろうか、と辺りを見回す。幸か不幸か誰もいない。
ふと、魔族の手が視界に入る。肌が赤いので分かりづらいが、すりむけて血が滲んでいた。
「あんた、怪我してるじゃない」
「口はつけてないから」と断って水筒の水をぶっかけ、あたしのハンカチで彼の手を拭く。「悪いけど洗濯しといて」と言ってそれを渡す。
「ありがとう」
魔族はハンカチを受け取ってにこにこしている。見た目の割に無邪気な奴である。
「そなたの名前は?」
「アンよ。あんたは?」
「我か? 魔王カタストロフだ」
「まっ……!?」
こいつ魔王と言ったか!? 魔王と言ったか!?
「よろしく」と言って握手を求める彼を凝視する。
嘘をついているようには見えない。自分の態度を顧み、青ざめた。
「あの、王様とは知らずにすみませんでした!」
「やめてくれ」
小さく呟かれた声に顔を上げる。カタストロフが、眉を寄せて口角を下げて、捨てられた犬のような顔をしている。
「我はそなたの国の王ではない。だからいいだろう?
やめてくれ、普通に話してくれ……お願いだ……」
瞳が潤んでいるように見えた。そんな風に頼まれて、断れっこないことは、あたしが一番よく知っている。
「しょうがないわね、分かったわよ」
肩の手を剥がし、自分の手で包む。握手のやり直しだ。
「はい、よろしく」
「……ああ、よろしく頼む!」
こいつはぱあっと笑顔になって、あたしの手ごとぶんぶん振った。
あたしにしては珍しく、後悔も何もしていなかった。正直、こんな王様らしくない奴を敬うことには違和感があるし。それに、笑顔に戻ってくれたしな。
「で、あんたのことは何て呼べばいいの?」
彼が目を見開き、動きを止める。
「カタストロフじゃ長いじゃない。愛称とかないわけ?」
宙を見て考え込んで、出てきた言葉が「魔王様?」。あたしは頭からつんのめりそうになった。
「他!!」
「魔王様としか呼ばれたことがない……」
「分かったわよあんたはカース! カースって呼ぶから!」
彼が困り果てたので慌てて叫んだ。アンジェリカがアンならば、カタストロフはカースだろう。
「カース、か」
カースは、目をきらきらさせて、噛み締めるようにその名を口にしていた。
そういえば劇はどうなったのか、と舞台を覗いてみる。観客と談笑していたセオドアが手を振る。
魔族側の待機場所から二人で出た。なんだか気まずい。セオドアに手を振り返すカースを小突き、共に頭を下げて、そうして劇は再開した。
少女と魔獣の初対面もやり直しとなった。カースの笑顔や天然ぶりが頭をよぎり、「恐ろしい姿の魔獣に怯える少女」を演じることにたいへん苦労した……
次は、少女の夢に精霊が現れるシーン。なので目をつぶって横になったのだが、観客席が騒がしい。
「あの姿にあの傘……魔王軍大将のノーチェ?!」
「おいおい嘘だろ!?」
「大物だ、」
「ノーチェたーん!! 今日もかわいいー!!」
精霊役は有名人らしい。魔王の時はごくごく静かだったので、彼が本当に前線に出ていなかったことが分かる。
「そこ! 今は劇の最中なの。お静かにお願いしますの」
注意が入った。ノーチェ本人だと思われる。思ったより幼い声。彼女は息を吐き、劇の台詞を口にする。
『ベットに、会いましたね?』
『恐れてはいけません。本当に大事なものは、姿ではないのです……』
しかしやはり客席が騒がしい。
「黙りなさいっ! その子が困るでしょうが!!」
あたしが叫んでようやく静かになった。ノーチェを指していた指先を下ろす。
「あの」
白髪に赤い瞳の、傘を差した女の子がいた。小声で話しかけてくる。
「ありがとうございます、なの」
「どういたしまして」
小声で返して目を閉じた。