43話 ルガルトの災禍・前編
「勇者ドーリスを筆頭にした、アンベルスの6人と魔王の軍勢の闘い。当初は圧倒的な兵量の差から魔王の軍勢が優勢だったが、一騎当千の力を持つ勇者たちは、魔王の勢力圏を次々に壊滅させていったんだ。徐々に追い詰められていった魔王は、大陸の西方へと追いやられていき、最後に陣取ったのがルガルトの山岳地帯だった」
それは伝記にも記され、ユリスのような例外を除けば誰もが知る英雄譚。この後どうやって魔王を倒すのか、胸を躍らせる場面であろう。だが今は亡きルガルトの民からすれば、それは絶望の序章であった。
「当然、勇者たちはルガルトへと向かった。あと一息で魔王が倒せる、世界に平和が取り戻せると信じてな。ルガルトに暮らしていた俺たちだって、あの時は期待に胸を膨らませていたよ。誰もが勇者たちの勝利を信じて疑わなかった……だが、追い詰められた魔王は思いもよらない行動に出たんだ」
「思いもよらない行動?」
興味深げに前のめりになるユリスと対照的に、ウォルターはずっと俯いたままだった。
「命乞いさ。もう人間を殺したりしない。どこか誰もいない場所でひっそりと静かに暮らすから、どうか命だけは助けて欲しい。ってな。勇者たちは面食らったそうだ。まぁ、そのこと自体は無理もない。人間に明確な敵意を示し、ことごとく国を蹂躙してきた魔王が、まさか頭を垂れて命乞いしてくるなんて思わないからな」
そこまで話すと、ラフィットはウォルターの方を一瞥する。それにも反応を示さないということは、ここまでの話に相違が無いという証拠であった。
「だが、この後の行動がマズかった。聖女マリナが、魔王を許そうと言い出したんだ」
この時、ユリスはつい先日のベッキオとの一件を思い出した。ラフィットの前で命乞いをする罪人のベッキオ。その姿が、話に聞く魔王と重なったのだ。
「……それで、マリナ以外の皆も魔王を許したの?」
「まさか。だが、マリナの言葉を受け、ドーリスの心には迷いが生じていた。そして、魔王はそれを見逃さなかった。わずかに開かれた心の隙間を、魔王が乗っ取ってしまったんだ」
「心を、乗っ取る……」
ユリスはその言葉を聞いて、前のめりになっていた姿勢を戻す。ウォルターはまだ俯いたまま。ジェーンはグラスに残っていたわずかな葡萄酒を飲み干した。
「魔王に心を奪われたドーリスは、その場にいた仲間たちを蹴散らし、自らが放つ雷霆でルガルトの国を瞬く間に滅ぼしてしまった」
「そんな……それで、その後どうやって勇者を救い出したの?」
「……伝記によれば、マリナの抱擁によって、ドーリスに巣食った汚れた心が浄化されたそうだ。後に夫婦となるふたりの愛が生んだ奇跡だと言われている。そして魔王は、今度こそ勇者たちによって完全に打ち倒されたのさ」
「抱擁……?」
怪訝な表情を浮かべるユリス。
「抱擁って、抱き着いたってことだよね。魔王が心を乗っ取ったって、それだけで解決できるような問題なの? それに、さっきラフィットは『マリナがルガルトを滅ぼした』って言ってたじゃん。今の話だと、ルガルトを滅ぼしたのはドーリスじゃない?」
その質問に、ラフィットは答えなかった。ウォルターもジェーンも、揃って口を噤んでいる。
「……ねぇ、何でみんな黙ってるの?」
「いや、ユリスが前に『錬金術は学問だ』と言っていたのを思い出していた。お前、思ったより理詰めで考えられる人間だったんだな」
「馬鹿にしてるでしょ、それ」
ラフィットとユリスのやり取りにジェーンは笑顔を見せたが、ウォルターは沈痛な表情を浮かべて俯いたままだ。さすがにその異様な様子に、ユリスも気が付いた。
「ねぇ、さっきからどうしたの? 確かにラフィットの故郷を滅茶苦茶にしたのは酷いことだけど、それって魔王が操ってたって話でしょ? だったら、悪いのは魔王じゃん」
ユリスの言う通り、この内容で勇者たちを責めるのは酷と言うものだろう。事実、伝記の中で『ルガルトの災禍』の章は、勇者たちの愛の物語として人気のあるエピソードだ。勇者の一瞬の油断が招いた惨劇とはいえ、魔王さえも許そうとした彼らの慈悲深さを責める者はいない。
「……ラフィットよ、そなたは全て知っていたというのか」
ずっと俯いたままだったウォルターが、ようやくその重たい口を開いた。
「俺が全てを知っているはずがないだろう。俺が知っているのは、事実は伝記と異なるってことだけさ」
「……そうか。それなら、そなたがワシらを憎むのも無理はないな」
「ちょっと、勝手に納得しないでよ! 私はまだ何にもわかってないんだから……って、あだだだだだ!」
興奮して立ち上がったユリスは、体が軋む激痛に顔を歪めた。
「慣れない内臓に食い物入れて、いきなり動くんじゃないよこのバカタレが。そんなんじゃ治るものも治んないよ!」
「いってててて……でもおばあちゃん!」
「いいから、黙って聞いてな」
ジェーンに叱られて、しゅんとするユリス。だがその目は、ラフィットに「早く続きを聞かせろ」と強烈に訴えかけてきた。
「……俺は魔王との戦いに参加していたわけじゃないから、あの時何が起きていたのかはわからない。でも伝記に記された『ドーリスがルガルトを滅ぼした』という内容が間違っていることを知っている。あの日、たまたま日が昇る前に目覚めた俺は、家の外に出ていた。そしてこの目で確かに見たんだ。街を焼いたのはドーリスの雷霆じゃない。マリナが乗った、白龍の炎だった」
ラフィットの話を、ウォルターはただ黙って聞いていた。
「否定しないのか?」
「……しないさ。そなたの話に偽りはない。ルガルトを焼いたのはドーリスではなく、マリナが召喚したヴリーシュラという白銀の龍だ」
「ど、どういうこと? 心を乗っ取られたのはドーリスじゃなくて、マリナだったの?」
「いや、そうではない。そうではないのだが……」
ラフィットは口ごもるウォルターに代わり、再び話し始めた。
「マリナの龍は、あっという間に祖国の全てを焼き尽くした。子どもの頃に遊んだ広場も、顔なじみの店主が切り盛りしていた商店も、友人も、両親も、最愛の妻と娘も、全てを」
声色に怒りが滲む。話をしながら、ラフィットは当時の光景を思い出していた。




