6話 治療とは非なるもの
文句を垂れながらも、ユリスはいそいそと準備を始める。背負った巨大な鞄を降ろすと、中から丸底のフラスコとすり鉢、何かの液体が入った小瓶、そして数種類のハーブを取り出した。
「ねぇジャン、家に肥料用の馬糞はあるよね? 持って来てくれない?」
「馬糞? あるけど、薬を作るんじゃないの?」
「そうだよ~。あ、安心して。臭いとかは無くなるから」
そういう問題じゃない。と、ラフィットは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「量は……そうね、ジャンの両手一杯だけあれば大丈夫だから」
「わかった。ちょっと待っててね」
「一体、私は何を飲まされるんだ……」
ゴルチェの不安はもっともであるが、通常の医療技術では治せない病なのだから、今はユリスを頼る他に無い。どうやら、覚悟は決めた様だ。
「持ってきたよ!」
ジャンは言いつけ通りに、馬糞を袋に詰めて戻ってきた。
「ありがとう。それじゃあここに置いといて」
そう言うと、ユリスは袋に入った馬糞をむんずと掴み、すり鉢へと放り込んだ。それを見たラフィットは顔をしかめる。いくら乾燥しているとはいえ、ユリスが素手で掴んだのは馬の糞。潔癖症とまではいかないまでも、清潔を好むラフィットには理解しがたい行為であった。
「これにこいつを混ぜて、と……あ、そうだ。ラフィット、お父さんの血を少しだけ採取しといてくれる?」
「血を?」
「そう、血。2、3滴もあれば十分だから。私は馬糞触っちゃったから感染症が怖いし、お願いね」
すり鉢に馬糞とハーブを投げ込んで、ぐりぐりとすりこ木で混ぜ合わせていく。そこから発せられる臭いは、とても人が口にできる物とは思えなかった。
「く……おい、それを本当に飲ませる気なのか?」
「だから大丈夫だって。臭いは無くなるって言ったでしょ? いいから、ラフィットは早く血を採って」
「……わかったよ」
ラフィットは取り敢えずユリスの指示に従うことにした。錬金術の知識はゼロに近いが、常識の通用しない世界であることは何となく理解していたからだ。
「それでは、失礼します」
「は、はい……っ痛ッ」
ナイフで指先を僅かに切り、滴る血をガラスの小瓶で受け止める。そしてそれをユリスに手渡した。
「ありがと。あら、随分と黒ずんじゃってる。これ今日私が来なかったら、本気で危なかったね」
「父さん、死んじゃうの……?」
「ここまで血が黒くなってるってことは、逆流した瞳力が心臓にまで到達してるってことだからね。普通だったら今夜が山ってとこかな。でもまぁ、この超天才錬金術師のユリスちゃんが来たからには大丈夫! あなたは幸運です。大船に乗ったつもりでいてね!」
ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたすり鉢の中身に、ユリスが謎の液体とゴルチェの血を一滴ずつ加える。すると、臭くてどす黒い塊が瞬く間に溶けていき、鮮やかなコバルトブルーの上澄みを持つ液体へと変化した。
辺りに立ち込めていた鼻につく刺激臭も無くなり、ユリスが言っていた通り無臭の薬が出来上がったのだ。
その様子を見て、ラフィットは目を丸くしていた。
「これは……どういう理屈でそうなるんだ? 血と一緒に入れた液体は一体……」
「あぁ、あれはね、三日月の夜露。血と排泄物に混ざると、それの性質を変化させる特性を持ってるの。そんなに珍しい物じゃないよ。本当は排泄物も本人の物を使用した方が拒絶反応は出にくいんだけどね」
ユリスはゴルチェに視線を送った。
「いや、さすがにそれは……」
見えないはずの視線を察知し、ゴルチェは縮こまってそう言った。
「そうだろうと思って、馬糞にしといた。まぁこれでも血が本人の物なら問題は無いはずだから。よし、完成! それじゃあこれをグイッと飲んで!」
「え!?」
「何驚いてんの。薬なんだから、飲まなきゃ駄目に決まってるじゃん」
「いや、でもこれ馬糞入ってるんですよね?」
「入ってるけど?」
それが何か、と言わんばかりのとぼけ顔で、ユリスは調合された薬を入れた小瓶を押し付ける。確かに見た目は綺麗で臭いも無いが、材料を知っていれば飲むことに抵抗があるのは当然のことだろう。
「塗り薬とかではなく、これを飲めと……」
「体の内側から治さなきゃ意味無いでしょ」
「……これで本当に病気は治るんですか?」
観念して小瓶を受け取ったゴルチェだが、まだ決心はついていない様子だった。
「疑り深いなぁ。正確には病気を治すんじゃないよ。瞳力を抑制できる体質に変化させるの。副作用で多少の吐き気と倦怠感は出ると思うけど、まぁ2、3日もすればそれも良くなるから安心して」
