Ⅱ
3
全ての光は闇の中へ葬られる。
全ての光は闇の中から生まれる。
一つ一つの光が一人一人であり,それらはある時は一つになり,またある時は遊離する。
しかし全ては一つである。
4
酷暑の日差しは容赦なく照りつける。連日の熱帯夜による寝不足が体全体に襲いかかってくる。さらなる睡眠の要求を暑さが退ける。汗でベトベトの皮膚がシャツとシーツにじっとりとへばり着いている。
狭い部屋の中に,カーテンを通り抜けた昼前の強い日差しが,体に突き突き刺さってくる。
起きるのが億劫だが,このまま寝続けることも不可能に思われた。外からは幼い子どもたちの笑い声が聞こえる。うっとうしさがつのる。
時計はすでに午前10時になろうとしている。体を起こし,冷蔵庫の扉を開け,冷えた缶ビールを開ける。ひとときの快感が口から胃に向かって一直線に伸び,それから全身を覆い尽くしていく。
今日は日曜日だ。会社は休みだ。
しかし,朝から憂鬱な気分が体全体を支配している。一週間の中で精神がリラックスできるのは,唯一金曜日の夜だけだ。そう,一週間の仕事が終わった瞬間からベッドに入るまで。そのわずかな時だけが,俺の確かな存在の証を維持している。そのためだけに生きているのだ。いや,生かされているのだ。それがなければもうすでにここには存在していないだろう。
そのわずかな時のために,安らぎを感じるその時のためだけに,かろうじて生きているのだ。
私はなぜ生きているのだろう?
生きている価値はないのだ。誰も私を必要としていない。この崩れかけたぼろアパートの四畳半が私の生きる場だ。壁は所々ばらばらとはげ落ち,廊下の床はきいきいと悲鳴を上げ,油虫が自由気ままに走り回っている。
私はこの油虫どもとどこが違うのだろう。同じではないか。毎朝この住処から這い出し,暗い地下を通り抜け仕事場に行く。そしてまた,ここに戻ってくる。毎日毎日。
なぜ生まれてきたのだろう?なぜ生きているのだろう?何のために生きているのだろう?
そう考え始めると,どうしようもない寂しさと孤独感,絶望感が襲ってくる。これでもかこれでもかと,私を打ちのめしにやって来るのだ。なぜ私だけが,こんなに苦しまなければならないのか?なぜ,こんなに不幸なのだろう?
私がいなくなっても会社は何も困りはしない。別の人間が代わりに仕事をこなしていく。私は会社の歯車の一つにしか過ぎない。スペアはいくらでもある。仕事に生き甲斐もなく,生きていく楽しみも喜びもない。私がいなくなっても誰も気がつかないだろう。今,ここで死んでしまっても,いつ発見されるか分からない。白骨化しても発見されないかもしれない。何のために生きているのだろうか。生きている価値があるのだろうか。
巨大な大都会の雑踏の中は,いい知れない孤独感でいっぱいだ。
人が大勢いるから余計孤独感を感じる。こんなにあふれるほどの人がいるのに,私の話を聞いてくれる人は誰一人いない。みんな冷たい。私を馬鹿にし,虚仮にしている。
この暑さの中で気が変になってしまいそうだ。人がうっとうしい。じゃまだ。うざい。頭に来る。こいつらをみんなたたきのめしてやったら,さぞスカッとするだろう。私の体にぶつかってきたやつは殴り倒してやろう。にらんだやつは,ナイフでひと思いに突き刺してやろう。
どこを見ても,人,人,人・・・。
人はもうたくさんだ!
空になったビール缶を壁に,思いっきり投げつけた。跳ね返されたアルミ缶は,断末魔の叫び声をわずかに残しベッドの下に吸い込まれて行った。アルコールのおかげで自己嫌悪と厭世観が少し遠のいていくような気がしたが,暑さが再び襲ってきた。
急いでカーテンを開けた。部屋は熱帯と化した。手から噴き出していた汗が,変色した畳の上にだらだらと落ちては吸い込まれていく。見ることさえうっとうしい。聞くことさえ煩わしい。一刻も早くここから逃げ出したい。ああ,いやだ。もういやだ。
くたばってしまえ!
ベッドの上に仰向けに身を投げ出し,天井を見つめた。工場で大量生産された人工の木目が,同じように続いている。
そのとき,一筋の光が天井に差し込んだ。
その方向に目をやると,矢のようなまばゆい光が目に飛び込んだ。外からだ。目の前の公園からだ。
それは,公園の小さな砂場の方向からだった。そこには,プラタナスの大木が立っていて,砂場を半分ほど覆っている。窓を開け,目を凝らしてみると,何かが光っている。鋭い光を放っている。真夏の日差しを一点に凝縮し,自分を射抜こうとしているようだ。
都会の片隅に取り残されたように佇んでいる,猫の額ほどの公園は灼熱地獄と化している。その光は,その中に私を連れ込もうとしている。
外は,全ての生き物の思考が停止していた。
5
あなたは一人ではない。あなたは,私だ。私は,あなたなのだ。私を見なさい。私を感じなさい。あなたの全身全霊で。全ては一つだ。それが,真理だ。あなた方は気づいていないだけなのだ。
6
その光は,砂の中からだった。確かに光っている。おそるおそる砂をどけてみると,まばゆい光とともに鋭い刃が出てきた。なぜこんなところに?
刃の長さは手のひらの幅くらい,柄は一握り。短剣だ。握ってみるとずっしりと重い。鋭いだけでなく,妖しく妖艶な光を放っている。本物だ。本物の刀剣を手にとって見たことはないが,これは明らかに本物だ。美しい。美しすぎる。見れば見るほど,その妖しい輝きの中へ吸い込まれていく。握る手のずっしりとした感触は,体全体を包み込み,自分を放そうとしない。顔から汗が規則正しくしたたり落ち砂の中に吸い込まれていくのを,悠然と眺めおろしているようである。その中に,遠のく意識が時を忘れたかのように吸い込まれていった。