51話 ひとつじゃない
「アンベルスの6人と戦うなら、鍵となるのはマリナだ」
ウォルターは厳しい表情で語る。
ユリスの体が馴染むまでの間、ラフィットとユリスのふたりはジェーンの私邸で過ごすことを決めていた。街の中心から外れた森の中は身を隠すのに都合がよかったし、ウォルターとの接触もしやすかったからだ。
そしてこの日、先日の会食で互いの過去を曝け出し信頼を高めた面々は、本来の目的である勇者打倒のために情報交換をしていた。
「マリナ? アンベルスの6人の中で、一番強いのはドーリスなんでしょ?」
「そうさな、一対一でまともに戦えば、ドーリスに勝てる者などこの世にいないさ。ワシらの中でも、あやつの実力は頭ひとつ以上抜けていた」
「あっさりと認めるんだな。あんただって武に生きた人だろうに」
「なに、大事を為すのにいらぬ見栄を張っても仕方なかろう。第一ドーリスの強さは、ワシの求めるものとは些か方向性が違うでな」
「よくわかんないけど……じゃあ、ウォルターさんはアンベルスの6人の中では何番目に強いの?」
邪気の無いユリスの質問が、少しだけウォルターの自尊心を傷つけた。
「驚くでないぞ? ワシの強さは……」
「強さは……?」
「6番目だ」
「アンベルスの6人の中で6番目……って、それビリじゃん!」
「がっはっは! そうとも。ワシはアンベルスの6人の中で最弱。まともにぶつかれば、誰にも勝てん」
豪快に笑うウォルターの前で、ラフィットとユリスは顔を見合わせた。
「まさかとは思っていたが、本当にそうなのか……」
ウォルターは身体強化魔術の使い手で、その鋼の肉体から繰り出される打撃は一撃必殺。いかに最強の勇者と言えど、当たりさえすれば無事では済まない。そう、当たりさえすれば。
「最初からワシが最弱だと思っていたのか。そなた、なかなか酷いことを言うな」
「相手の戦力を分析するのは当然のことだろう。俺がアンベルスの6人との仮想戦闘をどれだけ繰り返したと思ってるんだ。近距離以外の攻撃手段を持たないあんたが、支援なしで他の5人の懐に潜り込むのは至難の業だからな」
ウォルターの肉体は、並の武器や魔術では傷ひとつ付けれられないと言われている。だが、相手は伝説の勇者たちだ。その力が並であるはずがない。距離を取って一方的に攻撃されれば、ウォルターの勝ち目は皆無と言えるだろう。
「まぁ、そうだな」
(あれ、ちょっと怒ってる?)
先ほどまでの豪快な笑いに陰りが出たことを、ユリスは見逃さなかった。いくら自分でも認めていることとはいえ、武の探究者たるウォルターが面と向かって「弱い」と言われていい気分でいられないのは無理もないことだろう。
(なんだかちょっと可愛いかも)
伝説に刻まれるほどの豪傑でも、やはりひとりの人間なのである。
「話を戻そう。確かにワシはアンベルスの6人の中で一番弱い。だが、もしも最初にマリナを無力化することに成功すれば、その序列はひっくり返る」
「ウォルターさんが最強になるってこと?」
「そうとも。ま、それでもドーリスには確実に勝てる保証は無いが……少なくとも、アンやダルク兄弟に後れを取ることは無くなるさ」
ウォルターは胸を張ってそう言った。その姿には確固たる根拠があることを感じさせる。
「……マリナはやはり瞳力の使い手なのか?」
「何だ、そなた気付いておったのか」
ふたりの会話を聞いて、ユリスは以前ラフィットが語った推論を思い出していた。
『伝記の中では、アンベルスの6人の瞳力について触れられていないが、マリナが他者の魔術の力を極限まで引き上げる瞳力を持っていたとすれば説明がつく』
(本当に、ずっと前からこの時が来ることを想定してたんだなぁ……)
あの時は特に思うところもなかったが、ユリスは改めてラフィットの執念に恐れを抱いた。王命が下る前から、こうなる保証は何も無かったにも関わらず、ラフィットはこの時のことを考え続けていたのだと。
だが、この後にウォルターが語った内容は、彼にとっても想定外であった。
「マリナの瞳力は、『清らかなる慈悲』と『浄業の玻璃』の2つ。前者は6人までを対象に、魔力を極限まで高めることが……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「ちょっと待って!」
ラフィットとユリスが同時に声を上げる。驚愕の表情を見せるふたりとは対照的に、ウォルターはポカンとした顔をしていた。
「どうした、ふたりとも」
「どうしたって……!」
「……ウォルター。あんた今、マリナは瞳力を2種類持っていると言ったのか?」
「そうだが……あぁ、そうか。そなたらは知らんのだな」