「体質の変化って、大丈夫なのか? それ」
「最初から治療じゃなくて改造だって言ってるじゃん。そもそも錬金術っていうのは、異なる性質のものを掛け合わせて新しい物を作る学問なの。だから人体だってその対象。今回の案件は、錬金術界隈では比較的イージーなものなのだよ我が助手」
「誰が助手だ誰が」
「ま、実際錬金術の究極の目的は完全人工生命体を生み出すことと、死なない体を作ることだからね。病気の克服ってのも、ひとつの過程として研究が盛んに行われているんだよ。と言うわけで、安心してグイッといきたまえ!」
朗らかに笑うユリスを、ラフィットは訝しげに覗き込む。ゴルチェもまだ躊躇いを消せずにいた。だが、その場で誰よりもこの胡散臭い錬金術師に信頼を置いていたのは、幼いジャンだった。
「父さん。僕のことを助けてくれた人たちのこと、信じられないの?」
「ジャン……」
息子に後押しをされてようやく決心がついたのか、ゴルチェは小瓶に口を近づけた。
「もしも私に何かあったら、息子たちのことを頼みます」
「だから大丈夫だっての!」
遺言を残し、ゴルチェは小瓶の中身を一気に飲み干した。馬糞と草と自分の血と、よくわからない液体を混ぜた物を、一気に。
「ゲホッ、ゲホッ」
(うわ、マジで飲んだよこの人)
ラフィットは咽るゴルチェの隣で少し引いていた。それと同時に、自分の右腕に視線を落とす。
強度の割に異様に軽いこの腕は、いったい何でできているのか。まさかこれにも何かの排泄物が……そのことを考えると一抹の不安がよぎった。
「どう? 父さん」
「ゲホッ、ゲホッ……あ、あぁ。思ったより味は悪くない。むしろほのかに甘く、のど越しもスッキリしていて美味しい。体は、特に変化は…………んぐッ!?」
「父さん!?」
「がっは……! め、目が……ッ!」
ゴルチェが苦しそうに押さえた目元は、巻いた布の隙間から強い光が漏れ出していた。
「父さん! 父さんっ!」
「ぐぁああ! ぐッ……はぁ!」
「ユリス! これ大丈夫なんだろうな!」
「ダイジョブダイジョブ」
緊迫した状況の中、一人余裕の表情を浮かべるユリス。
「今は体内に逆流していた過剰な瞳力が放出されているんだよ。すぐに収まるから、安心して」
その言葉の通り、溢れていた光は収束し、苦痛で食いしばっていた口元が徐々に緩んでいく。呼吸はやや荒いが、ゴルチェの容体は安定してきているように見えた。
「はぁ、はぁ……」
「父さん、大丈夫?」
「あ、あぁ……ひどく気分が悪いが、大丈夫だ」
「さっきも言った通り2、3日は二日酔いみたいな症状が残るけど、それが無くなったら完治だよ。さらには、瞳力が使えるようになるオマケつき!」
「私が瞳力を……一体どんな力なんでしょうか」
「さぁ?」
「さぁ、ってお前……」
一件無責任に思える発言だが、そもそも瞳力は個人の資質によって発揮される力が異なる。そのため、「無欠の鑑定」の瞳力を持つヴェロニクでもなければ、他者がどのような力を持っているかはわからないのだ。
ラフィットもそのことは理解しているため、それ以上ユリスを責めるようなことは言わなかった。
「どんな能力かは自分で探っていくしか無いよ。まぁ、後天的に身に付く瞳力は、その人の特性に沿ったものになることが多いみたいだけど。便利な能力だったら良いね」
「何はともあれ、これで病気は治ったってことで良いんだな?」
「うん。少なくとも、もう命に危険は無いから安心して良いよ」
それを聞いて、ジャンは心から安堵した様子だった。その目には涙が溜まっていたが、こぼれる前にそれを拭うと力強く駆け出していった。
「ちょっと僕、ポールを呼んでくる!」
家の外に出る直前、ジャンは振り返り満面の笑顔で叫んだ。
「お姉ちゃん! おじさん! どうもありがとう!」
「だから俺はおじさんじゃ……」
「ぷぷぷ。やっぱり髪切ったら?」
ジャンを見送ると、ゴルチェは目隠しに巻いていた布を外した。そしてゆっくり目を開いたが、すぐ眩しそうに目を細めた。
「あぁ、こうやって自分の目で外を見るのも久しぶりだ……本当にありがとうございました。謝礼は何年かけてでも必ずお支払いいたします」
「謝礼? いいっていいって。私が勝手にやったんだから」
「そういうわけには……」
「いいの。でもその代わり、『私の病気を治したのはユリスっていう可愛い錬金術師です』ってみんなに宣伝してね」
「ははは、そんなことならお安い御用です!」
ユリスとゴルチェは握手をして、ラフィットはそれを穏やかな気持ちで見守っていた。だが、すべてが円満に解決したように思えたその時。
「うわぁああぁああああ!!」
穏やかな空気を引き裂く悲鳴が、3人のもとに届けられた。