4話 鎧手と呼ばれて
城を出たラフィットとユリスは、その足で城下町へと足を向ける。
「ねぇ、あれ何だろ」
その道すがら、ユリスが薄暗い路地裏に何かを見つけた。
「いいからさっさと出しちまえよ。金を持ってるのはわかってんだからよぉ~」
「ぎゃはははは! 痛い思いはしたくねぇだろ?」
ユリスの指さす方向には、大男二人組が少年を取り囲む姿があった。
「うわ、恐喝じゃん! 恐喝!」
「大きな声を出すな」
「どうする? 助ける? 助けるよね? ってゆーか、何で誰も助けないの?」
ユリスはラフィットの腕をぐいぐいと引っ張った。その目は、ラフィットが善行を為すことへの期待に満ちている。
「……面倒くさい」
「えー!」
「面倒くさい。が、これでも俺は騎士の称号を貰っている。か弱い市民を守るのは騎士の務めだからな」
「そうこなくっちゃ!」
「何でそんなに楽しそうなんだ……まぁいい。ユリスはどこかに隠れていろ」
「どうして? 私も行くよ」
「どうしてって、あの手の輩に若い女を関わらせたくないんだよ。それがお前みたいな阿保でもな」
「だからお前って言わ……って、それより今アホって言った!?」
ユリスの糾弾などどこ吹く風と言わんばかりに、ラフィットは堂々と路地裏へと入っていく。
その時、少年を取り囲む大男は、下卑た笑いを浮かべながら少年の頭を掴んでいた。
「い、痛たたた……お願い、やめて! これは、父さんの薬を買うためのお金で……」
「知ったことかよ。俺らは金がいる。お前は金を持ってる。持つ者は持たざる者に施しをするべきだって、教会で教えてもらっただろ?」
「ぎゃはははは! ダインの言う通りさ! さっさと俺らにお恵みくださいってなぁ! そうだろ? 善良な市民さんよぉ!」
下品な笑い声が表の通りにまで響く。だが、道行く人々がそれに気づく気配は無い。いや、気づかないフリをしている。誰だって面倒ごとに巻き込まれるのは御免なのだ。
それに、自分が助けられるかどうかもわからない。怪我をするか、最悪殺されるかもしれない。正義を振りかざすには力がいることを、そして自分にはその力が無いことを、街行く市民はよく理解しているのだ。ただそれだけのこと。
「だ、誰か! 誰か助けてください!」
「誰も助けになんか来やしねぇよぉ! それによぉ、こんな子供に使いを頼まなきゃならねぇ貧弱な親父なんざいらねぇだろ。いらねぇ人間は死んだ方が世の中のためってヤツさ。薬がなけりゃ親父は死ぬんだろ? だったらこれは人助けさ! ぎゃははは!」
「いらない人間は死んだ方が世の中のため、か。その考えにだけは賛同するよ」
ラフィットは、背後から大男の右肩にポンっと手を置いた。
「な……誰だてめぇ! 邪魔すんならぶっ殺すぞ!」
振り返った男は190センチはあろうかという巨体で、ラフィットを見下ろす様はまるで大人と子どもである。こんな大男に脅されたとあっては、年端もいかぬ少年にとってどれほどの恐怖であっただろうか。
「待てカルネ! あの右腕……こいつ、鎧手だ!」
好戦的な髭面のカルネを、腹の弛んだスキンヘッドのダインが制する。
「何だ、俺のことを知ってるのか。じゃあ抵抗は無駄だってのもわかるだろ。今日は非番だし見逃してやるから、さっさとその子を離して真面目に働け」
「はんッ! 鎧手だぁ? 貴族どもの飼い犬風情が、見逃してやるだとぅ? てめぇこそ、俺たちを悪名高い『ゴンズ兄弟』と知って舐めた口きいてんのか! ぁあ!?」
