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舞台の幕が下りる前に 1

 どうやら世界が滅びるらしい。その噂を口にしたのは、うちのお客さんであった。


「聞いてくれよアンちゃん!」と叫ぶ青年。同時に山積みの本がカウンターに置かれた。どさっと。あたしの茶髪とリボンまでなびく。これを会計すると思うとうんざりする。

「何よ、クラウ」

「世界が終わるらしいんだ!」

「はあ!?」

 噂の出処は、うちの国か魔族の国か、根拠は、信ぴょう性は。何を聞いても明確に答えが返ってこない。ただ、「世界が終わる前に何をするか」という話題が、ともに流行っていることだけが知れる。

「俺はさ、忙しい忙しいって言い訳して読んでなかったシリーズを追おうと思って」

 それでこの本の山かと納得する。すべて続き物の冒険小説だった。商品のリストに打ち消し線を引き、金額をそろばんに打ちこんでいく。

「この本、読み途中だったな、主人公はどうなったんだろう、って思いながら死にたくないだろ?」

「別に?」

 ひどく驚かれてしまった。

 そもそも小説は読まないもので。

「えっ、じゃあアンちゃんは、世界が終わる前に何をしたいんだい?」

 返事はせず背を向けた。奥から、分厚い冊子とレース編みのブローチと瓶詰めのジャムと、その他もろもろを山積みにして持ってくる。

「はい、あんたの」

 そこから冊子を取り出し、冒険小説の上に積む。彼の顔色が悪くなった。

「計算問題だっけ? ようやく解き終わったわよ」

「ああ、ありがとう……」

「さっきの質問の答えだけど」

 腕を組んでクラウを睨む。

「あんた達がいろいろ頼んでくるせいでそんなこと考える暇もない、になるわね」

「だって、困った時はアンちゃんに頼めって言うし」

 早口で呟く彼は、あたしに計算の手伝いを頼んだことをすっかり忘れていた様子である。

「あー、本当にありがとう。じゃあまた」

 クラウは数枚のお札を置き、山ほどの本を抱えて歩きだした。

「ちょっと、お釣り!」と硬貨を差し出すと、「大丈夫だから貰っといて!」と返ってくる。

 よろよろ進む姿を見て、息を吐いた。

 世界が終わるから何だ。やりたいことが何だ。あたしは店に皆からの頼まれ事に忙しいのだ。

 忙しいのだから、もちろん、世界を救うわけでもない。そもそも普通の人間の出る幕などありはしない。


 ありはしない、はずだった。

「アン殿! アンジェリカ・ブラウン殿はおられるか!」と、あたしの名前が叫ばれるまでは。

 貴族とおぼしき男が店に駆け込んでくる。クラウとぶつかり、本が次々に床に落ちる。男はそれに目もくれず、あたしの前で土下座をした。店にそぐわない姿と正気とは思えない行動に、ぽかんと口を開けてしまう。

「お願いだ、世界を救ってくれ!」

「……は?」

 男が頭を床に擦り付ける、その光景は、いやに現実味がなかった。


「つまり、こういうことですか?

 女神がいきなり、『世界を滅ぼす、滅ぼされたくなければ私を楽しませろ』と要求した」

「ああ、その通りだ」と男が頷く。

「それで? 魔族たちが、女神を楽しませるための提案をしてきた? 魔族と人間とで恋愛劇を行うから、人間の女性に主演をしてほしい?」

 そこまで言って、あたしは天を仰いだ。

「ありえない! 大体ね、まず女神を止めなさいよ!」

「女神がどこに居るかも分からないのに!?」

「そもそも本当なんですかこの話!?」

「本当かどうか私が知りたい!」

 男の絞り出した声に我に返った。謝って、深呼吸して、話を戻す。

「で、その劇の主演をあたしに務めてもらいたいと……?」

 落ち着いて話を戻す、なんて無理だ!

「つまりは国の代表でしょ!? あたしなんかがやるべきじゃないわ!」

 キッと目を見開いて聞く、「お姫様は!?」

「魔族怖い会いたくないと引きこもっておいでだ!」

「貴族のお嬢様は!?」

「世界が終わるなら別のことをやりたいと、」

「じゃあ騎士の娘さん……!」

 ああ、そうやって依頼する女性の身分が下がっていったんだと気づいた。指さしていた手を、そっと下ろす。

「頼む。もう貴女しかいないんだ」

 床に頭を打ち付け、男は懇願する。

「頼む! ここで断られたら私はクビになってしまう!!」

 クビ。それは大変だ。世界が終わる前に、一家が路頭に迷ってしまう。

 カウンターから出て男の横に座った。

「分かりました。やりましょう」

 男が笑顔で涙ぐみ、あたしの手を握りしめてくる。クラウが駆けてきてあたし達の肩を抱いた。

「流石アンちゃん! 困った時はアンちゃんに頼め!」

 クラウと男まで握手を始めたところで、ふと、冷静になる。

「あ……」

 また、やってしまった。いつもこうだ。分厚い冊子もレース編みのブローチも瓶詰めのジャムも、あたしがこうだからできた産物だ。

 必死に頼まれると、考えるより先に身体が動く。引き受けるとすごく喜ばれて――だいたいその辺りで我に返るのだが――断ろうにも断れない。そうして、頼み事を片端から引き受ける。「困った時はアンちゃんに頼め」と、言われ続けて五年ほど。