自分にとって当たり前の知識でも、他者にとってもそうとは限らない。今回のケースもそれに当てはまる。
「至極珍しいことではあるが、瞳力を2種類持つ者が存在するのだ。瞳力とは瞳に宿る力。両の瞳に1つずつ、異なる能力が発現してもおかしくはなかろう?」
「言われてみればそう……なのかな?」
ラフィットもユリスも、瞳力はひとりにつき1つだと、そう先入観を持っていた。過去に2つの能力を持つ者など出会ったことが無かったからだ。だが、それはなんの確証もない思い込みであった。
「瞳力が2つ……それじゃあ、俺たちも別の能力を得られる可能性があるってことか」
「瞳力は謎の多い力。ワシは学者ではないから、そなたが新たな力を得られるかどうかは肯定も否定もできん。だが、マリナが2つの瞳力を持っていることは紛れもない事実だ。魔王討伐の旅をしていた時にも、ワシが知る限りでふたり、2つの瞳力を持つ者に会ったことがあるしな」
「……」
「ユリス、どうかしたか?」
「ううん、何でもない」
「また話が逸れてしまったな」
ウォルターは再度、話を仕切り直した。
「さて、先ほども言ったように、マリナの瞳力は2種類ある。戦闘の上で重要なのは、対象の魔力を超強化する『清らかなる慈悲』だ。ワシらが魔王を倒せたのは、この瞳力のおかげだからな。伝記の中では神から授かった力とされているヤツだ」
「つまり、マリナの瞳力を無力化すれば、アンベルスの6人も並の人間に戻るってこと?」
「慢心できるほどではないにしろ、大幅に弱体化することは間違いない。特に魔術での戦闘に長けたダルク兄弟は顕著だろうよ」
アンベルスの6人の弱体化。これはつまり、味方となったウォルターの弱体化も意味している。だが、ラフィットは身をもって体験していた。身体強化魔術を使わずとも、鋼鉄の腕を拉げさせたウォルターの怪力を。故に、ウォルターの自信にも納得がいく。
「マリナを無力化する利点はもう1つある。仮にドーリスたちを倒せなかったとしても、彼らの計画が破綻するからだ」
「どういうこと?」
「マリナの2つ目の瞳力である『浄業の玻璃』はな、言葉の真贋を看破することができるのだよ」
「そういうことか……疑問が解けたよ」
ラフィットは納得した様子だったが、ユリスの頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
「言葉の真贋を看破……って、嘘を見抜けるってことだよね。その瞳力が無くなると、何で計画がダメになるの? 強さには関係ないじゃん」
「お前そんなこともわからないのか?」
呆れたように肩をすくめるラフィットに、ユリスは頬を膨らませて抗議する。ウォルターは微笑ましいものを見るような顔で、そのやり取りを眺めていた。
「むぅ、じゃあラフィットが説明してよ!」
「仕方ない……いいか、ドーリスたちがやろうとしているのは全ての悪人の断罪だ。それを実現するにあたって、一番重要なことは何だと思う」
「えーっと……沢山の悪人を捕まえなきゃいけないから、正義感と腕っぷしの強い人を集めることじゃない? あの教会に集まっていた人たちみたいな」
「それも必要なことだが、正解じゃない。一番重要なのは、冤罪を起こさないことさ」
その通りだと言わんばかりに、ウォルターは大きく頷いた。
「悪を殺し尽くす。つまり、ドーリスたちは悪人を全員処刑すると言っているわけだ。それなのに、処刑した相手が濡れ衣だったらどうなる?」
「あ、なるほど! 間違えて無実の人を殺しちゃったら大変だもんね」
「その通り。そんなことをしたらそれこそ悪だろう? 正義を振りかざす者として、絶対にあってはならないことだ。だからと言って、証拠を揃えながら一件一件裁判なんかしていたら、時間がいくらあっても足りやしない」
勇者たちが目指すのは、悪が根絶した平和な世界。虐殺ではないのだから、裁きの対象は慎重に見極める必要がある。だが、マリナがいればそれも容易いと言う訳だ。
「そっか。それじゃあマリナの瞳力を無力化すれば、他のアンベルスの6人も弱体化できるし、悪人を見極めることもできなくなる。一石二鳥ってわけだね! で、どうやって無力化するの?」
瞳力を無力化する手段は2つ。相手の瞳を潰すか、殺害するか。つまり、どうあっても戦闘は避けられない。だからと言って正面からぶつかれば、ウォルターと3人がかりでも勝機は薄いだろう。
「ワシに考えがある。色々と下準備が必要だが、何より……」
表情を引き締め直して、ウォルターはラフィットとユリスに向き合った。
「そなたたち、目的のために悪となる覚悟はあるか」