「ゴンズ兄弟……いや、すまんが聞いたこと無いな。少年は知ってるか?」
先ほどまで絡まれていた少年にラフィットは尋ねる。涙目になりながらも、少年はブンブンと力強く首を横に振った。
「だってよ。俺が世間知らず、って訳じゃなさそうだな。あと、でかい声出して唾を飛ばすなよ。お前ら歯をちゃんと磨いてないだろ? 便所の痰壺みたいな酷い臭いしてるぞ」
「ぶっ殺す!」
カルネが激高して懐からナイフを取り出した時、ラフィットは無防備に自分の背後に目をやった。
(ユリスのやつ、いつの間にか上手く隠れたみたいだな。しかし、こんな何もない路地裏のどこに隠れたんだ? 近くに気配は感じるが……)
「どこ見てやがる!」
余裕の態度を見せるラフィットに苛立ったのか、カルネは躊躇なく手にしたナイフを突き立てた。が、ガキンっという金属音と共に、その刀身は折れて飛んでいってしまった。
「おいおい。お前、俺が鎧手だって知ってたんじゃないのかよ」
退屈そうに溜め息をつきながら、ラフィットは鋼鉄の右腕でカルネの刺突を簡単に防いでいた。そして勢いのあまり体制を崩したカルネの顎を、その鋼鉄の拳で突き上げた。
「ガフっ!」
鈍い音と共に、カルネの口から血飛沫と折れた歯が飛び出す。そして、ぐりんと白目を剥いてそのまま昏倒してしまった。
「カルネ! てめぇよくも……ッな!?」
倒れたカルネの無念を果たそうと、鉄製の棍棒を握りしめてラフィットを見据えたダインだったが、眼前の異様な光景に思わず息を呑んだ。
ラフィットが真っすぐ伸ばした鋼鉄の右腕は、肘の位置に弓が張られボウガンの様に変形していたのだ。そして、その弓に番えられた矢の先端は、睨むようにダインを捉えていた。
「矢尻にはスナギンチャクの毒が塗ってある。掠っただけで致命傷になる強力なやつだ。それに、この距離なら俺は絶対に外さない」
「ま、待て! 待ってくれ! 降参だ! 勘弁してくれ!」
「お前、さっき『いらない奴は死んだ方が良い』って言ってたよな。俺は子供から金を巻き上げる様な下衆は『いらない奴』だと思うんだが、お前はどう思う?」
「それを言ったのはカルネじゃねぇか!」
「兄弟なんだろ? どっちでも同じだ」
「くそ、めちゃくちゃ言うな! それに、あんたさっき見逃してやるって……」
「そうだったっけか? それより、お前は俺が鎧手だって知ってたよな。それじゃあ俺の仕事が何なのかも知っているはずだ」
「そ、それは……」
ラフィットの仕事は死刑執行人。しかし鎧手は暗殺者としての通り名だ。そしてその名は、王国公認の「私掠命人」として後ろ暗い家業に身を置く者に恐れられている。
「普段は城からの命令で仕事をするんだけどな。俺は俺自身の判断で、裁判無しに刑罰を下すことを許可されている。さて、この場合はどうするか……」
「ま、待ってくれ! もうこんなことはしない! 絶対だ! 目を覚ましたらカルネにもキツく言い聞かせるから! それに、恐喝くらいで死刑だなんてありえないだろ!?」
「でもお前たち、悪名高い『ゴンズ兄弟』だって言ってたじゃないか。余罪が他にもありそうだが」
「余罪なんて無ぇよ! ゴンズ兄弟なんてのも今日初めて名乗ったんだ! そもそも、俺とカルネは兄弟じゃねぇ。ほら、全然似てねぇだろ? あいつが勝手に……」
「ぷっ」
「ん?」
慌てふためいて言い訳するダインの姿が滑稽だったからか、どこからともなく笑いを堪えられずに吹き出す女の声が聞こえた。
(ユリスの声? あいつ、近くにいるのか?)
