8話 尖ってこそ我が人生
吹き飛ばされたベッキオは、しばし体を大の字にして横たわっていたが、大したダメージも感じさせずに起き上がった。
「痛ってぇなぁ。はは、なんだよ。随分と手が早ぇじゃなぇか」
首をポキポキと慣らし、体に着いた砂埃を払う。そして、不敵な笑みを浮かべながらラフィットを睨みつけた。
「旦那、気をつけろ! こいつ、妙な技を使いやがる!」
「あぁ、わかってる」
ラフィットはすでに気づいていた。ポールもゴンズ兄弟も、大きな槍で抉られたような傷跡があるにも関わらず、ベッキオは武器らしきものを手にしていなかったからだ。
この場合、考えられる可能性はひとつ。
「ニックを連れてくれば良かったな」
相手は瞳力の使い手。どんな力かは不明だが、かなり殺傷力の高い能力と見るのが妥当だろう。
「なぁ、鎧手ぇ。てめぇは確か『私掠命人』とかいう奴だったよなぁ? そいつが俺をぶっ飛ばしたってことはよぉ、それはつまり、これはもう殺し合おうぜって合図だよなぁ? キャッハハハハハ!」
ベッキオは心の底から楽しそうに、そして醜悪な笑い声を上げた。銀のフォークで皿を引っ掻いたような、不快な音が響き渡る。
「なぁなぁ、黙ってねぇでよぉ、もっとお話しようぜぇ!」
両手を広げて挑発するベッキオに対して、ラフィットはバックステップで距離を取り、ボウガンへと変形した右手と番えた毒矢を向ける。だが、ベッキオは怯むどころか、そのままゆっくりと距離を詰めてきた。
「その腕そんな風にもなんのかよ! かっけーなぁ! なぁ、それくれよぉ!」
矢を向けられているにもかかわらず、へらへらと無防備に近づいてくるベッキオ。ラフィットはゴンズ兄弟と対峙した時とは打って変わり、警告無しでベッキオの顔面に向けて毒矢を放った。
「おっと危ねぇ!」
しかし、ベッキオは高速で飛んできた矢を、ガキンっという金属音と共に難なく左腕で弾き落として見せた。
その反射神経も驚愕に値するが、それよりも重要なのは生身の腕で矢を弾いたという事実だ。
(矢が当たっても傷さえつかない……か)
「今度はこっちから行くぜぇ!」
一足飛びで一気に距離を詰めるベッキオ。右腕を大きく振りかぶり、そして力任せに振り下ろす。
「ッシャラァッ!!」
ラフィットは後ろへ飛び、すんでのところでその攻撃を躱す。素早く体勢を立て直して前を見据えると、土煙の中から現れたベッキオの右腕が地面に突き刺さっていた。そしてその腕は、鉛のような鈍色へと変色していたのだ。
「……そいつがお前の瞳力か」
「はっはぁ! さすがに簡単には食らってくれねぇんだなぁ。そうさ、こいつが俺の瞳力。『尖ってこそ我が人生』だ! かっけーだろぉ?」
刺さった腕を地面から抜くと、色だけでなくその形状までが変化している。肘から先が、巨大な杭のように鋭く光っていた。
(あの威力、そして矢を弾くほどの硬さと金属音。腕の色はハッタリじゃなく、鉄と同等の強度があると考えた方が良さそうだな)
掠っただけで致命傷になる猛毒も、傷がつかないのでは効果が薄い。ラフィットは左手で腰に下げていた両刃の剣を抜き、低く構えた。
「あれぇ? もうそのかっけー義手は使わねぇのか? 何だよ、意外と芸が無ぇんだなぁ。拍子抜けだぜ、鎧手さんよぉ!」
(体を鉄と同等の硬度に変える、か。それなら問題は……)
「まぁいいさ。もう見せるもんが無いってんなら、あんたに用は無ぇ。さっさとぶっ殺して、これまでの憂さを晴らさせてもらうぜぇ!」
ベッキオが声を上げると、左腕も鉄杭へと変化していく。そしてその凶悪な二本の武器を振り回しながら、大男はラフィットに襲い掛かった。
両手を力任せに振り下ろすベッキオ。もし被弾すれば身体がバラバラにされてしまいそうな一撃だ。しかしラフィットは怯まずにその攻撃を反転して躱し、相手の背後を取る。そしてそのまま、遠心力をつけた斬り上げを後頭部へ向けて放った。
ベッキオは左腕を後ろに回してこれを防ぐ。人間の体と鋼の剣がぶつかったとは思えない、重たい金属音が響いた。
「キャッハハハハ! 効かねぇ効かねぇ! そんなナマクラじゃ俺は斬れねぇぜぇ!」