 後悔に苛まれる間に、男が立ち上がった。

「では、さっそく戦場都市に向かってほしい。劇はそこで行われる」

「さっそく!? うちの店はどうするのよ!?」

「大丈夫、俺が店番やっとくから! アンちゃんの家族にも伝えておくよ!」

 クラウが言う。ああそうだ、いつもこうだ。店をやれない程の頼み事が舞いこむと、お客さんが店番と家族への伝言をやってくれる。頼んでもいないのに。

「御協力、感謝する」男はクラウに一礼し、こちらに向き直った。

「都市までは馬車でお送りしよう。その間に、これを」

 本を渡された。色あせた地味な表紙の本。

「この台本を読み込んでほしい。あちらへ着いたらすぐに本番となる」

「本番!?」

「すまない……姫殿下に頼んだ時はまだ期日に余裕があったのだが……」

 あとは聞かなくても分かった。しおれて座り込みかけた男の肩を掴む。

「分かりました! 分かりましたってば!」

「すまない」と繰り返す男を支えながら、棚の間を通って出口へ。馬車はどこかと尋ねる。

 硝子のはめ込まれた木の扉の前で、一度、後ろを振り返った。

「なあ、アンちゃん」

 カウンターに入り、クラウが口を開く。彼の傍には、山積みの本と冊子とレース編みのブローチと瓶詰めのジャムと、その他もろもろが置かれている。

「世界が終わる前に、何もしたいことがないならさ。今回の頼み事っていい機会だと思う」

 戦場都市なんてそうそう行けないし、魔族に会うなんてなかなか出来ないし、と続ける彼に言った。

「そういうのね、余計なお世話っていうのよ!」

 外へ一歩踏み出し、勢いよく扉を閉めた。


 男はあたしを馬車に乗せてすぐに去った。仕事があるそうで責めるに責められない。

 お仕着せの御者に頭を下げ、びろうどの敷かれた椅子に座る。御者も椅子も、平民の娘に来られるとは思ってもいなかっただろう。そのうち馬が歩きだした。

 不相応な景色を、遮るように台本を開ける。タイトルは『美女と野獣』。ページをめくり、書かれた台詞を追っていく。

 聡明で心優しい少女と、恐ろしい見た目の魔獣が恋愛をする話のようだ。それ以外にも色々あるが時間の都合上割愛する。

 話の流れを掴む。少女の台詞を脳に叩き込む。頭の中で必死に唱える。

 人生で一二を争う集中力が途切れたのは、台本への書き込みを見つけた時だった。古びた活字の中、真新しいインクが浮いて見える。

「ん……?」

 魔獣は実は、呪いをかけられた人間の王子だった。少女が彼の求婚に応じ、その呪いが解けたのだ。少女の夢の中でたびたび助言をしていた精霊が現れ、彼女たちを祝福する。

 そのあたりの台詞たちに、打ち消し線が引かれている。目をカッと開けて次のページを開くと、白い便せんが挟まっていた。綺麗だが自信なさげな文字で、次のように書いてある。


"少女を演じてくださる方へ

 残念ながら、魔獣を演じる方は人間にはなれません。魔獣の正体が人間だとは、誰も知らなかったのです。知った時には手遅れでした。なので、精霊役に大暴れしてもらって何とか間を持たせて、アドリブで何とか乗り切ることにしました。貴女もアドリブに付き合っていただけたら幸いです。

 ……ええ、無茶なお願いをしているのは分かっています。本当に申し訳ございません。

 ある魔族より"


 手紙を台本ごと八つ裂き、までは行かなかったが、ちょっと端が破けた。人間が人間なら魔族も魔族である。バカか。皆揃ってバカなのか。

 何か叫ばないよう気をつけ、座ってわなわな震えるうちに、馬車はぴたりと止まっていた。御者と一言二言交わし、豪奢な出入り口をくぐる。地に足を付けるさいに、ため息をつくくらいは許してほしい。


 馬車が来た道を戻っていく。気を取り直して顔を上げる。ここは戦場都市のはずだ。劇をやるからには、劇場があるはずだ。「はずだ」ばっかりだ。詳しく聞かなかったことを悔やむ。

 劇場、あるいは人を探して道を歩く。石畳の広い道。端には石のレンガの建物。灰色ばかりだが、きちんと整って可愛らしい印象を受ける。名の通りの戦場のはずだが、傷も焦げあとも見当たらない。

 建物の隙間に影が見えた。どっ、と笑い声が聞こえてくる。人だ。横道に逸れて駆けだす。目の前に野外劇場がある。ここだ!

 石造りの入口を抜けた。扇のように広がった客席。留め具にあたる部分には半円形の空間があり、背後には舞台がそびえ立つ。盛り上がっているのは人間の兵士たちだった。舞台に立って話す者と、それを囲む者がいる。

 あたしの駆ける足が止まった。

(わたくし)は何もいりません。お父様が、無事に帰ってきてくれればそれでいいの』

 スカートを履いた兵士が、裏声で語る。

『あらあら、まあまあ、嫌らしい!』

 同じくスカートを履いた兵士が、裏声で語る。

 なおどちらも男である。そして、あたしの勘違いでなければ、これは少女とその姉の台詞である。

「ちょっと!! そこっ!! 代わりなさいっ!!」

 叫んで、舞台に向かって走りだす。

 恋愛劇はすでに始まっていた。演者は全員、兵士の男ども。少女役だってごつい男。ない。これはない。あたしがやる方がまだマシだ。

「うん、代わろうか、うん……」

 父親役の兵士が、目を閉じて呟いた。

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