「なぁ、お願いだ! 見逃してくれ! なんなら、これからあんたの為に働いてもいい!」
「いや、それは遠慮しておく」
ラフィットは知っている。無能な仲間は、時に敵よりも厄介な存在になることを。
「……まぁ、恐喝も未遂で終わっているし、少年に怪我もない。何より、今日は非番だった」
「そ、それじゃあ」
「伸びてるそいつを連れて、さっさとここから失せろ。そして真面目に働け」
「へ、へへへ。ありがてぇ。鎧手の旦那、話がわかるお人で助かりますぜ」
「次に同じようなことをしていたら、その時は容赦しない」
「も、もちろん! これからは心を入れ替えて、真面目に働きやす!」
「あと、ちゃんと歯を磨け」
「わっかりやしたー!」
ダインはカルネを抱えると、そそくさと路地裏から逃げ出していった。あの巨体を抱えてあれだけ早く動けるならそれなりに体力はありそうだ、とラフィットはぼんやりと思っていた。
「お疲れお疲れ。いやー、すごいじゃん。ラフィットってけっこう強いんだね!」
ラフィットが変形した右腕を元の形態へ戻していると、ユリスが軽薄に肩を叩いてきた。
「ユリス。お前一体どこに隠れていたんだ?」
「おやおや、気づかなかったのかい? ラフィットくんもまだまだ修行が足りないなぁ。ま、私がどうやって身を隠してたのかは企業秘密ってことで」
「あのなぁ……」
ゴンズ兄弟を撃退してから数秒のうちにユリスは現れた。よほど近くにいなければ、そんなことはできないはずである。だが、ラフィットは戦闘中にユリスの姿を見つけることはできなかった。
(姿を見えなくする薬でも使ったのか? そんな物があるなら便利だが……まぁ、この後問い質せばいいか)
「それにしても、ラフィットって案外甘いんだね。てっきり殺しちゃうのかと思った」
「恐喝くらいで処刑になんかするか。あいつらがこれから更生するなら、それでかまわないからな」
「ふーん。お城で勇者抹殺の話を聞かされてた時は、そんな感じには見えなかったけど。何か怖かったし」
ラフィットはジェンベールの法に従って仕事をしている。彼の持つ私掠命人としての権利も、どんな場合でも行使して良いという訳ではない。仮に今回ゴンズ兄弟を処刑していたとしたら、ラフィットは厳罰を免れられなかっただろう。
だが、ラフィットの個人的な考えはもっと非情なものであった。
彼は、更生を口にしながら再び悪事を為す罪人を幾度となく見てきた。それ故、罪人を生かしておく必要性を見いだせずにいたのだ。
善良な人間は罪など犯さない。なぜ罪を犯すような人間を生かしておく必要があるのか。罪を犯した時点でその者を処分してしまえば、もっと早くこの国は平和になるはずなのに、と。
今回の一件、ゴンズ兄弟が更生する保証は無い。だが、恐喝くらいでは処刑することはできない。それがこの国の法である。ラフィットは、その事に少なからずわだかまりを抱いていた。
「私は、今のラフィットの方が全然良いと思うけどね」
「……勇者抹殺ってなんだよ。まだそうすると決まったわけじゃないだろ」
「あ、あの!」
「ん?」
恐怖のためずっと震えていた少年が、意を決したようにラフィットに声を掛けた。
「ありがとうございました!」
「……礼なんかいらんさ。騎士として当然のことをしたまでだ」
「助けてもらったらちゃんとお礼を言えって、いつも父さんに言われてるから……それにしても本当によかった。これで父さんに薬を買ってあげられる」
「お父さん、薬を買いに行けないくらい悪いの?」
「お医者さんは『ふぜんどりへーそくしょ』だって言ってた。だから横になって、治るまでずっと薬を飲み続けなきゃいけないって……」
「ふぜんどり……あぁ、『不全瞳力閉塞症』か! あれの薬ってすごい高いんだよね。それは確かに大変だ。ちなみに、症状が出たのはいつごろ?」
「えっと、二週間くらい前だったと思う」
「……ふむふむ、なるほどなるほど。それなら私の出番かも」
ユリスは小声でうんうんと唸っていた。
「ねぇねぇ。お父さんの病気、この超天才美少女錬金術師のユリスちゃんが治してあげようか?」
「おい、勝手なことを……」
「本当!?」
「もっちろん! 困っている人を助けるのは騎士の務め、だもんね!」
「こいつは……大体、医者でもないお前が本当に病気を治せるのか? それに、薬師の仕事を奪うことは人助けとは言わん」
「まぁまぁ、そう固いこと言わずに任せてみなって。ラフィットだって、私がどれだけすごい錬金術師なのか知っておきたいでしょ?」
自信満々にそう言い放つユリスを見て、ラフィットは考えを巡らせた。先ほど姿を消した件といい、ユリスはただのお調子者ではなさそうだ、と。
(つい忘れそうになるが、こいつは王国推薦の錬金術師なんだよな)
「今日は非番だし、やらなきゃいけないことも無いわけじゃん? それにお互いのことを知るんだったら、いい機会だと思わない?」
「わかったよ。わかった。そんなに言うなら、天才錬金術師様のお手並みを拝見させてもらおうじゃないか」
「よーし、じゃあ決まりね!」
「わぁ! ありがとうお姉ちゃん、おじさん! 僕はジャンって言います。それじゃあ、家まで案内するね!」
「おじさん……」
悪意の無い少年の発言に、ラフィットは少しだけショックを受けていた。
「ラフィット、髪切ったら? あと髭も剃りなよ。老けて見えるよ」
「うるさい」
実際、長髪に口ひげを蓄えたラフィットの容姿は、実年齢以上に老けて見える。これでは10歳前後の少年におじさん認定されても仕方ないだろう。