ラフィットはその言葉を聞き流し、ベッキオから距離を取った。そして今度はベッキオの分厚い胸板と両足に向けて、ボウガンの毒矢を3本連続で放つ。
「だからよぉ! 効かねぇって言ってんだろうが!」
ベッキオはもはや防御すらしない。放たれた矢は命中したものの、その肉体に傷をつけることは叶わず、脚に当たった2本は弾かれ、胸部への1本は折れてしまった。
そして驚異的な脚力で一気にラフィットとの距離を詰めると、杭となった右腕で、強烈なパンチをラフィットに見舞った。
「ぐぅッ!」
かろうじて鋼鉄の義手で攻撃を受けたラフィットだったが、衝撃を抑えきれず背後の壁まで吹き飛ばされてしまう。
「おいおい、もう終わりかぁ? 噂の鎧手も大したことなかったなぁ。それとも、俺が強すぎたか? キャッハハハハ!」
不快な笑い声を上げるベッキオに対し、崩れた瓦礫をどかしながらラフィットは起き上がり、言葉を放った。
「……くだらない」
「ぁあん?」
ベッキオの眉間に、みるみる深い皺が刻まれていく。
「それだけの怪力と能力があれば、いくらでもまともに生きられただろう。城に来れば衛兵として即戦力だ。それなのに、お前はこんなところで子ども相手に力を見せつけて満足なのか? 実にくだらん」
「けっ。ようやくまともに喋ったと思ったら、この俺に説教かまそうってのかぁ?」
ベッキオは心底つまらなそうな顔でラフィットを見下す。
「いいか、甘ったれの騎士様に教えてやるよ。この世の中はなぁ、強ぇヤツが正義なんだよ。老人だろうが女だろうがガキだろうが、弱ぇヤツらは奪われて犯されて殺される。そういう運命なのさ。ライオンがウサギを食い殺すことが罪か? 強い雄が雌を独占するのは咎められることか? 違ぇだろぉ?」
「言いたいことはわからんでもない。が、やはりくだらないな」
「ぁあ!? てめぇだって力に物を言わせて俺の仲間たちをブチ殺してんじゃあねぇか! 俺たちと何が違うってんだ!」
「だから言ってるだろう。言いたいことはわからんでもない、と。つまりお前が言いたいのは、この世は弱肉強食だってことだろう? 強いものが生き残り、弱いものは食われて死ぬ。自然の摂理ってやつだな。否定はしないさ」
「んだよ。わかってんじゃねぇか」
「馬鹿かお前は。それを弱者のお前が言うんだから、くだらなくて滑稽だって言ってるんだよ」
ラフィットはさして感情を込めるでもなく、当たり前のこととして言い放った。だが、その発言をベッキオは聞き流すことができなかった。
「誰が、弱者だって?」
「お前以外にいるか?」
ベッキオは激怒した。
「この俺が! ベッキオ様が! 弱ぇだとぉ!? 俺はなぁ、昔っから気に入らねぇヤツは誰だろうとぶっ殺してきたんだよ! これまでに17人! 舐めた口きいた男も! 俺を無視した女も! でけぇ態度したジジイも! あそこでくたばってる軟弱なガキみてぇに腹を抉ってなぁ! てめぇもこれからミンチにして……ぅおッ!?」
吠えるベッキオが話し終わるのを待たず、ラフィットはボウガンの矢を顔面に向けて打ち込む。ベッキオはまたも硬化した左腕でそれを難なく防いだが、その表情はもはや原型をとどめないほどに怒りで歪んでいた。
「さっきからごちゃごちゃ五月蠅いんだよ、お前は」
「ぶっ殺したりゃぁクソがぁあああ!!」
ズンズンと足音を立てて近づいてくるベッキオに、ラフィットは数本の矢を放つ。だが、それらはどれも硬化した肉体に有効なダメージを与えられない。
ベッキオの間合いに入る直前、ラフィットが剣で斬りかかるも、左腕であっさりと剣ごと弾かれてしまった。
「弱ぇのはてめぇの方だったなぁ! クソ鎧手ぇッ!」
ベッキオは右腕を振り上げ、無防備になったラフィットの頭に向けてそれを振り下ろす。その時、少し離れた場所で爆発音が鳴り響いた。しかし、そんなことは気にも留めない。
「死ねぇえええ!!」
だが次の瞬間、ベッキオの身体から右腕が忽然と消えた。
「は?」
何が起きたのかわからないまま、ベッキオの右側頭部に巨大な鉄塊が叩きつけられる。
「がフッ!」
ベッキオはその巨体を風車の様に回転させながら吹き飛び、そのまま意識を失った。